サッカー代表戦でゴミ拾いするサポーターに見る憲法9条の理念

広告

サッカーのワールドカップロシア大会が開催されて1週間が経ちました。

スペイン・ポルトガルの激闘やメキシコ・日本の番狂わせなど、熱狂冷めやらぬ試合の連続に寝不足で仕事もままならない毎日を過ごしているのは私だけではないと信じたいところです。

ところで、ワールドカップに限らず最近の日本代表の試合を見ていていつも考えさせられるのが、日本のサポーター達による試合後のスタジアムでの「ごみ拾い」です。

いつ頃から始まったのかは明確には記憶していませんが、試合後のスタジアムで応援に使用したブルーのビニール袋を片手に日本のサポーターたちが観客席に捨てられたゴミを拾い集めている光景。

ここ数年前からTwitterなどのSNS上で広く拡散されるようになったことは皆さんもご存知のことかと思います。

最近では他国のサポーターまでそれに感化されているようで、今回の大会では日本と対戦したコロンビアや次戦で対戦するセネガルのサポーターの方々までも試合後にゴミ拾いをしている画像や動画がTwitterに投稿されているようです。

日本のサポーターが始めたささやかな行為がこうして世界の人々に好意的に拡散される状況は見ていて非常に好ましく、このような善の連鎖を生み出した今の若者たちに頭が下がる思いでいっぱいですが、先ほど私が「考えさせられる」と述べたのは何もそのような「ゴミのポイ捨てをしない文化」や「ゴミの分別文化」の拡散だけを「考えさせられる」といっているのではありません。

もちろん、そういった善意の行動の拡散自体にも考えさせられる点があるのは当然ですが、この日本のサポーターによる試合後の「ゴミ拾い」の活動に私が「考えさせられる」のは、そのサポーターの行為自体が、憲法9条と憲法前文が標榜する平和主義の理念を実現するためにとても参考になる、という点です。

広告

憲法9条は単なる非武装中立・無抵抗主義ではない

憲法9条ではその条文を見てもわかるとおり「陸海空軍その他の戦力」を一切放棄し「交戦権」すら認められていませんから、日本では軍事力を保有ことが当然に否定されますし、戦争することも禁じられているということになります。

日本は国際的な紛争に巻き込まれても武力を用いた方法でその解決を図ることは否定されますから、仮に他国から侵略を受けた場合であっても外交努力等の非武力を用いた手段で解決を図らなければならない。これが憲法9条の平和主義です。

もっとも、だからと言ってその「平和主義」は、ただ漫然と国連やアメリカ(安保条約)に自国の安全保障を委ねるというような他力本願的なものではありません。

日本国憲法ではその前文で「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有すること」を確認したうえで「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と謳い「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」するために「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成すること」を誓っていますので、日本は諸外国に世界の平和を実現するための提言や具体的な外交施策を積極的に行って世界平和を実現させ、その世界が平和になることによって自国の安全を確保しようとする極めて自力本願的な平和主義と理解されるからです。

【憲法前文(抄)】
日本国民は……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは……自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって…(中略)。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う

憲法9条の平和主義は、憲法前文で表明された「平和を実現するために武力(軍事力)以外の方法で積極的な行動をとるべきことを要請している平和主義(※芦部信喜「憲法(第六版)」岩波書店56頁参照)と理解されていますので、ただ漫然と「非武装中立」「無抵抗主義」の下で胡坐をかいて日本の平和だけを求めるのではなく、全世界に平和のための積極的な働きかけをしていくことで日本の平和を確保しようとする極めて積極的な行動が求められた平和主義といえるわけです。

「サポーターのゴミ拾い」は憲法9条の理念そのもの

このように、憲法9条における「平和主義」は、自国だけ軍事力を持たずにただ漫然と国連や日米安保条約に胡坐をかいて「非武装中立」「無抵抗主義」を実現しようとする「消極的な」平和主義ではなく、軍事力は用いないにしても国際的な紛争解決への提言や外交努力を積極的に行うことで世界の平和を追求し、そのうえで自国の平和を確保しようとする「積極的な」平和主義と解釈されています。

しかし、とはいっても憲法9条が求めるその理念を具体的にどのような「積極的な」行動を取ることで実現することができるのか、という点は憲法上明確ではありません。

先ほど挙げたように憲法前文では全世界の人々が「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」ることに「全力を挙げて」取り組むことを誓っていますから、日本は世界中から紛争と貧困がなくなるように「積極的に」努力しなければなりませんが、具体的にどのような「積極的な」行動を取ればよいのでしょうか?

