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日本共産党の「憲法9条に個別的自衛権は存在する論」が危険な理由

最近、「憲法9条に(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」論を主張する共産党議員がやたら目につくようになってきました。

志位氏は憲法9条について、「無抵抗主義ではなく、個別的自衛権は存在している」とも語った。共産党は「自衛隊は憲法違反」との立場だ。党綱領では、自衛隊について「国民の合意での憲法第9条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」と明記している。

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20220407-OYT1T50261/

憲法9条は戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認の3つを規定していますが、その規定の下でも自衛隊を用いた武力による個別的自衛権行使は合憲なのだから、自国民を守るためであれば自衛隊の武力を利用して徹底的に戦うことも合憲なのだという主張です。

しかしながら、こうした主張は憲法の平和主義の基本原理と第9条の要請に背くものですし、憲法9条の解釈を捻じ曲げるもので将来の日本国民に大きな禍根を残すものであり、大変危険なものだと考えます。

なぜ共産党議員による「憲法9条の下でも(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」論が危険なのか。以下簡単に、その理由を論じていきます。

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【1】「憲法9条の下でも自衛権は存在する」は正しいか

この点、共産党議員による「憲法9条の下でも(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」論を検証する前提として、そもそも「憲法9条の下でも自衛権は存在する」のか否かを理解しなければなりませんのでその点を考えますが、結論から言えば「憲法9条の下でも自衛権は存在する」と言えます。

なぜなら、そもそも「国家の自衛権」は「個人の正当防衛権」を基礎にするものだからです。

人が他者から危害を加えられるような事案が発生した場合、自分の命を守るために「自衛」することが認められています。いわゆる「正当防衛」と呼ばれる行為です。

たとえば、誰かがナイフを振りかざして襲ってきたなら、その襲ってくる誰かに対して素手なり木の棒なり刃物なりを使って自分の身を護ろうとするでしょう。これが「個人の正当防衛権」です。

「個人の正当防衛権」は武力を用いることもありますが、その武力はもちろん否定されません。人は生まれた以上、その命を全うしなければなりませんので自己の命やその命をつなぐための財産を守る行為は違法性が阻却されるからです。

そして、その「個人の正当防衛権」を持つ人が複数集まって形成するのが「社会」であって、その社会を形成する際に互いに交わす契約が、いわゆる「社会契約」であって、その社会契約によって形成されるのが「国民国家」と呼ばれる国家概念です。

そしてその国民国家は、社会契約を結んだ国民の命と財産を守るために形成されるわけですから、その国民の命と財産を守るために「自衛」することも認められなければなりません。社会契約によって形成される国家が国民の命と財産を守ることができないというのであれば、国民が社会契約によって国家を形成した意味が失われてしまうからです。

つまりその「個人の正当防衛権」を持つ国民の社会契約によって形成された国民国家が「自衛」して国民の命と財産を守るために行使する権利が「国家の正当防衛権」となり、これが「国家の自衛権」となるわけです。

人は自らの命と財産を国家に守らせるために自らもつ権力(いわゆる行政権・立法権・司法権のいわゆる三権)を社会契約によって国家に移譲するわけですが、その国民が国家に移譲する権力の中に、自己の命と財産を守るための「個人の正当防衛権」なる概念も必然的に含まれていて、国家はその「個人の正当防衛権」の委譲を受けることによって「国会の自衛権」を持つことになりますから、その「国家の自衛権」を行使することによって国民の命と財産を国外勢力の攻撃から守らなければなりません。それが「社会契約」の中の「契約」に必然的に内在されると考えられるからです。

そうであれば、社会契約によって形成される独立国家であればすべての国に「自衛権」なる権利は保持されていると考えなければなりませんから、憲法9条が戦争を放棄し陸海空軍の保持を禁止しているとしても「自衛権」自体は存在すると考えなければなりません。

そのため、「憲法9条の下でも自衛権は存在する」という文章自体は間違いではないと考えられるわけです。

【2】「憲法9条の下でも自衛権は存在する」としても必ずしも「武力を用いる個別的自衛権が認められる」わけではない

しかしながら、「憲法9条の下でも自衛権は存在する」と考えられるとしても、それから必ずしも「憲法9条に(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」と言えるものではありません。

