憲法の改正に執拗に固執し続ける自民党が公開している憲法改正草案の問題点を一条ずつチェックしていくこのシリーズ。
今回は、「適正手続の保障」について規定した自民党憲法改正草案第31条の問題点を確認してみることにいたしましょう。
「適正な」を追加した自民党憲法改正草案第31条
現行憲法の第31条はアメリカ合衆国憲法の人権宣言の一つの柱と言われる「法の適正な手続」(due process of law)を定める条項(※合衆国憲法修正14条(1868年))に由来するものと解釈されていますが(芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法」岩波書店235頁)、この規定は自民党憲法改正草案第31条でも同様に引き継がれています。
もっとも、その条文の文言に若干の変更が加えられていますので注意が必要です。では、具体的にどのような変更が加えられているのか、現行憲法第31条と比較して双方の条文を確認してみましょう。
【日本国憲法第31条】
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
【自民党憲法改正草案第31条】
何人も、法律の定める適正な手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
このように、現行憲法では、国民に刑罰を科す際について法律の定める「手続によらなければ」と規定されている部分を、自民党憲法改正案では「適正な手続によらなければ」と変えることで、適正性を追加した部分が異なります。
では、このように「適正な」を追加した自民党憲法改正草案からは具体的にどのような問題を提起できるのでしょうか。検討してみましょう。
憲法第31条は「法律で定められた手続」のどこまでを保障しているか
このように、自民党憲法改正草案第31条は、現行憲法で「手続によらなければ」と規定されている部分に「適正な」という文言を新たに付け加えていますが、この問題点を考える前提として、そもそも憲法第31条が何を保障したものなのかという点を理解しておかなければなりませんのでその点を簡単に解説しておきましょう。
(1)憲法第31条は「手続の法定」を明示した規定
この点、先ほども少し触れたように、現行憲法の第31条はアメリカ合衆国憲法の人権宣言の一つの柱と言われる「法の適正な手続」(due process of law)を定める条項に由来する規定と考えられています。
具体的には、合衆国憲法修正14条(1868年)の一節にある「……いかなる州も、法の適正な手続によらないで、何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない」の部分が、それに当たります。
ところで、現行憲法の第31条がこうしてアメリカ憲法の規定を参考にしたのも、国家権力が法律の定める手続によらずに国民に刑罰を科してしまう危険を排除するためです。
第31条のような規定がない社会では、国家権力は法律で定められた手続によらなくても自由に国民の自由や権利を制限し、刑罰を科すことができるようになってしまいますから、国民の身体や財産の自由が確保できません。
そのため戦後に制定された現行憲法でも、第31条に「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」と規定することで、国家権力が法律で定められた手続によることなしに、国民の命や自由や財産を奪ったり、刑罰を科すことが出来ないように歯止めを掛けることにしたのです。
つまり憲法第31条は、公権力を手続的に拘束し、国民の自由や権利、財産等の人権を手続的に保障するところにその目的があり、国民の「人身の自由」を保障するための基本原則ともなる規定であると言えるのです。
(2)憲法第31条は「手続が法律で定められること」だけを要請しているのではない
もっとも、ここで重要なのが、憲法第31条の規定が「手続が法律で定められること」だけを要請しているわけではないという点です。
現行憲法の第31条は「法律の定める手続によらなければ…刑罰を科せられない」と規定されていますので、その条文の文言からは一見すると「手続が法律で定められること(手続の法定)」だけを要請しているようにも思えます。
しかし、人権の手続的補償を強化する立場から、現行憲法の第31条は「手続の法定」だけにとどまらず、「手続の適正」や「実態の法定」、「実態の適正」までをも保障するものであると考えるのが憲法学の通説的な見解です(前掲芦部書235頁~236頁)。
つまり、憲法第31条は「手続が法律で定められること(手続の法定)」だけを要請しているわけではなくて、「法律で定められた手続が適正でなければならないこと(手続の適正)」や「その実態も法律で定められなければならないこと(実態の法定※罪刑法定主義)」また「法律で定められた実体規定も適正でなければならないこと(実態の適正)」までをも要請していると解釈されているわけです。
