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憲法9条を改正して自衛隊を明記すると何がどう変わるのか

現在の政府(安倍政権)や自民党を中心とした与党、あるいは自民党に迎合するいわゆる改憲勢力と呼ばれる政治家たちは憲法9条に自衛隊を明記する憲法改正を執拗にアナウンスしていますので、近い将来もしかしたら国会に憲法9条の憲法改正案が提示されて発議され、国民投票に問われることもあるかもしれません。

【日本国憲法9条】

第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

その場合、国民は自衛隊を憲法に明記するのかしないのか、憲法改正案に関する是非を判断しなければなりませんが、そこで問題となるのが憲法に自衛隊を明記することで自衛隊の任務や権限が具体的にどのように変わるのかという点です。

自衛隊は現行憲法の下で組織され実際に活動していますから、自衛隊が憲法に明記されても「今と別に変わりはないだろう」「自衛隊が憲法に明記されてもどうなるものでもない」と考えている人もいるかもしれません。

しかし、憲法論的な観点から考えた場合、その考えが大きな間違いであることが分かります。

なぜなら、憲法に自衛隊が明記されてしまえば、今ある自衛隊の任務と権能だけでなく、国民の自由と権利、また国の安全保障や世界の秩序にも大きな変更を及ぼすことになるのは避けられないからです。

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憲法9条2項の戦力の不保持があるのに自衛隊が運用されている理由

自衛隊が憲法に明記されることで自衛隊の権能と任務に具体的にどのような変更がなされるかという点を考える前提として、そもそも憲法9条の下でなぜ自衛隊の組織と運用が認められているのかという点を理解しなければなりません。

日本国憲法の9条2項では「陸海空軍その他の戦力」の保持を禁止していますので、「陸海空の部隊」を組織し運用する自衛隊がなぜ9条2項の”戦力”にあたらないのかを正確に理解しなければ、憲法に自衛隊が明記された場合における自衛隊の任務や権能も正確に理解しえないからです。

ア)通説的な見解に立って考えれば自衛隊は「違憲」

この点、憲法学の通説的な見解に立って考えた場合には自衛隊は「違憲」という帰結にならざるを得ません。

憲法学の通説的な見解では9条2項の”戦力”を警察力との違いにおいて「組織体の名称は何であれ、その人員、編成方法、装備、訓練、予算等の諸点から判断して、外敵の攻撃に対して国土を防衛するという目的にふさわしい内容を持った実力部隊」と定義しているからです(※芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法(第六版)」岩波書店60~61頁参照)。

自衛隊は国外勢力の武力攻撃から国土と国民を守るために組織されていますから、このような通説的な見解で考えれば「外敵の攻撃に対して国土を防衛するという目的にふさわしい内容を持った実力部隊」に他なりません。仮に自衛隊がその通説の言う実力部隊に「ふさわしくない」組織であるのなら、そもそも自衛隊の存在する意義自体が失われてしまうからです。

ですから、自衛隊は憲法9条2項の”戦力”について通説的な見解で解釈する限り、その”戦力”にあたる「違憲」なものという結論にならざるを得ないわけです(※この点の詳細は→『憲法9条2項で放棄された「戦力」とは具体的に何なのか』『自衛隊はなぜ「違憲」なのか?』)。

イ)歴代の政府は自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」と説明することで自衛隊の違憲性を回避してきた

このように、憲法学の通説的な見解に立って考える限り自衛隊は「違憲」ということが言えますが、ではなぜ現行憲法の9条2項の下で実際に自衛隊が組織され運用されているかというと、それは歴代の政府が自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」であると説明してきたからです。

歴代の政府は憲法9条の下でも国家として当然に認められる「固有の自衛権」は放棄されていないという見解に立ち、その「固有の自衛権」を行使するために「自衛の措置をとること」は日本国憲法の下でも許容されるという考え方に立って憲法9条を解釈してきました。

このような見解に立てば、自衛のための措置として憲法9条2項の”戦力”にあたらない程度の自衛権の行使が認められるという理屈が成り立つからです。

このような解釈をとる限り、憲法9条2項によって「陸海空軍その他の戦力」の保持が禁止されていても、その”戦力”に及ばない範囲に限られた「必要最小限度の実力」であれば憲法9条2項の規定と矛盾することなく保持と行使が認められることになります。

