先日(2018年9月27日)、高校授業料無償化制度の適用対象から排除された朝鮮学校が国の処分の取り消しと指定義務付けを求めた訴訟の控訴審で、朝鮮学校側の主張が全面的に退けられる内容の判決が出されました。
この裁判の経緯と概要については『朝鮮学校における高校授業料の無償化裁判の経緯と概要』のページで簡単に解説していますが、在日朝鮮人の生徒(子ども)が通う朝鮮学校が関係する事件であることから憲法上の様々な問題が指摘されています。
その議論の中心は、基本的人権の自由権または社会的側面から導かれる憲法26条の「教育を受ける権利」や「学習権(教育権)」にありますが、これとは別に「法の下の平等(憲法14条)」で保障される平等権の側面から人種差別(民族差別)であるとの厳しい指摘もなされています。
では、この朝鮮学校における授業料無償化の問題では具体的にどのような点が人種差別(民族差別)として問題になっているのでしょうか。
授業料無償化制度が社会保障的側面を有していること
『朝鮮学校における高校授業料の無償化裁判の経緯と概要』のページでも解説しているように、今回の朝鮮学校における授業料無償化の問題では、本来であれば朝鮮学校に通う在日朝鮮人の生徒(子ども)にも支給されるべき就学支援金が支払われないことが問題として議論されています。
この就学支援金の支給は、高校無償化法(※正式名称は「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律」)の規定では「教育に係る経済的負担の軽減を図る」ことによって高等学校等で学ぶすべての国民の「教育の機会均等」を実現することがその目的とされていますから、その支給される就学支援金は人が人として「人間に値する生活」を営むことができるよう国家に対して要求することができる権利としての社会保障的側面を有しているといえます。
【高校無償化法第1条】
この法律は、高等学校等の生徒等がその授業料に充てるために高等学校等就学支援金の支給を受けることができることとすることにより、高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与することを目的とする。
つまり、この問題は、国が朝鮮学校をその適用対象から排除したことによって、在日朝鮮人だけが就学支援金という社会保障の支給対象から排除されてしまった問題ということになるのです。
在日朝鮮人が就学支援金の支給を受ける権利は憲法で保障されること
この点、在日朝鮮人が日本国籍を有していない外国人であることから、「そもそも国籍のない外国人に就学支援金を支給すること自体が間違いだ!」と主張する人がいます。
これはおそらく、基本的人権の保障を規定した憲法第三章の最初の条文となる憲法第10条に「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」と規定されていることから、国籍のない外国人には憲法の人権保障は及ばないと解釈してしまったことによるものと思いますが、それは間違いです。
【日本国憲法(抄)】
第三章 国民の権利及び義務
第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は……
なぜなら、先ほど述べたように授業料無償化制度によって支給される就学支援金は社会保障的な性質を有しており、憲法上は「社会権」として保障されますが、この社会権的性質を持つ人権は日本国籍を有していない外国人にも保障されるのが基本だからです(※詳細は→憲法の人権は日本国籍を持たない外国人にも保障されるか)。
この点、最高裁の判例(マクリーン事件:最高裁昭和50年10月4日)は
「憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ」
と判示していますので、「高等学校の授業料無償化は日本国民のみを対象としてるものだから在日朝鮮人に就学支援金を支給すること自体が違憲だ!」と考える人もいるかもしれません。
