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授業料無償化からの朝鮮学校の排除が民族同化政策につながる理由

高等学校の授業料を無償化する制度の適用において、朝鮮学校がその適用対象から除外され、そこに通う在日朝鮮人の子どもだけが授業料無償化制度によって支給されるはずの就学支援金を受給できない状況が今なお続いています。

この問題では、高校無償化法の趣旨や目的とは全く関係のない朝鮮総連との関係性(不当な支配)や拉致問題の進展がないことなど外交上の問題を理由として、国が高校無償化制度の支給要件を規定した施行規則1条1項2号から「ハ」を削除し、手続上の体裁を整えたうえで朝鮮学校だけを授業料無償化制度から排除した点の違法性が議論されていますが(※詳細は→朝鮮学校における高校授業料の無償化裁判の経緯と概要)、問題はその外形的な違法性だけに留まるものではありません。

なぜなら、この朝鮮学校だけを狙い撃ちにしてそこに通う在日朝鮮人の子どもだけを授業料無償化制度から排除する国の処分は、国(政府)にその意図がなかったとしても、結果的に民族同化のための一手段として機能してしまっている側面が見受けられるからです。

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授業料無償化制度によって支給される就学支援金は憲法26条で保障される「教育を受ける権利」の要請を受けたもの

朝鮮学校における高校授業料の無償化裁判の経緯と概要』のページでも解説したように、今起きている朝鮮学校の高校授業料無償化制度からの適用排除の問題では、国(政府)が拉致問題や朝鮮総連との関係性という、高校無償化法(※正式名称は「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律」)の趣旨・目的とは全く関係のない理由で朝鮮学校だけを無償化制度の適用対象から排除したことによって、在日朝鮮人の子どもだけが国(※実際に支給するのは自治体)から支給されるべき就学支援金を受領できなくなっていることの違法性が議論されています。

ではなぜ、その在日朝鮮人の子どもが就学支援金を受領できなくなることが問題になるかというと、それは授業料無償化制度によって支給される就学支援金が、憲法26条の「教育を受ける権利」から派生される「学習権(教育権)」を保障する要請に基づくものと言えるからです。

【日本国憲法第26条第1項】

すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

すべての国民(子ども)には、「教育を受けて学習し人間的に発達・成長していく権利」という意味での「学習権(教育家)」が憲法で保障されていると考えられていますが、その実現のためにはすべての国民が経済的な格差なく均等に教育を受けられる機会が保障されなければなりません。

そのための手段が社会保障であり、この授業料無償化制度によって支給される就学支援金であるわけです。

にもかかわらず、今回の問題では、在日朝鮮人の子どもが通う朝鮮学校だけがその指定対象から排除され、その結果として在日朝鮮人の子どもだけが就学支援金という社会保障を受けられる権利が取り上げられてしまいました。

このような事情があることから、今回の問題では在日朝鮮人の子どもの「教育を受ける権利」の侵害、あるいは「学習権(教育権)」の侵害が議論されることになるのです。

在日朝鮮人が朝鮮民族としての教育を受ける権利も憲法で保障される

このように、高校授業料無償化制度によって国(※実際に支給するのは自治体)から支給される就学支援金は、憲法26条で保障される「教育を受ける権利」あるいは「学習権(教育権)」から要請されるものであり、その「就学支援金を受給する権利」は憲法の人権として保障されるべきものといえます。

では、ここでいう「教育」とは具体的に何なのでしょうか。日本人の教師が教鞭をとる学校、あるいは日本民族の立場から評価・解釈した歴史を教える一般の学校(学校教育法第一条に含まれるいわゆる「一条校」)が行う教育だけが憲法26条の「教育」として保障されるのでしょうか。

もちろん、そうではありません。なぜなら日本国憲法では個人の「幸福追求権(憲法13条)」や「思想・良心の自由(憲法19条)」を保障しているだけでなく、国際協調主義を採用し日本国籍を有していない外国人にも人権を保障しているからです。