そのため歴代の政府は、自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」であって「憲法9条2項の”戦力”ではない」と説明してきたのです。

自衛隊が「自衛のための必要最小限度の実力」であるのなら、たとえ9条2項の”戦力”を憲法学の通説的な見解で解釈したとしても自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力」であって9条2項の「戦力」にはなりませんので憲法上合憲です。

もちろん、この理屈は常識的に考えればおかしいのですが、理屈としてはいちおう筋が通っているので論理的な矛盾は生じません。

ですから、歴代の政府は、本来は「違憲」であるはずの自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」と説明し、その「必要最小限度」の範囲で自衛隊を運用することでかろうじて自衛隊の違憲性を回避してこれまで運用することができたわけです(※この点の詳細は→『憲法9条2項で放棄された「戦力」とは具体的に何なのか』『自衛隊はなぜ「違憲」なのか?』)。

ウ)自衛隊による自衛権の行使が認められるのは「自衛権発動の三要件」を満たす場合に限られる

このように、歴代の政府は本来であれば憲法9条2項の”戦力の不保持”の規定から憲法上「違憲」になるはずの自衛隊を、「自衛のための必要最小限度の実力」と言い張ることでかろうじて「合憲」と説明して運用してきましたから、その自衛隊の自衛権の行使は「必要最小限度」でなければなりません。

そのため歴代の政府は、自衛隊が自衛権を発動することができる場合の要件を「自衛権発動の三要件」として定め、その3つの要件をすべて満たす場合に限って自衛隊の自衛権行使が許されるとして抑制的に自衛隊を運用してきました。

【自衛権発動の三要件】

  1. 我が国に対する急迫不正の侵害(武力攻撃)が発生したこと
  2. これを排除するために他に適当な手段がないこと
  3. 実力行使の程度が必要限度にとどまるべきこと

これはもちろん、そのように抑制的に自衛隊を運用しないと自衛隊が憲法上「違憲」と判断されてしまうからです。

先ほどから説明しているように自衛隊は本来は憲法9条2項の”戦力”にあたるものであり、政府が「自衛のための必要最小限度の実力」と説明することでかろうじて合憲性の理屈を保つことができる存在ですから、その自衛隊の自衛権発動はあくまでも「必要最小限度」の範囲にとどまらなければなりません。

「必要最小限度」の範囲を超えて自衛権を発動してしまうと、歴代の政府がこれまで説明してきた『自衛隊は自衛のための必要最小限度の実力だから9条2項の”戦力”にあたらない』というロジックが破綻して自衛隊が「違憲」であることを政府自ら認めてしまうことになってしまうため、このような「自衛権発動の三要件」を設定して限定的かつ抑制的に自衛隊を運用してきたということが言えるわけです。

憲法9条を改正して自衛隊を憲法に明記するだけで変わる6つの権能

以上で説明したように、自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力」という範囲で限定的かつ抑制的に運用が認められるものであり、その「必要最小限度」を超えてしまうと憲法上「違憲」と判断され存在自体が否定されうる余地を抱えたままの状態でかろうじて日本国憲法の下で運用が認められている組織ということが言えます。

では、その自衛隊が憲法改正手続によって憲法に明文の規定で明記された場合、具体的にどのようにその権能や任務が変更されることになり得るのでしょうか。

(1)先制攻撃ができるようになる

まず言えるのが、自衛隊が憲法に明記されれば、自衛隊の「先制攻撃」が認められるようになるという点です。

先ほど説明したように、現在の自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力」という範囲で自衛権の発動が認められる組織ですので「自衛権発動の三要件」の第一要件となる「急迫不正の侵害」の要件を満たすことはマストであり「専守防衛」に徹さなければなりませんから、他国から攻撃を受けていない状態で「先制攻撃」を行うことは許されません(※詳細は→先制攻撃が自衛隊に認められないと憲法論的に解釈される理由)。