- ①手続の法定……手続が法律で定められること
- ②手続の適正……法律で定められた手続が適正でなければならないこと
- ③実態の法定……刑罰等の実態も法律で定められなければならないこと(※罪刑法定主義)
- ④実態の適正……その法律で定められた実体規定も適正でなければならないこと(※「規定の明確性」「規制内容の合理性」「罪刑の均衡」「不当な差別の禁止」等の諸原則)
憲法第31条に「適正な」とあえて加えてしまうと、「手続の適正」以外の要請は保障しないという解釈が成り立ってしまう
ところで、自民党憲法改正草案第31条の問題に戻りますが、自民党改正案では現行憲法の第31条に「適正な」という文言を追加していますので、自民党憲法改正案の第31条が前述の(2)の表に挙げた②の「手続の適正」を保障する趣旨であることは条文上から読み取ることができるようになります。
現行憲法の第31条では、先ほど説明したように条文からは①の「手続の法定」しか読み取れず、②の「手続の適正」と③の「実態の法定」、④の「実態の適正」については憲法の解釈として第31条で保障されると説明していましたが、このうち②の「手続の適正」の部分を明文の規定として条文に入れることで憲法第31条が①の「手続の法定」だけではなく②の「手続の適正」をも保障することを条文上も明確にしたのが自民党改正案の第31条になるわけです。
ア)第31条に「手続の適正」だけを規定してしまうと「実態の法定」と「実態の適正」は保障しないという解釈が成り立ってしまうことになる
しかし、こうして自民党改正案が②の「手続の適正」だけを明文として追加してしまうと、その憲法改正の際に『あえて③の「実態の法定」と④の「実態の適正」だけを除外した』、という解釈が成り立ってしまいます。
つまり、前述の①しか第31条に規定されていない現行憲法のままであれば、解釈で「②③④も第31条で保障される」と説明することができたのに、改正案第31条があえて②の部分だけを条文に規定してしまうことによって、「改正案は③と④を条文に加えず②だけを条文に追加したのだから、改正案は③と④は保障しない趣旨なんだ」との解釈が成り立ってしまうことになるのです。
そうなると、自民党憲法改正案第31条は条文の外形的な文理的意味合いだけでなく解釈としても①の「手続の法定」と②の「手続の適正」だけしか保障されていないという説明が成り立ってしまうことになりますから、仮に自民党憲法改正案が国民投票を通過してしまえば、前述した③の「実態の法定」と④の「実態の適正」は憲法第31条で保障されなくなってしまいます。
すなわち、あえて②の「手続の適正」だけを明文に規定した自民党憲法改正案が国民投票を通過すれば、現行憲法では解釈で保障することができていた③の「実態の法定」と④の「実態の適正」が国民に保障されなくなってしまうことで、国家権力が「実態の法定」や「実態の適正」を無視して国民に刑罰等を科すこともできるようになってしまうわけです。
イ)「実態の法定」と「実態の適正」が保障されなくなるとどうなるか
では、仮に自民党改正案第31条が国民投票を通過して「実態の法定」と「実態の適正」が第31条から保障されなくなった場合、具体的にどのような問題が生じ得るのでしょうか。
a)「実態の法定」が保障されなくなるとどうなるか
この点、先ほど挙げた③の「実態の法定」とは、国民に刑罰等を科す場合はその実態もまた法律で定められなければならないということを言い、「罪刑法定主義」がこれにあたります。
罪刑法定主義は「行為のときに、その行為を犯罪とし、刑罰を科する旨を定めた成文の法律がなければ、その行為を処罰することはできないとする原則(※法律学小辞典:有斐閣)」のことを言いますが、簡単に言えば「国民に刑罰等を科すときは、どのような行為が犯罪としてその刑罰で処罰されるか、あらかじめ法律で定めておかなければダメですよ」というような原則を言います。
罪刑法定主義が保障されないと、国家権力は自由に国民を逮捕して刑罰等を科すことができるようになって国民の人身の自由は保障されなくなってしまいます。そのため、国民に刑罰等を科す場合は罪刑法定主義を守りなさいよと国家権力に制限を加えました。それが「実態の法定」です。
しかし、仮に自民党改正案第31条が国民投票を通過すれば、この「実態の法定」が保障されなくなってしまいますから、国はこの「罪刑法定主義」を無視して国民に刑罰等を科すこともできるようになります。
国が「罪刑法定主義」を無視することができるということは、刑罰を科す旨を定めた法律がなくても、国民の自由を拘束したり、財産を没収したり(罰金等も含む)、刑罰を科すこともできるようになるということです。
