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菅首相に学術会議の任命拒否で説明が求められるのはなぜなのか

(4)菅首相に求められる説明責任は「法的」なもの

なお、こうした菅首相の説明は「法的に」求められるという意味です。ここまで説明してきたように、日本学術会議法は本来的に会員候補者に「病気その他やむを得ない事由」または「会員として不適当な行為」のいずれかの事情があった場合以外の理由での内閣総理大臣の任命拒否を許容していないので、その2つのケースで任命しなかったことを説明しない限り、それ以外の理由で任命しなかったことが「法的に」推定されますから、それを説明することは法的な推定を覆すために「法的に」求められます。

菅首相がその6名の学者を「病気その他やむを得ない事由」または「会員として不適当な行為」以外の理由で任命しなかったことが法的に推定される以上、菅首相がなぜ任命しなかったかを説明しない限り、菅首相の今回の措置は違法ということになりますので、現在の菅首相は「法的に」説明を求められているということになるわけです。

もっとも、菅首相は内閣総理大臣であって行政の長なのですから、今回の件での説明責任は法的な側面だけでなく、道義的にも政治的にもその責任は当然に求められるのはもちろん当然です。

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「任命拒否の理由を説明する必要はない」という意見はどこが間違っているか

以上で説明したように、菅首相は学術会議から推薦された会員候補者105名のうち6名の任命をしておらず、その任命しなかった理由をなんら説明していませんが、「その理由を説明しないこと」が菅首相の違法性を推定させていますので、菅首相にはその6名を任命しなかった理由を説明することが「法的に」求められています。

もっとも、こうした法的な説明責任が菅首相にあるとしても、この記事の冒頭でも紹介したように、SNSなどでは「説明する必要はない」という意見も多く見受けられますので、そうした意見のいくつかを抜粋して、その意見のどこが間違っているのか解説していきましょう。

ア)「企業だって採用試験で不採用の理由を説明しないじゃないか」という意見

菅首相に任命拒否の説明責任を求める意見に対しては、「企業だって採用試験で不採用の理由を説明しないじゃないか」とか「採用を拒否された学生が不採用の理由を企業に尋ねたら企業側はその理由を教えてくれるのか?そんなことないだろう?」などという反対意見が多くみられます。

しかし、こうした意見は成立しません。なぜなら、企業の採用は契約自由の原則から導かれるものである一方、学術会議の会員任命の場面では、先ほどから説明してきたように、内閣総理大臣にはそもそも任命拒否権が与えられておらず、ただ会員候補者に「病気その他やむを得ない事由」または「会員として不適当な行為」がある場合に限って任命の拒否が許されるだけに過ぎないからです。

日本国憲法は自由主義を採用し職業選択の自由(憲法22条)や財産権(同29条)などを保障していますので、そこから「契約自由の原則(民法等)」が導かれることになり、労働者を雇い入れる企業には「雇い入れ人数の自由」「募集方法の自由」「労働者選択の自由」という3つの内容について使用者側に裁量的な判断が認められるとの解釈が導かれます。これが「採用の自由」と呼ばれる概念です。

労働者を雇い入れる企業には「採用の自由」が認められますから、企業がどの学生を不採用にするか、どういう理由でその学生を不採用にするかは企業側の「自由」です。そのため、企業の採用活動の場面では、基本的に企業側に不採用にした学生の不採用理由を説明すべき義務は生じないのです。

一方、先ほど説明したように、学術会議の会員任命の場面では、学術会議に政府(政治的見地)からの高度な独立性が要求されていることから、そもそも内閣総理大臣に会員の任命拒否権は与えられておらず、ただ唯一、会員候補者に「病気その他やむを得ない事由」または「会員として不適当な行為」がある場合に限って任命の拒否が許されるだけに過ぎません。

そのため、学術会議から推薦された会員候補者6名を任命しなかった今回の場面では、菅首相にその任命しなかった会員候補者について「病気その他やむを得ない事由」または「会員として不適当な行為」があったから任命しなかったのか、それともそれ以外の理由で任命しなかったのか、その具体的な理由を説明すべき説明責任が生じているのです。

このように、「契約自由の原則」の要請が働く企業の採用の場面と、「学術会議の高度な独立性の保障」の要請が働く学術会議の会員選任の場面とでは、その法的要請が全く異なりますので、その2つをパラレルに論じることはできません。

ですから、「企業だって採用試験で不採用の理由を説明しないじゃないか」とか「採用を拒否された学生が不採用の理由を企業に尋ねたら企業側はその理由を教えてくれるのか?そんなことないだろう?」などという意見は、そもそも原理的に成立しないのです。

