憲法改正を推し進める政治家や知識人、それに迎合するタレントやお笑い芸人などの中に、憲法改正の手続きに関して「憲法改正の是非は最終的には国民投票で国民が直接判断するから国会は憲法改正案を発議するだけだ」という趣旨の発言を繰り返す人がいます。
たとえば、安倍首相も2016年の7月に実施された参院選の投票後にテレビ朝日のニュースステーション(2016年7月10日放送分)に中継で出演した際、キャスターの富川アナウンサーからなされた「今回の選挙で憲法改正が争点として挙げられていないのにそれでも憲法を改正するのか」「今回の選挙で憲法改正に民意を得られたと思っているのか」といった趣旨の質問に対して以下のように回答していますので、憲法の改正は最終的には国民投票に委ねられるものだから「国会は憲法草案を発議するだけ」に過ぎないと考えていることが分かります。
「民意を得られているかどうかはですね、そこんところ多くの方々が基本的に分かっておられないないんだろうと思いますが、えー言わば一般の法律であればですね、こういう法律をこうしていきますよ、あるいは税制こうしていきますよ、で選挙が終わったら国会の中で、えーこれ完結をするわけであります。憲法は違うんですね。国会は発議するだけでありまして、えーそこは法律と違ってですね、国会は発議するだけであって決めるのはまさに国民投票ですから、そこで問われるということになります。まあ、これが法律と憲法との基本的な大きな違いなんだろうなと思います。これをごっちゃに議論するとですね、もう議論がかみ合わないんですよね。」
※出典:テレビ朝日「報道ステーション」2016年7月10日放送分出演時の安倍首相発言から抜粋
このような憲法改正手続きにおける国会の役割を「憲法改正案を発議するだけ」と理解する思考はおそらく、憲法の改正手続を規定した憲法第96条に由来するのだろうと思います。
憲法第96条は、憲法を改正する場合に、第一段階としてその改正の目的となる「憲法改正案の発議」を衆参両議院の総議員の3分の2以上の多数で決議することを求めるだけでなく、第二段階としてその国会の決議によって発議された憲法改正案を国民投票にかけて国民の承認を得ることを要請していますので、日本国憲法が憲法改正に関する是非を最終的に「国民投票」という国民の直接的な判断に委ねていることは間違いありません。
【日本国憲法第96条】
第1項 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
第2項 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
ですから、安倍首相だけでなく一部の知識人や一部のお笑い芸人などの中に、この憲法96条の条文解釈論として、憲法改正案を採用するかしないかは国民投票で国民が決めるのだから「国会は憲法改正案を発議するだけ」と理解してしまう人が出てくるのもある意味無理からぬ面があると言えます。
ところで、このように憲法改正手続における国会の役割を「憲法改正案を発議するだけ」と理解してしまう場合には、憲法改正の是非に関する国民の民意は「国民投票だけ」で判断されれば足りることになりますので、その「憲法改正案を国会で発議すること」自体には国民の民意を確認する作業は必要ないということになります。
つまり「国会は憲法改正案を発議するだけ」と考える人たちは、国政選挙で民意を問うことなく政府(与党または改憲勢力)が憲法改正案を作成して国会に提示し、その憲法改正案が国会で可決されて発議されたとしても、その一連のプロセス自体は民主主義に反することはないと考えていることになるわけです。
実際、先ほどの報道ステーションの中継の中で、イギリスのEU離脱問題に関する国民投票を引き合いに出す形でなされた「総選挙で民意を問うプロセスを経ずに行われる国民投票の危うさ」を問う趣旨の富川アナウンサーの質問に対して、以下に挙げるように、安倍首相は「憲法改正案を発議する前提として国政選挙で民意を問う必要はない」という趣旨の回答をしていますから、安倍首相も総選挙で国民の民意を問わなくても政府が憲法改正案を国会に提示して国会で「憲法改正案の発議」について議論させ、それを発議させること自体は民主主義に反しないと考えていることが分かります。
