日本人が「先の戦争」と言う場合、その”戦争”は1945年の8月15日に終結した「あの戦争」を指すのが普通です。
「あの戦争」とはもちろん、国的には主にアメリカや中国などと、地理的には東アジアや太平洋で繰り広げたいわゆる第二次世界大戦における戦争のことです。
しかし、この「先の戦争」の呼び方に関しては「第二次世界大戦」と呼ぶ人がいるかと思えば「太平洋戦争」と呼ぶ人がいたり、「大東亜戦争」などと呼んだりする人もいます。
では、これらの呼び方は具体的に何が違い、どのような概念を含むものなのでしょうか。
また、その「先の戦争」についてこれらの名称を使う場合、どのような点に注意して使い分ける必要があるのでしょうか。検討してみます。
「先の戦争」に関する呼び名はそれぞれどんな概念を含むのか
このように「先の戦争」については様々な呼び名が使われているわけですが、ではそれらは各々具体的にどのような概念を含むものとして使用されているのでしょうか。
(1)先の戦争を「第二次世界大戦」と呼ぶ場合
先の戦争を「第二次世界大戦」と呼ぶ場合には、その”戦争”は日本が関係した戦争だけでなく、欧州やアフリカなどでも繰り広げられた、日独伊の枢軸国と英米ソなど連合国の戦争を広く含みます。
ですから、「第二次世界大戦で日本は…」と言う場合には、1937年の盧溝橋事件から1945年まで続けられた中国との日中戦争(※詳細は後述の(3)参照)だけでなく、1941年の真珠湾攻撃から始まるアメリカとの戦争も含まれることになりますし、マレー半島やインドシナ・オセアニア周辺でイギリスやオーストラリアなどと戦った戦争も含まれることになります。
また、「第二次世界大戦では…」と言う場合は日本だけでなくドイツやイタリアの戦争も含むことになりますので、ドイツのポーランド侵攻からパリ陥落、対ソの戦争なども広く含まれることになります。
(2)先の戦争を「太平洋戦争」と呼ぶ場合
先の戦争を「太平洋戦争」と呼ぶ場合には、1941年以降のアメリカとの戦争、マレー半島やインドシナ・オセアニア周辺でイギリスやオーストラリアなどと戦った戦争など、真珠湾攻撃からインドシナ半島に侵攻し連合国と交戦して1945年の敗戦に至るまでの一連の戦争のすべてを指すのが普通です。
先の戦争はアメリカを中心とした連合国と戦われましたが、その主戦場が太平洋上であったため太平洋戦争と呼ばれています。
先の戦争を「太平洋戦争」と呼ぶ場合は、日本と連合国側との戦争(戦闘)を意味しますので、ドイツやイタリアが欧州やアフリカ等で行った戦争は含まれないと思った方がよいでしょう。
ですから、「太平洋戦争で日本は…」と言うことはあっても「太平洋戦争でドイツは…」と言うことは(普通は)ありません。
(3)先の戦争を「日中戦争」と呼ぶ場合
先の戦争を「日中戦争」と呼ぶ場合は、1937年の盧溝橋事件から1945年の無条件降伏まで行われた中国国内における中国との戦争を指すのが普通です。
ただ、戦争の開始時期については1931年の満州事変を始期とする人もいますので、その時期に行われた一連の対中戦争を指すと考えた方がよいかもしれません。ちなみに私の個人的な感覚で「日中戦争」は満州事変から始まるものという認識です
「日中戦争」の名称を使う場合は日本と中国の間の戦争を指しますので、アメリカとの戦闘やマレー半島やインドシナなどで行われた連合国との戦争は普通は含まれません。
ですから「日中戦争における中国との戦闘で…」と言うことはあっても、「日中戦争におけるマレー半島の攻略では…」と言うことは普通はありません。
(4)先の戦争を「大東亜戦争」と呼ぶ場合
先の戦争を「大東亜戦争」と呼ぶ場合、その”戦争”は(1)で述べた「太平洋戦争」と同じく、1937年(満州事変を始期とする場合は1931年)からの日中戦争と1941年以降のアメリカとの戦争、マレー半島やインドシナ・オセアニア周辺でイギリスやオーストラリアなどと戦った戦争など、日本が1937年にい中国と開戦してから連合国と交戦し1945年の敗戦に至るまでの一連の戦争のすべてを指すのが普通です。