そのヒントは、サポーターの「ゴミ拾い」にあります。

先ほど述べたように、サッカーの試合が終わった後にゴミを拾い集めている日本のサポーターがいるわけですが、彼らがゴミを拾い集めるのは、そこに散らかされたゴミが存在し、そのゴミを無くしてキレイな環境に戻したいと思ったからだと推測できます。ゴミが放置されていても、それをきれいにしたと思わなければそもそもゴミ拾いなどしないからです。

そして彼らは、放置されたゴミをそのままにして自分のゴミだけを持ち帰り、自分の座席だけキレイにして帰ってもよかったはずなのに、わざわざ赤の他人が散らかしたゴミを自ら進んで拾い集めています。

しかも彼らは、他人が捨てたゴミをただ黙々と拾い集めているだけで、ごみを捨てて帰る他国のサポーターに対して「ゴミを捨てるな!」とか「自分のごみは自分で持ち帰れ!」と注意したりはしていません。

「公共の場所にごみを捨てること」は道徳的に「悪」と認識されますが、日本人のサポーターはその道徳を他国のサポーターに押し付けるわけではなく、ただ黙々とゴミを拾い集めているわけです。

そして、その行為が尊敬すべき行為としてSNSで世界に拡散されることで、コロンビアやセネガルのサポーターに模倣され、そのゴミ拾いの運動が世界に広がって行っているわけですから、日本のサポーターの行動は、善い行いは強制力(武力・暴力)を用いなくても人々の共感を得ることで世界に拡散できることを証明しているとも言えます。

これは、憲法9条の平和主義も同じです。

他国の間で戦争や紛争が生じたり他国から自国への侵略が行われた場合、世界中のほとんどの国は自国の軍隊(軍事力)を用いてその戦争や紛争に介入したり、自国への侵略に対抗しようとするのが普通です。

他国で戦争や紛争が起これば「戦争をするな!」「侵略するな!」と警告し、それが無視された場合は軍事力を用いてそれを制圧し自国の安全を確保する。アメリカやロシア、EU諸国のシリアへの介入であったり、アメリカの北朝鮮への圧力はまさにそれで国連の平和維持活動でさえ武力を背景にした実力行使にすぎません。

スタジアムのゴミ拾いに例えれば、ごみを捨てて帰る他のサポーターに対して「ごみを捨てて帰るな!」「自分のごみは自分で持ち帰れ!」と注意し、それに従わないサポーターを殴りつけてゴミを持ち帰らせる。

これが世界における安全保障の常識です。

もちろん、他国の戦争や紛争に一切介入しないスイスなどの永世中立国もありますが、それは単に自国の軍事力を用いて自国の平和だけを確保しようするものにすぎません。

スタジアムのゴミ拾いに例えれば、スイスの事例はスタジアムの観客席に放置されたゴミを「汚いな」とは思いつつも「自分の座席だけキレイにすればそれでいいや」と考えて自分のゴミだけを持ち帰って他のゴミは放置するのと同じでしょう。

しかし、憲法9条の平和主義はこれらとは一線を画しています。

先ほども説明したように、憲法9条の平和主義は外国の戦争や紛争に介入するわけではなく、武力(軍事力)以外の方法で紛争解決の提言や外交努力、国際援助を行って、世界から貧困や紛争を無くすことで世界の平和を実現し日本の安全保障を確保しようとしているからです。

