【自民党憲法改正案の問題点:第10条】国民の範囲が狭くなる

スポンサーリンク

自民党が公開している憲法改正草案の問題点を一条ずつチェックするこのシリーズ。

今回は、国民の範囲に関する自民党憲法改正案第10条の問題点を考えていくことにいたしましょう。

なお、自民党憲法改正案の第10条は同改正案の第11条とも密接に関連していますので、自民党憲法改正案の第11条の問題点について解説した『【自民党憲法改正案の問題点:第11条】臣民の権利思想の復活』のページも合わせて参考にしてください。

スポンサーリンク

自民党憲法改正案第10条と現行憲法の第10条とは何が違うか

現行憲法の第三章「国民の権利及び義務」は第10条から始まっていて、その第10条には国民の範囲に関する条文が置かれていますが、これは自民党憲法改正案の第10条でも引き継がれています。

もっとも、若干その文言に変更がなされていますので、双方を比較みましょう。

現行憲法の第10条の意味するもの

まず現行憲法の第10条を確認しますが、現行憲法の10条は次のように規定されています。

第三章 国民の権利及び義務

日本国憲法第10条

日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

この条文は国民の範囲を述べたものですが、憲法で保障される基本的人権は国家権力や憲法によってはじめて与えられるものではなく、人が生まれながらにして持つ権利であるという自然権思想をその背景に持ちます。そのため、基本的人権はすべての「人」に保障されるものであると理解されています。

この点、日本国憲法が第三章として「国民の権利及び義務」と表題されていること、また第10条が「国民たる要件は法律でこれを定める」と規定していて、基本的人権の享有主体が「国民」に限定される外観を備えていることから「日本国籍を持たない外国人に人権保障が及ぶのか」とその人権の享有主体性に疑問を持つ人もいるかもしれません。

しかし、基本的人権が「人が生まれながらにして持っている権利」という自然権思想を背景に持つことを考えれば、国籍の有無という制度的な理由によってその享有主体性を否定することはできません。人が「ただ生まれただけ」で与えられるのが基本的人権だからです。

また、憲法が法律の上位に位置し最高法規性を持つ法規範であることを考えれば、憲法の下位に位置する法律(国籍法)がその上位に位置する憲法に優先して基本的人権の享有主体性の範囲を決定すると考えることもできません。

そのため、憲法で保障される基本的人権の享有主体としての国民には、日本国籍を有する国籍法上の日本国民だけでなく、外国人や天皇・皇族などすべての「人」が含まれると理解されているのです(※参考→日本国憲法における人権の享有主体としての「国民」とは誰なのか)。

国家は国民の社会契約によって形成されますから、その社会契約を結んだ構成員はただ生まれただけで人権の享有主体となります。

そうであれば、日本国における社会契約の構成員であるのなら「ただ生まれただけ」で、それが国籍法上の日本国民であろうと国籍のない外国人であろうと、あるいは天皇や皇族であろうと、すべての「人」が人権の享有主体とならなければなりません。

これが「人権の享有主体としての国民」という意味です。

その一方で、天皇や皇族は憲法上の天皇制という制度によって、あるいは法律であれば皇室典範や皇室経済法などによって国民と切り離されますし、外国人は国籍法などの法律によって制度的には日本国籍を有する国民と区別されます。未成年者であれば参政権の側面で考えれば公職選挙法という法律によって成人の国民と区別されますし、たとえばいわゆる「18禁」など表現の自由の側面から考えれば青少年保護育成条例などによって成人と区別(保護)されます。

つまり、憲法第10条の「国民」とは、その切り離され区別された後の「国民」の事を差すわけです。

憲法第10条では「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と規定されているわけですけれども、基本的人権は論理的には憲法の成立以前からそもそも「人」に備えられているものなのですから、国籍など後天的な制度(法律)によって人権の享有主体性を否定する趣旨にはなりえません。

憲法第10条を読む際は、この違いをまず理解するところから始める必要があります。

自民党憲法改正案の第10条の意味するもの

では、この憲法第10条の規定が自民党憲法改正案ではどのように変更されるのでしょうか。

この点、自民党憲法改正案で第10条は次のようにされています。

自民党憲法改正案第10条

日本国民の要件は、法律で定める。

※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成

現行憲法では「日本国民たる要件は」と規定されている部分を「日本国民の要件は」に、「法律でこれを定める」と規定されている部分を「法律で定める」と変更した部分が異なります。

「たる」が「の」に、「でこれを」が「で」に変えられて文章が簡素化されただけのようにも思えますが、注意しなければならないのが、自民党憲法改正案が現行憲法の人権規定に流れる「人が生まれながらにして持つ権利」という自然権思想を排除している点です。

現行憲法の人権規定が「人が生まれながらにして持つ権利」という自然権思想を背景にしていることは憲法第11条の「現在及び将来の国民に与へられる」と述べられた部分から求められるのですが、自民党憲法改正案の第11条はその「現在及び将来の国民に与へられる」と述べられた部分を丸ごと削除してしてしまいました。

日本国憲法第11条

国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在および将来の国民に与へられる。

自民党憲法改正案第11条

国民は、すべてに基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。

※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成

つまり、自民党は自然権思想(いわゆる天賦人権説)を憲法から排除するために11条の条文から「現在及び将来の国民に与へられる」の文章を取り除いたわけです。

この点は自民党憲法改正案第11条の問題点を考えるページで改めて解説するため、ここでは深く立ち入りませんが、憲法第11条の規定から天賦人権説を導く文章が取り除かれてしまうと、必然的に憲法で保障される基本的人権が「国家(あるいは君主)によって与えられる権利」という臣民の権利の思想に傾斜することになります(※この点の詳細は→【自民党憲法改正案の問題点:第11条】臣民の権利思想の復活)。

