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自民党憲法改正案の問題点:第6条4項|助言と承認を「進言」に

憲法改正を執拗にアナウンスしている自民党がウェブ上で公開している憲法改正草案を条文ごとに細かくチェックしてその問題点を指摘するこのシリーズ。

今回は、自民党憲法改正案の「第6条第4項」について確認してみることにいたしましょう。

なお、自民党憲法改正草案の第6条1項から3項までの条文も現行憲法から変更された点がありますが、現行憲法の条文の位置を整理し表記を現代仮名遣いに改めた部分が中心ですので、ここでは第6条の4項に絞って検討していくことにいたします。

なお、この記事の概要は大浦崑のYouTube動画でもご覧になれます。

記事を読むのが面倒な方は動画の方をご視聴ください。

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内閣の「助言と承認」を「進言」に変えた自民党憲法改正草案

自民党がウェブ上で公開している憲法改正草案の第6条は「天皇の国事行為等」に関する規定が置かれています。

この点、現行憲法で天皇の国事行為等については第3条、第4条、第6条、第7条で規定されていますので、自民党憲法改正草案ではこれらの条文が第6条として一つにまとめられた形です。

もっとも、先ほども少し説明したように、第6条の第1項から第3項までは現行憲法のそれとさほど大きな違いは見られない(あくまでもこのサイト筆者の見解です)と考えられますので、ここでは第6条の4項に絞って検討していくことにいたします。

この点、自民党憲法改正草案の第6条4項は、現行憲法の第3条に対応する形で条文が作られていますので、まず現行憲法の第3条を確認してみましょう。

日本国憲法第3条

天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

このように、現行憲法の第3条は天皇の国事行為に内閣の「助言と承認」を要すること、またその責任が内閣にあることを規定しています。

この「国事行為」とは形式的・儀礼的な行為と解されていて憲法第6条に規定された「内閣総理大臣の任命」や「最高裁長官の任命」、また第7条で規定された「憲法改正・法律・政令・条約の交付」「国会の召集」「衆議院の解散」「国政選挙の施行の公示」「国務大臣等の任免等」「大赦等の免除等」「栄典の授与」「外交文書等の認証」「大使等の接受」「儀式を行うこと」がそれに当たります。

これらの国事行為は形式的・儀礼的な行為とされていますが、現行憲法は象徴天皇制を採用していて天皇には政治的権能が与えられていませんので、国民主権の観点から主権者である国民のコントロールが必要となります。

そのため、天皇の国事行為のすべてに内閣の「助言と承認」を要件として定め、内閣のコントロールを利かせることにしているのです。

なお、この「助言と承認」は一つの行為とされていて閣議を一回開けば足りますが、天皇の発意を内閣が応諾する形の閣議は認められません。また、その天皇の行為の結果については内閣が責任を負い、天皇は無答責とされることになるものと解釈されています(※芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法」岩波書店 48頁)。

では、この天皇の国事行為に関する内閣の「助言と承認」に関する規定が、自民党憲法改正草案ではどのように変更されるのでしょうか。自民党憲法改正草案の第6条4項を見てみましょう。

自民党憲法改正草案第6条4項

天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による。

※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成

一見すると同じように見えますが、現行憲法で天皇の国事行為に関して内閣の「助言と承認」が必要とされていた部分が「進言」という言葉に置き換えられているところが異なります。

※なお自民党憲法改正草案第6条4項は「ただし書き」の部分で、衆議院の解散について現行憲法が「内閣」が関与するとしている部分を「内閣総理大臣」が関与するものと変更していますが、この点については『自民党憲法改正案の問題点:第54条1項|解散権が内閣総理大臣に』のページで詳しく解説していますのでそちらを参照してください。

では、内閣の「助言と承認」が「進言」に変えられる点がどのような問題を生じさせるのでしょうか。

この点、「助言」は一般にその相手に役立ちそうな言葉を与えることを意味し、「承認」は相手の判断を受け入れることを意味しますが、その「助言」「承認」の言葉に相手との上下関係(年齢・立場・地位・階級等の高低)は含意されません。

目上の人(年齢・立場・地位・階級等が自分より高い人)が目下の人(年齢・立場・地位・階級等が自分より低い人)に向けて「助言」「承認」することを「助言」「承認」と表記することもありますし、その逆に目下の人が目上の人に向けて「助言」「承認」することを「助言」「承認」と表記することもあるわけです。

ですから、内閣の「助言と承認」と表記している現行憲法では、「助言と承認」を与える内閣と、その「助言と承認」を与えられる天皇の間に、上下関係は存在しないと言えます。

しかし「進言」はそうではありません。

「進言」は一般に目上の人や自分より地位や立場・階級等が上にある人に対して意見を述べることを意味しますから、「進言」という言葉を用いる場合には、必然的にその「進言」する相手は「年齢・立場・地位・階級等が自分より高い」ものであることが前提となるからです。

そうすると、自民党憲法改正草案の第6条が天皇の国事行為に内閣の「進言」を要すると規定している以上、その「進言」を与える内閣は、その「進言」を受ける側の天皇よりも必然的に地位(身分か階級かそれ以外の地位かそれはわかりませんが)が「下」にあることを前提としているということにならざるを得ません。

つまり、自民党憲法改正草案の第6条では、主権者である「国民」が、「天皇」よりも地位的に「下」に位置付けられていることが前提になっているわけです。

国民の地位を天皇の「下」に置くことは国民主権の後退につながる

このように、自民党憲法改正草案の第6条は、天皇の国事行為に内閣の「助言と承認」を必要と規定した現行憲法からその「助言と承認」の文言を「進言」に置き換えることで、主権者である国民の地位を天皇の「下」に置いています。