富川アナ「憲法(改正案)を発議する前にですね、あの、国民の信を問うという形はないんでしょうか」
安倍首相「それは、あのーえー、憲法(改正案)を発議してですね、えー、発議した後、国民投票をするんですから、その議論はちょっと、おかしいんじゃないですか…」
富川アナ「あのーイギリスのね、EU離脱問題もありましたけれども、まさに国論を二分するテーマで、この憲法についてもそうだと思うんですけれど、その危うさというものを感じたりはしてませんか?」
安倍首相「あの、国民投票自体を疑うっていうことはですね、民主主義の基本を疑うってことになるんじゃありませんか。えー、3分の2の人たちが決議をして、国民投票、その国民投票の結果を疑うんであればですね、そもそもこの憲法の条文自体を疑うというのとおなじことになりますよ。ですから、あー当然、えー、それはおかしな議論であってですね、あの、今何となくえーアナウンサーの方とえー議論がかみ合わないのは、えー、法律とですね、憲法をごっちゃにされてるんですね。えー、憲法っていうのは、あーあくまでもですね、えー国会は発議する場であって決めるのは国民投票です、国民が決めるんです。その国民投票で決めることをですね否定してしまってはこれはもう、えー憲法の、憲法というよりも民主主義の基本的な否定になってしまいますよ。」
※出典:テレビ朝日「報道ステーション」2016年7月10日放送分出演時の安倍首相発言から抜粋
しかし、憲法改正の是非に関する最終的な判断が国民投票に委ねられているとしても、総選挙(衆議院の解散総選挙)で民意を問わずに国会が憲法改正案を発議することを許容してしまえば、憲法によって権力行使に「歯止めをかけられる側」であるはずの国家権力(改憲勢力)が自由に憲法改正案の発議をできるようになる結果、国民投票が乱発されて国民が一時の判断の過ちでその「歯止め」を緩めてしまう可能性も高くなり、国民にとって危険であるような気もします。
では、このように憲法改正手続において国会の役割が「憲法改正案を発議するだけ」にしかないとする考えに、民主主義や国民主権の観点から問題は生じないのでしょうか。
憲法96条で「国会の決議」と「国民投票」が求められるのは憲法の国民主権の要請に基づくもの
先ほど説明したように憲法96条では憲法の改正に「国会の決議」と「国民投票」の2つの手続きを要請しているわけですが、ではなぜ日本国憲法は憲法の改正にこの2つの手続きを要件として課しているのでしょうか。
この点「国会の決議」は、国家の基本方針に関する判断を国民が選挙で選んだ代表者の議論と決断に委ねる「間接民主制」を実現するための制度ですから、憲法第96条が憲法改正案の発議に「国会の決議」を義務付けているのは「間接民主制」の要請に基づくものであることが分かります。
一方「国民投票」は、国家の基本方針を国民自身が個人の議論と決断で判断する「直接民主制」を実現するための制度ですから、憲法第96条が国会で発議された憲法改正案の採用の是非に「国民投票」を義務付けているのは「直接民主制」の要請に基づくものであることが分かります。
そうすると、憲法第96条は憲法改正手続きに「間接民主制」と「直接民主制」の2つの制度を用いることを要請していることになりますが、この「間接民主制」と「直接民主制」はどちらも民主主義を採用する国家において国民の民意を反映させるための手段として用いられるものですから、憲法第96条は憲法の改正手続に「間接民主制」と「直接民主制」の2つの側面から民意を反映させて民主主義を徹底することを求めているということが言えるでしょう。
ではなぜ、憲法第96条が憲法の改正手続に民意の反映を徹底させる必要があると考えているかというと、それは日本国憲法が国民主権原理を採用しているからに他なりません。
憲法は、その前文で「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と述べたうえで「これは人類普遍の原理であり…これに反する一切の憲法…を排除する」と続けられていますから、憲法が国民主権原理を憲法の基本原理にしていることは明らかです。
【日本国憲法:前文(※前半部分のみ抜粋)】