なぜなら、人が社会契約によって本来的に持つ権限を国家に移譲する際に、その移譲する権限の範囲を限定するのが「憲法」に他ならないからです。

人が社会契約を交わす際に、「この範囲でしか権力を委譲しませんよ」と記録するのが「憲法」なのですから、憲法を制定する際に「武力を用いる個別的自衛権を行使する権力は委譲しない」と制限を掛けたのであれば、社会契約によって形成される国家は自衛権があるとしても憲法によって「武力を用いる個別的自衛権」に制限が掛けられるので行使できません。

つまり憲法で「武力を用いる個別的自衛権」に制限が掛けられていれば、国家は「個別的自衛権がある」としても「行使できない」わけです。

では、現行憲法上で「武力を用いる自衛権」についてはどのように規定されているでしょうか。この点、現行憲法に「自衛権」を明確に表示した規定はありませんが、憲法9条は第一項で「戦争」を放棄し、第二項で「陸海空軍その他の戦力」の保持と「交戦権」の行使を禁止しています。

日本国憲法第9条

第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

※出典:日本国憲法|e-gov を基に作成

この憲法9条1項で放棄された戦争が侵略戦争に限られるのか、それとも自衛のためのものも含めてすべての戦争が放棄されたのかという点には解釈に争いがありますが、通説的な見解では自衛戦争も含めたすべての戦争が放棄されていると考えられています(※詳細は→憲法9条の「戦争放棄」解釈における3つの学説の違いとは?)。

また、憲法9条2項は「陸海空軍その他の戦力」も「交戦権」も否定しているわけですから、いかなる理由があろうとも日本国憲法は武力(軍事力)を保持したり、その武力(軍事力)を行使することは許されていません。

そうであれば、憲法9条は「自衛戦争」も「戦力(軍事力)」も、その武力(軍事力)を行使する「交戦権」も否定していることになりますから、本来的に武力を用いる自衛権の行使を予定していない規定だと考えなければなりませんので「憲法9条の下でも武力を用いる自衛権は存在する」とは言えないでしょう。

憲法9条は「武力を用いる自衛権」に歯止めを掛けたものとならざるを得ないからです。

前述の【1】で説明したように、「国家の自衛権」は「個人の正当防衛権」を基礎にするもので、その「個人の正当防衛権」が社会契約によって国家に移譲されることで「国家の自衛権」となりますが、その社会契約によって形成される国家に権力を委譲する際にその移譲される権力に歯止めを掛けるのが憲法なので、憲法9条で「武力を用いる個別的自衛権」に歯止めを掛けているのであれば、「武力を用いる個別的自衛権」はそもそも社会契約で移譲されていないか、もしくは仮に移譲されていたとしても「その行使」に制限が掛けられていると言わざるを得ません。

つまり、「憲法9条の下でも(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」という帰結は導かれないのです。

したがって、「憲法9条の下でも自衛権は存在する」と考えられるとしても、それから必ずしも「自衛隊の武力を用いる個別的自衛権は存在する」と言えるものではないのです。

【3】共産党綱領の「自衛隊の解消」と議員の主張する「憲法9条に(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する論」は矛盾する

この点、憲法9条が「自衛戦争」を放棄して「陸海空軍その他の戦力」も「交戦権」も否定しているとしても、憲法9条2項で禁止された「戦力」に及ばない程度の「自衛のための必要最小限度の実力」であれば9条の下でも認められるはずだから、その「自衛のための必要最小限度の実力」に留まる自衛隊の範囲で行使される「個別的自衛権」は9条の下でも存在すると言えるはずだという意見もあるかも知れません。

なるほど、確かに歴代の政府は自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」であって「9条2項の”戦力”ではない」との理屈で合憲だと説明してきましたから、そのロジックから考えれば自衛隊の「武力」は「9条2項の戦力」ではなく「実力」なので、その「実力」の範囲で「個別的自衛権は存在する」という主張は、歴代政府のロジックから考えれば筋が通る面もあります。

