憲法尊重擁護義務を無視して憲法改正に執拗に固執し続ける自民党が公開している憲法改正草案の問題点を一条ずつチェックしていくこのシリーズ。
今回は、財政健全化を明文化した自民党憲法改正草案第83条2項の問題点を考えてみることにいたしましょう。
財政健全化を明文化する条文を新設した自民党憲法改正案第83条2項
現行憲法の第83条は国の財政処理を国会の議決に基づかせる規定を置いていますが、自民党憲法改正草案の第83条は、その条文を引き継ぎながらも第2項を追加して財政健全化に関する条文を新設しています。
具体的にどのような条文が新設されているのか、条文を確認してみましょう。
【日本国憲法第83条】
国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
【自民党憲法改正草案第83条】
第1項 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて行使しなければならない。
第2項 財政の健全性は、法律の定めるところにより、確保されなければならない。
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
このように、自民党改正案は第2項に財政の健全性確保を国に義務付け、その健全化の手段を法律に委ねる条文を新設しています。
では、こうした規定は具体的にどのような問題を生じさせるのでしょうか。
財政健全化は喫緊の課題と考える
この点、自民党憲法改正案の問題点を考える前に、財政健全化の必要性について私見を述べておきます。というのも、ネット上では財政健全化の必要性そのものを軽視ないしは景気回復の必要性に劣後させる意見が散見されるからです。
「国債発行で財政破綻はありえない」は正しいか
近年の日本では、新規国債発行額が100兆円を超えており、国の財政がもっぱら国債を利用した自転車操業で廻されている状況が頻繁に報道されていることは周知の事実と思います。
しかし、こうした報道に対しては「政府には資産があるからバランスシートは健全だ」などと主張し『だから財政破綻はありえない』『ハイパーインフレにはならないから財務省はカネを刷れ』などという趣旨の意見が散見され、財政健全化の必要性自体に否定的な意見を持つ人も多い印象です。
ですが、そうした財政健全化の必要性を否定する主張は、果たして妥当な意見といえるのでしょうか。私(当サイト筆者)は、以下のア~ウの点でそうした財政健全化の必要性を否定的に評価する意見、あるいは財政健全化の必要性をデフレ脱却の必要性に劣後させる意見には懐疑的であり、財政健全化は喫緊の課題と考えます。
ア)政府の金融資産は換金できる?
まず、財政健全化の必要性を否定的に評価する意見の中で代表的な『政府には資産があるからバランスシートは健全だ』という意見について検討しますが、政府に資産があるとは言っても、その政府の金融資産は容易に換金できるようなものではないような気がします。
自民党に近い高橋洋一氏は「(政府の金融資産は)政策投資銀行やUR都市機構などの特殊法人、独立行政法人に対する貸付金、出資金」なので、「天下りができなくなる」が「民営化か廃止すれば回収(できる)」と言いますが(※参考→「「日本の借金1000兆円」はやっぱりウソでした~それどころか…|現代ビジネス」)、たとえばURへの貸付金や出資金を政府が回収するとなれば、経営が経ちいかなくなったURは破綻して民事再生法などで再建を図るしかなくなってしまうかもしれません。
仮にそうなれば、支援企業が賃貸料の値上げを条件にするのが予想されますが、それではURに入居する人たちのうち低所得者は家賃を払えなくなってしまうでしょう。
そうした事態が現実に生じれば、入居者は生活保護の住宅扶助に頼るしかありませんが、そうなってしまうと自治体や政府の財政負担が増してしまいますので逆に財政を圧迫することになりかねません。
つまり、URへの貸付金や支援金は高橋洋一氏が言うように国の金融資産ではありますが、国民への負の影響を考えれば回収しようにも回収できないので書類上では「資産」に計上されることで「バランスシートは健全」に見えても、それは国の財政の健全性とパラレルに論じられないわけです。
これはURだけではなく他の特殊法人や独立行政法人にも言えることでしょうから、「政府には資産があるからバランスシートは健全だ」という趣旨の主張は説得力を欠くのではないでしょうか。
イ)「上限」を下回る国債発行であればハイパーインフレに陥らない?