日本国民は…(中略)…ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。…(中略)…これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。(以下省略)
この点、憲法は国家権力の権力行使から国民の権利と自由を守るために存在しますから、憲法の改正によって国民主権が侵害されることがないよう、その改正手続きは国民主権原理に基づいて国民の意思が確実に反映されることが望まれます。
だからこそ憲法第96条は、憲法の改正手続に「間接民主制」と「直接民主制」という2つ制度的側面から国民の意思が確実に反映されるよう求めているのです。
つまり、憲法が憲法の改正手続にあえて「間接民主制」と「直接民主制」という2つの制度を求めているのは、憲法がその基本原理として国民主権原理を採用し、その国民主権を実現させるための要請に基づくものであるということが言えるのです。
(1)憲法改正案の発議に「国会の決議」が求められるのは国民主権原理を「間接民主制(代表民主制)」の側面から具現化するため
このように、憲法第96条が「憲法改正案を発議すること」自体に国会の決議を義務付けているのは、憲法の国民主権原理からの要請であり、憲法改正手続きにおいてその国民主権を「間接民主制」の側面から具現化させるためということが言えます。
ではなぜ、憲法第96条は国民主権を徹底させるために「間接民主制」の観点から「憲法改正案を発議」すること自体に国会の決議を要請しなければならなかったのでしょうか。
憲法改正案の是非を最終的に国民投票という「直接民主制」の決議で判断するのであれば、あえてその前段階で「間接民主制」の手段となる国会の決議を要請しなくても、国民投票という「直接民主制」の制度の採用だけで国民の民意は確認できるので、「間接民主制」の手段となる国会の決議は不要のような気もします。
しかし、「直接民主制」という制度は万能ではありません。国民個人が直接的に国家の方針を決議する直接民主制は、専門的知識の不足した個人が議論と決議に参加することで客観的判断ができなかったり、一時的な世論の盛り上がりなどによって冷静な判断ができない場合があるなど、国民が自身に不利益が生じることに気付かないまま誤った判断を下してしまうことも往々にしてあるからです(※たとえば古代ギリシャのアテネ民主制において生じた「衆愚政治」などが代表的な例として挙げられます)。
一方、「間接民主制」を採用して議論する場合には、選挙によって選ばれた議員によって専門的な資料や知識、経験に基づいた議論が行われることが期待できますから、「直接民主制」による国民個人の議論と決議よりも、客観的かつ冷静な議論と決議が望めます。
そのため憲法は、憲法改正手続きにおいて「憲法改正案を発議すること」自体に、国会の決議という「間接民主制」の手段となる国会の決議を要請して、専門的資料や情報にアクセスできる議員に客観的冷静な議論をさせることにしているわけです。
このように考えると、憲法改正手続における国会の役割が決して「憲法改正案を発議するだけ」でないことが分かるでしょう。
憲法第96条が憲法改正案の発議に「国会の決議」を要請しているのは、政府(与党または改憲勢力)が作成した憲法草案をいったん「国会」という客観的冷静な議論の場で国会議員という議論のプロに専門的な資料や知識にあたらせてその憲法改正案が国民に不利益を生じさせるものではないのか、客観的冷静な議論をさせるところに大きな意義があります。
国会が「憲法改正案を発議」するのは単に「発議することだけ」に意味があるのではなく、その国会という議論の場で「間接民主制」の制度的側面から議論のプロである議員に専門的な資料や知識に基づいた客観的冷静な議論と判断を行わせるところに意味があるのです。
(2)憲法の改正に「国民投票の承認」が求められるのは国民主権原理を「直接民主制」の側面から具現化するため
では、憲法第96条が憲法改正案の是非を最終的に国民投票にかけることで「直接民主制」の側面から国民主権原理の徹底を求めているのはどのような理由なのでしょうか。
(1)で述べたように「憲法改正案の発議」自体に国会の決議を要請して専門的な資料や知識をもった議員に客観的かつ冷静な議論と決議を義務付けているなら、その国会の決議の場で憲法改正案の是非を決議させても問題ないように思えます。