しかし、自衛隊が保持する陸海空の装備は他国のそれと比較して同等どころか他国のそれを超えるものですから、理屈の上で「自衛のための必要最小限度の実力」であるとのロジックが成り立つとしても、常識的に考えれば戦力(軍事力)そのものに他なりません。

自衛隊が保有する戦車や戦闘機やミサイルやイージス艦や潜水艦や、F35の発着もできる空母が「軍事力ではない」などという主張は、常識的に考えて詭弁でしかないからです。

また、そもそも日本共産党はその綱領において「憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)」と謳っているのですから、その綱領の存在自体が自衛隊を「9条2項の戦力にあたる」と考えていることの証左と言えます。

仮に共産党が歴代政府のように自衛隊の「実力」が9条2項の「戦力」を超えないと考えているのであれば綱領で「自衛隊の解消」が「憲法9条の完全実施」になるなどと宣言するわけがないからです。

3 自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる。

日本共産党綱領 「四」から引用

日本共産党は、自衛隊が憲法9条2項の「戦力」にあたると考えているからこそ、その「自衛隊の解消」が「憲法9条の完全実施」になると綱領で宣言しているわけですから、日本共産党の綱領から考えてみても、自衛隊の保持する「実力」を用いた自衛権の行使は憲法9条の要請を超えていると言わざるを得ません。

つまり、日本共産党は、自衛隊の武力を用いる自衛権の行使が憲法9条の要請を超えると考えているからこそ綱領で「憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)」と宣言していることになるので、自衛隊の武力を用いる自衛権の行使を認めると、綱領と矛盾することになってしまうわけです。

したがって、【1】で述べたように「憲法9条の下でも自衛権は存在する」との前提に立ったうえで、自衛隊が「9条2項の戦力」にあたらないと考えたとしても、【2】で説明したようにそれから必ずしも「自衛隊の武力を用いた個別的自衛権は存在する」と言えるものではないということになるのです。

【4】「憲法9条に(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」なら共産党議員は全員が憲法尊重擁護義務違反

なお、前述したように日本共産党の議員は「9条に個別的自衛権は存在する」としたうえで「自衛隊もふくめて、あらゆる手段をもちいて」国民を守ると述べていますから、共産党が「9条に存在する」と述べる「個別的自衛権」は「自衛隊の武力を用いる個別的自衛権」となりますので、共産党のロジックに従えば、「自衛隊の武力を用いる個別的自衛権」は憲法9条の要請だということになります。

つまり、共産党の議員が主張する「9条に(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」とのロジックに従うなら、憲法9条が「自衛隊の武力を用いる個別的自衛権」を使って国民の生命と財産を守ることを要請しているということになるわけです。

しかしそのロジックに立脚するのであれば、その「自衛隊の武力」は「憲法9条に存在する個別的自衛権」が要請しているものとなりますから、その「自衛隊の武力」を「解消」することはできなくなります。

「憲法9条の下でも(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」のであれば、今ある自衛隊は「憲法9条に存在する個別的自衛権を具現化した組織」となりますので、それを共産党の綱領のように「解消」してしまえば、その憲法9条が要請する個別的自衛権が具現化された自衛隊をなくすことになり、その「自衛隊をなくすこと」が憲法違反となるからです。

日本共産党の議員たちが言っている「9条に(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」との主張に基づきながら、日本共産党の綱領で宣言された「憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)」を具現化するために「自衛隊を解消」してしまうことが憲法違反になるのであれば、憲法99条はすべての国会議員に憲法尊重擁護義務を課しているわけですから、「自衛隊の解消」を推し進める共産党の議員は全員が憲法尊重擁護義務に該当します。

日本国憲法第99条

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

※出典:日本国憲法|e-gov を基に作成

つまり、共産党の議員が主張する「憲法9条に(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」論と、綱領が宣言する「憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)」は、論理的に矛盾を抱えてしまうことになるので両立しないのです。

【5】日本共産党の「憲法9条の下でも(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」論はロジックとして成り立たない