この「大東亜戦争」という呼び名は、1941年(昭和16年)の12月12日(真珠湾攻撃の4日後)の閣議で正式に決まったのが最初らしく、その政府が発表した「大東亜戦争」という呼称がそれを境に新聞その他のメディアがその呼称を使用するようになったと言われていますので(※保坂正康著「昭和史のかたち」岩波新書112頁)、戦前・戦中の教育を受けた人の中には「先の戦争」を「大東亜戦争」と呼ぶ人が多い印象です。
この点、なぜその「大東亜」という呼称が用いられたかというと、それは先の戦争を主導した軍部や指導者たちが戦争を正当化させるために「大東亜共栄圏構想」という思想を大義名分に掲げる必要があったからです。
大東亜共栄圏構想とは、ざっくり言うと東アジア(東亜)における欧米列強の植民地支配からアジア諸国を独立させアジア諸国と連帯して大東亜共共栄圏をつくって欧米列強に対抗しよう、というような思想を言いますが、長くなるので詳しいことは本を読むなりウィキペディアで調べるなりしてください。
戦争を遂行するためには国民の士気を高めて挙国一致に誘導し世論を熱狂させる必要がありますが、その目的が侵略にあったのでは国民はついてきません。そのためわざわざ「大東亜」という呼称を持ち出して戦争を正当化しようとしたわけです。
先の戦争を推し進めた軍部や指導者たちは「西洋列強の植民地支配から解放する」とか「アジア諸国の独立を援助する」などと称して国民の世論を納得させたわけですが、もちろんそれは表向きの理由づけであって、彼らの真意はそこにありません。
たとえば、作家の保坂正康氏はその著書「昭和史のかたち(岩波新書)」の中で、戦時中に陸軍省報道部が発行した「大東亜戦争」という冊子を引用しながら、大東亜戦争によって構築される東亜新秩序の意味については、以下のように述べてその戦争目的に「東亜の解放」などは一切なかったと評価しています。
オモテの言論の本質を知るために、この『大東亜戦争』という冊子が明かしている東亜新秩序を知るべきであろう。以下に引用したい。
「大東亜政争は新秩序である。単に東亜の戦争と言うべきものではなく、世界の戦争であることを知らねばならない。東亜の天地から米英等の不正不義勢力を駆逐掃討して東亜新秩序を建設することのみが目的ではない。進んで世界の新秩序を確立するまではこの戦争は終わらないのである。このために、盟邦独伊等は欧州に於て新秩序建設の責任を分担し、亜欧其時を一にして戦っているのである」
東亜新秩序の意味は、ヒトラーやムッソリーニと共に世界新秩序をつくる戦いであり、「大東亜戦争の開戦詔書」の戦争目的の中に「東亜解放」などは露ほどもなかったことを私たちは知らなければならない。
※出典:保坂正康著「昭和史のかたち」岩波新書112~113頁より引用。※陸軍省報道部発行の「大東亜戦争(大東亜戦争の開戦詔書)」については「大東亜戦争 – 国立国会図書館デジタルコレクション」の52~53頁参照。
このように、先の戦争を「大東亜戦争」と呼称する場合、その戦争は表向き「アジア諸国を西洋列強の植民地支配から解放する」という大義名分を意味しますが、その本質はドイツやイタリアなどの枢軸国と共に世界を侵略し枢軸国で世界を支配するための戦争であったという位置づけになります。
(5)先の戦争を「先の戦争」と呼ぶ場合
先の戦争を「先の戦争」と呼ぶ場合は、個人差があるので一概には言えません。
一般的に「先の戦争」を日本の戦争として語る場合は、先ほど挙げた「太平洋戦争」と同じように1937年の日中戦争から1941年真珠湾攻撃を経て1945年8月までの一連の戦争を指すことが多いと思いますが、欧州等での戦争を含む場合はその「先の戦争」は「第二次世界大戦」も含む広義な意味になります。
ただ、たとえば私が「先の戦争」という呼称を使う場合は、1931年の満州事変から対中・対米戦争を経て1945年の戦争終結までを指すことが普通ですが、場合によっては朝鮮半島の併合から満州への出兵を経て中国と戦争を開始して真珠湾攻撃から1945年8月までの一連の戦争を指す意味で使うこともあります。