また、企業の採用活動の場面では「契約自由の原則」が働くので基本的には企業側に不採用にした学生の不採用理由を説明すべき義務は生じませんが、「契約自由の原則」も無制約なものではなく「公共の福祉(憲法12条)」の制約がかかりますので、そうした制約が生じる場合には企業に対して不採用の理由の説明が求められるケースはあり得ます。

日本国憲法第12条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

「契約自由の原則」に守られる企業であっても「法の下の平等(憲法14条)」やその他基本的人権を制限するような採用の自由は認められませんから、そうした権利を濫用するような採用が行われた場合には、「契約自由の原則」の下でも違法性を惹起させることになり、企業側に説明責任が求められるケースはあり得るのです。

日本国憲法第14条第1項

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

たとえば、企業が採用面接で応募者の「性別」や「政治思想」や「親の収入」や「宗教」や「本籍地」などを理由に採用を拒否したことが疑われるようなケースであれば、それは権利の濫用として当然に違法性を惹起させますので、企業側が「それは採用差別ではなかった」と言うのであれば、その不採用がそうした差別的な理由でなかったことを説明すべき義務が当然に生じるでしょう。

男女雇用機会均等法第5条

事業主は、労働者の募集及び採用について、その性別にかかわりなく均等な機会を与えなければならない。

職業安定法第3条

何人も、人種、国籍、信条、性別、社会的身分、門地、従前の職業、労働組合の組合員であること等を理由として、職業紹介、職業指導等について、差別的取扱を受けることがない。但し、労働組合法の規定によつて、雇用主と労働組合との間に締結された労働協約に別段の定のある場合は、この限りでない。

つまり、企業の採用の場面であっても、企業側に権利の濫用となる採用選考が行われたことが疑われるケースでは、「契約自由の原則」の保護を受ける企業であっても、不採用にした学生に対して、「その不採用が就職差別でなかったこと」を説明すべき義務が生じ、その説明がなされない限りその不採用は採用差別として違法性の推定が働くということになるわけです。

今回の菅首相の場面はまさにこういう場面です。内閣総理大臣にはそもそも学術会議の会員の任命拒否権は与えられておらず、ただ唯一、会員候補者に「病気その他やむを得ない事由」または「会員として不適当な行為」がある場合に限って任命の拒否が許されるだけに過ぎませんから、菅首相が任命しなかった6名の学者についてそのどちらかであるかを説明しない以上、菅首相は違法性が推定される状況にあります。だから菅首相には説明責任が生じているのです。

ですから、「企業だって採用試験で不採用の理由を説明しないじゃないか」とか「採用を拒否された学生が不採用の理由を企業に尋ねたら企業側はその理由を教えてくれるのか?そんなことないだろう?」などという意見は的外れと言えるのです。

イ)「任命の人事を説明する組織なんてどこにもない、そんなこと説明したら人事はできない」という意見

菅首相に説明責任を問う意見に対しては、「任命の人事を説明する組織なんてどこにもない、そんなこと説明したら人事はできない」などという反対意見も見られます。某テレビ番組で弁護士の某氏も同じような意見を述べていたようですが、これも的外れです。

なぜなら、組織が「任命の人事」をする場合であっても、その理由の説明を迫られる場面はあるからです。

使用者が労働者を雇用した場合には、その雇用契約(労働契約)によって使用者側に「企業秩序定立権」が発生します。この企業秩序定立権は「労働者を適切に配置して企業秩序を維持する権利」を意味しますので、労働者と労働契約を締結した使用者は、その労働者を使用者側の都合で一方的に昇格させたり降格させる人事を行うことも認められることになります。

しかし、あらゆる人事が使用者側の一方的な都合で認められるわけではありません。その労働契約によって発生する企業秩序定立権はあくまでもその労働契約の上で成立するものに過ぎず、その労働契約の範囲を超えてその企業秩序定立権を行使することは権利の濫用となって許されないからです。

労働契約法第3条5項

労働者及び使用者は、労働契約に基づく権利の行使に当たっては、それを濫用することがあってはならない。

たとえば、労働契約で「設計職」と職種を限定して採用された労働者を使用者が降格させる場合、「設計職」の平社員に降格させることは企業秩序定立権の行使としてできますが、「営業職」の平社員に降格してしまうと、その人事権の行使が「職種の変更」を含むことになるので「設計職」と職種を限定した労働契約の範囲を超えることになり、権利の濫用となって違法性を帯びることになります。

また、たとえば課長職にある労働者が部長からセクハラを受けたことを会社に抗議したところ会社から報復として平社員に降格させられたり、会社で違法行為が行われていることを監督官庁に内部告発した部長が会社から報復として平社員に降格させられたりするようなケースでも、その人事権の行使は正当な企業秩序定立権の行使としての人事権行使とは認められず、権利の濫用として違法性を帯びることになるでしょう。