しかし「教育」は、個人の人格形成だけにとどまらず、人生を生きるうえで必要となる労働や生活能力の確保に不可欠な要素ですから、「権利の性質上日本国民のみをその対象としている」ものと理解して日本国籍のない外国人を排除することは、国籍の有無でその生存を否定することと同旨であり到底認められるものではありません。
先ほども述べたように高校無償化法の立法趣旨が「教育の機会均等」にあることを考えれば、授業料無償化制度によって支給される就学支援金は「人が生まれながらにして持つ自然権」としての「教育を受ける権利(憲法26条)」の要請を受けたものといえますから、国籍の有無にかかわらずそれを受給する権利は保障されなければならないのです(※詳細は→朝鮮学校の授業料無償化で「教育を受ける権利」が議論される理由)。
また、憲法前文が「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と国際協調主義の理念を明確に規定している点から考えても、「教育を受ける権利」を含む憲法で保障される人権は国籍の有無にかかわらず保障されるべきといえるでしょう。
そして、そもそも高校無償化法は外国人学校もその適用対象として認めており(施行規則1条)、実際にアメリカンスクールや韓国・中国人学校でも高校無償化の制度の適用を受けた事例はありますし(高等学校等就学支援金制度の対象として指定した外国人学校等の一覧:文部科学省)、高校無償化法の施行規則から委任される文部科学大臣決定の制定に際しては、その検討会議において朝鮮学校の適用要件を議論した事実もあるわけですから(「高等学校等就学支援金の支給に関する検討会議」議事要旨|文部科学省)、この無償化制度が「権利の性質上日本国民のみをその対象としている」ものでないことは国側も認めるところです。
ですから、この高校授業料無償化制度によって支給される就学支援金については、日本国籍を有していない在日朝鮮人の生徒(子ども)についても、憲法上でその支給を受ける権利が保障されているといえます。
在日朝鮮人も納税者であること
今回の朝鮮学校における高校授業料無償化制度の適用については、「国籍のない在日朝鮮人のために国民の税金を使うこと自体がおかしい!」などと主張して、在日朝鮮人に就学支援金を支給することそれ自体に反対している人もいるようです。
授業料無償化制度によって支給される就学支援金の財源は国民の税金ですから、その日本国民から徴収した税金を国籍のない在日朝鮮人のために使うな、という理屈です。
しかし、税金を支払っているのはなにも日本人だけではありません。在日朝鮮人も日本人と同じように所得税や住民税を国や自治体から徴収され、買い物するたびに消費税を納付しています。
「国籍のない在日朝鮮人のために国民の税金を使うこと自体がおかしい!」という意見には「行政サービスを受ける利益はその行政サービスの費用負担者だけが享受すべきだ」という意味が含まれると思いますが、そうであれば税金を支払っている在日朝鮮人も日本人と同じように行政サービスのすべてを享受できなければ整合性が取れません。
日本国における納税義務は国民に課せられていますが、その国民には在日朝鮮人も含まれます。つまり在日朝鮮人も日本国民なのです。
税金だけはしっかりと徴収しておきながら、在日朝鮮人だけを社会保障の受益者から排除することのおかしさにすべての日本人がまず気付かなければならないでしょう。
就学支援金の受給権者は学校ではなく「生徒(子ども)」であること
『朝鮮学校における高校授業料の無償化裁判の経緯と概要』のページでも説明していますが、今回の朝鮮学校の授業料無償化の問題では、その就学支援金の支給を受け取る朝鮮学校について朝鮮総連との関係性(不当な支配)があることや拉致問題が解決していないことなど、高校無償化法の趣旨や目的とは全く関係のない理由を持ち出して、国が朝鮮学校の支給要件を規定した施行規則1条1項2号から「ハ」を削除してしまったことがそもそも朝鮮学校が授業料無償化制度の適用を受けられなくなった原因となっています。
つまり、在日朝鮮人の生徒は、その生徒自身のあずかり知らぬ理由で就学支援金を受給することができなくなっているわけです。