もちろん、朝鮮半島の併合は1910年なので正確に言えばこのような言い回しは間違いなのでしょうが、私の感覚では日中戦争は朝鮮半島の併合から満州出兵を経て盧溝橋事件・対中戦争へという一連の流れで起きたものだという認識があるのでこういう使い方をついしてしまうわけです。
「第二次世界大戦」「太平洋戦争」「日中戦争」「大東亜戦争」の呼称を使う場合の注意点
このように、「先の戦争」に関しては「第二次世界大戦」「太平洋戦争」「日中戦争」「大東亜戦争」などの呼び名があるわけですが、これらの呼称を使う場合に注意しなければならない点がありますので、念のため簡単に触れておきます。
ア)先の戦争を「第二次世界大戦」「太平洋戦争」「日中戦争」と呼称する場合の注意点
先の戦争について「第二次世界大戦」「太平洋戦争」「日中戦争」という呼称を使う場合は特に注意すべき点はありません。
これら「第二次世界大戦」「太平洋戦争」「日中戦争」という呼称は、単にその歴史的事実を呼称するための単語に過ぎませんので、そのどれを使ったからと言って特段の差異はありません。
ただ、「第二次世界大戦」と呼称する場合はドイツやイタリアの戦争も含めた先の戦争のすべてを指しますが、「太平洋戦争」と呼称する場合は日本と対中・対米(その他連合軍)戦争を指す一方で、「日中戦争」と呼称する場合は中国との戦争に限定されますのでその違いだけ認識しておけば問題ないでしょう。
この「第二次世界大戦」「太平洋戦争」「日中戦争」の呼称は、単にその戦争の事実を呼称しているだけに過ぎず、そのどれを使ったとしても特定の政治思想が包含されるわけではありませんので、使いたいものを使いやすいフレーズで使えばよいと思います。
イ)先の戦争を「大東亜戦争」と呼称する場合の注意点
これに対して、先の戦争を「大東亜戦争」と呼称する場合は注意が必要です。
なぜなら、「大東亜戦争」という呼称は単に”先の戦争”の歴史的事実を指すだけではなく、その「大東亜」という文言の中に「大東亜共栄圏構想」という戦時中の日本政府が利用した特定の政治思想が包含されるからです。
先ほどの(4)でも少し触れたように、先の戦争で日本(大日本帝国)は、大東亜共栄圏構想を侵略戦争を正当化させるための後付的な大義名分として掲げて東アジアに兵を進め侵略の戦果を拡大させましたから、先の戦争を「大東亜戦争」と呼称する場合は、その”戦争”の中に先の戦争で行われた侵略の事実を「自衛戦争」や「アジア諸国の独立を助けるための解放戦争」であったと正当化させる思想が必然的に包含されることになります。
そのため、先の戦争を「大東亜戦争」と呼称する場合は、そう呼称すること自体に「私は先の戦争が侵略を目的としたものではなく自衛のための正当な戦争だったと考えています」という意味が含まれてしまいますので、それを聞いた相手からは「この人は先の日本の侵略戦争を肯定している」と認識されてしまいます。
もちろん、戦時中は一般的に広く「大東亜戦争」と呼称されていましたので、戦前生まれであったり戦時中の教育を受けた人の中には、先の戦争を肯定する思想を有しているか否かに関わらず無意識的に「大東亜戦争」と呼称する人も多くいますので、「大東亜戦争」と呼称したからと言ってすべての人が先の戦争を正当化する思想を持っているというわけではありません。
たとえば私の親類にも戦前生まれの人がいますが、その親類と話をしても先の戦争を肯定しているわけではないようですので、「大東亜戦争」という呼称を使う人のすべてが先の戦争を肯定しているわけではないでしょう。
しかし、戦後教育を受けた人が「太平洋戦争」や「第二次世界大戦」という呼称ではなく、あえて「大東亜戦争」という呼称を使う場合には、先の戦争を積極的に肯定し美化する思想を持っていると認識されてしまいますので注意が必要なのです。
ウ)GHQが日本人に自虐史観を植え付けて洗脳させるために「太平洋戦争」という呼称の使用を強制させた、は事実か?
