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菅首相は憲法15条1項を振りかざして関東軍になろうとしている説

とは言っても、このロンドン海軍軍縮会議までは、天皇の統帥権を補翼する際に意見が割れた場合でも、陸軍であれば陸軍省と参謀本部で、海軍なら海軍省と軍令部の話し合いで意見がまとめられていましたので、それまでは政府が陸海軍省も同意のうえで閣議決定し天皇に上奏した意見に軍部が後から文句をつけることなどありませんでした。

ところが、このロンドン海軍軍縮条約の際は、軍令部案が受け入れられなかったことに不満を持つ強硬派の将校らが、「軍令部の意見を無視した政府は、軍令部が天皇から預かっている統帥権を侵した(干犯した)ことになる」と、政府を責め立てていったわけです。

一説によると、この「統帥権干犯」のロジックを最初に思いついたのは政治指導者の北一輝だと言われていて、それが野党の犬養毅や鳩山一郎に伝えられ国会で政府批判に使われたことを契機として、それに軍令部の強硬派若手将校が飛びついたともいわれているそうですが、いずれにしても、この事件を契機に「統帥権干犯」のロジックが盛んに叫ばれるようになっていったのです(※詳細は→統帥権干犯問題とは(ロンドン軍縮条約の海軍省と軍令部の対立)|大浦崑)。

もちろん、条約を締結するのは政府(陸海軍省も含みます)であって参謀本部や軍令部ではなく、その責任と権限は明治憲法の下でも政府にあり、天皇の統帥権を補翼する参謀本部や軍令部の意見は参考にすれば足りるのであって、最終的な判断を如何にするかは政府の専権事項と言えますから、条約締結の際にこうした「統帥権干犯」の論法は成り立ちません。

しかし、天皇の統帥権を補翼する軍部(※特に作戦を立案し実行する参謀本部や軍令部)としては、政府(政党政治)の介入がない方が兵力量の選定や軍の行動で制約を受けずに済みますから、この「統帥権干犯」のロジックが次第に軍部の中に広がって、強硬派を中心に支配的になっていきました。

そしてこれが、やがて「統帥権の独立」と呼ばれるような考え方に集約されていくことになり、「軍の問題はすべて統帥権の問題だから、首相であろうと誰であろうと(天皇であろうと)口を出すな」という理屈になって、陸軍であれば参謀本部が、海軍であれば軍令部が、天皇の統帥権を使って思いのままに軍隊を動かすことを正当化し、政府(政党政治)の民主的統制が効かなくなっていったのです。

こうした思想的背景が軍部に広がっていったこともあって、前述したような関東軍の勝手な作戦も、軍人の中では肯定的に評価され是認されるようになっていったのです。

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憲法第15条を根拠に内閣総理大臣が学術会議の会員を自由に選び又は選ばないことができると考えることはできない

ところで、話を菅首相の学術会議任命問題に戻しますが、菅首相は日本学術会議法に基づいて学術会議が推薦した会員候補105名のうち6名を任命しておらず、その任命していない状況が今も続いています。

これは、冒頭で紹介した松宮教授の談にもあるように、会員210名のうち「その半数(3項)」を学術会議の「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する(2項)」と規定した日本学術会議法第7条に明らかに違反しています。

日本学術会議法第7条

第1項 日本学術会議は、210人の日本学術会議会員(中略)をもって、これを組織する。
第2項 会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
第3項 会員の任期は、6年とし、3年ごとに、その半数を任命する。

105名を学術会議の推薦に基づいて任命しなければならない、と規定されているのにその学術会議の推薦に基づくことなく99名しか任命していないのですから違法以外の何物でもないわけです。

しかし、菅首相はいまだ違法性を認めておらず、6名を任命しなかった理由さえも「総合的・俯瞰的な活動を確保する観点」とか「前例を踏襲していいのか考えてきた」とか、最近にいたっては「説明できることとできないことがある」などと意味不明な釈明を重ねるだけで一向に具体的な説明がなされない状況が今も続いています。

なお、なぜ菅首相が学術会議から推薦された6名の学者を任命しなかった理由を説明しなければならないかという点に疑問を持つ人がいるようですが、それは日本学術会議法の第25条と26条の規定から内閣総理大臣が学術会議からの推薦者を任命しないことができるのはその会員候補者に「病気その他やむを得ない事由」または「会員として不適当な行為」があるときに限られると解釈されるため、そのどちらかに当てはまるとの説明がなされない限り、菅首相が法的根拠なく任命しなかったことが推定されることになるからです。この点の詳細は『菅首相に学術会議の任命拒否で説明が求められるのはなぜなのか』のページで解説しています。

