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朝鮮学校の授業料無償化が憲法89条で違憲とならない理由

朝鮮学校の高校授業料無償化に反対する人の中に「朝鮮学校に対して公金を支出すること自体が憲法89条に違反しているだろ!」というようなことを言う人がいます。

現行憲法の89条では、「公金(つまり税金)」を「公の支配に属しない教育事業」に支出することを禁止していますが、朝鮮学校が学校教育法第1条のいわゆる「一条校」に含まれない「各種学校」に位置づけられることを考えれば、一見すると国や県市区町村等の自治体など「公の支配」に属していないと見受けられる朝鮮学校に国民の税金を財源とする就学支援金を支給することが憲法に違反するようにも思えてしまうのでしょう。

【日本国憲法第89条】

公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

【学校教育法第1条】

この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする。

しかし、たとえば大阪朝鮮学校における高校授業料無償化訴訟などでは、高校無償化法(※正式名称は「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律」)の適用によって行われる就学支援金の支給自体は合憲であることが前提の上で裁判が進められています。

ではなぜ、朝鮮学校に高校授業料無償化の制度を適用して就学支援金を支給することは憲法89条に抵触し憲法違反ということにならないのでしょうか。

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朝鮮学校に高校授業料無償化制度を適用し就学支援金を支給しても憲法89条で違憲とならない理由

このように、憲法第89条では「公金(つまり税金)」を「公の支配に属しない教育事業」に支出することを禁止していますから、朝鮮学校が学校教育法第1条のいわゆる「一条校」に含まれない「各種学校」に位置づけられていることを考えれば、憲法89条のいう「公の支配に属する教育事業」を「学校教育法第1条に含まれる学校」と解釈する限り、それに含まれない朝鮮学校に対して高校無償化法に基づく就学支援金を支給すること自体が違憲のようにも思えます。

しかし、実際には朝鮮学校に高校無償化法に基づく就学支援金を支給すること自体は憲法89条の問題とはなりません。

なぜかというと、端的に言って高校無償化法の適用によって支給される就学支援金は、その朝鮮学校という「学校」ではなく、その学校に通う生徒(朝鮮学校に通う在日朝鮮人の生徒(こども))という「個人」に支給されるものだからです。

(1)朝鮮学校は受給権者である生徒(子ども)の「代理受領」として就学支援金を受け取る存在にすぎない

高校無償化法の第6条では、高校無償化法の適用を受けることで支給される就学支援金は「受給権者」に支給されるものと規定されていますが、その「受給権者」となるのは「学校」ではなく、あくまでもその支給される就学支援金を受給する権利を有している「生徒(子ども)」です。

【高校無償化法第6条1項】

(就学支援金の支給)
都道府県知事(中略)は、受給権者に対し、就学支援金を支給する。

この点、その就学支援金について実際に国(※実際に給付事業を履行するのは都道府県知事)から交付を受けることになる学校との関係性が問題となりますが、学校は単にその受給権者である生徒(子ども)の「代理受領」として受け取っているにすぎません(高校無償化法第7条)。

【高校無償化法第7条】

(代理受領等)
支給対象高等学校等の設置者は、受給権者に代わって就学支援金を受領し、その有する当該受給権者の授業料に係る債権の弁済に充てるものとする。

就学支援金をその受給権者である個々の生徒(子ども)に直接支給することにしてしまうと、事務手続きが煩雑になり給付に係る経費がかさんでしまいます。また、経済的な余裕がなかったり親に問題のある家庭では支給された就学支援金を親が使い込んでしまうことで子の就学が妨げられてしまう懸念も生じてしまうでしょう。

そのため、事務手続きの簡素化と経費(税負担)の削減、またその受給権者である子ども(生徒)の保護を図る趣旨から便宜上の措置として、学校に一括して支給することにしているのです。

つまり、高校無償化法の適用によって都道府県知事から支給される就学支援金を実際に受け取っている学校はあくまでも制度的な便宜上、本来の受給権者である生徒(子ども)に「代わって」受け取っているだけであり、その都道府県知事から支給された就学支援金を本来であれば生徒(子ども)に請求すべき授業料に充当して受給権者である生徒(子ども)の授業料相当額と清算しているだけなのです。

高校無償化法の適用によって支給される就学支援金を受給する権利を有している「受給権者」が「生徒(在日朝鮮人の子ども)」になるのであれば、仮にそれを「朝鮮学校」が代理して受領しても、都道府県知事からその朝鮮学校に対して就学支援金という「公金」が支給されているわけではありませんから、朝鮮学校が憲法89条の「公の支配」に属しているかいないかにかかわらず、憲法89条の違憲性の問題は生じ得ません。