実際、法律を制定する場合などは国民投票は行われず、国会の議論と決議で完結するわけですから、なぜ憲法改正の場合にだけその是非の判断を国民投票で判断することにしているのかという点に疑問が生じてしまいます。
もっとも、それはもちろん憲法が国民の権利と自由を国家権力の権力行使から守るために存在するものだからです。
「憲法」は国家権力の権力行使に「歯止め」をかけてその権力の行使を制限し、国家権力から国民の権利と自由を守るために制定されていますから、「法律」のように国会の議決だけで改正することを認めることはできません。
国会の議決は国家権力となる政府に所属する国会議員とその議員が所属する政党が構成員となって決議に参加しますので、「国会の決議だけ」で憲法を改正することを認めてしまえば、憲法によって「歯止めがかけられる側」であるはずの国家権力が自らその「歯止め」を緩めることができることになり、その「歯止め」自体の意味がなくなってしまうからです。
ですから憲法は、憲法改正案の発議に「国会の決議」を要請するだけではなく、その国会の決議によって発議された憲法改正案を、「国民投票」にかけさせて、その「歯止め」によって守られる側の国民がその憲法改正案を破棄できる機会を与えているのです。
このように、憲法第96条は客観的冷静な議論と決議を担保するために「間接民主制」の手段を採用して憲法改正案を発議することについて国会の決議を要請していますが、その間接民主制における国会の決議だけで判断されることによって生じうる国家権力による専制の危険を排除するためにあえて、最終的な憲法改正の是非の判断を「直接民主制」の手段となる国民投票に委ねていると言えるのです。
国会の役割が「憲法改正案を発議するだけ」という考えは憲法の国民主権の要請を「半分」無視するもの
以上で説明したように、憲法第96条が憲法の改正手続に「国会の決議」と「国民投票」の2つの手段を求めているのは、日本国憲法が国民主権主義を採用していることから、その国民主権原理に基づいた国民の意思を憲法改正の是非に反映させるためということができます。
そして、その憲法第96条で憲法改正案を発議すること自体に「国会の決議」が求められているのは、国民主権を「間接民主制」の側面から具現化させるために議員に客観的冷静な議論と決議を行わせることで間接的に国民の民意を憲法改正の是非に反映させるためであり、その国会で発議された憲法改正案について「国民投票」による承認が求められているのは、国民主権を「直接民主制」の側面から具現化させるため国民に直接的な議論と評決への参加を促すことで直接的に国民の民意を憲法改正の是非に反映させるためということができるでしょう。
このように憲法第96条の規定を国民主権の観点から掘り下げて理解すれば、憲法改正手続きにおける国会の役割が「憲法改正案を発議するだけ」でないことは容易にわかると思います。
憲法改正手続きにおける国会の役割はただ「憲法改正案の発議するだけ」なのではなく、国民が選挙で投票した国会議員に専門的な資料や知識等に基づいて客観的かつ冷静な議論と判断をさせるところに本質的な役割があるからです。
憲法改正手続きにおける国会の役割は、単に「憲法改正案を発議するだけ」にあるのではなく、間接民主制の側面から憲法の基本原理である国民主権を徹底させるところにその本質的な役割があるのですから、その憲法改正案を発議するという「国会の決議」は憲法の基本原理であるところの国民主権原理が要請した必要不可欠な手続きであり、その後に行われる「国民投票」と同様に国民主権の観点から国民の民意を確認するための重要な手続きと言えるのです。
ところで、このページの冒頭でも紹介したように、自民党の政治家や一部の知識人、また一部のお笑い芸人やタレントなどの中に「国会は憲法改正案を発議するだけ」と憲法96条の規定を解釈して「憲法の改正は最終的に国民投票にかけられる」ことを根拠に「憲法改正案の国会発議の前提として民意を問うための選挙は必要ない」と主張する人が多くいるわけですが、そのような主張は正しいと言えるでしょうか。
この点、先ほどから説明しているように、憲法96条が憲法改正案の発議に「国会の決議」を求めているのは、憲法が採用した国民主権原理を「間接民主制(代表民主制)」の側面から具現化させるためであり、国民が選挙によって選んだ国会議員に専門的な資料や知識等を基に、その国会で発議する憲法改正案が妥当なものであるか客観的で冷静な議論を行わせるところにその本質的な意味があります。
