憲法改正に執拗に固執し続ける自民党が公開している憲法改正草案の問題点を一条ずつチェックしていくこのシリーズ。
今回は、地方自治の本旨に関する規定を新設した自民党憲法改正草案第92条1項の問題点を考えてみることにいたしましょう。
「地方自治の本旨」の規定を新設した自民党憲法改正草案第92条
現行憲法の第92条は、地方公共団体の組織と運営に関する事項を地方自治の本旨に基づいて法律で定めさせる条文を置いていますが、自民党憲法改正草案ではこの規定が第93条2項に移動されており、代わりに第92条1項として「地方自治の本旨」に関する規定が新設されています。
では、具体的にどのような条文が明記されているのか、条文を確認してみましょう。
【日本国憲法第92条】
地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
【自民党憲法改正草案】
(地方自治の本旨)
第92条
第1項 地方自治は、住民の参画を基本とし、住民に身近な行政を自主的、自律的かつ総合的に実施することを旨として行う。第2項 (省略)。
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
この点、自民党憲法改正草案第92条第1項の文章は、地方自治法第1条の2で規定されている文言を要約して記述したものと思われます。
【地方自治法第1条の2】
第1項 地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。
※出典:地方自治法|e-gov
第2項 国は、前項の規定の趣旨を達成するため、国においては国際社会における国家としての存立にかかわる事務、全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動若しくは地方自治に関する基本的な準則に関する事務又は全国的な規模で若しくは全国的な視点に立つて行わなければならない施策及び事業の実施その他の国が本来果たすべき役割を重点的に担い、住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本として、地方公共団体との間で適切に役割を分担するとともに、地方公共団体に関する制度の策定及び施策の実施に当たつて、地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならない。
現行憲法では第92条に「地方自治の本旨」の文言自体はありますが、その「地方自治の本旨」が何を指すのかを明記した条文はありませんので、具体的にその「地方自治の本旨」が何を指すのかは条文から必ずしも明らかではありません。
そのため、現行憲法第92条の「地方自治の本旨」が何を意味するかは解釈に委ねられるわけですが、そこで言う「地方自治の本旨」には、地方自治が住民の意思に基づいて行われるという民主主義的要素である「住民自治」と、地方自治が国から独立した団体に委ねられ、団体自らの意思と責任の下でなされるという自由主義的・地方分権的要素である「団体自治」の2つの要素があると解釈されています(芦部信喜著「憲法」有斐閣356頁)。
地方自治法の総則第1条の2は、そうした2つの要素からなる「地方自治の本旨」を法律で具体化させるために、上記のような文章を条文化させているわけですが、自民党憲法改正草案第92条1項の条文も、その地方自治法第1条の2の条文を参考にしていることが伺えますので、「地方自治の本旨」の2つの要素である「住民自治」と「団体自治」を憲法規定として明確化させるために、改正案第92条1項の条文を新設したのでしょう。
ちなみに自民党は憲法改正案と並行してQ&Aを公開していますが、そこでも以下のように説明していますので、自民党憲法改正草案第92条1項は、現行憲法で不明確な「地方自治の本旨」の定義を条文で明確にする趣旨で新設したものなのだろうと推測されます。
(中略)92条において、地方自治の本旨に関する規定を新設しました。従来「地方自治の本旨」という文言が無定義で用いられていたため、この条文において明確化を図りました。(以下略)
※出典:日本国憲法改正草案Q&A|自民党 29頁を基に作成
では、こうした規定は、具体的にどのような問題を生じさせるのでしょうか。
自民党憲法改正草案第92条1項が生じさせる2つの問題
このように、自民党憲法改正草案第92条1項は「地方自治の本旨」を明確化する規定を置いていますが、この条文からは次の2つの問題を指摘できると思いますので、順に説明していきます。
(1)「参画」の文言によって「住民自治」が後退する
この点、まず最初に指摘できるのは、条文に入れられた「参画」の文言が「地方自治の本旨」の2つの要素の一つである「住民自治」を後退させている点です。
