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菅首相は憲法15条1項を振りかざして関東軍になろうとしている説

先日、元大阪府知事で弁護士でもあるH氏が、次のようなツイートをされていました。

日本学術会議 任命拒否の大学教授らが会見(日本テレビ系 ➡︎政治批判をするときにヒトラーを持ち出すのはダメな学者の典型。今は選挙で首相を替えることができる。むしろ学術会議に最終決定権を与えれば民主的統制が全く及ばず関東軍になってしまうことが分からないのかね

※出典:https://twitter.com/hashimoto_lo/status/1319853866309988352

このH氏のツイートは、日本学術会議が推薦した会員候補者105名のうち6名を菅首相が任命しなかった問題で、当該6名の学者が2020年10月23日に日本外国特派員協会で行った記者会見を受けてのものです。

この会見では、学術会議から推薦を受けたにも関わらず菅首相から任命されなかった6名の学者が、菅首相のこの措置を様々な角度から検証しその違法性やそれによって起こりうる問題を指摘しました。

なかでも特に印象的だったのが、「ヒトラーのような独裁者になろうとしているのか」と厳しく批判した立命館大学松宮教授の意見です。以下、朝日新聞社がYouTubeに公開している当該記者会見の動画から松宮教授の発言部分を文字起こしして引用します。

私からは三つの事をお話ししたいと思います。
一つ目は菅総理大臣が今回105名の推薦候補の中から6名を落としたということは明らかに法律に違反しているということです。学術会議法7条3項ははっきりと「210名の会員のうち3年ごとにその半数を内閣総理大臣が任命する」と書いています。つまり内閣総理大臣は105名を任命をしなければそれは違法であるということは明らかだとなるんです。したがってこの問題は総理大臣の違法行為があるということで私から見ればもう「詰み」「チェックメイト」ですね、という状態になっています。
で、しかしながら官邸は憲法15条1項にあります「国民の公務員選定罷免権」を根拠にして今回の措置は合法であると説明しています。これは恐ろしい話です。「内閣総理大臣は国民を代表しているからこれからどのような公務員であっても自由に選び、あるいは選ばないとすることができる、その根拠は憲法15条なのだ」と宣言した、ということだからです。ナチスドイツのヒトラーでさえも全権を掌握するには特別の法律を必要としましたが、菅総理大臣は現行憲法を読み替えて自分がヒトラーのような独裁者になろうとしているのか、というぐらいこれは恐ろしい話なんです。
それから今回の問題をめぐってはいくつかの犯罪が行われている疑いがあります。代表的なのは自由民主党の国会議員による「学術会議が中国と軍事研究を協働している」というデマをツイッターで述べたということです。これは明らかに犯罪です。それから内閣総理大臣が任命する根拠となる学術会議の推薦名簿、105名のうちから6名を黒く塗りつぶした書面が見つかっています。このように公文書を勝手に塗りつぶすのは公文書を破壊する罪にあたります。これらの犯罪行為についてもこの後に予定されている次の国会で究明されることが期待されます。以上です。

※出典:【ノーカット】任命拒否された6人が意見表明 日本学術会議問題で会見開く|朝日新聞社|YouTube(※松宮教授の上記発言部分は20:23あたりから)より文字起し

この松宮教授の指摘に対して、H氏が前述したようなツイートをしたわけです。

(1)「法の検証」と「イデオロギー」を混同している

もっとも、このH氏のツイートは論理的に成立しません。

なぜなら、松宮教授は菅首相が学術会議から推薦を受けた105名のうち6名を任命しなかったことやそれに関連して官邸その他自民党議員が行った行為について、法律的な観点から検証して

「(あなたの行為が)法律に違反している」

と、その”違法性を指摘”しているのであって、菅政権やそれを支える自民党について、思想的な観点から検討して

「(あなたの政治思想が)私と違う」

と、その”政治を批判”しているわけではないからです。

H氏は、そこに違法性があったかなかったを検証する「法の検証(違法性の探究)」と、その政治思想に賛成するかしないかを決定する「イデオロギー(政治思想)の選択」との違いを理解できず、それを混同してしまっています。

そのため「違法性を指摘」しただけに過ぎない松宮教授が、「政治を批判」したものだと捻じ曲げて受け取ってしまい、「政治批判をするときに…」などとズレたツイートをしてしまったのでしょう。