幸福追求権(憲法13条)の内容は「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする総体(人格的利益説)」をいうと解釈されますが、教育が個人の人格形成に不可欠な性質を持つことを考えれば、個人がどのような思想・立場から歴史や国家体制、歴代の指導者等を学び評価するかの選択も幸福追求権の一つとして保障されるべきものといえます。

 【日本国憲法13条】

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

また、憲法19条が「思想・良心の自由」を保障していることを考えれば、その個人がどのような世界観や主義、主張に基づく教育を受けて人格形成するか選択する自由も認められるべきといえるでしょう。

【日本国憲法19条】

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

さらに、憲法前文が「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と宣言し国際協調主義を明示していることに加えて、『憲法の人権は日本国籍を持たない外国人にも保障されるか』のページでも説明したように、憲法で保障される人権は日本国籍を有していない外国人にも保障されるわけですから、日本に居住する外国人がその由来する国や民族としての教育を受ける環境は最大限に保障されるべきものといえます。

そうであれば、憲法26条の「教育を受ける権利」や「学習権(教育権)」として保障される「教育」の内容は、日本人の立場から解釈・評価したものだけでなく、日本に居住する外国人の立場から解釈・評価したものであっても、憲法26条で保障される「教育」の内容として当然に保障されると考えなければなりません。

つまり、日本国籍を有していない在日朝鮮人が、日本民族の立場ではなく、朝鮮民族としての立場から自国(北朝鮮)の歴史学び、自国の国家概念や歴代の指導者について教育を受ける権利についても、憲法26条の「教育を受ける権利」や「学習権(教育権)」として憲法で保障されていると言えるのです。

朝鮮学校が授業料無償化制度から排除されれば在日朝鮮人の「朝鮮民族としての教育を受ける権利」が奪われてしまう

このように、日本国憲法の理念や憲法26条の「教育を受ける権利」や「学習権(教育権)」、13条の「幸福追求権」や19条の「思想・良心の自由」などの人権規定から考えれば、在日朝鮮人が朝鮮学校において朝鮮民族の立場から自国(北朝鮮)の歴史学び、自国の国家概念や歴代の指導者について教育を受ける権利も憲法で保障されているといえます。

にもかかわらず、この国の政府は、その憲法上の要請を無視して高校無償化法の趣旨や目的とは全く関係のない拉致問題や朝鮮総連との関係性(不当な支配)を理由に高校無償化法の施行規則1条1項2号から「ハ」を削除して朝鮮学校をその指定対象から排除してしまいました。

朝鮮学校が授業料無償化制度から排除されてしまえば、在日朝鮮人の生徒(子ども)は朝鮮学校で朝鮮民族としての教育を受けることが事実上、困難になってしまいます。在日朝鮮人の生徒(子ども)が朝鮮学校で朝鮮民族として教育を受けるためには、本来であれば無償化制度の適用によって支払う必要のない授業料を支払わなければならなくなってしまうからです。

だからこそ、この朝鮮学校が高校授業料無償化制度から排除された問題では、在日朝鮮人の生徒(子ども)の「教育を受ける権利」や「学習権(教育権)」が侵害されたものとして人権保障の問題が議論されているのです。

(1)「授業料を払えば朝鮮民族としての教育は受けられる」は通らない

この点、「授業料を払えば朝鮮学校で朝鮮民族としての教育は受けられるんだから在日朝鮮人が朝鮮民族として教育を受ける権利を侵害していない」という意見をいう人もいますが、はたしてそうでしょうか。

たしかに、国(政府)は朝鮮学校を授業料無償化制度から排除しただけであり、朝鮮学校の授業自体を禁止しているわけではありませんから、在日朝鮮人の子どもが「授業料を払ってでも朝鮮民族としての教育を受けたい」と思うのであればそれも可能です。

しかしそれは、無償で高校の授業が受けられている日本人と比較して教育にかけられる資金が相対的に少なくなることを意味しますから、一般的な高等学校に通う学生との学力の均衡を考えれば、在日朝鮮人の生徒(子ども)たちは、よほど親に経済的な余裕がない限り朝鮮学校で朝鮮民族としての教育を受けることをあきらめて、一般の高等学校で日本人と同じ教育を受けるしかなくなってしまうでしょう。