このように、日本共産党の議員らが主張する「憲法9条の下でも(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」論はロジックとして成り立ちません。

もちろん、歴代政府や自民党が主張してきたように自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力であって9条2項の戦力ではない」という立場に立てば、「憲法9条の下でも(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」論は成り立ちます。

歴代政府と自民党は、自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力であって9条2項の戦力ではない」というロジックで違憲性を回避してきましたので、そのロジックの下で自衛隊の武力を用いた個別的自衛権を認めても、理屈の筋道に矛盾は生じないからです。

しかし日本共産党は、綱領で「憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)」を宣言しているわけですから、「自衛隊の解消」を謳いながら、その「自衛隊」が用いる「武力」の行使を「個別的自衛権」として正当化して「憲法9条の下でも個別的自衛権は存在する」などと言うことはできないのです。

共産党が「憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)」と綱領で宣言するのであれば、「自衛隊の武力を用いた個別的自衛権」は憲法で制限されていると考えなければなりませんし、「憲法9条の下でも(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」と主張するのであれば、綱領で「憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)」などと宣言してはなりません。両者は矛盾してしまうので両立しないのです。

【6】「憲法9条の下でも個別的自衛権は存在する」けれども「武力を用いる自衛権に歯止めを掛けた」のが憲法9条

以上で説明してきたように、最近の日本共産党の議員らは「憲法9条の下でも(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」論を盛んに拡散していますが、そのロジックは矛盾を孕む空論です。

確かに、前述の【1】でも説明したように、「国家の自衛権」は「個人の正当防衛権」を基礎にしますから、戦争を放棄し武力を否定した憲法9条の下であっても「個別的自衛権は存在する」との主張は成り立ちます。

その点で、共産党議員らが主張する「憲法9条の下でも個別的自衛権は存在する」との主張は、その文章自体が間違いと言えるものではありません。

しかし、共産党の議員らは「侵略を受けたら(自衛隊を)活用する」「侵略を受けたら、自衛隊もふくめて、あらゆる手段をもちい(る)」と述べているのですから、その共産党の議員らの「存在する」と述べる「個別的自衛権」は「武力を用いる個別的自衛権」です。

そうであれば、「武力を用いる自衛権」に歯止めを掛けているのが憲法9条なのですから、自衛隊の武力を用いることを肯定して「憲法9条の下でも個別的自衛権は存在する」とは言えないはずなのです。

仮に「憲法9条の下でも個別的自衛権は存在する」との文章を用いるのであれば、それに続けて「しかし、憲法9条は武力を用いる自衛権に制限を掛けているので自衛隊の武力を用いた個別的自衛権は行使できない」と付け足さなければなりません。

共産党の綱領に従うのであれば「(武力を用いる)個別的自衛権は存在するけど憲法9条が制限しているので行使できない(だから我々の綱領のように”自衛隊の解消”が9条の完全実施となるのだ)」と言わなければならないのに、「存在する」と言ったうえで「(武力を)行使する」と主張している点が、ロジックに矛盾を生じさせているわけです。

「憲法9条の下でも自衛権は存在する」けれども「武力を用いた自衛権に歯止めを掛けた」のが憲法9条であって、日本国憲法が採用した平和主義の基本原理です。

そのことに気づけない昨今の共産党議員には失望を覚えます。

【7】「自衛隊の段階的な解消」を実現するなら、武力を用いる個別的自衛権を容認してはならない

なお、このサイトは自衛隊を違憲だと考える立場ですが、『憲法9条を改正しなくても自衛隊の存続が許される理由』のページでも論じたように「自衛隊の段階的な解消という方針」を支持している点では日本共産党と同じです。

しかし立場は同じでも「自衛隊の段階的な解消という方針」をとるのであれば、日本共産党のように武力を用いる個別的自衛権を容認してはなりません。それを容認した時点で「自衛隊の段階的な解消」はできなくなるからです。

先ほども述べたように、自衛隊の武力を用いる個別的自衛権が憲法9条に存在すると言うのであれば、それは憲法の要請となるので主権者である国民の要請となりますから、その主権者の要請を無視して「自衛隊の段階的な解消」はできなくなってしまうのです。