しかしそれは、憲法で保障される基本的人権が「天皇によって臣民に与えられるもの」とされていて基本的人権に法律の留保がつけられていた明治憲法(大日本帝国憲法)の人権思想と同じです。

つまり、自民党憲法改正案第10条はその条文の文章自体は現行憲法の第10条とほとんど変わりませんが、本質的な部分では憲法で保障される基本的人権が「人が生まれながらにして持つ権利である」という自然権思想から、「国家(あるいは天皇)から臣民に対して与えられる権利」という臣民の権利思想への転換を内在させているわけです。

自民党憲法改正案第10条の問題点

以上で説明したように、自民党憲法改正案第10条は現行憲法の第10条と文章自体はほぼ変わりませんが、その深淵では憲法で保障される基本的人権が「人が生まれながらにして持つ権利」であるという自然権思想(天賦人権説)から、「国家(天皇)によって与えられるもの」であるという臣民の権利思想への転換を内在させています。

しかし、憲法で保障される基本的人権が論理的には天皇や皇族、あるいは外国人などにもおしなべて保障されるという考え方は、憲法で保障される基本的人権が「人が生まれながらにして持つ権利」という自然権思想(天賦人権説)を基にしているわけですから、それを廃して臣民の権利思想への転換が図られるとなると、外国人など国籍法やその他の法律等によって国民と区別される国民に基本的人権の保障が及ばなくなる恐れが生じます。

自民党憲法改正案第10条が国民投票を通過すれば、憲法第10条が自然権思想を背景としなくなる結果、「憲法改正案第10条は人権保障の範囲を国籍法上の国民に限定する趣旨ではない」と言えなくなり、外国人の人権が今まで以上に保障されなくなる恐れがあるのです。

たとえば今年、コロナウイルスに関連して緊急事態宣言が出された際、すべての「国民」に10万円の特別定額給付金が支給されましたが、この定額給付金は日本国籍を有する国民だけでなく、国籍のない在日外国人や、海外からの留学生や技能実習生も広く対象とされました。

これはもちろん当然です。現行憲法の第10条は自然権思想を背景にしているので、その第10条の「国民」には永住権を持つ外国人や留学や仕事のために来日し居住している外国人も当然に含まれると解釈されるからです。

仮にその定額給付金を在日外国人や留学生・技能実習生など外国人に支給しないとしていれば、その国の措置が違憲性を帯びることになったでしょう。

しかし、自民党憲法改正案第10条は前述したように、「人が生まれながらにして持つ権利」という自然権思想(天賦人権説)を否定していますから、もしこの自民党憲法改正案が国民投票を通過すれば、「外国人は憲法第10条の国民に含まれない」と解釈することも可能になるため特別給付金の対象から外国人を排除しても違憲性の問題が生じなくなってしまいます。

現行憲法の第10条は「人が生まれながらにして持つ権利」という自然権思想を基礎にしているので「10条の規定は人権の享有主体を国民に限定する趣旨ではない」という理屈が成り立ちますが、自民党憲法改正案第10条はその自然権思想(天賦人権説)を排除しているので、「10条の規定は人権の享有主体を国民に限定する趣旨だ」という理屈が成り立つことになるわけです。

そうなると、「基本的人権は人が本来的に持っているものではなく国家によって与えられるものだから、国籍のない外国人は憲法10条の規定から基本的人権の享有主体としての国民とは区別される」という理屈で、人権保障から排除することが許容されることになりますから、国民生活の様々な場面で社会保障から外国人を排除することが認められることになっていくかもしれません。

現在でも、高校無償化政策などで行政の在日外国人に対する差別的な取り扱いが問題となったり、在日外国人に支給される生活保護に否定的な意見を主張する人がいたりして差別の問題が顕在化することが多々ありますが、そうした差別的な取り扱いがより一層強まる懸念があるわけです。

基本的人権が「人が生まれながらにして持つ権利」という自然権思想(天賦人権説)を排除する自民党憲法改正案の危険性

以上で説明したように、自民党憲法改正案の第10条は、現行憲法の第10条とそれほど変更はなく、単に文章が簡素化されただけのようにも思えますが、「人が生まれながらにして持つ権利」という自然権思想(天賦人権説)を排除して、憲法で保障される基本的人権が「国家によって与えられるもの」という明治憲法(大日本帝国憲法)で実現されていた臣民の権利思想に限りなく近づけている点が特徴的です。

自民党憲法改正案の第10条は、文章自体は現行憲法の第10条とさほど変わりませんが、その深淵には、明治憲法(大日本帝国憲法)で実現されたような国家権力による基本的人権の制限を容易にするための思惑が内在されている点を十分に認識しておかなければなりません。

自民党憲法改正案第10条はその文章自体は現行憲法の第10条とほとんど変わりありませんが、基本的人権の享有主体としての国民の範囲を狭める趣旨を内在させています。

そうした差別を拡大させる憲法改正を望むのか、自民党憲法改正案第10条は文面だけにとらわれず、それに内在される自民党の意図についても十分に検討する必要があります。