この点、政府は憲法第15条第1項に規定されている「公務員の選定・罷免権」を根拠に「憲法15条1項は公務員の選定・罷免権を国民固有の権利と規定しているので、その国民を代表する内閣総理大臣がすべての公務員を選び又は選ばないことができるのは当然だ」との説明で、今回の問題の違法性を否定してもいます。

日本国憲法第15条1項

公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

これは、2018年(平成30年)に内閣府と内閣法制局が協議し「解釈を確認した」と菅政権が説明している内部文書に記載がある日本学術会議法第7条等の解釈を基にした理屈で、おそらく「憲法15条1項の公務員の選定・罷免権は憲法の基本原理である国民主権原理の要請だから、学術会議が内閣総理大臣の所轄とされその会員が公務員となる以上、主権者たる国民の代表者である内閣総理大臣にその任命拒否権が与えられるのは当然だ」と言いたいのだと思います。

なお、2018年(平成30年)に内閣府と内閣法制局が協議し「解釈を確認した」とする内部文書の内容や、日本学術会議法が昭和58年に改正した当時の政府解釈と菅政権の解釈が矛盾する点については『学術会議の任命問題、静岡県知事の「教養レベル」発言は「上から目線」だったのか』のページで解説しています。

しかし、この憲法第15条1項は、公務員を選定したり罷免したりする際は、直接または間接に主権者である国民の意思に基づくよう手続きが定められなければならないということを述べたものであって、政府(国家権力)を代表する内閣総理大臣にすべての公務員の選定罷免権を与えたものではなく、内閣総理大臣がすべての公務員を自由に選び又は選ばないことができるとまで述べたものではありません。

したがって、政府が今回の件で述べている「国民を代表する内閣総理大臣は憲法第15条1項を根拠にすべての公務員の選定罷免権を持っている、だから学術会議から推薦を受けた105名のうち6名を任命しないことも許されるのだ」という理屈は明らかに憲法第15条1項の解釈を誤ったものだと言えます。

また、学術会員が公務員であることは日本学術会議法第1条2項に求められますが、同条項が日本学術会議を「内閣総理大臣の所轄」としたのは、「所轄」という文言が「ある程度独立性をもつ機関が、形式的に他の機関の下に属する状態をいう(法律学小辞典〔第3版〕有斐閣)」と解されていることからも明らかなように、それは単に行政機関の一つとして便宜的に内閣総理大臣の組織の下に形式的に位置付けられたという意味にとどまり、学術会議の会員は便宜的・形式的に公務員という地位に置かれているにすぎませんから、「学術会議の会員は公務員だから」というただそのことだけをもって憲法第15条1項を形式的に当てはめて、内閣総理大臣の監督権を認めることはできません。

日本学術会議法第1条2項

日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。

さらに言えば、そもそも憲法第15条1項が公務員の選定・罷免権を国民固有の権利としているのは、「国の政治(統治)の在り方を終局的に決定する力が国民に帰属する」という国民主権原理の要請に基づくものであり、その国を統治する力を国民に代わって行使する公務員は主権者である国民が選任し罷免すべきだという思想を具現化するためのものであり、国民が主権者として国政(政治・統治)に参加することを確認するためであって、参政権的性格がその背景にあります。

これに対して、日本学術会議は「科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させること(法第2条)」を目的としており、政府から独立した立場から科学的見地に立って学問的な知見を国政(政治・統治)に反映させ、国民生活を科学の観点から発展させていくところにその意義がありますので、これは「国民の政治参加」という参政権的側面よりも、学問の専門家が科学的見地からその主権者である国民の政治参加によって実現される国政(政治・統治)を助ける役割を担うという「科学の政治反映」がその背景にあります。

つまり、憲法第15条1項は主権者である国民を代理して統治権を行使する公務員(これが憲法第15条1項が予定する公務員)について規定している一方、日本学術会議法はその統治権を国民に代わって行使する公務員とは独立した立場から科学的見地に立って助言等をする公務員(これが日本学術会議法が予定する学術会議の会員)について規定しており、両者は本来的にその性質が異なるので、学術会議の会員を任命する場面では参政権的側面の要請は働かないわけです。

日本学術会議の会員はなるほど公務員であるとはしても、憲法第15条1項が予定する「主権者である国民に代わって統治権を行使する公務員」ではなく、「政府からの高度な独立性が求められる公務員」なのですから、「国民の政治参加」という参政権的側面ではなく「科学の政治反映」という科学の政治的独立性の側面を尊重して、学術会議の会員の選定罷免権を学術会議に帰属させなければなりません。