前述したように、「地方自治の本旨」には、地方自治が住民の意思に基づいて行われるという民主主義的要素である「住民自治」と、地方自治が国から独立した団体に委ねられ、団体自らの意思と責任の下でなされるという自由主義的・地方分権的要素である「団体自治」の2つの要素があると解釈されていますが(芦部信喜著「憲法」有斐閣356頁)、そうした解釈が導かれるのも、地方自治において民主主義と権力分立原理を具現化させる要請があるからに他なりません。
民主主義国家では、主権者である国民が積極的に国政に参加することが求められますが、その要請を地方自治において具現化させるには、地方に住まう住民が積極的に地方自治に参加し、地方自治が住民の意思に基づいて行われることが求められます。そのため「住民自治」が「地方自治の本旨」の一つの要素とされているわけです。
また、民主主義国家においては権力が特定の機関に集中し強大化するのをおさえる権力分立は不可欠な要素となりますが、その要請を地方の統治において具現化させるためには、地方組織が単に国の手足となって国の機関委任事務を執行するだけの「地方行政機関」となるのではなく、地方における統治団体として主体的に政治を行う「自治体」となるように、中央と地方の政治領域の分立が確立されていなければなりません。そのため「団体自治」が「地方自治の本旨」の一つの要素となるわけです。
国の統治機構は民主主義と権力分立原理に基づいて組織されますが、それにはまず、地方の政治は住民の自治によるという原理が認められる必要があります。「地方自治は民主主義の小学校である」などと言われることがあり、また地方自治が中央の統一権力の強大化をおさえて権力を地方に分散させるという重要な意義があると説かれるのも、そのためなのです(芦部信喜著「憲法」有斐閣355~356頁)。
ところで、自民党憲法改正草案第92条1項の問題に話を戻しますが、自民党憲法改正草案第92条1項ではその「住民自治」における地方自治の主体となるべき住民について「地方自治は、住民の参画を基本とし…」としています。
しかし「参画」とは一般に、「政策、事業などの計画に加わること」を言いますから(※参画|コトバンク)、自民党案のような「参画」の言葉を用いた文章では、もともと何者かによって執行されている地方自治がそもそも存在していて、そのもともと存在する地方自治に住民が「後から加わる」という意味合いになってしまいます。
先ほどから述べているように、「地方自治の本旨」における「住民自治」の要素は、主権者である国民(住民)が主体的に地方自治を行い、その主体となった住民の意思によって行われるべきという民主主義的要請からくるものですが、自民党案ではその主体は「住民」ではなく、住民は単に「後から加わる(参画する)」二次的な存在にされているわけです。
この点、自民党改正案において一次的に地方自治の主体となる存在は何なのかという点が問題となりますが、おそらくそれは「国」なのだと思われます。
自民党は国(政府・内閣)に権力を集中させる中央集権的な国家を強力に推し進めたいと考えていて、地方自治においても、まず中央政府(内閣)が地方行政についても主体的に行使し、その中央政府が執行する地方自治に二次的に住民が「参画」するという構図で地方の統治機構を整備したいと考えているのではないでしょうか。
だからこそ、改正案第92条1項で「住民の参画を基本とし…」として、民主主義の要請からすれば当然に地方自治の主体であるべき住民を、二次的な存在に劣後させているのでしょう。
しかしもちろん、それでは「地方自治の本旨」の要素の一つである「住民自治」は不十分なものとなってしまいますから、民主主義原理も具現化することはできません。
自民党憲法改正草案第92条1項は、自民党が公開しているQ&Aでは現行憲法92条の「地方自治の本旨」を引き継いでいて、「住民自治」を具現化させていると説明されていますが、「参画」の文言から解釈すれば、地方自治から住民の主体的地位を後退させ「住民自治」を弱める意図を読み解くことができるわけです。
自民党憲法改正草案第92条1項は、地方自治の主体である住民の地位を後退させる「参画」という文言を用いていますが、こうした条文は地方自治における「住民自治」を破壊し、民主主義をも後退させることにつながりますので、その危険性は十分に認識しておく必要があるでしょう。
(2)地方自治体における自治が「住民に身近な行政」に限定されてしまう
次に指摘したいのは、自民党憲法改正草案第92条1項の文章が、意図的に地方自治体の行政権力を「住民に身近な行政」に限定している点です。
前述したように、現行憲法における「地方自治の本旨」は「住民自治」と「団体自治」の2つの要素からなっていますので、そこにおける地方組織の姿は、その地域に居住する住民が主体的に政治に参加し、その住民の声(要望)を最大限に地方政治に反映するとともに(住民自治)、その地方組織が単に中央政府の手足となって国の機関委任事務を執行するだけの地方行政機関となるのではなく独立した統治団体として主体的に政治を行う「自治体」として機能している状態(団体自治)であると言えます。
