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憲法9条を改正して自衛隊を明記するだけで核武装できる理由

自民党と今の政権は憲法9条の改正に躍起になっていますので、遅かれ早かれ憲法改正草案が国会に提出されるのは間違いないでしょう。

仮にそうなった場合、その改正の具体的な内容が問題となりますが、最終的には憲法9条に「自衛隊」を明記するだけの改正案で妥協してくるのではないかと予想されます。

自民党は自党のウェブサイトにアップロードしている憲法改正草案(日本国憲法改正草案(平成24年4月27日(決定))|自由民主党憲法改正推進本部)でも公開しているように、憲法9条に「国防軍」を明記する憲法改正を望んでいますが、「軍」を明記する改正案では明治憲法との類似性を想起されることで国民の反発を受けやすいからです。

この点、自衛隊は現行憲法でも運用されていますので「自衛隊」が憲法に明記されてもほとんどの国民は「現状と変わらない」と認識してしまいます。

「自衛隊」を明記する憲法改正案であれば国民投票を通過する可能性も十分に予想できるので、与党が「自衛隊」を明記する憲法改正案を提出する蓋然性はかなり高いと言えるのです。

ところで、仮に「自衛隊」を明記する憲法改正案が国民投票で承認された場合、憲法に自衛隊が明文の規定として置かれることになりますが、それによって自衛隊の戦力に大きな変化が生じ得ることはあまり認識されていないようです。

例えば、憲法に「自衛隊」を明記することによって、日本が核武装することも可能になるという点です。

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核武装・核兵器の保有が現行憲法で認められない理由

現行憲法で核兵器の保有が認められていないことについてはほとんどの人が疑いを持っていないと思いますが、その核兵器の保有が憲法上認められない理由を理論的に説明することができる人はそう多くありません。

法律になじみのない一般の人にとっては「核兵器の保有が認められない」という帰結は理解できても、それがどのような理屈によって帰結されるものなのか、その理論的なプロセスまでは理解していないからです。

この点、現行憲法で核兵器の保有や核武装が認められない根拠は、憲法9条の解釈論まで遡らないといけませんので、ここで念のため憲法9条の条文を挙げておくことにしましょう。

【日本国憲法9条】

第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

(1)通説的な見解に立って9条2項の”戦力”を解釈すれば自衛隊は違憲と言える

憲法9条は上記のように2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記されていますから、憲法は日本国という国家に対して「陸海空軍その他の戦力」の保持を禁止していることは明らかと言えます。

この点、この憲法9条2項にいう「陸海空軍その他の戦力」の「戦力」が何を指すのかという点には学説上の争いがありますが、通説的見解では「軍隊および有事の際にそれに転化しうる程度の実力部隊」であると解釈されています(※芦部信喜「憲法(第六版)」岩波書店60頁より引用)。

そして、このような通説的見解に立つ場合には、そこでいう「軍隊」の解釈は類似する「警察力」との違いとの関連において、「組織体の名称は何であれ、その人員、編成方法、装備、訓練、予算等の諸点から判断して、外敵の攻撃に対して国土を防衛するという目的にふさわしい内容を持った実力部隊(※芦部信喜「憲法(第六版)」岩波書店61頁より引用)」を指すものと説明されています。

このような通説的見解に従えば、自衛隊が核兵器を保有したり核武装することは許されません。核兵器は「外敵の攻撃に対して国土を防衛するという目的」をはるかに超えた装備に他ならないからです。

ですから、憲法の通説的見解に立てば、日本は核兵器を開発することも保有することもできませんし、もちろん核武装することもできないと言えます。

このような通説的な見解に立って考えた場合、今現実に存在する自衛隊がその「実力部隊」に該当するかという点が問題となりますが、自衛隊は日本の国土を外敵から防衛するために組織されていますので、自衛隊の戦力も当然、この「陸海空軍その他の戦力」にあたる、という解釈が導かれることになります。

自衛隊が「外敵の攻撃に対して国土を防衛するという目的にふさわしい内容を持った実力部隊」ではないと言うのなら、自衛隊の存在価値自体が否定されてしまうことになるからです。

つまり、憲法9条2項の「陸海空軍その他の戦力」を憲法学の通説的見解によって解釈する場合には、自衛隊は当然に「違憲」という帰結になるわけです。

(2)歴代の政府は自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」と説明することで自衛隊の違憲性を回避してきた

ではなぜ、自衛隊が現実に存在しているかというと、それは政府が憲法9条の下においても主権国家として固有の「自衛権」が認められていると解釈していて、その自衛権を行使するために必要な「自衛のための必要最小限度の実力」の保有は憲法9条の下でも認められていると説明してきたからです。

歴代の政府は、前述した通説的見解における9条2項の「戦力」の解釈に立った場合であっても、自衛隊は9条2項の「戦力」ではなく憲法9条が認めた自衛権を行使するための「必要最小限度の実力」に過ぎないとの見解に立ち自衛隊の組織と装備は憲法9条2項の「戦力」には該当せず憲法上違憲ではないと説明してきました。これが歴代の政府が取ってきた理屈です。

もちろん、自衛隊は戦闘機やイージス艦や戦車など世界でも有数の装備を保有しているわけですから、世界の常識からすればこの理屈は「屁理屈」でしかありません。

ですから、裁判になれば明らかに自衛隊の存在やその装備の保有は「違憲」判決が出るはずなのですが、裁判所は自衛隊の合憲性判断は統治行為にあたるので「一見明白に違憲といえる場合でない限り司法判断になじまない」という見解に立って意図的に自衛隊の違憲性の判断を避け続けていますし(長沼事件:札幌高裁昭和51年8月5日、最高裁昭和57年9月9日 :憲法判例百選Ⅱ有斐閣参照)、 歴代の政府が取ってきたその屁理屈もいちおう「筋」だけは通っているので自衛隊の装備の保有が「違憲ではない」として許されている(正確には国民が止めることができていない)わけです(※詳細は→憲法9条2項で放棄された「戦力」とは具体的に何なのか)。