内閣総理大臣が学術会議の会員の選定罷免権を持つことになれば、内閣総理大臣がその人事権を行使することで学術会議を支配することができるようになる結果、学術会議は独立性を保つことができず、日本学術会議法を制定した意味が失われてしまい自己矛盾に陥ってしまうことは先に述べたとおりですから、政府(内閣)の代表者である内閣総理大臣に学術会議の会員を任命し罷免する権限を与えることは原理的に考えてありえない話なのです。

ですから、その意味でも政府の憲法第15条1項を根拠に内閣総理大臣がすべての公務員の選定罷免権を持つから学術会議から推薦を受けた105名のうち6名を任命しないことも許されるとする理屈は成り立たたないものと解されます。

「憲法第15条を根拠にあらゆる公務員を内閣総理大臣が選定罷免できる」とした菅首相の論法は「統帥権の独立」と同じ

このように、菅首相は「憲法第15条1項が公務員の選定罷免権を国民固有の権利としているので国民を代表する内閣総理大臣は学術会議の会員を自由に選び又は選ばないことができる」という理屈で、今回学術会議から推薦を受けた105名のうち6名を任命しなかったことを正当化していますが、これは憲法第15条1項と日本学術会議法第7条等の解釈を誤った帰結によるものと言えますので、この理屈をもって菅首相の措置の違法性を否定することはできません。

ところで、ここで考えてもらいたいのが、菅首相が学術会議から推薦を受けた会員候補者6名を任命しなかった措置を正当化するために持ち出してきた論法です。

菅首相の論法は、前から述べているように

「憲法第15条1項が公務員の選定罷免権を主権者である国民に置いているから国民を代表する内閣総理大臣は学術会議の会員を自由に選び又は選ばないことができるのだ」

というものです。これを分解すると、次のようになります。

  • 憲法第15条1項は公務員の選定罷免権を主権者である国民に置いている
  • 内閣総理大臣はその主権者である国民を代表している
  • 日本学術会議の会員は公務員だ
  • だから内閣総理大臣は学術会議の会員を自由に選び又は選ばないことができるのだ

一方、先ほど説明したように、関東軍の参謀をはじめとした軍部が天皇の統帥権を利用して関東軍やその他の旧陸海軍の部隊を自由に動かしたときに用いた「統帥権干犯」や「統帥権の独立」の論法は

「帝国憲法第11条は統帥権を天皇に置いているから天皇を補翼する軍部は軍を自由に組織し動かすことができるのだ」

というものでした。この論法を分解すると、次のようになります。

  • 帝国憲法第11条は軍を組織し動かす統帥権を天皇に置いている
  • 軍部はその天皇を補翼している
  • 陸海軍の部隊は天皇の軍隊だ
  • だから軍部は陸海軍の部隊を自由に組織し動かすことができるのだ

どうでしょう。

菅首相の使った論法は、満州事変などを起こした関東軍の強硬派将校や、戦争に消極的な政治家や作戦に不安を抱く昭和天皇を無視してノモンハンやガダルカナル、インパール等で無謀な作戦を繰り返した戦争指導者が使った「統帥権の独立」の論法と全く同じです。

論法が偶然一致したのか、それとも菅首相が「統帥権干犯」や「統帥権の独立」のロジックを真似たのか、それはわかりません。

しかし、菅首相が「統帥権干犯」や「統帥権の独立」の論法と全く同じ思考回路で、自身の違法行為、法律逸脱行為を正当化させているのは明らかと言えるのです。

菅首相のロジックは「ヒトラーのような独裁者」を許容する

このように、菅首相は日本学術会議法に違反して学術会議から推薦を受けた6名を任命していないにもかかわらず、その違法性を正当化させるために法的にも論理的にも成立しない「憲法第15条1項が公務員の選定罷免権を主権者である国民に置いているから国民を代表する内閣総理大臣は学術会議の会員を自由に選び又は選ばないことができるのだ」という、関東軍や旧軍部が利用した「統帥権干犯」や「統帥権の独立」と同じ論法で、自身の違法な措置を正当化しています。

この点、先ほど説明したように憲法第15条1項の「公務員の選定罷免権」は憲法の基本原理である国民主権原理の要請に基づくものですから、菅首相が学術会議から推薦を受けた6名を任命しない理由として憲法第15条1項を持ち出した事実は、菅首相が憲法の基本原理である「国民主権」を根拠にして、”学術会議会員を違法に任命しなかったこと”を正当化した事実を表すことになります。

つまり、先の戦争で関東軍や旧軍部は「天皇の持つ統帥権」を利用して、軍を勝手に動かしましたが、菅首相は「国民の持つ主権」を利用して、公務員を勝手に任命しなかったということになるわけです。