この点、このサイトが「自衛隊の段階的な解消」を主張しているなら共産党と結論は変わらないではないかという人もいるかもしれませんが、『憲法9条を改正しなくても自衛隊の存続が許される理由』のページで論じたように、このサイトでは「事情判決の法理」を使うことでロジックに生じる矛盾を回避しています。

「事情判決の法理」を使うなら、「憲法9条の下でも自衛隊の武力を用いる個別的自衛権は存在する」との立場をとらなくても自衛隊の武力を行使しながら段階的に自衛隊を解消することは可能なのです(※詳細は『憲法9条を改正しなくても自衛隊の存続が許される理由』のページで解説しています)。

共産党の志位委員長らが主張する「自衛隊の段階的な解消」を実現するなら、武力を用いる個別的自衛権を容認してはならず、自衛隊の武力を使うと言うのであれば「憲法9条に(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」などという矛盾するロジックによるのではなく「事情判決の法理」など”法理”を使って理屈の筋道を通すしかありません。

理屈の筋道を通さない「憲法9条の下でも(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する論」は、ロジックとして破綻していますから、早急にその間違いに気づいて撤回した方が良いと思います。

【8】共産党の「憲法9条に(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」論が危険な理由

ところで、このように日本共産党の議員らは「憲法9条の下でも(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」との主張を展開して自衛隊の武力行使を容認していますが、こうしたロジックに矛盾を抱える理屈で自衛隊の武力行使を正当化することは、国民に大きな危険を及ぼします。

なぜなら、共産党の「憲法9条の下でも(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」論が国民の間で一般化されてしまえば、その個別的自衛権によって容認される自衛隊の武力行使に歯止めがかからなくなってしまうからです。

先ほどから説明しているように「憲法9条の下でも(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在する」のであれば、その個別的自衛権は憲法制定権力を持つ主権者である国民からの要請となりますから、その国民が要請した個別的自衛権を具現化した自衛隊を「解消」することが憲法違反になってしまいます。

そうなると日本共産党の綱領が宣言した「自衛隊の解消」は具現化できなくなる一方で、その個別的自衛権を具現化した自衛隊の保有する「武力」を充実させなければなりません。

「憲法9条に自衛隊の武力を用いる個別的自衛権が存在する」のであれば、日本と敵対する国外勢力が軍備を充実させるのに合わせて個別的自衛権の具現化となる自衛隊の武力を充実させなければならず、自衛隊の武力を他国に合わせて充実させないことが憲法違反になってしまうからです。つまり軍拡に向かわなければならないわけです。

また、「憲法9条に自衛隊の武力を用いる個別的自衛権が存在する」ということは、その「自衛隊の武力を用いる個別的自衛権」の範囲ですべての武力が容認されなければなりませんから、核兵器であろうと弾道ミサイルであろうと認められなければならなくなってしまいます。

日本が非核三原則を守り続けなければならない理由』のページでも解説したように、自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力」との解釈で合憲性が担保される組織であって理屈の上では核兵器も「必要最小限度」に収まる限り合憲と解釈されてしまいますから、共産党議員が主張する「憲法9条に自衛隊の武力を用いる個別的自衛権が存在する」論に立脚する限り、核兵器であろうと化学兵器であろうと、「必要最小限度」という理由ですべての兵器が容認されなければならなくなってしまうからです。

しかも、共産党議員は「自衛隊を含めてあらゆる手段をもちい(る)」とまで言っているわけですから、「9条に武力を用いる個別的自衛権が存在する」というのであれば、歴代政府がとってきた「必要最小限度」の枠を超えて「あらゆる」武力が「個別的自衛権」の名の下に容認される解釈もできるようになってしまうでしょう。

さらに言えば、共産党議員らが主張する「憲法9条に自衛隊の武力を用いる個別的自衛権が存在する」との立場に立てば、その個別的自衛権が具現化された「自衛隊の武力を用いて国民を守る」という要請が、憲法上の要請となってしまいますから、その要請自体が憲法第12条の「公共の福祉」になってしまいます。

