自民党憲法改正案の問題点:第72条3項|国防軍が総理大臣の手中に

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憲法の改正に執拗に固執し続ける自民党が公開している憲法改正草案の問題点を一条ずつチェックしていくこのシリーズ。

今回は、改正案9条の2で創設される国防軍の最高指揮官を内閣総理大臣にすると規定した自民党憲法改正草案第72条3項の問題点を考えてみることにいたしましょう。

なお、第72条の第1項から2項までの問題点については『自民党憲法改正案の問題点:第72条1項|内閣の合議制を骨抜きに』のページで解説しています。

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国分軍の最高指揮権を内閣総理大臣に置いた自民党憲法改正草案第72条3項

前述したように、自民党憲法改正草案の第72条3項は、自民党憲法改正草案が第9条の2を新設することで創設する国防軍の最高指揮権を内閣総理大臣に付与するための条文が規定されています。

国防軍の指揮権を内閣総理大臣とする規定は改正案9条の2の第1項にも同様の条文がありますが、国防軍の規定(改正案第9条の2)だけでなく、内閣の章にも同様の規定を置くことで、国防軍の指揮権を明確にする趣旨でこうした条文を72条にも置いたものと思われます。

自民党憲法改正草案第9条の2第1項

我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

自民党憲法改正草案第72条3項

内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する。

※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成

このように、自民党憲法改正草案第72条は第3項を新設し、そこに国防軍の統括権を内閣総理大臣に置くことで、内閣総理大臣に国防軍の指揮権があることを明確にしています。では、こうした規定は具体的にどのような問題を惹起させるのでしょうか、検討してみましょう。

内閣の合議体ではなく総理大臣一個人に国防軍の指揮権を委ねることの危険性

この点、内閣総理大臣を国防軍の最高指揮官としてしまうことで生じる問題はいくつかあると思いますが、個人的には次のような問題が気になります。

(1)国防軍の指揮統括を一個人の判断に委ねることで軍の暴走を招く危険性

まず指摘できる問題は、軍の指揮が内閣総理大臣という一個人の判断に委ねられてしまうことで軍の暴走を招きやすくなる危険性です。

内閣総理大臣という一個人を国防軍の最高指揮権としてその指揮統括権を与えてしまえば、内閣総理大臣という一個人の判断で思うがままに軍を動かすこともできてしまうことになりますが、それでは個人の判断の過りや、一時の個人的な感情によって軍が動かされることで、かえって国民に危機をもたらす危険性も生じてしまうかもしれません。

しかし、仮にそうして客観的に明らかに誤った軍の指揮が認知できたとしても、憲法で国防軍の最高指揮権が内閣総理大臣に置かれている以上、もはや誰もそれを止めることはできません。その内閣総理大臣の「誤った軍の指揮を止めること」が、軍の最高指揮権を内閣総理大臣に与えた憲法第72条3項に違反することになるからです。

自民党憲法改正草案第72条3項の下では、たとえ内閣総理大臣の誤った判断で軍が動かされたとしても法的に誰もそれを止めることはできませんから、いったん内閣総理大臣が軍の指揮を決定すれば、軍の暴走に歯止めがかからなくなってしまうでしょう。

この点、軍の指揮権を内閣総理大臣という一個人でではなく内閣という合議体に委ねれば、合議体の冷静な議論を期待できるので、個人的な判断の誤りや激情に駆られて一時の感情で軍を動かすリスクを減らせるかもしれません。

軍の指揮統括権を「軍人」ではなく内閣総理大臣という「文民」に与えた点は文民統制の観点から評価できますが、軍の指揮権を内閣総理大臣という一個人の判断に委ねることがよいのか、それとも内閣という合議体に委ねる方が妥当なのか、十分な議論を重ねることが必要ではないかと思います。

(2)最高指揮官となった内閣総理大臣が軍人の傀儡となる危険性

また、軍の最高指揮官を内閣総理大臣とし国防軍の統括権を与える場合、その最高指揮官となった内閣総理大臣が軍の傀儡(操り人形)となる危険性も懸念されます。

憲法が内閣総理大臣に軍の最高指揮権を与えたとしても、内閣総理大臣は軍事に関しては素人ですから、その指揮権を発動するにしても、実際には国防軍の幕僚長なり幹部なり、軍事の専門家の意見を参考にしてその判断を下さなければなりません。

しかし、そうなると防衛省の幹部が内閣総理大臣に対して大きな影響力を持つようになりますから、法的には軍の最高指揮権が内閣総理大臣にあるとしても、事実上は国防省の軍人が政治にも大きな権力を持ってしまうことになるのではないでしょうか。