しかし、この高校無償化法の適用によって支給される就学支援金の受給権者は学校ではなくその学校に通う生徒という「個人」です。
就学支援金を受領する学校は、そもそも就学支援金の「受給権者」なのではなく「代理受領」として受領しているだけですから(高校無償化法第7条)、その「代理受領者」にすぎない学校に生じた事情(※もっとも朝鮮総連の不当な支配があったという立証はなされていませんが…)をもって在日朝鮮人の生徒から就学支援金を受給する権利を奪ってしまうこと自体、そもそも問題です(※詳細は→朝鮮学校の授業料無償化が憲法89条で違憲とならない理由)。
【高校無償化法第7条】
(代理受領等)
支給対象高等学校等の設置者は、受給権者に代わって就学支援金を受領し、その有する当該受給権者の授業料に係る債権の弁済に充てるものとする。
もちろん、高校無償化法の趣旨や目的とは全く関係のない「拉致問題」や「朝鮮総連との関連性」という理由を持ち出して朝鮮学校を授業料無償化制度の適用から排除していることも大きな問題ですが(※詳細は→朝鮮学校の高校無償化で「学習権(教育権)」が議論される理由)、本人とは関係のない理由で社会保障を取り上げること自体、重大な人権侵害といえます。
在日朝鮮人という理由だけで無償化制度から排除されていること
先ほど述べたように、今回の朝鮮学校における授業料無償化の事件では、高校無償化法の適用申請を法律に基づいて適切に行った朝鮮学校が高校無償化法の趣旨・目的とは全く関係のない拉致問題や朝鮮総連との関係性を理由に無償化の適用対象から排除され、その結果、受給権者である在日朝鮮人の子どもが本人とは全く関係のない理由で「就学支援金を受給する権利」を取り上げられてしまいました。
つまり、朝鮮学校に通う在日朝鮮人の子どもが、「在日朝鮮人」というだけの理由で授業料無償化制度という社会保障制度から締め出されてしまっているわけです。
もちろん国(政府)は、朝鮮学校を授業料無償化制度の適用対象から排除した理由を、高校無償化法の施行規則やその委任を受けた文科大臣決定の要件を満たしていなかったと説明し、それが差別にあたるとは認めていません。
しかし、『朝鮮学校における高校授業料の無償化裁判の経緯と概要』のページでも解説しているように、政府が北朝鮮の砲撃事件をきっかけに朝鮮学校の高校無償化審査を停止しただけでなく、拉致問題や朝鮮総連との関連性を理由に高校無償化法の施行規則から1条1項2号の「ハ」を削除したことは当時の下村文部科学大臣の記者会見録(下村博文文部科学大臣記者会見録(平成24年12月28日):国会図書館)や当時実施されたパブリックコメントの報告書(高校無償化法施行規則改正に関するパブコメ結果概要)にも残されているわけですから、政府が北朝鮮への制裁の一環として朝鮮学校だけを無償化の対象から排除したのは明らかでしょう。
この国の政府は、拉致問題やミサイル、核問題の制裁の一環で何の罪もない在日朝鮮人の子どもを、ただ「朝鮮人である」という理由だけで高校授業料無償化制度から排除しているわけですから、人種差別・民族差別以外の何物でもないのです。
教育基本法4条は「人種」によって教育上差別することを禁じていますから、在日朝鮮人を朝鮮民族であるというだけで差別することが許されないのは当然です。もちろん、憲法14条でも法の下の平等を保障していますから、これが重大な人権侵害の事案であることも当然の帰結なのです。
【教育基本法第4条1項】
すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
【日本国憲法第14条1項】
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
「一条校に通えばよい」は民族同化政策と同じ
なお、レイシズム的思考のある方の中には「在日朝鮮人も一般の高校(学校教育法第1条に該当するいわゆる「一条校」)に通えば授業料無償化制度の適用を受けることはできるのだから朝鮮学校に通う在日朝鮮人の子どもに就学支援金を支給しなくても差別にはならない」という意見を持っている方もいるようですが、はたしてそうでしょうか。