しかし、憲法に自衛隊が明記されれば、それ以降の自衛隊は国民が国民投票で憲法上「合憲」と認めた組織として扱われることになりますから、もはや政府は自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」と説明しなくても自衛隊が「違憲」と判断されることはなくなりますので、自衛隊の自衛権発動は「必要最小限度の範囲」に限られなくてもよいことになります。

憲法に自衛隊が明記されれば、自衛隊にそれまで掛けられていた「必要最小限度」という”縛り”が取り払われることになるので、その「必要最小限度の範囲」を確定していた「自衛権発動の三要件」を満たさなくても自由に無制限に自衛権を発動することができるようになるからです。

そうすると、もはや自衛隊は「急迫不正の侵害」がなくても「攻撃を受ける恐れ」がありさえすれば「自衛のため」という理由でいくらでも自衛権を発動することができるようになりますので、「先制攻撃」もできるようになってしまいます(※詳細は→憲法9条を改正して自衛隊を明記すると先制攻撃が可能になる理由)。

しかし、「先制攻撃」はその攻撃を受ける側から見れば、実際に攻撃していない国から行われる意味不明な攻撃であって侵略行為以外の何物でもありません。

つまり、憲法に自衛隊を明記するだけで、日本は憲法上「自衛のため」と称して先制攻撃を行い他国を「侵略」することができるようになるわけです(※参考→先制攻撃が自衛隊に認められないと憲法論的に解釈される理由)。

(2)核兵器を持つことができるようになる

また、自衛隊を憲法に明記すると、ただそれだけで核兵器の保有とその行使ができるようになる点も重要です。

この点、先ほど説明したように歴代の政府は自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」と説明することで自衛隊の違憲性の問題を回避してきましたから、政府のこの見解に立てば理論的には核兵器の保有も不可能ではありません。

歴代の政府はその「自衛のための必要最小限度の実力」の範囲について「他国に侵略的な脅威を与えるような攻撃的武器」は保持できないと説明していますので(芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法(第6版)」62頁参照)、政府が「他国に侵略的な脅威を与えるような攻撃的なものにはあたらない」と判断する限り、核兵器であろうが化学兵器であろうが際限なく兵器の保有と行使が許容されることになるからです。

実際、かつての政府は、防衛的な小型の核兵器なら憲法9条の下でも保有が認められると解釈していた時期がありますので(※参考→日本が非核三原則を守り続けなければならない理由)、政府が憲法9条2項の”戦力”を「自衛のための必要最小限度の実力の範囲を超える戦力」と解釈する立場に立つ限りにおいて、政府は核兵器の保有自体は否定していないとも言えます(※ただしあくまでも政府の解釈では核兵器の保有もできるということであって、憲法学の通説的な見解として核兵器の保有が認められると解釈しているわけではありません)。

もちろん政府は、非核三原則を国是として採用していますので、政策的な判断で非核三原則を破棄しない限り核兵器を持つことができないという立場を取っているのが今の政府の見解です(※参考→日本が非核三原則を守り続けなければならない理由)。

一方、憲法学の通説的な見解に立った場合は、政策的な判断ではなく法理論的に核兵器の保有と行使は一切認められません。憲法学の通説的な見解で9条2項の”戦力”を解釈すれば、核兵器は「外敵の攻撃に対して国土を防衛するという目的」をはるかに超えた大量破壊兵器に他ならず、その保有は完全に9条2項の”戦力”にあたり違憲ということが言えるからです。

しかし、憲法が改正されて自衛隊が憲法に明記されてしまえばその通説的な見解も修正を迫られることは避けられません。

憲法に自衛隊が明記されれば、国民が憲法に明記された自衛隊の範囲で無制限に兵器の保有とその行使する権能を国家権力に対して与えたことになりますので、たとえ通説的な見解に立って9条2項の”戦力”を解釈する場合であっても、その「自衛隊」のために必要な限度で兵器の保有のすべてを認めざるを得なくなるからです。

つまり、自衛隊が憲法に明記されれば、現在の憲法学の通説的な見解が説く9条2項の”戦力”の解釈が限りなく歴代の政府が取ってきた解釈に近いものに修正を迫られることになるので、憲法学の通説的な解釈に立って考えても理論的には核兵器の保有と行使が「合憲」と解釈されてしまうようになる(政府が核兵器を保有しても学説から反対されなくなるようになる)可能性があるわけです(※詳細は→憲法9条を改正して自衛隊を明記するだけで核武装できる理由)。