憲法89条は、公の支配に属しない教育事業に「公金を支出すること」を制限していますが、その教育事業に「公金の受給権者である個人に代わって代理で受領させること」までを制限するものではないからです。

もちろん、その受給権者である生徒(子ども)という「個人」も憲法89条の「教育事業」の主体ではありませんから在日朝鮮人の生徒(子ども)に就学支援金が支給されることについても憲法89条の違憲性が問題になる余地はありません。

ですから、朝鮮学校に高校無償化制度を適用して都道府県知事から就学支援金の支給がなされたとしても、憲法89条で違憲という結論は導かれないのです。

※なお、「日本国籍のない在日朝鮮人に就学支援金を支給することが違憲だ」いう意見があるかもしれませんが、憲法では国籍のない外国人にも人権は保障されますので就学支援金が社会権として人権的性質を持っていることから考えて、そのような意見は失当といえます。

(2)朝鮮学校の授業料無償化訴訟で議論されているのは憲法89条の「公の支配」ではなく教育基本法16条の「不当な支配」の問題

なお、朝鮮学校の授業料無償化に反対している方々の一部は、朝鮮学校の無償化に関する裁判において、朝鮮学校に対する朝鮮総連の「不当な支配」について議論されていることから、その「不当な支配」と憲法89条の「公の支配」を関連付けることで憲法89条の違憲性を論じていますが、そもそも今回の朝鮮学校で議論されている「不当な支配」の問題は憲法89条の「公の支配」とは全く関係がありません。

今回の裁判で「不当な支配」が議論されているのは、憲法89条の「公の支配」ではなく、教育基本法の第16条1項で規定された「不当な支配」の問題だからです。

【教育基本法第16条1項】

教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。

高校無償化法は、その授業料無償化の適用対象となる外国人学校等の「各種学校」の指定について、その第2条5号で「高等学校の課程に類する課程を置くものとして文部科学省令で定めるもの」として省令(施行規則)にその指定基準を委任していますが、その施行規則の第1条1項2号では、その指定を「文部科学大臣の指定」に再委任しています(※この点については『朝鮮学校における高校授業料の無償化裁判の経緯と概要』のページで詳しく解説しています)。

そして、その「文部科学大臣の指定」の基準は「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則第一条第一項第二号ハの規定に基づく指定に関する規程(平成二十二年十一月五日文部科学大臣決定)」として定められていましたが(※ただし現在は「施行規則1条1項2号ハ」は削除されています)、この規定の第13条では、高校無償化法の適用を受ける外国人学校等の各種学校について「法令に基づく学校の運営が適正に行われること」が要件として規定されていました。

【高校無償化法施行規則1条1項2号ハの指定に関する規定13条】

(適正な学校運営)
前条に規定するもののほか、指定教育施設は、高等学校等就学支援金の授業料に係る債権の弁済への確実な充当など法令に基づく学校の運営を適正に行わなければならない。

この点、その規定13条に「など法令に…」と規定されていることを考えれば、教育基本法も法令の一つである以上、その「など法令に…」の中の”法令”に含まれると解されますが、先ほど挙げたように教育基本法16条では「不当な支配」に服してはならないことを要請していますから、仮に朝鮮学校が朝鮮総連や北朝鮮政府の「不当な支配」の影響を受けているとすれば、その「不当な支配」の存在を理由に文部科学大臣が裁量によって朝鮮学校を無償化の指定から除外することも理屈としては一概に否定できないことになってしまいます。

そのため、今回の朝鮮学校の授業料無償化の裁判では、文部科学大臣が朝鮮学校の「不当な支配」の有無を理由に裁量権を行使することが認められるのか、という問題が一つの論点として議論されているわけです。

もっとも、この朝鮮学校の授業料無償化訴訟の原審(大阪地裁:平成29年7月28日)では、「裁量的判断を通じて教育に対する行政権力による過度の介入を容認することになりかねない」との理由で、教育基本法16条1項の「不当な支配」の有無について文部科学大臣に裁量権はないと判断されています(高等学校等就学支援金支給校指定義務付等請求事件(大阪地裁:平成29年7月28日)|裁判所判例検索83~84頁参照)。

ですから、朝鮮学校の授業料無償化の問題で「不当な支配」が議論されているのは、教育基本法16条の「不当な支配」の観点から議論されているだけであり、憲法89条のいう「公の支配」の問題とは全く論点が異なりますので、そもそも憲法89条の違憲性の問題は生じないのです。