仮にそうなれば、それは戦前に政治に深く影響力を持った軍部に近づくような気がします。戦前の明治憲法(大日本帝国憲法)では軍を動かす統帥権は天皇に置かれていましたが、その天皇の統帥権を軍部が輔弼(補翼)の名の下に大きな影響力を持つことになり、最終的には「統帥権の独立」を理由に軍が天皇の統帥権を使って思うがままに軍を動かすことを正当化させたからです。

そうして軍の暴走を許容した憲法上の欠陥が、先の戦争の敗戦を招いた一因でもあったわけですが、自民党憲法改正草案第72条3項はそうした傀儡的な軍の暴走を招き入れてしまう余地を包含しているような気がします。

内閣総理大臣という一個人を国防軍の最高指揮官とし、その統括権を与えることは、天皇という一個人に軍の統帥権を置くことで軍の暴走を招いた先の戦争の失敗を繰り返す懸念を生じさせます。その点は十分な検討が必要ではないでしょうか。

(3)国会の民主的コントロールは機能するのか

この点、こうした軍の暴走を懸念する意見に対しては、改正案9条の2第2項で国防軍の任務遂行は「法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する」とされているのだから、内閣総理大臣や軍人によって暴走させられることはできないはずだ、という意見もあるかも知れません。

自民党憲法改正草案第9条の2第2項

国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。


※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成

しかし、改正案第9条の2第2項にそうした規定があったとしても、第72条3項で内閣総理大臣に軍の最高指揮権と統括権が与えられているのですから、その内閣総理大臣の権限を制限するような法律を制定することは改正案第72条3項に違反するものとして違憲性を帯びてしまうような気がします。

つまり、改正案第72条3項の下では、仮に改正案9条の2第2項に基づいて国防軍の任務遂行に国会その他の機関による統制を掛けるための法律を整備しようとしても、内閣総理大臣の権限を制限すること自体が改正案第72条3項に違反することになるので、結局は国防軍を「国会その他の統制に服」させることはできなくなるのではないかという懸念があるわけです。

この点、自民党が公開しているQ&Aは「法律に特別の規定がない場合には、閣議にかけないで国防軍を指揮することができます」と、法律の留保がない場合にだけ内閣総理大臣の独断による国防軍の指揮を認めていますが、法律を整備して内閣総理大臣の指揮に制限をかけることが改正案第72条3項に違反し違憲性を帯びてしまうとすれば、法律の留保を置くこと自体が違憲性を帯びてしまうので、結局は内閣総理大臣はあらゆるケースで閣議にかけないで国防軍を動かすことができるという解釈が成り立つことになってしまうでしょう。

仮に改正後の政府がそうした解釈をとるなら、改正案第9条の2第2項に「国会その他の統制に服する」との規定があったとしても、その9条の2第2項は事実上空文化してしまうので、国防軍の指揮統括は、内閣総理大臣一個人の判断だけに委ねられてしまうのではないでしょうか。

そうなれば、内閣総理大臣一個人の判断で国防軍を自由に動かすことが可能となる一方、それに歯どめをかけることは一切できませんから、内閣総理大臣という一個人が思うがままに軍を動かすことになり、国民の弾圧に使われてしまわないとも限りません。

しかしそれでは内閣総理大臣の独裁体制も実現されてしまうでしょう。

自民党憲法改正草案第9条の2第2項は国防軍が「国会その他の統制に服する」と規定していますが、改正案第72条3項が国防軍の最高指揮官を内閣総理大臣としその統括権を認めている以上、改正案第9条の2第2項が機能するのか甚だ疑問です。

内閣という合議体ではなく一個人の内閣総理大臣に国防軍の指揮統括権を集中させている改正案第72条3項は、内閣総理大臣一個人による恣意的な国防軍の指揮統括の危険性と表裏一体となりますので、その点は十分な議論が必要な気がします。

軍の指揮統括権をどこに置くかは慎重な議論が必要なもの

以上で指摘したように、自民党憲法改正草案第72条3項は内閣総理大臣を国防軍の最高指揮官としたうえでその統括権をも内閣総理大臣に置いていますが、そうした規定は内閣総理大臣による軍の恣意的な運用と軍の暴走を招く恐れがあるので危険性があると考えます。

私個人はそもそも憲法に国防軍の規定を置き軍隊を持つことに反対なので改正案第72条3項だけでなく改正案第9条の2にもそもそも反対ですが、仮に憲法に国防軍の規定を置くにしても、内閣総理大臣一人にその権限を集中させ、内閣総理大臣一個人が思うがままに軍を動かすことを許容するのではなく、国会のコントロールなどしっかりと民主的統制が機能する組織となるように国防軍に歯止めを掛けておくべきではないでしょうか。

それを怠るなら、軍部が強力な発言権を持って国民を抑圧した80年前の大日本帝国に容易に戻るような気がするような気がします。