『国債は上限を適切に判断して発行するからハイパーインフレにはならない』という意見も多くあると思います。
国債発行は市中の通貨量を増やすので無制約に国債を発行すれば円の価値は下がりインフレを招きますが、発行量を適切に調整すればインフレ圧力を抑制できるのでハイパーインフレにはならない程度にコントロールできるという主張です。
”れいわ新選組”も同様の趣旨の主張をしていますので、こうした意見を持つ人も多くいるでしょう。
(中略)国債発行は無限ではなく、上限があります。 上限はインフレです。つまりは需要が供給能力を超えるまで、インフレ目標に達するまでは、国債発行で大胆な政府支出が可能です。現在の日銀と政府が掲げるインフレ目標は「2%」です。
私たちとしては、インフレ目標は3%〜5%で良いと考えますが、 現在の2%の目標であっても、大胆な政府支出は可能です。
(中略)国債発行の「上限」は、需要が供給を上回る状態、つまりは「インフレ」、と説明しました。
ゆるやかなインフレ、マイルドなインフレを維持するために必要なのが、「税」です。世の中にお金がまわりすぎる状態(悪性のインフレ)を防ぐために、お金を間引く機能が「税」です。
(中略)主な財源は「国債発行」で。インフレを調整するために「税」を機能させるのが、私たちのやり方です。
※出典: コロナ政策の財源は? | れいわ新選組
しかし、こうした意見には懐疑的です。インフレは国の主体的政策で完全にコントロールできるものではなく、世界情勢や天災事変など不可抗力による外的要因に大きく影響を受けるものだからです。
”れいわ新選組”はインフレ目標を3%~5%と設定し、そこを「上限」に国債発行を行い、マイルドなインフレを維持するために「税」で通貨の供給をコントロールするので悪性インフレを防ぐことができるとしていますが、そううまくコントロールできるものでしょうか。
たとえばインフレ目標の3%~5%まで大規模な財政出動を行い国債を発行したところで台湾で有事が発生した場合はどうなるでしょうか。戦場となる南シナ海や東シナ海はタンカーの航行が不能になり、貿易はストップしてしまいますが、そうなれば海外投資家は日本から金融資産を一気に引き揚げてしまうでしょう。
仮に沖縄やその周辺が戦闘に巻き込まれれば、円は売られて急激な円安を招き政府のインフレ目標を越えてインフレが進むかもしれません。
北朝鮮で有事が発生したり、金政権が崩壊した場合はどうでしょう。仮に北朝鮮から大量の難民が押し寄せれば、台湾有事と同じように、経済の混乱を嫌気した海外投資家は日本から離れてしまうでしょう。そうなれば当然、円は下落して円安は急激に進むので、インフレはコントロールできなくなってしまうのではないでしょうか。
天災事変でも同じです。日本では近い将来に関東や南海トラフにおける巨大地震や富士山の噴火も危惧されています。そうした災害が現実に発生すれば東日本大震災をはるかに上回る経済損失が発生しますが、その場合に円が売られないと誰が断言できるでしょう。
このように、政府がいくらインフレをコントロールできたとしても、外的要因によってそのコントロールが破綻し、円安が進むことでハイパーインフレが起こるリスクは回避できないのですから、「マイルドなインフレを維持するために税で供給をコントロールするから上限まで国債を発行しても安全だ」とは言い切れない気がします。
もちろん、先ほど述べたように大規模な財政出動は必要だと思いますが、あたかも円安とインフレを完全にコントロールできるかのように国民にアナウンスし、財政健全化を度外視してインフレ目標の上限まで国債を発行することについては、不安を感じてしまうのです。
財政健全化を財政出動に劣後させるのは正しいのか
以上で指摘したように、国債発行について『大規模な財政出動でハイパーインフレは起こらない』などと言う声も聞こえますが、そうした意見について私個人は非常に懐疑的です。
国債発行による大規模な財政出動が必要であることは首肯できるとしても、財政健全化を後回しにするのではなく、財政健全化を意識して統治システムの無駄をなくし、国民が将来に不安を抱えてしまう原因となっている年金制度や雇用の不安定化を助長する労働法制などを改善させる努力を併行または先行させたうえで、効果のある財政出動を集中させることが必要なのではないでしょうか。
自民党憲法改正案第83条2項の問題点
自民党の憲法改正案を批判するはずがいつの間にか”れいわ新選組”を批判する文章になってしまいましたので、そろそろ本題に戻りましょう。
この記事の冒頭で紹介したように、自民党憲法改正案第83条は第2項を新設して
財政の健全性は、法律の定めるところにより、確保されなければならない。
という文章を追加しているわけですが、その大きな問題としては次の二つが考えられますので、順に説明していきます。
【1】財政健全化が増税を正当化する大義名分に使われる危険
この点、まず指摘できるのは、財政健全化の名の下に増税が正当化されてしまうという点です。
