討論番組や国会中継だけでは正確な憲法知識が得られない理由

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このサイトでは、憲法をきちんと学んだことのない人のことを「憲法道程」と定義づけています。

憲法道程の問題点については『「憲法道程」の何が問題なのか?』や『「憲法道程の憲法論議」が無駄といえる3つの理由』のページでも指摘してきましたが、正確な知識がないゆえに本来必要となる議論ができなかったり、政治家の嘘に気付けずに自分が意図しない判断をしてしまうところが大きな問題として挙げられます。

ところで、この記事を読んでいる人の中には「俺はテレビの討論番組や国会中継をたくさん見て憲法を勉強してるから憲法道程なんかじゃないぞ!」と思っている人もいるかもしれませんが、もしそう思っているとすればその人は紛れもない「憲法道程」といえます。

なぜなら、テレビの討論番組や国会中継を見ても、正確な憲法知識は身に付かないからです。

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テレビの討論番組や国会で答弁する人たちは「弁が立つ」人

テレビの討論番組や国会で答弁する人たちに共通する点が一つだけあります。

「弁が立つ」という点です。

テレビの討論番組には、学者や評論家、弁護士やジャーナリスト、ブロガーやタレントなど様々なバックグラウンドを持つ人が出演していますが、彼らは概ね「弁が立ち」ます。

つまり「しゃべりが得意」「口が達者」ということです。

討論番組は「討論」を視聴者に「見せる」番組なので、そもそも「しゃべり」が下手で「口が達者」でない人は番組に呼ばれません。

どんなに専門的な知識を有していても「しゃべり」が下手糞だと、その専門的な知識を視聴者にわかりやすく届けることができませんし、そもそも「口が達者」でない人はどんなに知識が豊富でも討論ですぐに論破されてしまうため、「討論を見せる場」であることが至上命題の番組がエンターテイメントとして成り立たないからです。

国会も同じです。

国会で答弁をするのは選挙で当選した議員ですが、そもそも「しゃべり」が得意でないと選挙には当選できません。

「口が達者」でないと、街頭演説や政見放送で言いたいことが有権者に伝わらず、票がとれないからです。

モゴモゴと自信なさげにしゃべる優秀な候補者より、ハキハキと自信たっぷりにしゃべる凡庸な候補者が選挙に当選しやすいのは、これまでの選挙結果を振り返ってみても分かると思います。

もちろん、テレビの討論番組に出演する演者や国会議員の中にも、正確な知識のうえでまともな議論ができる優秀な人も少なからずいます。

しかし、ただ単に「弁が立つだけ」「口が達者なだけ」の人が圧倒的に多いのが現実です。

「弁が立つ」からといって必ずしも正しいとは限らない

「弁が立つだけ」「口が達者なだけ」の人がテレビの討論番組や国会中継で話しているのを聞くと、どうしても一般の人はそれが「真実」だと思い込んでしまいがちです。

なぜなら、人には「分かりにくい話」よりも「分かりやすい話」を「真実」と思いこむ習性があるからです。

心理学的には「処理流暢性」とか言われるそうですが、人間は本来的に脳が処理しやすい言動を「正しい」と理解し、脳が処理しにくい言動を「正しくない」と判断する傾向を有しています。

ですから、テレビの討論番組や国会中継で、ただ単に「弁が立つだけ」「口が達者なだけ」の人がしゃべっていると、それが「嘘」や「論理的に正しくない」内容を含むものであっても、多くの人はそれを「真実」だと思いこみ、無批判に信用してしまうことが多いのです。

しかし、憲法に関する議論は「法」という小難しい学問が基礎になりますから、それが「正論」であればあるほど、その議論は「難し」く「理解しにくい」ものにならざるを得ません。

テレビの討論番組や国会中継に登場する「正確な知識を有した論者」は一般市民にもわかるようにできる限り分かりやすい言葉で伝えようと努力しますが、それにも限界があるでしょう。

そうすると、一般の視聴者は憲法に関する議論が「正論」であればあるほど、「分かりにくい」「理解しにくい」と認識することになり、「処理流暢性」の影響によってたとえ「真実」であったとしても「嘘」と判断してしまうことになります。

その結果、こと憲法の改憲論議に関しては「耳なじみの良い」「理解しやすい」意見ばかり言う論者や議員の発言だけが、一般の人に「正しい意見」として受け入れられていきます。

そうやって、一般の人たちの間に真実とは異なる「嘘」が刷り込まれ、世論が形成されていくことになるのです。

代表的な例を挙げれば、憲法の改正に賛成する政治家やタレントなどが好んで使う「憲法はアメリカ(マッカーサー)に押し付けられたものだから改正すべきだ」という発言がそうです。

日本の憲法が制定された経緯は『日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要』や『憲法9条の戦争放棄と戦力不保持が日本人のオリジナルである理由』のページでも解説していますが、その制定過程の事実を確認すれば、そのような「押しつけ憲法論」に正当な理由がないことは昭和の時代からすでに明らかでした。

憲法をきちんと学んだ人の間では「憲法は押し付けられたものでないこと」は共通の認識としてすでに確立しているのですが、そういった憲法成立過程の事実を過去にさかのぼって理解させるには「小難しい」「理解しにくい」話もしなければならず一般の人には敬遠されてしまいます。

それに対し、改憲を積極的に進める政府やそれに同調するタレントが「憲法はアメリカ(マッカーサー)に押し付けられたものだから改正すべきだ」と発言すれば、それが非常に「わかりやすく」かつ感覚的に「理解しやすい」ことから、一般の人には容易に「真実」として受け入れてしまいます。