(2)学術会議は関東軍のような実力組織や権力を持っていない

また、H氏のツイートは後半部分で、学術会議に会員の最終的な任命決定権を与えてしまうと民主的統制が効かなくなって関東軍になってしまう、という趣旨のことも述べていますが、これもよろしくありません。

なぜなら、日本学術会議は科学者の代表機関として科学の向上発達に寄与し国民生活等に科学を反映浸透させ(日本学術会議法第2条)、科学的見地から政府に方策を勧告したり政府の諮問に答申したりすることで学問的知見を政治に反映させ国民生活を良くすることを目的とする組織であって(同法第4ないし5条)、関東軍のような実力組織は持っておらず、また天皇の統帥権を使って軍を動かしたり国民の権利を制限できるような権力も持たないからです。

日本学術会議にはそもそも関東軍のような実力組織や権力は与えられていませんから、会員の終局的な選定罷免権が学術会議に与えられていると解釈しても、その終局的な選定罷免権を利用して、日本学術会議が実力組織を動かして張作霖爆殺事件や満州事変などに類似する違法な事件を起こしたり、国民の自由や権利を制限するようなことができるわけがないのです。

(3)本来的に「政府からの独立性」が求められる学術会議の本質を理解していない

さらに言えば、日本学術会議法は政府に学問的立場から勧告・答申を行うことが求められる以上、政治権力(政治的見地)からの高度な独立性が保障されなければならず、そのためには当然に会員の終局的な選定罷免権が学術会議に置かれている必要がある点を考えてもH氏のツイートはズレています。

会員の終局的な選定罷免権が学術会議ではなく内閣総理大臣に置かれていると解釈すれば、内閣総理大臣が自由な判断で会員を選定罷免することができるようになり、学術会議が政府からの独立性を確保できず、政府と一体化してしまうからです。

内閣総理大臣が人事権を自由に行使することで会員を選別するようになり、学術会議が政府と一体化してしまえば、学術会議は政府から独立した立場から学問的見地に立って勧告や答申を行うことが出来なくなってしまいます。

そうなれば、もはや政府から独立した立場で政府に勧告や答申をするために日本学術会議法を制定した意味がなくなってしまいますから、内閣総理大臣に会員の終局的な選定罷免権を与えると解釈すること自体が日本学術会議法という法律を自己矛盾に陥らせてしまうのです(※参考→学術会議の任命問題、静岡県知事の「教養レベル」発言は「上から目線」だったのか)。

おそらくH氏は、本来的に政府からの高度な独立性を求められる学術会議とそれを具現化するために制定された日本学術会議法の趣旨や目的を全く理解していないのでしょう。

だから「学術会議に最終決定権を与えれば民主的統制が全く及ばず」などと意味不明なツイートをしてしまうのです。

なお、弁護士でもあるH氏の名誉のために補足しておきますが、H氏は自分の理屈が成立しないことは百も承知でツイートされています。あくまでも私の推測に過ぎませんが、彼の目的は菅首相を擁護し世論の批判を抑えるところにあるはずなので理屈などはなんだって良いのでしょう。

もっとも、このH氏の理屈を、少し視点を変えて菅首相に当てはめると、あながち意味不明とは言えないような気もします。

なぜなら、菅首相が憲法第15条1項を根拠にして、内閣総理大臣があらゆる公務員を選びあるいは選ばない権限を持つことを正当化するのなら、先の戦争で天皇の統帥権を利用して軍を思いのままに動かした関東軍、あるいは軍部(陸軍参謀本部や海軍軍令部)に限りなく近づいてしまう危険性が伺えるからです。

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関東軍とは

まずはじめに、そもそも「関東軍」が何なのか、というところがわからない人もいるかもしれませんので簡単に解説しておきましょう。

関東軍とは先の戦争前から戦中にかけて、中国東北部の満州地域を中心に展開されていた旧日本陸軍の組織体のことを言います。

当時の日本は、日露戦争でロシアから獲得した遼東半島や満州鉄道などの権益を持っていましたが、日本から入植させた移民を保護したり権益を守る必要があるなど、治安維持の名目で軍隊を駐屯させていました。これが関東軍です。

もちろん、当時の満州は日本が権益などを持つとはいえ中国の領土ですから、当初から満州全土に関東軍を展開していたわけではありません。

ところが昭和6年の9月18日午後10時過ぎ、柳条湖付近で満州鉄道の線路が爆破された事件を機に、関東軍は満鉄守備のため駐屯させていた兵だけでなく、朝鮮から国境を越えさせた朝鮮軍(朝鮮の日本陸軍)を展開させ、満州全土を軍事的に占領してしまいました。いわゆる満州事変(柳条湖事件)の勃発です。