もちろん、日本は核不拡散防止条約(NPT)を批准していますし、仮に日本が核武装してしまえば韓国や台湾やベトナムやインドネシアなど周辺諸国でも核保有の議論が過熱して東アジアの軍事バランスが大きく損なわれてしまうので、核兵器の保有が通説的な見解からも理論上「合憲」になったからと言って日本がすぐに非核三原則を破棄して核武装することは常識的に考えれば決して蓋然性は高くありません。

しかし、憲法に自衛隊が明記されるだけで自衛隊が核兵器を装備することが通説的な見解に立って考えても憲法上「合憲」になることになり、日本が「核武装しようと思えば核武装できる国になる(憲法学の通説から違憲だと批判されることがなくなる)」わけですから、その国の安全保障に大きな変更を与えるものである点については十分に留意する必要があります。

(3)徴兵制が認められるようになる

憲法に自衛隊が明記された場合、徴兵制が合憲になるという点も重要です。

現在の日本国憲法は9条で戦争と戦力の保持と交戦権をすべて否定していますから武力で国の安全保障を確保することを禁止しているということが言えますので、国は徴兵制を制度化する法律を制定することはできません。

仮に国が徴兵制を制度化する法律を制定したとしても、憲法が9条で武力による安全保障の確保を否定している以上、徴兵制によって国民に強制される「兵役」は憲法18条で禁止された「意に反する苦役」を国民に強制するものとなり、その徴兵制を制度化した法律自体が憲法に違反することになるからです。

この点、憲法12条の「公共の福祉」に「兵役」の必要性を含めることで徴兵制を実現できるかという点が問題となりますが、日本国憲法は先の戦争(第二次大戦)の惨劇を繰り返さないために国際協調主義に立脚して国際的に中立的な立場を維持して武力によらない手段で国の安全保障を確保する平和主義を基本理念として採用していますので(※詳細は→憲法9条が戦争を放棄し戦力の保持と交戦権を否認した理由または→憲法9条は国防や安全保障を考えていない…が間違っている理由)、日本国憲法が武力による安全保障施策を本来的に予定していない憲法であることを考えれば、現行憲法で武力を前提とした自衛隊への入隊を一定期間義務付ける兵役を憲法12条の「公共の福祉」に含めることはできません。

そのため現行憲法では徴兵制が「違憲」と考えられているわけです(※詳細は→徴兵制が日本国憲法で違憲と解釈される理由)。

しかし、仮に憲法に自衛隊が明記されれば、その憲法に明記された自衛隊の戦力保持と交戦権の行使を国民が容認したということになりますから、その憲法に明記された自衛隊の範囲で武力による安全保障確保の要請が憲法12条の「公共の福祉」となってしまいます。

つまり、仮に憲法に自衛隊が明記されれば、徴兵制に基づく兵役を国民に強制しても憲法12条の「公共の福祉」として許されることになるので、法律によって制度化された兵役が「公共の福祉」として憲法18条の「意に反する苦役」の禁止に制限を掛けることになって「合憲」となるわけです(※詳細は→憲法9条を改正して自衛隊を明記すると徴兵制が復活する理由)。

もちろん、憲法に自衛隊が明記されたからといって直ちに徴兵制が採用されるわけではないでしょうが、今後日本は少子化に向かいますので現在の自衛隊の規模を縮小しない限り将来的に確実に徴兵制が実現されることになるのは間違いありません。

(4)集団的自衛権の行使が認められるようになる

憲法に自衛隊が明記されれば、集団的自衛権の行使が憲法上”合憲”となってしまう点も考えなければなりません。

もちろん、現在の政権(安倍政権)は2014年7月1日の閣議決定で国民の同意を得ることなく従来の憲法解釈を勝手に変更し集団的自衛権の行使を容認してしまいましたから、政府の見解では現在でも既に自衛隊は集団的自衛権を行使できる状態にあります。