その結果、憲法の正しい知識を持っていない憲法道程が、無批判に政府の意見に賛成し「憲法は押し付けられたものだから改正すべきだ」という意見に同調してしまうのです。

こうして、真実ではない「嘘」を基礎とした憲法論議に明け暮れる憲法道程が日本国内に増殖していくことになります。

テレビの討論番組や国会中継はエンターテイメント

このように、「弁が立つ人」「口が達者な人」の話は、それが真実でなくても「理解しやすい」「分かりやすい」ものである限り、「処理流暢性」の影響で、国民の間に広く受け入れられていくことになります。

結局、テレビの討論番組や国会中継は、これをただ延々と垂れ流しているだけです。

テレビの討論番組は、その番組の途中で流される広告によって成り立っているわけですから、必然的に視聴者にとって「分かりやすい」「理解しやすい」話を垂れ流す必要があります。

視聴者が理解できない難解な憲法論議ばかり議論していては、視聴率がとれず、番組として成立しないからです。

国会も似たようなものです。

国会議員は有権者の票によって存立していますから、有権者が「分かりやすい」「理解しやすい」話だけをしていれば国民の支持を得られます。だからこそ、国会議員の多くはロクに憲法を勉強しないまま、憲法道程と同じレベルで「分かりやすい」「納得しやすい」話しか言わないわけで、その結果が先ほどのような馬鹿げた「押しつけ憲法論」につながっています。

もちろん、国会で野党の議員から専門的な憲法論議を挑まれれば政府も「分かりやすい」「納得しやすい」議論に終始することは「普通は」できませんが、先の衆院選で与党が3分の2の議席を確保している現状では、政府(与党)がまともな議論をしなくても国会の審議は成り立ちます。

(※野党の議員の中には憲法論的に正しい見識の下で政府の改憲案を批判している事例も見受けられますが、連立与党で憲法改正発議に必要な3分の2以上の議席を確保していることもあって与党は全く真摯に議論に答えていません。)

ですから、今の国会では憲法に関するまともな議論がほとんど行われず、ただ時間だけが経過して国民投票を待つだけになっているのが実情なのです。

結局、テレビの討論番組も国会も、単なるエンターテイメントの場になり下がってしまっているわけですから、そこから正確な憲法知識が得られることは期待できないのです。

なぜ「本」を読まなければならないか

以上のように、討論番組や国会における憲法に関する議論は、そこに登壇する演者のパフォーマンスを披露するエンターテイメントの場にすぎませんから、そこから得られるのは「耳に心地のよい」「理解しやすい」「感覚的にわかりやすい」不確かな知識だけであって、正確な憲法知識を学ぶことは不可能です。

では、どうすれば正確な憲法知識が身に付くかと言うと、最終的には憲法学者が書いた専門書を読むしかありません。

「憲法学者だったらテレビの討論番組にも出てるからテレビの話を聞いとけばいいじゃん」と思う人もいるかもしれませんが、それは違います。

テレビに出演する学者は「弁が立つ学者」だけ、しかも「今現在生きている学者」だけだからです。

学者の中には、論文上で議論するのは得意でもディスカッションが苦手な人もいますし、すべての学者が「口が達者」なわけでもありませんから、そのような人の意見は「本」でしか学ぶことができません。

テレビに出演する学者は、なにも憲法学の学会を代表して発言しているわけではなく、あくまでも個人の意見をテレビの討論番組で述べているだけにすぎませんから、そのような学者の意見だけを聞いて「学者がこういってるんだからこの意見が正しいんだ」と安易に判断するのは間違いなのです。

先ほども述べたように、テレビの討論番組では学者と言えども「耳当たりの良い」「理解しやすい」話しかしませんから、必ずしもそれが正しいとは限りません。

(※もちろん、テレビの討論番組に出演する学者や専門家の中にも、正確な憲法知識に基づいた議論をしてくれる人もいますから、すべてがそうだといっているわけではありません。)

だから結局、専門書を読んで自分の頭で考えるしかないのです。

憲法の専門書と聞くと難しくて理解できないと思う人も多いかもしれませんが、それは誤解で、読んでみれば意外と頭に入ってくるものです。ちなみに私は高卒です(しかも普通高校ではありません)。

たとえば岩波書店が出している芦部先生の「憲法(第六版)」などは初学者向けに書かれていてますが、それ1冊でも読んでさえいればたいていの政治家の「嘘」は見抜けるぐらいの正確な憲法知識は身に付けることができます。

新刊(第六版)は3,000円を超えるので手が出ないかもしれませんが、旧版(第五版以前のもの)なら古本屋で300円ぐらいで手に入りますので経済的な負担もほぼゼロと言っていいぐらいです(※憲法は改正されていないので内容はほぼ新版と変わりません)。

ですから、政治家に騙されたくないと思うのであれば、基本書の1冊ぐらいは読むべきでしょう。

(※基本書に書いてあることを無批判に全部信じろ、と言っているわけではありません。基本書を読んで何が正しいのかを自分の頭で考えろ、と言っているだけです。)

そういう努力を怠ったまま、テレビの討論番組や国会中継で垂れ流す「(自称)知識人」や「政治家」や「タレント」らの意見だけを鵜呑みにし、無批判にその主張を信じたまま国民投票に一票を投じることは、あまりにも危険であまりにも愚かな行為といえます。

つまり、何が言いたいかと言うと、テレビの討論番組や国会中継を見ただけで「憲法を理解した」と思い込んでいるような憲法道程は、非公式の性教育教材に出演する俳優の演技だけが正しいプレイだと無批判に信じ込み、実際の現場で指をガシガシ突っ込んで女性の体に傷をつけている道程とまったく同じなんだよ、ということを言いたいわけです。