この点を混同し朝鮮学校に通う在日朝鮮人の生徒(子ども)を差別して就学支援金を受給させないようにするために、ことさらにこの朝鮮学校の授業料無償化の問題を憲法89条の議論に歪曲化させようとしている人がいますので、その点を誤解しないようにしなければなりません。

(3)朝鮮学校への「補助金交付」とは全く別の問題

なお、朝鮮学校の授業料無償化に反対する差別主義的思想をお持ちの方たちだけでなく、無償化に賛成する人達の中にも、この高校授業料無償化制度によって支給される就学支援金を自治体から「学校」に対して交付される「補助金」と混同し、「朝鮮学校が憲法89条の”公の支配”に服するか否か」という論点で議論している人がいますが、前述したように高校無償化法によって支給される就学支援金は「学校」に支給されるものではなく生徒「個人」に支給されるものですので、この高校無償化法における就学支援金の問題では「憲法89条の”公の支配”」は全く議論になりません。

自治体から朝鮮学校に対して交付される「補助金」は受給権者が朝鮮学校という「学校」になりますので、その朝鮮学校という教育事業主体が憲法89条にいう「公の支配」に属しているか否かという点が論点として成立しますが、高校無償化法の適用によって支給される「就学支援金」は先ほど説明したようにそれを受け取る朝鮮学校は代理受領しているにすぎず受給権者は「生徒個人」となりますので、憲法89条の「公の支配」の有無は論点として成立しないからです。

朝鮮学校の授業料無償化に賛成する人の中に、「過去の判例・先例で朝鮮学校は憲法89条にいう”公の支配”に服していると判断されているから自治体から交付される補助金は憲法89条で違憲とはならない」という朝鮮学校への「補助金」の交付を憲法上合憲と判断した自治体の処分(※例えば→監査結果(千葉朝鮮学園への補助金の返還請求等を求める請求)/千葉県)等を根拠にして「朝鮮学校には憲法89条の”公の支配”が及んでいるから朝鮮学校への高校無償化法による就学支援金の支給は憲法89条に違反しない」と反論している人がいますが、高校無償化法の適用に関して論点として成立しない「憲法89条の”公の支配”うんぬん」に話が逸れてしまうと議論がややこしくなるだけなのでやめた方がよいのではないかと思います。

朝鮮学校という「学校」に交付される「補助金」が憲法89条に違反しないと結論付けられたそれらの自治体の処分は、朝鮮学校への高校無償化法の適用によって「個人」に支給される就学支援金の問題とは全く話が異なり議論になりませんので誤解しないようにしてください。

仮に就学支援金の「受給権者が朝鮮学校」であったとしても、必ずしも憲法89条に違反するものではない

このように、高校授業料無償化制度によって支給される就学支援金はあくまでもその受給権者である「生徒(子ども)」に支給されるものであり、その支給を受ける学校はあくまでも「代理受領」しているにとどまりますので、いわゆる「1条校」に該当しない「各種学校」の扱いを受ける朝鮮学校が高校授業料無償化制度に基づく就学支援金を受領したとしても、憲法89条の違憲性は全く問題になりません。

もっとも、仮にその就学支援金の受給権者が「生徒(子ども)」ではなく「朝鮮学校」であったとしても、必ずしも憲法89条の違憲性の問題を生じさせるわけではありません。

なぜなら、憲法89条の「公の支配」に属するか否かは、「学校教育法第1条に該当するか否か」といった点で判断されるわけではなく、「国または地方公共団体の一定の監督が及んでいることをもって足りる」と解釈されているからです(芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法(第6版)」岩波書店354~355頁参照)。

憲法89条が「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業」に対して公金等の支出を制限している趣旨については

①「私的な事業への公権力の支配が及ぶことを防止するため」(※いわゆる「金を出すから口も出す」ことを防ぐためということ)

と考える学説(自主性確保説)と

②「公の財産の濫費を防止し、慈善事業等の営利的傾向ないし公権力に対する依存性を排除するため」(※税金の無駄遣いを防止して慈善事業等が営利目的に利用されないようにまた公金に依存しないようにするためということ)

と考える学説(公費濫用防止説)に解釈が分かれますが、憲法学上では②の公費濫用防止説で一般的に妥当とされています。

この点②の説で憲法89条の「公の支配に属する」を解釈した場合には、その「公の支配」のために事業の予算や人事に関与するなどその事業の根本的方向に重大な影響を及ぼすことのできる権力を有することまでは必要とされず、「国または地方公共団体の一定の監督が及んでいる」程度の緩やかな支配があれば、「公の支配」として足りるものと考えられています。