ところで、このような政府の見解に従えば、自衛隊は核武装することも可能と言えます。政府は自衛隊を憲法9条2項の「陸海空軍その他の戦力」ではなく「必要最小限度の実力」と解釈していますが、その「自衛のための必要最小限度の実力」の範囲については「他国に侵略的な脅威を与えるような攻撃的武器」は保持できないと説明していますので、政府が「他国に侵略的な脅威を与えるような攻撃的なものにはあたらない」と判断すれば、核兵器の保有も認められることになるからです。

実際、かつての政府は小型の核兵器であれば保有することはできるという見解を取っていましたから(芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法(第6版)岩波書店63頁参照)、この自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」と説明して9条2項の違憲性を回避する理屈に立つ限り理論的には核兵器の保有は無制限に許容されてしまいます(※参考→日本が非核三原則を守り続けなければならない理由)。

しかし、政策的な判断として非核三原則を採用したので核兵器は持つことができないという立場を取っているのが今の政府の見解です (※参考→日本が非核三原則を守り続けなければならない理由) 。

もっとも、いずれにせよ先ほども述べたように、日本では核兵器の保有や核武装は一切認められていません。これが憲法上の通説的な見解です。

憲法9条を改正して自衛隊を明記するだけで核武装できる理由

このように、歴代の政府が取ってきた自衛隊の解釈では政策的な判断で非核三原則を破棄すれば核兵器の保有も認められますが、憲法学の通説的見解では現行憲法においては核兵器の保有や核武装は一切認められません。

では、もし仮に憲法が改正され憲法9条(またはその他の条文)に「自衛隊」が明記された場合、その核兵器の保有や核武装は一切認められないという通説的な見解における憲法解釈は具体的にどのような影響があるでしょうか。

この点、現在すでに存在している「自衛隊」が憲法に明記されるだけにすぎないことから、憲法解釈が変更されるはずがないと思っている人も多いかもしれませんが、そうはいきません。

憲法に自衛隊を明記する憲法改正案が「国民投票で承認された」という事実はとても重いので、憲法に「自衛隊」が明記されれば、通説的見解においても、その自衛隊が必要とする範囲で憲法9条2項の「陸海空軍その他の戦力」の保持を認めなければならなくなってしまうからです。

「自衛隊」が憲法に明記されれば、その憲法に明記された「自衛隊」の範囲内で国民が国家権力に対して「9条2項の戦力の保有とその行使の権限を与えた」ということになりますから、通説的な見解も、その憲法に明記された自衛隊の範囲で9条2項の「その他の戦力」の保有を認める方向で解釈を修正しなければならなくなってしまうでしょう。

すなわち、憲法に自衛隊が明記されれば、通説的見解が憲法9条2項の「戦力」の解釈として定義していた「外敵の攻撃に対して国土を防衛するという目的にふさわしい」装備の保有を、その憲法に明記された「自衛隊」に認めなければならなくなってしまうわけです。

仮にそうなれば、通説的な見解に立っても、憲法に明記された「自衛隊」に対しては「外敵の攻撃に対して国土を防衛するという目的にふさわしい内容を持った」兵器の保有を認めなければならないことになってしまうでしょう。

そうなれば、たとえば日本と軍事的に敵対する国が核兵器を保有している事実があった場合には、自衛隊の保有する憲法9条2項の「戦力」を「外敵の攻撃に対して国土を防衛するという目的にふさわしい」装備に改めることができることになりますが、核兵器に対抗しうる兵器は核兵器しかありませんので、先ほど説明した通説的見解に立ったとしても、結局は核兵器の保有や核武装を認めざるを得なくなってしまいます。

このように、憲法に「自衛隊」を明記すれば、現行憲法で自衛隊や核武装を「違憲」と判断する通説的な見解に立ったとしても、憲法論として核兵器の保有や核武装を認めざるを得なくなるという点で、憲法への自衛隊の明記は大きな影響を及ぼすものになるということが言えます。

憲法に自衛隊を明記するか否かの議論は、日本を核を持てる国にするかしないかの議論でもある

このように、憲法に自衛隊を明記する憲法改正案が国民投票で承認されれば、日本は「核を持つことができない国」から「核を持とうと思えば持つことができる国」に変更されることになります。

もちろん、憲法に自衛隊を明記しただけで政府がすぐに核武装にかじを切るということはないと思います。日本が核を保有すれば、韓国や台湾や東南アジア諸国まで核保有の論議が拡大し、世界全体のパワーバランスが崩れる危険性があるので既存の核保有国が認めるはずがないからです。

しかし憲法に自衛隊を明記することによって「核を持つことができない」国から「核を持とうと思えば持つことができる国」に変わってしまうことの重さは十分に認識しなければなりません。

法律になじみのない人にとって憲法に自衛隊を明記する「だけ」の憲法改正は、今ある自衛隊を憲法に明記するだけで「今と大して変わらない」という認識なのかもしれませんが、それは大きな間違いです。

自衛隊の装備や日本の安全保障だけでなく、世界の平和と秩序に大きな影響を与える危険性があることは十分に意識しなければならないと言えるのです。