そうであれば、地方自治体が執行する行政も、単に「住民に身近な行政」だけに限られるものであってはなりません。その自治体が「住民に身近でない行政」を扱えなくなってしまうなら、その「住民に身近でない行政」については、国から言われるままに執行するだけの地方行政機関になってしまい、そうした行政に地域住民の意思を反映させること(住民自治)も、国から独立した政治を行うこと(団体自治)もできなくなり、「地方自治の本旨」が損なわれてしまうからです。
たとえば沖縄の米軍基地の問題を考えてください。沖縄の辺野古ではアメリカ軍の新基地が建設されていますが、この件で沖縄県は2013年にいったんは埋め立てを承認したものの、その後国が実施したボーリング調査で軟弱地盤見つかったため2018年にその承認を取り消しましたが、それに異を唱えた国(日本政府)との間で裁判になっています。
この点、沖縄県がこうした埋め立ての承認やその取り消し、またその件に関する裁判で当事者となり得るのも、沖縄県という地方自治体が国から独立した行政組織として存在していて、「住民に身近でない行政」も執行できる権限があるからに他なりません。
沖縄県という地方自治体に「住民に身近でない行政」を執行できる権限がないのなら、アメリカ軍の新基地建設に関する事項は、国の安全保障や外交関係に関するもので「住民に身近でない」と言えるので、沖縄県は権限を行使できず、埋め立ての承認も取り消しもできないことになるからです。
つまり現行憲法の「地方自治の本旨」に「団体自治」の要素があるからこそ、沖縄県は辺野古基地の埋め立てに口を出すことができるわけです。
そうすると、自民党憲法改正草案第92条1項は「地方自治の本旨」として、地方自治体に「住民に身近な行政」だけを「実施することを旨として行う」と規定していますから、この自民党案が国民投票を通化すれば、沖縄に許される行政は「住民に身近な行政」に限られることになる結果、国の安全保障や外交関係に関する辺野古基地の件は「住民に身近でない行政」とされてしまうことで、沖縄県は文句を言えなくなってしまうでしょう。
これは米軍基地だけの問題だけにとどまりません。たとえば地方に原子力発電所を建設するようなケースなどでも、「エネルギー政策は国全体の問題であってその自治体の住民に身近な行政ではないから、住民に身近な行政しか憲法で権能が与えられていない地方自治体が口を出すな」との理由で、いくら周辺住民が反対しようと地方自治体は原発建設に阻止することが出来なくなってしまうでしょう。
このように、自民党憲法改正草案第92条1項は地方自治体の行政権限を「住民に身近な行政」に限定する条文を規定していますが、こうした規定が憲法に明記されてしまうと、地方自治体の行政権限が「住民に身近な行政」に限られてしまうことで、国の行政に関する事柄については、国からの命令に粛々と従うことを強制させられて、国の機関委任事務を執行するだけの地方行政機関にされてしまう懸念が生じます。
それはもちろん、地方自治体から「自治」が取り上げられるということなのであって、地方自治が民主主義の具現化の一つの要素となっている以上、民主主義をも後退させるということですから、その危険性は十分に認識すべき必要があると思います。
自民党憲法改正草案第92条1項は「地方自治の本旨」から「住民自治」も「団体自治」も取り上げてしまうもの
以上で指摘したように、自民党憲法改正草案第92条1項「見出し」の部分に「地方自治の本旨」とした条文を新設していますが、「参画」という文言によって「地方自治の本旨」の一つである「住民自治」を後退させているだけでなく、地方自治体の行政を「住民に身近な行政」に限定することで「団体自治」をも失わせる文章にされており、「地方自治の本旨」を大きく後退させているところが大きな特徴です。
しかしそれは、地方から「自治」を取り上げて、中央集権的な国家体制を強化するものであって、明治憲法(大日本帝国憲法)のそれと変わりません。
戦前に施行されていた明治憲法(大日本帝国憲法)には地方自治に関する規定がなく、地方における自治権は不十分なものでしたから、軍国主義が台頭してくると地方自治を拡張する動きも制約されるようになり、自治権の縮小と中央集権化の波にのまれてしまう結果となりました。
そうして中央集権的な統治体制が強化され、また地方自治が空洞化したこともあって、国全体を軍国主義と全体主義に誘導することを容易にし、周辺諸国も巻き込んで多くの人々に多大な犠牲を強いてしまったのが先の戦争です。
そうした過去の失敗の原因ともなった中央集権的な国家体制に戻す必要がどこにあるのか、国民は冷静に判断することが必要でしょう。