しかしそうなれば、徴兵制によって制度化される兵役も「公共の福祉」として正当化されることになりますから、徴兵制による兵役が憲法第18条の「意に反する苦役」にあたるものとして違憲だというロジックは成り立たなくなってしまうので合憲とされてしまいます(※この点の詳細は→『徴兵制が日本国憲法で違憲と解釈される理由』)。

つまり、共産党の「憲法9条に自衛隊の武力を用いる個別的自衛権が存在する」論に立脚する限り、仮に自民党政権が徴兵制を立法化しても、共産党はそれを違憲だと言えなくなってしまうのです。

このように、最近の共産党議員は「憲法9条に自衛隊の武力を用いる個別的自衛権が存在する」論を盛んに吹聴して普遍化させようとしていますが、この主張は一見すると平和主義の基本原理に忠実に見えても、理屈の筋道が通っていないことで様々な問題を生じさせます。

共産党議員の「憲法9条に自衛隊の武力を用いる個別的自衛権が存在する」論は「自衛隊の解消」を目指していると言いますが、そのロジックに従えば核兵器も含めたすべての兵器が容認されて軍拡に向かうことになり、徴兵制をも合憲とされてしまいますので大変危険です。国民はその点を十分に理解することが必要でしょう。

【9】最後に

以上のように、最近の共産党議員は盛んに「憲法9条に自衛隊の武力を用いる個別的自衛権が存在する論」を拡散させていますが、これは武力を否定した日本国憲法の平和主義の基本原理と9条の理念に沿うものではなく、理屈の筋道が通らない主張です。

理屈の筋道の通らない主張は、さまざまな矛盾を招きますので、こうした主張が拡散されるなら、今後さまざまな部分で派生的に矛盾を生み出していくでしょう。

SNSなどを中心に、ネット上ではこうした共産党議員による「憲法9条に自衛隊の武力を用いる個別的自衛権が存在する」論の拡散によって「憲法9条の下でも自衛隊を用いるための個別的自衛権はあるのだ」とか「9条の下でも個別的自衛権があるから自衛隊の武力で防衛するのだ」との主張が瞬く間に広がってしまいましたが、こうした平和主義の基本原理を捻じ曲げる憲法9条論を展開した共産党の罪は極めて重大です。

日本共産党はこの最近の主張によって憲法9条を徹底的に破壊したと言ってもいいのではないでしょうか。

この共産党議員らの主張の拡散によって多くの国民が「憲法9条の下でも(自衛隊の武力を用いる)個別的自衛権は存在するのだ」とか「憲法9条の下でも自衛隊の武力行使は合憲なのだ」と理解してしまった恐れがあります。

しかし日本国憲法の平和主義の基本原理と第9条は、先の大戦の反省から自衛のためも含めたすべての戦争を放棄して、自衛のための軍事力もその武力を行使する交戦権も否定したものであって、その徹底的に武力を否定したところに他国の憲法と異なる最大の特徴があります。

日本国憲法の平和主義の基本原理と第9条は、徹底的に武力を否定して外交努力に徹することを宣言しているところが世界に誇れる平和憲法と言える所以なのです。それはこのサイトの他の記事でも散々説明してきましたので、それを読んでもらえれば分かると思います。

日本共産党の議員らが拡散している「憲法9条に自衛隊の武力を用いる個別的自衛権が存在する」論は、日本国憲法の平和主義の基本原理と第9条が要請する理念とはかけ離れたものであって、その論に立脚してしまえば、憲法の平和主義の基本原理は絶対に具現化させることはできません。

日本国憲法の平和主義の基本原理は、徹底的に武力を否定するからこそ実現できるのであって、自衛隊の武力行使を個別的自衛権の下で容認してしまえば、武力に頼らない外交努力は中途半端になって世界平和の具現化に貢献することなどできなくなるでしょう。

それはすなわち、憲法前文が高らかに宣言した平和主義の基本原理を捨て去るということに他なりませんから、日本共産党の「憲法9条に自衛隊の武力を用いる個別的自衛権が存在する論」は日本を破滅に導く極めて危険な主張と言えるのです。