しかし、天皇の地位を強化し、その逆に主権者である国民の地位を低下させるこの変更は、民主主義の観点から問題があると指摘できます。なぜなら、天皇の地位を絶対的・普遍的な存在としていた明治憲法(大日本帝国憲法)の失敗を繰り返す危険性を生じさせるからです。

明治憲法(大日本帝国憲法)ではその第3条で天皇を神聖なもの不可侵的なものと規定したうえで、第4条でその神聖な天皇に「統治権ヲ総攬」する権能を与えていましたから、絶対的・普遍的な存在の天皇が国の主権者とされていました。

【大日本帝国憲法(抄)】

第1章 天皇
第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
(以下省略)

また、明治憲法(大日本帝国憲法)における国民は天皇の「臣民」であってその臣下でしたから、憲法で保障される人権も天皇に与えられるものに過ぎず、天皇が法律や天皇大権を利用すればいくらでも制限できる不十分なものでした(大日本帝国憲法上諭参照)。

【大日本帝国憲法 上諭(抄)】

(中略)
朕ハ我カ臣民ノ権利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範囲内ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス…(中略)…朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ為ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ

つまり、明治憲法(大日本帝国憲法)の下では、絶対的・普遍的な存在の天皇が主権者であって、国民はその天皇の臣下とされていて憲法に基づいて「永遠ニ従順」することが義務付けられていたわけです。

しかし、そうした絶対的・普遍的な存在である天皇の地位や権能が当時の国家指導者や軍部に利用され、またその軍部も含む権力者の政治利用に当時の天皇や少なからぬ国民が同意を与えた結果、国全体が戦争にまい進することを許してしまうことになり、国内だけでなく東アジアと太平洋の多くの人々に多大な犠牲を強いてしまいました。

すなわち、天皇の地位を国民の「上」に置き、国民の地位を天皇の「下」に置いていた憲法上の欠陥が、戦争の惨禍を拡大させてしまった一因でもあったわけです。

そうした反省を踏まえて制定されたのが現行憲法である日本国憲法です。

戦後に制定された日本国憲法は、民主主義を徹底させるために国の主権を「国民」に置きましたから、天皇が絶対的・普遍的な存在であってはなりません。

そのため第1条で天皇の地位を「主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定することで、天皇の絶対性や普遍性を否定し、天皇の地位さえも主権者である国民の意思を前提とするものとして位置付けたのです。

日本国憲法第1条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

また、天皇の権能が政治利用されることになれば、時の権力者に思いのままに利用される危険が生じますから、天皇に政治的な権能を与えないようにするために天皇の権能を象徴的・儀礼的な行為に限定する必要があります。

そのため、現行憲法では天皇の権能を第6条と7条で規定された象徴的・儀礼的な国事行為に限定することで、天皇の権能が政治的な意味を持たないように制限し、時の権力者に利用されてしまわないように歯止めをかけたのです。

ですから、現行憲法における天皇は主権者である国民の意思を前提とする存在であって、国民は天皇の「下」に位置付けられるものではありません。国民の地位が天皇の「上」にあるわけではありませんが、国民と天皇の地位に上下関係はないのです。

こうした事情があるにもかかわらず、自民党憲法改正草案の第6条は、天皇の国事行為に内閣の「進言」を必要と規定することで主権者である国民の地位をあえて天皇の「下」に位置付けましたから、これは相対的に天皇の地位を「上」に位置付ける作用を生じさせることにつながります。

しかし、天皇の地位が国民よりも「上」に位置付けられることで強化されれば、それは絶対的・普遍的な存在として位置付けられていた明治憲法(大日本帝国憲法)上の天皇に近づけられることになり、先の戦争で生じた天皇の政治利用や国民の自由や権利を抑圧することの法的根拠として利用される危険性を生じさせてしまうでしょう。

自民党の憲法改正案第6条が国民投票を通過すれば、主権者である国民の地位は相対的に低下しますから、それは国民主権の後退となり、民主主義を機能不全に陥らせて先の戦争で生じた過ちを繰り返させてしまう危険性を惹起させてしまいます。

ですから、天皇の国事行為に内閣の「助言と承認」を必要とした現行憲法のその部分を「進言」に変更させる自民党憲法改正草案の第6条は、国民主権および民主主義の観点から大きな問題があると指摘できるのです。

自民党憲法改正草案の第6条は天皇の政治利用を可能にし、先の戦争の過ちを繰り返す危険性を惹起させる点で危険

以上で説明したように、自民党憲法改正草案の第6条は、天皇の国事行為に関する内閣の「助言と承認」を「進言」の文言に変更していますが、これは天皇の地位を主権者である国民の「上」に位置付けて天皇の地位を強化することを意図したものであり、相対的に主権者である国民の地位を低下させますので、結果的に国民主権の後退を招き、民主主義を機能不全に陥らせるものとなります。

そしてそれは、天皇の地位を絶対的・普遍的な存在として神格化し、国民を天皇の臣下として位置付けて自由や人権を制限し国全体を戦争の惨禍に誘導した明治憲法(大日本帝国憲法)の失敗を招き入れる点で大きな問題があると指摘できるでしょう。

もちろん、今の自民党がそうした天皇の政治利用を意図して「助言と承認」の文言を「進言」に変更したのか、それはわかりません。

しかし、自民党の意図がいずれにあるとしても、この憲法改正案がそうした危険性を惹起させることについては、すべての国民が十分に理解したうえで自民党の憲法改正案に関する賛否を判断しなければならないと言えます。