そうであれば、その国会で「憲法改正案を発議」すること自体に国民が賛成するのかしないのかという点について、国民の民意を問うための総選挙を実施するのは当然です。
間接民主制(代表民主制)を実現する国会は国民の民意を間接的に反映させることで国民主権を具現化するための場所なのですから、その「憲法改正案の発議をするかしないか」という議論と決断を『誰(議員)にさせるのか』という点について民意を反映させる必要があるからです。
仮に「国会は憲法改正案を発議するだけ」と考えてその国会での決議の前提として総選挙を実施しないというのであれば、その「憲法改正案を発議」する国会での議論と決議には民意が一切反映されていないことになり、国民主権を採用した憲法の趣旨に反することになるでしょう。
先ほど説明したように、憲法第96条は憲法の国民主権を憲法改正手続においても徹底させるため、「間接民主制」の側面から憲法改正案の発議に「国会の決議」を、「直接民主制」の側面から憲法改正案の承認に「国民投票」を要請しています。
その2つの要請のうち「直接民主制」の側面から要請された「国民投票」の手続きにだけ国民の民意を反映させ、「間接民主制」の側面から要請された「国会の決議」で国民の民意を反映させないというのなら、それによって完了した憲法改正は、憲法の国民主権からの要請を「直接民主制」の側面からだけ実現したことになってしまい、「間接民主制」の側面からの要請を一切無視してしまうことになるのは避けられません。
つまり、憲法改正手続きにおける国会の役割について「憲法改正案を発議するだけ」と考えている人たちは、憲法第96条で定められた憲法改正の手続きのうち憲法の国民主権の要請を半分は無視しているということが言えるわけです。
憲法を改正するなら衆議院を解散して総選挙で民意を問うのが国民主権の観点から考えて当然の帰結
以上で説明したように憲法の改正手続を規定した憲法第96条1項は、憲法が基本原理として採用した国民主権原理を憲法改正手続においても徹底させるために、前半の「各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し」の部分で”間接民主制”の手段で議論と決議を行うことを、後半部分の「国民に提案してその承認を経なければならない」の部分で”直接民主制”の手段で議論と決議を行うことを要請していると言えます。
そうであれば、96条1項後半部分の国民投票の際だけでなく、前半部分の憲法改正案の発議にかかる国会の決議にも民意を反映させる必要があるのは、国民主権の原理から当然です。
直接民主制の側面から要請される国民投票の場で民意を反映させたとしても、間接民主制の側面から要請される国会の決議に民意を反映させていないのなら、国民主権からの要請のうちその半分しか民意を反映していないことになり、憲法改正手続が国民主権原理に基づいて行われたことの正当性が担保されなくなってしまうからです。
間接民主制(代表民主制)の政治制度で民意を確認する手段は総選挙で民意を問う手段しか存在しないのですから、政府(与党または改憲勢力)が「憲法を改正したい」と言うのであれば、まず衆議院を解散して総選挙を実施しその「憲法改正案を発議すること」自体に国民が賛成するかしないのか、民意を確認するプロセスを経る必要があるのは当然と言えるのです。
もし仮に今の政府がこのまま衆議院を解散せずに国会で憲法草案を発議し、その国会で発議された憲法改正案が国民投票にかけられて可決され憲法が改正されてしまった場合、その改正された憲法条文は憲法の国民主権原理を徹底せずに改正された(国民主権を半分無視した)ものとして、将来の日本国とその国民に多大な混乱と争いを生じさせる危険性があることはすべての国民が認識しなければなりません。
そして政府は、憲法を改正したいと言うのであれば、国民主権の観点からその正当性を担保するためにも、まず衆議院を解散して「具体的にどの条文をどのように改正するのか」という憲法改正案の発議を争点にした総選挙を実施しなければならないことに、一日も早く気付かなければならないと言えるのです。