しかし、歴代の政府が自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」と説明することでその違憲性を回避してきたロジックからすれば「急迫不正の侵害」がない状態で、しかも「自衛」のためではなく「他衛」のために自衛権を発動することは論理的に不可能ですから、憲法論的に考えれば集団的自衛権の行使は現在でも「違憲」であることは変わりありません(※詳細は→集団的自衛権が日本国憲法で違憲と解釈されている理由)。

ですが、仮に憲法9条が改正されて自衛隊が憲法に明記されれば、先ほどから述べているように政府はもはや自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」と説明する必要はなく「急迫不正の侵害」がなくても自衛権を発動することが可能になりますので、日本が実際に攻撃を受けていない(急迫不正の侵害を受けていない)状態であっても、他国を守るために自衛権(集団的自衛権)を発動することは認められることになります。

自衛隊が憲法に明記されれば、その明記された自衛隊の戦力保持と交戦権を行使する権能を国民が国家権力に与えたことになりますので、国はその国民から与えられた自衛権の権能を必要最小限度の範囲を超えて行使できるようになり、政府が必要と判断する限度で安保条約に基づいてアメリカ軍の戦争に参加しても「違憲」とは判断されなくなるわけです(※詳細は→自衛隊を憲法に明記するだけで集団的自衛権が合憲となる理由)。

(5)海外派兵ができるようになる

自衛隊が憲法に明記されれば海外派兵が制限なくできるようになる点も問題です。

この点、現在の自衛隊もイラクに陸上自衛隊の部隊を派遣したりペルシャ湾に海上自衛隊の掃海艇を派遣したりしていますので、現行憲法の9条の下でも既に自衛隊の海外派遣は容認されていると言えます。

しかしそれは、あくまでも「自衛のための必要最小限度」という”縛り”がある範囲で認められた限定的なものに過ぎません。

先ほどから述べているように、憲法論的には自衛隊はそもそも憲法9条2項の”戦力”にあたり違憲性のあるものであり、憲法9条は自衛戦争も含めた戦争と交戦権も否定しているわけですから、そもそも海外への派兵(自衛隊の派遣)などは憲法が本来的に予定していない行為であることは変わりないのです(つまり自衛隊の海外派遣はそもそも違憲性のある行為ということ)。

しかし、憲法に自衛隊が明記されれば、その「自衛のための必要最小限度」という”縛り”は取り払われますので、政府が「自衛のため」と判断すればいくらでも必要最小限度を超えて「自衛権の行使」として自衛隊を海外に派遣することが可能になります。

もちろん、改正後の自衛隊は「必要最小限度」の範囲を超えて武力行使ができるようになりますので、今まで以上に危険性のある地域への派兵も可能になりますし、先制攻撃が可能になるぐらいですから武器の使用制限も限度がなくなることになります。

そうなれば当然、自衛隊員が死傷する蓋然性も高くなりますし、自衛隊員が他国の兵士を殺傷するだけでなく、民間人を「誤爆」してしまう可能性も格段に高くなってしまいます。

もちろん、そうなれば日本人はその当事者から子々孫々にわたって恨まれることになりますので、海外で多くの日本人が”報復”という理由で狙われることになるのも避けられなくなってしまうでしょう。

(6)兵器の輸出が無制限に認められるようになる

以上の5項目に加えて、憲法に自衛隊が明記されれば、兵器の輸出が無制限に容認されることになる点も理解しておく必要があります。

この点、日本は戦後一貫して「武器輸出三原則」を国是として堅持してきました。これはもちろん、憲法がその基本原理として平和主義を採用し、憲法前文で全世界の国民から恐怖と欠乏を除去することを謳っただけでなく、9条で一切の武力と交戦権を否定して自衛戦争も含めたすべての戦争を放棄して平和に徹することを宣言していたからです(※詳細は→憲法9条が侵略戦争だけでなく自衛戦争をも放棄した理由または日本国憲法の平和主義は他国の平和主義とどこが違うのか)。

【日本国憲法前文】

(中略)…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し…(中略)…われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。…(以下省略)