つまり、軍事力を用いて他国の紛争に介入するのではなく、軍事力以外の方法で、国際的な提言や国際援助を行って、紛争当事国を平和で豊かな国にすることで自国の平和を実現することが求められているわけですから、日本は諸外国のように武力を用いて他国の紛争に介入するのではなく、武力(軍事力)以外の方法を用いて、他国の紛争がなくなるように紛争解決の提言や貧困解消のための国際援助等を積極的に行わなければならないのです。

それはさながら、サッカー日本代表の試合後にスタジアムでゴミを拾い集めるサポーターのようなものです。

日本のサポーターは「ゴミをポイ捨てしない」という道徳を暴力で他の観客に押し付けるのではなく、ただ愚直に黙々とゴミを拾い集めました。そしてその光景が尊敬すべき行為としてSNS上で世界中に拡散され、今回のワールドカップではコロンビアやセネガルのサポーターたちも同じようにゴミを拾い集めているわけです。

憲法9条の平和主義を実現するためには、この日本のサポーターたちのように、軍事力以外の方法を用いてただ愚直に世界の紛争解決に向けた提言を行い、また世界から貧困をなくすための援助を積極的に行うことで世界の人々から尊敬すべき行為として認められることが必要です。

そうすれば、いつか必ず他国もそれに倣って世界平和への実現に向けた行動をとるようになるでしょう。

それがつまり、憲法9条と憲法前文がもとめる真の意味での日本国憲法の「平和主義」の実現方法といえるのです。

憲法9条の平和主義もいつか必ず世界中に拡散されるはず

憲法9条の改正に賛成する人の多くは「軍隊を否定する憲法9条では国は守れない」とか「戦争を放棄した憲法9条では国は守れない」と言います。

尖閣諸島や竹島、北方領土では実際に武力を用いた他国の行為によって国土が脅かされ、実際に実効支配されている事実もありますから、彼らが「武力を用いずに国を守れるはずがない」とか「憲法9条の平和主義で尖閣諸島が守れる分けないだろう」と言いたくなる気持ちも分からなくはありませんが、現実にそういった脅威が生じているのは、歴代の日本政府が憲法9条の理念を真摯に実行しようとしてこなかったからにすぎません。

先ほども述べたように、憲法9条の理念は日本のサポーターがただ黙々とスタジアムのゴミを拾い集めることで世界にその道徳を拡散させ「ゴミ拾いの輪」を世界に広げたように、武力を用いずにただ愚直に紛争解決の提言や貧困撲滅のための援助等を行い、それが世界に連鎖することによって世界の平和を希求するところにあります。

しかし、歴代の政府が採ってきたのは、アメリカに追従して強力な実力部隊である自衛隊を強化し、その武力によって国の安全を確保しようとする憲法9条の理念とはかけ離れた安全保障施策です。

サポーターのゴミ拾いに例えれば、日本が戦後に行って来たのは、アメリカという屈強な警備員を盾にして、自衛隊という警棒を振りかざして「ゴミを捨てるな!」「自分のごみは自分で持ち帰れ!」とごみを捨てて帰る観客に自分の道徳を押し付けることでスタジアムの美観を確保しようとしてきただけに過ぎないわけです。

しかし、それではスタジアムはきれいになりません。そのような道徳や価値観を他人に強制しても、それは無駄な軋轢や反感を生むだけだからです。

武力によってスタジアムにおけるごみのポイ捨てがなくならないことは過去の歴史が証明しています。

憲法9条の理念を実現し、憲法9条の下で日本の安全保障を確保しようとするのであれば、武力を用いた抑止力の強化ではなく、日本代表のサポーターのように、ただ愚直に国際紛争解決への提言や貧困撲滅等の援助を積極的に行い、その武力によらない平和実現への努力を世界の人々に尊敬すべき行為として受け入れてもらうことがまず必要となります。

そうすれば、サポーターのゴミ拾いが世界に拡散し続けているように、憲法9条の理念もいつか世界に拡散し世界から愚かな戦争がなくなるのではないかと思います。