この点、「太平洋戦争」とか「第二次世界大戦」という呼称は、連合国の占領政策でGHQが日本人に加害者意識を植え付けるために使用することを強制させたものだから「大東亜戦争」という呼称を使うべきだ、と考える人もいるようですが、そのような理屈が通るでしょうか。
確かに、戦時中は「大東亜戦争」という呼称が使われていた一方で「太平洋戦争」という呼称は戦後に広く使われるようになったのですから、戦後の占領政策を担ったGHQの施策が一定の影響を与えた事実はあるでしょう。
しかし、だからと言って先の戦争で日本の軍部や指導者が行った数々の行為が治癒されるものではありません。
東京裁判では戦時中の日本がアジアと太平洋の広い範囲に戦火を広げ現地住民を戦争に巻き込んだだけでなく、現地住民や捕虜の虐待、慰安婦や労役のための徴用、性的なものも含む略奪や虐殺を行っていたことが明らかにされていきましたが、東京裁判が勝者が敗者を裁く裁判で公平性を欠く部分があり、そこに提出された証拠や陳述に一部の誇張や歪曲が紛れていたことを割り引いて考えたとしても、戦時中に非人道的行為が多数あったことは事実として存在しています。
また、東京裁判の過程では、戦時中の政府が発表した大本営発表のほとんどの部分が歪曲ないし捏造され、正確な戦況が国民に伝えられていなかったことも明らかになっていますから、その点で戦時中の国民は「知る権利」という民主主義の実現に不可欠な基本的人権が侵害され続けていた状態にあったということが言えるでしょう。
そしてそれらの事実は、戦後の早い時期にGHQの要求で新聞各社が「太平洋戦争史」と表題する連載記事に掲載することで広く国民に周知されることになりましたから、国民は当然、その時にそれまでの大本営発表が全て嘘だったこと、また戦時中の日本国軍が行った虐待や虐殺の事実を知ったわけです。
つまり当時の日本国民は、そこで初めて「聖戦」であると教えられてきた戦争が実は「大東亜政争」などという「東亜の解放」を目的としたものではなく、国民を騙して戦火を広げていった侵略戦争であったことを知ることができたのです。
だからこそ戦後の国民は、それまで使われてきた「大東亜政争」という聖戦の意味を包含する呼称を使うことを否定して、「太平洋戦争」や「第二次世界大戦」などの呼称を使用することを選択したのです。
このように、戦後に「大東亜戦争」という呼称を使わなくなったことに関してGHQの関与が少なからずあったとしても、先の戦争が大東亜戦争などという「聖戦」ではなく、侵略を目的とした戦争であったことに気付いたのは他ならぬ国民なのですから、戦後の日本で太平洋戦争や第二次世界大戦の呼称が使われるようになった事実は、決して当時の日本人がGHQに自虐史観を植え付けられたり洗脳されたりした帰結ではないということが明らかであると言えるのです。
この点、もちろん日本国憲法は19条で思想及び良心の自由を保障していますので、先の戦争が「侵略戦争」ではなく「自衛戦争だった」と認識する人がいても構わないと思いますし、実際にそう考えている人も少なからずいるのでしょう。
ですが、あの戦争をなぜ「自衛戦争」であったと肯定できるのか私には理解できません。
たとえば、今の日本では右寄りの人たちが「アメリカと対等関係に立つためには9条を改正して軍隊を整備すべきなんだ!」とか「アメリカに押し付けられた憲法は破棄しないとアメリカからの真の独立はないんだ!」などと威勢よく憲法9条の改正を盛んに呼びかけていますが、もし仮にアメリカと対立する日本の隣国が、その「アメリカからの従属関係」を解消させるべく、先の戦争で日本が提唱したような「大東亜共栄圏構想」に類似する思想を掲げて日本の国土に軍隊を進軍させてきたらどう思うのでしょうか。
先の戦争で日本は、大東亜共栄圏構想という大義名分を掲げて東南アジア諸国に軍隊を派遣して国土を蹂躙し、現地の住民を強制的に徴用して労働その他の役務に従事させ、それらアジア諸国の国土を戦火に巻き込んだのは紛れもない事実です。それが仮に当時の日本政府が言う「大東亜戦争(聖戦)」であったとしても、その事実は事実として存在します。
では今の日本で、同じようにアメリカと敵対する日本の隣国が「日本をアメリカの支配から解放するため」という大義名分を掲げて日本の国土を戦車で蹂躙し、日本国民を労働その他の役務に強制的に(仮に給金の支払いがあったとしても)徴用して日本の国土を戦火で焦土と化したとして(しかも戦争で負けたとして)、それも「日本を助けてくれるための戦争だった」と肯定できるのでしょうか。
それを「自衛戦争」と肯定できるというのであれば、先の戦争も「大東亜戦争」として肯定できるのかもしれませんが、私は到底そんな戦争を容認できません。そんなものは「侵略戦争」以外の何物でもありませんし、世界の常識からしてもそれを「自衛戦争」と呼んで「助けてくれてありがとう」などと感謝するバカはいないでしょう。
また、先の戦争が「侵略戦争」であったことはポツダム宣言にも「世界征服の挙に出ふる…」としてしっかり記載されていますので、当時の日本政府がそれを受諾している以上、先の戦争が「侵略戦争」であったことは既に歴史的事実として確定しています。
【ポツダム宣言※一部抜粋】
吾等は無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至る迄は平和、安全及び正義の新秩序が生じ得ざることを主張するなるを以て日本国国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出ふるの過誤を犯さしめたる者の権力及び勢力は永久に除去せられざるべからず。
※出典:外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊 ポツダム宣言|国会図書館を基に作成(※読みやすくするため「カタカナ文語体」を「ひらがな表記」に変更しています。)
ですから、このような歴史的事実を無視して「自衛のための聖戦だった」という思想を包含する「大東亜戦争」という呼称を使うのであれば、それはもう歴史修正主義以外の何物でもないのです。
ですから、どうしても「大東亜戦争」という呼称を使いたいと思うのであれば、そのような思想が包含されることを十分に自覚したうえで使わなければなりません。