たしかに、一般の高校に通学すれば授業料無償化制度の適用を受けることは可能ですし、実際に在日朝鮮人の中にも一般の高校に通学し授業料無償化制度の対象になっている人はいるでしょうから、在日朝鮮人が完全に授業料無償化制度から排除されているとはいえない面もあります。
しかし、先ほど説明したように、この授業料無償化制度における就学支援金を受給する権利は憲法26条の「教育を受ける権利」から要請されるものであり「子どもが教育を受けて学習することで人間的に発達・成長していく権利」という人権の問題です。
また、憲法では「幸福追求権(憲法13条)」や「思想・良心の自由(憲法19条)」が保障されているだけでなく、「国際協調主義(前文・憲法98条2項)」が採用され日本国籍を有していない外国人にも人権が保障されており、これらの基本的人権は「人が生まれながらにして持つ権利」という自然権思想(憲法11条・同97条)を基礎にしているわけですから、在日朝鮮人が日本民族の立場からではなく、朝鮮民族の立場から自国(北朝鮮)の歴史を学び、自国の国家概念や歴代の指導者について教育を受ける権利も「ただ生まれただけ」で認められなければならないのは当然といえるでしょう。
そうであれば、日本人が在日朝鮮人に対して、朝鮮民族としての教育を受ける権利を放棄させ、日本民族が求める教育を強制することは、たとえ間接的であっても許されないはずです。朝鮮学校を高校授業料無償化の対象から排除することで在日朝鮮人の子どもが朝鮮学校で朝鮮民族としての教育を受ける機会を奪っただけでなく、その在日朝鮮人の子どもに対して「授業料を無償にして欲しけりゃ日本人の学校に行けばいいだろ」などと口が裂けても言えるはずがないのです。
外国人学校の存在する意義は、その学校に通う外国人がその由来する国の歴史や文化に基づくアイデンティティを形成し、その民族としての人格形成に寄与する点にもあるわけですから、それを否定して日本民族の価値観による教育内容を押し付けてしまうことは、民族同化政策と本質的に何ら変わりません(※詳細は→授業料無償化からの朝鮮学校の排除が民族同化政策につながる理由)。
「高校無償化制度の適用を受けたいなら一条校に通えば良い」などと簡単に言う人は多いですが、その言葉の奥に極めて危険な思想が包含されていることを自覚すべきなのです。
在日朝鮮人を授業料無償化制度から排除するという方法を用いて韓国学校に誘導してしまえば、北朝鮮に由来を持つ在日朝鮮人のアイデンティティーを韓国のそれに間接的に同化させているのと同じことになり、本質的に民族同化政策と何ら変わらないことになってしまうでしょう。
政府だけでなく、すべての日本人に問われている問題
大阪朝鮮高級学校の卒業生である申泰革(シン・テヒョク)さんは、今回の高裁判決(大阪高裁平成30年9月27日判決)が出された後の記者会見で次のように語ったそうですが、われわれすべての日本人はこの問いに誠意をもって回答しなければならない義務があるのではないでしょうか。
「この問題は、ただ単に一つの高校に『無償化』制度を適用するか否かという問題ではなく、日本社会が在日朝鮮人を受け入れようとするのか、それともなかったものにしようとするのか、という問題だと思っている。」「日本国、そして主権者たる日本国民の問題でもあると思っている。差別に対してどう向き合ってゆくのか、どのような政策を行ってゆくのか、この判決を機にぜひ一度考えていただきたい。」
※出典:不当判決|無償化連絡会・大阪より引用
今現実に起きているこの人種差別(民族差別)は、政府だけの問題ではありません。我々すべての日本人が再び搾取する側に回りこのまま在日朝鮮人を差別し虐げて税金だけを巻き上げて幸せを謳歌するのか、それとも在日朝鮮人の方々とともに手を携えて苦楽を共にしながらこの国を経営してゆくのか、その選択の問題でもあります。
在日朝鮮人の方々も、国籍こそありませんがこの国を経営する国民の一人です。
その同じ日本国民である在日朝鮮人を在日朝鮮人というだけで差別することが許されるのか、今一度、私たちすべての日本人が真剣に考える必要があります。