このように、たとえ企業の人事の場面であっても、それが権利の濫用となるケースでは、使用者側に違法性の推定が働く結果、その違法性を使用者側が否定すると言うのなら、それが権利の濫用としての人事権行使でないことの説明義務が生じるわけで、その明確な説明がなされない限り使用者側の違法性は否定されないことになるのです。

そして今回の菅首相の措置も、まさにこれと同じように菅首相に違法性の推定が働いているのですから、菅首相は学術会議から推薦を受けた6名をなぜ任命しなかったか、その理由を説明しなければならないのは当然です。

ですから「任命の人事を説明する組織なんてどこにもない、そんなこと説明したら人事はできない」などという意見は的外れと言えるのです。

ウ)「任命しなかった理由を説明すれば当人の名誉を棄損することになるから説明しないのはあたりまえ」という意見

菅首相に任命しなかったか理由を問う意見に対しては、「任命しなかった理由を説明すれば当人の名誉を棄損することになるから説明しないのはあたりまえ」などという反対意見もあるようです。

これは恐らく、菅首相が学術会議から推薦を受けた会員候補者のうち6名を任命しなかった理由が、仮にその6名の名誉にかかわることであれば、それを説明することでその6名の学者の名誉を棄損してしまうのでその学者の名誉のためにも説明を求めるべきではないということを言いたいのでしょう。

しかし、先ほど説明したように、そもそも内閣総理大臣には学術会議から推薦された会員候補者の任命拒否権はなく、ただその会員候補者に「病気その他やむを得ない事由」または「会員として不適当な行為」がある場合に限って任命の拒否が許されるだけですから、それを説明できなければ菅首相がそれ以外で任命したことが推定されることになるので、菅首相は違法な措置をした責任を法的にも政治的にもとらなければならないことになってしまいます。

また、そもそも今回の件では学術会議から推薦されたにもかかわらず菅首相から任命されなかった6名自身が「任命しなかった理由を説明せよ」と求めているのですから、仮に菅首相がその理由を説明したとしても、それが事実であれば名誉棄損にはなりません。

したがって、このような「任命しなかった理由を説明すれば当人の名誉を棄損することになるから説明しないのはあたりまえ」などという意見も的外れと言えます。

エ)「学術会議側だって推薦した理由を説明してないじゃないか」という意見

菅首相に説明責任を求める声に対しては「学術会議側だって推薦した理由を説明してないじゃないか」という意見もあるようです。

しかし、そもそも日本学術会議法第7条2項は学術会議の会員を選ぶに際して学術会議の「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」としていて、その学術会議の推薦は「優れた研究又は業績がある科学者のうちから…選考」されることになっていますので(同法第17条)、会員候補となる学者に「優れた研究又は業績がある」か否かを判断するのは学術会議です。

日本学術会議法第7条第2項

会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。

日本学術会議法第17条

日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。

日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦手続を定める内閣府令

日本学術会議法(中略)第17条の規定に基づき、日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦手続を定める内閣府令を次のように定める。

日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦は、任命を要する期日の30日前までに、当該候補者の氏名及び当該候補者が補欠の会員候補者である場合にはその任期を記載した書類を提出することにより行うものとする。

ではなぜそう規定しているかというと、それはもちろん内閣総理大臣は政治家であって学問の専門家ではないので、その会員候補となる学者に「優れた研究又は業績がある」か否か、内閣総理大臣には判断できないからです。そのため日本学術会議法第7条2項は「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」としているのです。

「優れた研究又は業績がある」か否かの判断は、学問の専門家でなければ判断できませんから、日本学術会議法は「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」として、学術会議から推薦された会員候補者を機械的に任命するようこのような規定を置いているわけです。

内閣総理大臣は学問の専門家ではないので、その会員候補者に「優れた研究又は業績がある」か否か判断できませんから、「学術会議側だって推薦した理由を説明してないじゃないか」などという批判はそもそも成立しないのです。

そして、そもそも論ですが、日本学術会議法には「推薦した理由を説明せよ」などと規定されていません。

一方、先ほどから説明しているように、菅首相に説明責任が生じるのは、菅首相が学術会議から推薦された会員候補者6名を任命していない措置が、会員候補者に「病気その他やむを得ない事由」または「会員として不適当な行為」がある場合以外の理由で任命しなかったことを推定させることによって菅首相の違法性が推定されるからです。

菅首相がなぜ任命しなかったかを説明しない限り、菅首相の違法性はなくならないので菅首相には説明が求められているわけです。

ですから、今回の件で「学術会議側だって推薦した理由を説明してないじゃないか」と主張して菅首相を擁護する意見も全くの的外れと言えるのです。