憲法89条の「公の支配」がそのような緩やかな支配で足りるのであれば、仮に高校無償化の適用によって支給される就学支援金の受給権者が「生徒(子ども)」ではなく「朝鮮学校」であったとしても、監督権限をもつ国や地方公共団体に対して高校無償化法等の法令によって「業務や会計の状況に関し報告を徴したり、予算について必要な変更をすべき旨を勧告する程度の監督権(前掲「憲法(第6版)」355頁参照)」が与えられてさえすれば、その就学支援金の支給を受ける朝鮮学校は憲法89条の「公の支配に属している」ということができます。

ですから、あくまでも仮定の話ですが、仮にその就学支援金の受給権者が「生徒(子ども)」ではなく「朝鮮学校」であったとしても、高校無償化法等の法律で自治体等の緩やかな監督権の支配に属している状況にあれば、必ずしも憲法89条の違憲性の問題を生じさせるものではないということが言えるのです。

ちなみに、差別主義的思考をお持ちの一部の勢力が朝鮮学校に補助金を交付した日本各地の自治体に対して住民訴訟や監査請求を行っているようですが、それらの裁判・監査請求においては朝鮮学校に国や自治体による一定の監督権限が及んでいることを理由に「朝鮮学校は憲法89条の”公の支配”に属している」と判断されており、ことごとくそれら差別主義的思考をお持ちの方々の主張は退けられていますので、朝鮮学校に「憲法89条の”公の支配”が及んでいる」ことは過去の判例・裁判例・先例上も明らかと言えます。

※参考

朝鮮学校の高校無償化の問題は憲法89条の問題ではなく人権侵害や人種差別・民族差別という重大な人権問題

以上で説明したように、朝鮮学校の高校無償化制度の適用可否に関する問題に関して朝鮮学校がいわゆる「非1条校」であることからなされる「朝鮮学校に高校無償化制度による就学支援金を支給すること自体が憲法89条に反して違憲だ!」という主張は、憲法の条文というよりも単に高校無償化法の条文の無理解から生じる憲法論として議論する価値のないものといえますから、本来はこのような記事を書くだけ時間の無駄です。

ではなぜこのような記事を書いているかというと、朝鮮学校に通う在日朝鮮人の生徒(子ども)に就学支援金を支給することに反対する方々が議論に値しない憲法89条を持ち出して自己の主張を正当化しようとする記事やツイートがあまりにも多いからです。

例えば

  • https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11135508471
  • https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13131863363

このサイトでは憲法を学んだことのない人のことを「憲法道程」と呼んでいますが、憲法道程の方が「朝鮮学校に就学支援金を支給するのは憲法89条に反して違憲だ!」という内容の記事やツイートを読んでしまうとその主張を無意識的に刷り込まれてしまい、自身が知らぬ間に人種・民族差別的思考に洗脳されてしまう危険性があります。

しかし、朝鮮学校の高校授業料無償化の問題は、そこに通う在日朝鮮人の生徒(子ども)が受給する就学支援金の問題であり、それが受けられないことによって生じる「教育を受ける権利(憲法26条)」や「学習権(教育権)」にかかる人権侵害、また憲法上人権保障が受けられるはずの在日朝鮮人が日本国から税を徴収されているにもかかわらず日本人と差別されて国の社会保障から排除されているという「法の下の平等(憲法14条)」にかかる人種差別・民族差別の問題です(※詳細は→朝鮮学校を高校無償化から排除することが人種差別となる理由)。

※朝鮮学校の無償化適用排除の問題における「教育を受ける権利(憲法26条)」や「学習権(教育権)」の論点については以下のページで詳しく論じています。

もし仮にその事の重大性に気付かずに、レイシスト的思考に侵されて朝鮮学校の高校授業料無償化の問題を憲法89条の問題として歪曲化して理解してしまえば、ヘイトスピーチに加担している自覚がないままにその主張をSNSで拡散することで自分自身が人種差別・民族差別主義者としての烙印を押されてしまわないとも限りません。

だからこそ、その重要性を十分に認識して、ネット上に溢れるレイシスト的思考に侵されないように、国民一人一人が憲法の専門書を読むなどして憲法を正しく理解できるように努力する必要があるのです。

もしその努力を怠り、人種差別・民族差別主義的思考に侵されてしまった場合には、この国は在日朝鮮人やマイノリティーとして暮らす方々の人権を平気で蔑ろにするクソだらけの国に成り下がってしまうことは十分に意識しておかなければなりません。