この柳条湖事件は、中国軍の仕業であるかのように偽装されましたが、実際には昭和3年に関東軍の作戦参謀として赴任した石原莞爾が中心となって青写真を描き、関東軍の実行部隊が線路に爆薬を仕掛けて爆破した自作自演の謀略でした。

とは言っても、この柳条湖事件(満州事変)が石原莞爾など強硬派将校の独断で行われた関東軍の暴走だったかというと必ずしもそうではありません。

石原の青写真を基に、東京の参謀本部が当時の南次郎陸軍大臣(大将)や参謀総長の金谷範三(大将)らの了承も得たうえで計画を練り上げたもので、陸軍中枢が深く関与していた疑いが指摘されていますので、「関東軍の暴走だった」と短絡的に言える事件ではないでしょう。

もっとも、当時の政府(第二次若槻礼次郎内閣)や昭和天皇は、満州事変のような強硬策を望んではいませんでした。

柳条湖事件の起きる前から関東軍が良からぬことを計画していることは当時の政府や昭和天皇、あるいは西園寺公望など天皇側近の耳にも入っていましたが、昭和天皇は南陸相を呼びつけるなどして軍規を厳しく守るよう諫めるなど、当時の政府だけでなく昭和天皇や天皇側近も関東軍を含めた軍部の勝手な行動に懸念を持っていたのです。

そうなると、なぜ関東軍や参謀本部が、当時の政府(若槻内閣)や昭和天皇の意思に反して謀略をめぐらし軍を動かすことが出来たのかという点に疑問が生じます。

では、当時の関東軍や参謀本部は、天皇や天皇側近に強硬的な作戦を慎むよう指示されていたにもかかわらず、なぜ政府や天皇の意思に反して、またその了承を得ることなく柳条湖事件を起こすことが出来たのでしょうか。

軍を勝手に動かすことを正当化させた「統帥権干犯」「統帥権の独立」の論法

この点、結論から言えば、それは当時の明治憲法(大日本帝国憲法)が、天皇の「統帥権」を軍部によって都合よく利用されてしまう欠陥を備えていたからです。

当時の明治憲法では軍隊を動かす「統帥権」が統治権の総攬者(主権者)である天皇に置かれていましたから、旧陸海軍は「天皇の軍隊」であって、天皇以外が天皇の意思に反して軍隊を動かすことは許されるものではありませんでした。

大日本帝国憲法第11条

天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

しかし、そうした建前は、昭和5年(1930年)に開催されたロンドン海軍軍縮会議を契機に次第に有耶無耶にされてしまいます。軍縮条約の調印に反対した海軍軍令部が「統帥権干犯」と呼ばれた論法を持ち出して政府を批判したことが、「統帥権の独立」というロジックにまで昇華して軍部の独断を正当化することにつながっていったからです。

ロンドン海軍軍縮会議(※詳細は→ロンドン海軍軍縮会議とは(若槻全権委員対米交渉の過程と概要)|大浦崑)では、巡洋艦など海軍補助艦の削減が議論されましたが、用兵上の理由から対米比率を「7割・7割・7万8千トン」とする案に固執する軍令部と、アメリカ側から出された「7割・6割・5万2千トン」の譲歩案で条約を締結しようと考える海軍省も含めた政府(浜口雄幸内閣)とで意見が分かれ、軍令部と海軍省の対立が深刻化しました。

この対立は、最終的には軍令部が折れる形で海軍省も了承した政府案が天皇に上奏されて裁可を得ることになりますが、「7割・7割・7万8千トン」の案が受け入れられなかった軍令部の強硬派若手将校らは不満が収まりません。

そうした中、出てきたのが「統帥権干犯」の論法を持ち出した政府に対する批判です。

明治憲法(大日本帝国憲法)の下では、軍の兵力を決定したり実際に軍を動かす権能は天皇の統帥権に基づきますが、天皇がその統帥権を自由に行使できるわけではなく、軍事の専門家である軍部の補翼が必要とされていました。

つまり、軍の兵力量を決定したり実際に軍を動かす権能(統帥権)は「天皇」にあるわけですが、天皇がその統帥権を自由に使えるわけではなく、軍部(陸軍は陸軍省と参謀本部、海軍は海軍省と軍令部)の助言(補翼)に基づかなければならないわけです。