ですから、たとえ朝鮮学校の教育自体が禁止されていないとしても、朝鮮学校が授業料無償化制度から排除されれば、在日朝鮮人の生徒(子ども)は「朝鮮民族としての教育を受ける権利」が奪われてしまうことになるのです。

(2)「朝鮮学校の教育自体が禁止されたわけじゃない」も通らない

また、「朝鮮学校の教育自体が禁止されたわけじゃないから朝鮮民族としての教育を受けられる権利を侵害したことにはならない」という意見をいう人もいますが、そうは思えません。

確かに国(政府)は、朝鮮学校を授業料無償化制度から排除しただけで朝鮮学校における朝鮮民族としての教育自体は禁止していませんから、朝鮮学校が朝鮮民族としての教育を行うことは可能ですし、在日朝鮮人がその教育を受けることも不可能ではないでしょう。

しかし、先ほど説明したように、日本人との学力の格差を防ぐことを考えれば、在日朝鮮人の子どもは朝鮮学校に通うことをあきらめて日本人が通う一般の高校に進学することを間接的に強制されてしまいます。

かといって、朝鮮学校側が授業料を無償で提供すれば学校の経営が成り立ちませんから、朝鮮学校としては朝鮮民族としての教育を継続する限り授業料の納付を求めざるを得ず、結果的に在日朝鮮人社会における「朝鮮学校離れ」が顕著になってしまうのは避けられないでしょう。

在日朝鮮人の生徒が減少し、朝鮮学校の経営が成り立たなくなれば、経済的な余裕のある在日朝鮮人であっても朝鮮学校で朝鮮民族としての教育が受けられなくなるわけですから、朝鮮学校における朝鮮民族としての教育自体が制限されていないとしても、国(政府)が朝鮮学校を授業料無償化制度から排除することによって、在日朝鮮人が朝鮮民族としての教育を受ける権利が侵害されてしまうことになると言えるのです。

(3)「韓国学校に通えばいい」も通らない

なお、稀に「日本人の一般の高校でなくても在日韓国人が通う韓国学校だって高校無償化法の適用を受けてるんだから朝鮮学校じゃなくて韓国学校に通えばいいじゃないか」という意見を主張している人もいるようですが、そのような屁理屈は通りません。

なぜなら、北朝鮮と韓国の国民がそれぞれ朝鮮民族という同一民族に由来するものであったとしても、朝鮮戦争以降は南北に分断されそれぞれ別個の国家として指導者や国家概念を異にしているからです。

先ほど述べたように、日本国憲法の理念や憲法26条の「教育を受ける権利」や「学習権(教育権)」、13条の「幸福追求権」や19条の「思想・良心の自由」などの人権規定は、本来的に在日朝鮮人が朝鮮学校において朝鮮民族の立場から自国(北朝鮮)の歴史学び、自国の国家概念や歴代の指導者について教育を受ける権利を保障しているものと考えられています。

そうであれば、北朝鮮に由来を持つ在日朝鮮人が韓国学校における大韓民国の立場からの教育ではなく、朝鮮学校における北朝鮮の立場からの教育を受けて成長する機会は保障されなければならないのは当然でしょう。

在日朝鮮人を授業料無償化制度から排除するという方法を用いて韓国学校に誘導してしまえば、在日朝鮮人は北朝鮮の立場から自国の歴史や歴代の指導者、その国家概念を学ぶことができなくなり、北朝鮮に由来する民族として成長する機会を失うことになってしまいます。