たとえば、法律では「10年以下の懲役または50万円以下の罰金」と規定された窃盗罪の犯人に裁判所が10年を越える懲役刑を科すことが認められるようになったり、また刑法等に犯罪として規定がない特定の国民の行為を咎めて逮捕し懲役や罰金刑を科したりすることもできるようになるわけです。
そうなれば、政府(自民党)は法律がなくても自由に国民の身体を拘束し刑罰を科すことも認められるようになりますから、国民は自分のどういう行為が刑罰等の対象になるかわからないまま生活しなければならなくなってしまうでしょう。
つまり、自民党憲法改正草案第31条が国民投票を通過することで「実態の法定(罪刑法定主義)」が保障されなくなれば、国民は政府(自民党)に抗うことが出来なくなって、政府(自民党)の言いなりになるしかならなくなるわけです。
b)「実態の適正」が保障されなくなるとどうなるか
先ほど挙げた④の「実態の適正」は、法律で定められた実態規定も適正でなければならないことを意味します。
前述の「a」でも説明したように、国民に刑罰等を科す場合には③の「実態の法定」の要請から罪刑法定主義に基づかなければならず、法律の規定がなければ国民の自由を制限して刑罰等を科すことはできませんが、その刑罰等の実態を法律で定める場合でも、ただその実態を法律で定めればよいわけではありません。
その刑罰等を定める法律があったとしても、その法律の実態が「適正」でなければ国民の人身の自由を保障することが出来ないからです。
そのため、その法律の実態も「適正」でなければならないという要請から、「実態の適正」も必要となると考えられるわけです。具体的には、法律の「規定の明確性」の原則(犯罪構成要件の明確性、表現の自由を規制する立法の明確性)、「規制内容の合理性」の原則、「罪刑の均衡」の原則、「不当な差別の禁止」の原則が、この「実態の適正」にあたります(※前掲芦部書236頁)。
- 「既定の明確性」の原則(犯罪構成要件の明確性、表現の自由を規制する立法の明確性)
- 「規制内容の合理性」の原則
- 「罪刑の均衡」の原則
- 「不当な差別の禁止」の原則
そうであれば、自民党改正案第31条が国民投票を通過すれば、この「実態の適正」も保障されないという解釈が成り立つようになりますので、国(国家権力)はこれらの原則(法律の「規定の明確性」の原則、「規制内容の合理性」の原則、「罪刑の均衡」の原則、「不当な差別の禁止」の原則)を無視して法律を整備し、国民の自由や財産を制限するような刑罰等を科すこともできるようになってしまいます。
たとえば、「公益を害した者は〇年以下の懲役に処す」などと、何が「公益」か判然としない法律で国民を逮捕して刑を科したり(「規定の明確性」が保障されないケース)、「窃盗罪は死刑に処す」などと他の犯罪と均衡のとれない刑罰で処罰したり(「罪刑の均衡」が保障されないケース)、「○○国籍の永住外国人のみ科料に処す」などと特定の国籍保持者だけを差別的に取り扱うなど(「不当な差別の禁止」が保障されないケース)もできるようになるわけです。
「適正な」を憲法第31条に加えると、人身の自由はかえって損なわれる
以上で説明したように、自民党改正案第31条は国民の自由と権利を守るために不可欠となる「人身の自由」の基本原則ともなる条文であって「法の適正な手続(適正手続の保障)」を保障する規定ですが、現行憲法の第31条にはない「適正な」の文言を追加したことによって「実態の法定」と「実態の適正」を保障しない解釈が成立することになってしまうことになり、かえって国民の「人身の自由」が保障されなくなってしまう危険を招く恐れがあります。
もちろん、自民党が国民の「人身の自由」の基本原則を規定した第31条から「実態の法定」と「実態の適正」を奪い取るためにこうした変更を行ったのか、それはわかりません。
しかし、その改正によってここで述べてきたような不都合な解釈が認められるようになるわけですから、自民党改正案第31条のように「適正な」との文言は挿入すべきではないでしょう。
仮に自民党改正案第31条が国民投票を通過すれば、先ほど述べたように国家権力の恣意的な判断によって曖昧な法律や基準で刑罰を科せられてしまうことになり、国民の自由や権利・財産は全て国家権力の思うがままにコントロールされてしまうことになりますから、そうなればもう国民には「奴隷の自由」しか与えられないことになってしまいます。
「人身の自由」が保障されない国の中で、政府(自民党)の刑罰に怯えながら奴隷として人生を全うするしかなくなるわけです。
このように、自民党憲法改正草案第31条は「適正な」の文言をくわえることによって、あたかも「適正手続の保障」を強化しているように外見的には見えますが、その実態は大変危険な改正です。
自民党憲法改正草案の第31条については、その危険性を十分に認識して賛否を判断する必要があるでしょう。