日本国憲法は国際協調主義を採用し国家間の紛争について外交交渉のみによって解決を図る姿勢(※詳細は→9条は国防や安全保障を考えていない…が間違っている理由)だけでなく、世界のすべての国民に平和の下で生きる権利があることを前文で明確にしていますから、その世界の国民を殺傷するための道具に他ならない武器や兵器の製造と輸出は憲法の平和主義の精神と相いれません。そのため歴代の政府は「武器輸出三原則」を国是として採用し、武器の輸出を禁止してきたわけです(※詳細は→武器・兵器の輸出が日本国憲法で違憲と解釈される理由)。

この点、安倍政権は2014年4月1日に閣議決定で国民の同意なくその武器輸出三原則を勝手に破棄してしまいましたので、現在でも既に兵器の輸出は解禁されていると言えないことはありません。 政府は兵器の輸出に一定の制限を掛けてはいるものの武器の輸出に舵を切りましたので、 その範囲で武器(兵器)の輸出が解禁されている現実はもちろんあります。

しかし、憲法の平和主義はいまだ政府に歯止めをかけていますし憲法9条も機能していますから、武器の輸出を容認すること自体「違憲性のあるもの」です。政府が兵器の輸出を閣議決定で解禁しても、それが果たして「合憲」と言えるかは憲法論的に疑問が生じます。

ですが、憲法に自衛隊が明記されれば、その疑問もなくなります。憲法に自衛隊が明記されれば、国民が国家に対して武力によって国の安全保障を確保する権能を与えることを認めたことになるからです。

憲法に自衛隊が明記されれば、憲法の平和主義は「自衛戦争も含めたすべての戦争を放棄する平和主義」から「自衛戦争を許容する平和主義」に変質してしまうことになりますので(※詳細は→憲法9条に自衛隊を明記すると平和主義が平和主義でなくなる理由)、もはや政府が行う武器(兵器)の輸出を否定することは論理的に困難になってしまうでしょう。

つまり、憲法に自衛隊が明記されれば、憲法の基本原理である平和主義自体が「自衛のためなら無制限に武力攻撃できる平和主義」に変質してしまうことになりますので、政府が「自衛のための兵器」と判断した兵器であれば、潜水艦であろうがイージス艦であろうが弾道ミサイルであろうが核ミサイルであろうが、際限なく輸出しても憲法の基本理念に違反しないことになるわけです(※詳細は→憲法9条を改正し自衛隊を明記すれば兵器の輸出が合憲になる理由)。

自衛隊が憲法に明記されれば、日本の武器の輸出は歯止めが一切かからなくなりますから、アメリカやイスラエルのように武器商人となって世界に兵器を拡散させ軍需産業は大きな利益を得ることができますが、兵器を購入してもらうには実戦でその価値を証明しなければなりませんので、メイドインジャパンの兵器を売り込むために世界中に紛争をまき散らさなければならなくなり、その結果「死の商人」として世界中から恨まれることになるのは避けられなくなってしまいます。

そうなれば当然、日本人は世界中でテロや拉致の標的となりますので、日本人の生命と財産は今とは比べものにならないほどの危険にさらされることになるでしょう。

「憲法に自衛隊を明記するだけ」で済む話ではない

以上で説明したように、自衛隊を明記する憲法9条の改正は、今ある自衛隊を「ただ憲法に明記するだけ」で済むものではなく、自衛隊の権能や任務、国民の権利や自由、日本の安全保障、世界の秩序と安全など、様々な要素に変更を及ぼす重大な問題です。

憲法9条の改正に前のめりの人たちは、「9条に自衛隊を明記しても何も変わらない」と言いますが、それは憲法改正を実現したいがためのただの方便に過ぎません。「既に活動してる自衛隊を憲法に明記するだけ」と言えば多くの国民が「自衛隊は今でも活動してるんだから憲法に明記したって別にいいじゃん」と憲法改正に賛成してくれるので、そう嘯いているだけなのです。

もちろん、上記のような変更がすべて「悪い」というわけではありませんから、そのような国家を望むというのであれば、自衛隊を明記する憲法改正に賛成してももちろん構いませんし、むしろ改正に賛成すべきです。

しかし、このような問題を理解することなく憲法改正に同意した場合には、将来の国民と世界の人々に本来意図しない危険と負担を強いることになることを十分に認識しなければなりません。