ですから、韓国と北朝鮮が同じ朝鮮民族に由来することを考えたとしても、在日朝鮮人に対する「韓国学校に通えば良い」などと言う主張は通らないと言えるのです。

授業料無償化からの朝鮮学校の排除が民族同化政策につながる理由

以上で説明したように、朝鮮学校を授業料無償化制度から排除した国(政府)の処分は、「朝鮮学校に通う在日朝鮮人だけが就学支援金を受領できない」という状況を作り出すことによって、在日朝鮮人に保障される「朝鮮民族としての教育を受ける権利」という人権を侵害しているだけでなく、その「朝鮮民族としての教育」を実現するために不可欠な存在である朝鮮学校自体も、財政的に圧迫し経営を困難にすることによって、その存在を危うくさせているということができます。

このような状況がこのまま続けば、朝鮮学校以外の高校に通う生徒との学力の格差をなくすため、朝鮮学校に通う在日朝鮮人の子どもがますます減少してしまうのは避けられません。

また、朝鮮学校自体の存続も事実上困難になりますから、朝鮮民族としての教育を行う教育機関自体も減少していく方向に進むでしょう。

仮にそうなれば、日本社会から朝鮮民族としての教育を受けた在日朝鮮人、つまり朝鮮人としてのアイデンティティをもった在日朝鮮人は限りなくいなくなってしまうのではないでしょうか。

在日朝鮮人が朝鮮民族としての教育を受けることを諦めて日本人の通う高校に進学すれば、朝鮮民族の立場からではなく、日本人の立場から解釈・評価した自国(北朝鮮)の歴史や自国の国家概念、歴代の指導者について学ぶ機会しか与えられません。

また、朝鮮民族としての教育を行う朝鮮学校自体の存続が危うくなれば、仮に本人が望んでも朝鮮民族としての教育を受けられる場がなくなってしまいますから、在日朝鮮人はその本人が望むか望まないかにかかわらず、日本人の立場に立った教育しか受けられなくなってしまうでしょう。

これは、在日朝鮮人を教育という手段を用いて「日本人化」させている、あるいは日本から朝鮮民族を消滅させる方向に社会が進行してしまっているということになりはしないでしょうか。

もちろん国(政府)は、拉致問題や核・ミサイル問題などの制裁の一環として朝鮮学校を授業料無償化制度から排除しただけでしょうから(※詳細は→朝鮮学校における高校授業料の無償化裁判の経緯と概要)、在日朝鮮人の子どもに日本人としての教育を行って「日本人」にしてしまう意図をもって朝鮮学校を授業料無償化制度から排除したということはないと思います。

しかし、朝鮮学校を授業料無償化制度から排除することによって、在日朝鮮人の子どもは朝鮮学校に通うことが事実上困難になり、朝鮮学校以外の高校に通学せざるを得なくなっている状況が現実にあるわけですから、在日朝鮮人社会における「日本人化」あるいは「非朝鮮民族化」は避けられない現実として顕在化してしまっているのは事実でしょう。

そうであれば、国(政府)が朝鮮学校を授業料無償化制度から排除したことが、間接的に朝鮮民族を日本社会からなくしてしまう方向で作用してしまっているという点において、民族同化政策と同じ効果を生じさせてしまっているということは考える必要があるのではないでしょうか。

政府の行為の責任は国民にある

外国人学校の存在する意義は、その学校に通う外国人がその由来する国の歴史や文化に基づくアイデンティティを形成し、その民族としての人格形成に寄与する点にもあるわけですから、たとえ「就学支援金を支給しない」という間接的な方法であっても、その民族的教育を事実上困難にするような政策はとるべきではありません。

もし国(政府)が今後も朝鮮学校を授業料無償化制度から排除し続ける場合には、国(政府)にその意図がなかったとしても、将来世代の日本国民が「あれは民族同化政策として行われたのではなかったのか?」とあらぬ疑いをかけられてしまう危険性があることは十分に認識すべきではないでしょうか。

もちろんそれは、政府だけでなくすべての国民にも言えることです。朝鮮学校を授業料無償化制度から排除したのは政府ですが、その政府を選択したのは参政権を持つ我々日本国民です。

今現実に在日朝鮮人という一つの民族がこの日本において存亡の危機に立たされているのは事実なのですから、その事の重大さはすべての国民が十分に認識してしかるべきであろうと思うのです。