前述したように、私は財政健全化は喫緊の課題と考えていますが、なにもこれは増税を肯定したり、財政出動を否定するものではありません。
経済停滞が20年以上続く今の日本で自民党政権がしてきたような増税を継続し、財政出動を止めて緊縮財政を続ければ経済は破綻して再生困難なレベルにまで経済は落ち込むでしょうから、今の状態で増税はすべきではないと考えますし、財政出動も必要だと考えます。
ただし、財政出動をするにしても財政健全化を意識したうえで、財政再建と並行して、あるいは財政健全化を前提としたうえで効果的で大規模な財政出動を集中して行うべきであって、財政再建を度外視した財政出動を正当化すべきではないというのが私の意見です。
しかし、だからといって自民党憲法改正案第83条2項のように財政健全化が「憲法」に規定されてしまえば、「国が財政健全化を確保しないこと」が憲法違反になってしまいますので、国は収支のバランスシートを健全化させなければならなくなってしまいます。
そうなれば国は支出を抑えるか収入を増やすかしなければなりませんが、20年以上の経済停滞を続ける日本が支出を減らすことは困難な一方で、『自民党憲法改正案の問題点:第9条の2|歯止めのない国防軍』のページで解説したように自民党は国防軍の創設を予定していて軍事費の増大を望んでいますから、政府は軍事費増大の原資となる予算を確保するために増税を今以上に拡大させることになるでしょう。
そうなれば当然、憲法に規定された「財政の健全性は確保されなければならない」との条文は、増税を正当化する格好の大義名分にされてしまいます。
自民党憲法改正案第83条2項のように「財政の健全性は確保されなければならない」との規定があれば、増税に反対することは国の違憲性に直結するので、もはやだれも増税を止めることはできなくなってしまうからです。
自民党は大企業の減税には積極的な一方、国民の負担を増大させる増税を積極的に繰り返してきた政党です。
そうした政党が、憲法に「財政の健全性は確保されなければならない」と規定することは、国が財政健全化の名の下に増税を正当化し、今以上に国民から搾取して生活を苦しめる懸念が生じる点で大きな問題があると言えるのです。
【2】財政健全化が社会保障費削減を正当化する大義名分に使われる危険
また、財政健全化の名の下に社会保障費の削減が正当化されてしまう点も問題があります。
前述したように、憲法に「財政の健全性は確保されなければならない」と明記されれば、国が「財政を健全化しないこと」が憲法違反になってしまいますので、国はバランスシートを健全化させるために、その収入にあたる税収を増やすか、その支出にあたる予算を削減しなければなりません。
しかし増税は【1】で述べたようにデフレが続き経済が疲弊した日本では無理ですから、支出を減らすしかありませんが、国防軍を予定する自民党が軍事費(防衛費)を削るはずがありませんし、大企業を優遇する自民党が法人税をあげるはずがありません。
そうなれば消去法で社会保障費を削減するしかありませんから、必然的に「財政の健全性は確保されなければならない」との憲法規定は、社会保障費削減の恰好の大義名分とされてしまうでしょう。
そして仮にそうなれば、国民に社会保障費削減を止める手立てはありません。先ほどから述べているように、憲法に「財政の健全性は確保されなければならない」と規定されてしまえば、「財政の健全性を確保しないこと」が憲法違反となってしまうので「社会保障費を削らないまま財政を健全化しないこと」が違憲性を帯びてしまうからです。
この点、『国民には基本的人権として生存権が保障されているから社会保障費の削減は憲法違反になるのではないか』と思う人もいるかもしれませんが、そうはいきません。
『自民党憲法改正案の問題点:第25条|保障されない生存権』のページでも解説したように、自民党憲法改正草案第25条はそもそも国民の生存権を「公益及び公の秩序」の範囲でしか保障していないので、財政を健全化するという「公益」の下で国民の生存権を保障しなくても、違憲性を回避することができるからです。
このように、自民党憲法改正案第83条2項は財政健全化の確保を国に義務付ける規定を置いていますが、こうした規定は社会保障費を削減する国の措置を正当化させ、国民生活を今以上に厳しくしてしまう点で大きな問題があると言えるのです。
最後に
以上で説明したように、自民党憲法改正案第83条2項は「財政の健全性は確保されなければならない」と国に財政健全化を義務付ける規定を置いていますが、こうした規定は増税と社会保障費の削減を正当化し、国民の負担を増大させるだけで百害あって一利なしといえます。
財政健全化は喫緊の課題と言えますが、それは憲法に規定しなくても政治が主導的に政策を実行することで解決可能な問題です。
自民党憲法改正案第83条2項は財政健全化を大義名分に、国民に負担と犠牲を強いるだけの条文と言えますから、その点を十分に考慮して賛否を判断する必要があるでしょう。