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自民党憲法改正案の問題点:第38条3項|自白だけで刑罰が可能に

憲法の改正に執拗に固執し続ける自民党が公開している憲法改正草案の問題点を一条ずつチェックしていくこのシリーズ。

今回は、「刑事事件における自白等」を規定した自民党憲法改正草案のうち第3項の問題点を考えてみることにいたしましょう。

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「又は刑罰を科せられない」の部分をあえて外した自民党憲法改正草案第38条3項

現行憲法の第38条は刑事事件における自白等に関する規定ですが、第1項でいわゆる「黙秘権」を、第2項で「任意性のない自白の証拠能力否定の原則(自白排除の法則)」を、第3項で「任意性のある自白でも、それを補強する証拠が別にないかぎり、有罪の証拠とすることができない旨の補強証拠の法則」を保障しています(※芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法」243~245頁)。

刑事事件において逮捕された「被疑者」や起訴された「被告人」が、自己に不利な証言を強制させられたり、任意性のない自白を強要されてそれが証拠として裁判で有罪にされたり、自白だけしか証拠がない状態で有罪とされてしまうと、公権力の不当・不法な強制で自白証拠が作られることで国民の「人身の自由」が侵されてしまう危険が生じます。

そのため、現行憲法はこうして自白に関する3つの権利(原則・法則)を保障することで、国民の自由と権利を守ろうとしているのです。

ところで、この第38条の規定は自民党憲法改正草案の第38条でもそのまま引き継がれていますので、これらの権利(原則・法則)が、自民党改正案でも同様に保障されるのは変わりありません。

ただし、第3項で文章に若干の変更が加えられているので注意が必要です。

では、具体的にどのような変更がなされているのか。現行憲法第38条と比較して双方の条文を確認してみましょう。

日本国憲法第38条

第1項 何人も、自己に不利益な供述を強制されない。
第2項 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
第3項 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

自民党憲法改正草案第38条

第1項 何人も、自己に不利益な供述を強制されない。
第2項 拷問、脅迫その他の強制による自白又は不当に長く抑留され、若しくは拘禁された後の自白は、証拠とすることができない。
第3項 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされない。

※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成

この点、第1項は文章に変わりはなく、第2項が文言の並びに若干の変更が加えられていますが文章の意味合い的には現行の第2項と変わらないような気がします。

違うのは第3項で、現行の条文で「又は刑罰を科せられない」とされている部分がまるごと削除され、単に「有罪とされない」とだけにされている部分が異なります。

では、こうした第3項の文章の変更は具体的にどのような問題を生じさせ得るのでしょうか。検討してみましょう。

本人の自白だけで何らかの刑罰を科せられてしまうようにならないか

このように、自民党憲法改正草案の第38条3項は現行憲法では

何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

と規定されている部分から「又は刑罰を科せられない」の部分を削除して、単に

何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされない。

との文章に変えています。

しかし、こうして「又は刑罰を科せられない」の部分を削除してしまうと、改正後に第38条3項の趣旨を考える場合には、その「自民党はなぜあえてわざわざ『刑罰を科せられない』との文言を削除したのか」という点も考慮して解釈を導かなければならなくなってしまいます。

自民党は、「刑罰を科せられない」と規定されている部分をあえてわざわざ削除しているので、その事実を無視して解釈を導くことはできないからです。

そうすると、解釈としては「自民党は証拠が自白しかない場合でも『刑罰を科す』ことができるようにするためにわざわざそれを削除したのだ」という理屈も成立してしまいますから、結果的に第38条3項を、「自白しか証拠がない場合でも『刑罰を科す』ことはできるのだと」と解釈することもできるようになってしまいます。

つまり、現行憲法では第38条3項に「刑罰を科せられない」と規定されているので、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白しかない場合であれば、「刑罰を科せられ」る解釈が成立してしまう余地は生じえないのに、自民党改正案第38条3項がわざわざ「刑罰を科せられない」の文言を削ってしまったばかりに「刑罰を科せられ」る解釈も成立してしまう余地が生じてしまうわけです。

そうなれば、自民党憲法改正案が成立した後の日本では、何らかの容疑で逮捕された被疑者が自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白しかない場合であったとしても、公権力から何らかの「刑罰」を課せられてしまう可能性も生じてしまうでしょう。

この点、自民党憲法改正草案の第38条3項でも「有罪とされない」とされているので、刑罰が裁判で有罪とされた場合にしか科すことが出来ないものである以上、自民党改正案が「刑罰を科せられない」の部分を削除したとしても、その改正後に国民が「有罪とされない」状況の下で「刑罰を科せられ」ることはあり得ないのではないか、と思う人もいるかもしれません。

これは現行憲法で考えればその通りです。現行憲法では第31条で「法律の定める手続によらなければ…刑罰を科せられない」と規定されていて、そこでは「手続の法定」や「手続の適正」だけではなく罪刑法定主義などの「実態の法定」や「実態の適正」の要請も働くので、法律の定める手続きで有罪判決を受けた場合でしか国民が公権力に「刑罰を科せられ」ることはないと解釈されるからです。

日本国憲法第31条

何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

しかし、自民党憲法改正草案の第31条はこの現行憲法第31条の規定にあえて「適正な」の文言を加えることによって「実態の法定」と「実態の適正」を無視することができる構造にしていますから、自民党改正案の下では罪刑法定主義を無視することができるので、公権力が法律に定めのない刑罰を国民に加えても、それ自体は憲法違反ではなくなってしまうことになります(※この点の詳細は→自民党憲法改正案の問題点:第31条|罪刑法定主義の消滅)。

そうすると、仮に自民党憲法改正案が国民投票を通過すれば、手続的に裁判で有罪判決が出ていない状態で刑罰を科すことを認める理屈も理屈としては成立する余地が生じてしまいますから、改憲案第38条3項から「刑罰を科せられない」の文言が削除されたことと合わせることで、「有罪とされなくても刑罰を科すことができる」との理屈も説得力を持ってしまうような気がします。

具体的にどのようなケースでそうした刑罰が科せられるかは、今の時点でイメージするのは難しいですが、たとえば軍法会議で刑罰を科すようなケースが思いつきます。

自民党憲法改正草案は第9条の2の第5項で軍法会議(※軍事法廷、自民党案では「審判所」)を認めていますので(※詳細は→自民党憲法改正案の問題点:第9条の2|歯止めのない国防軍)、自民党改正案が国民投票を通過すれば、国防軍に関する裁判は通常裁判所ではなく国防軍内部に設置された「審判所(軍法会議のこと)」で裁かれることになりますが、そうした軍事裁判で有罪とされない事案でも刑罰を科すことができるように、自民党は第38条3項でこうした変更をおこなったのではないでしょうか。

軍事に関する事件では、先の戦争でもそうであったように国際法的に違法な行為は非人道的な作戦も行われてしまう懸念がありますが、そうした作戦に関与した兵士が国に反抗した場合に有罪判決を経ないと刑罰を科せられないとしたのでは、裁判で政府の違法な作戦が明るみになってしまいます。

しかし裁判で有罪を確定させなくても本人の自白だけ取りさえすれば刑罰を科すことができるとしておけば、違法な軍事作戦を裁判で公にすることなくその兵士を禁固等の刑(もちろん死刑もあり得ます)に服させることもできるようになりますので、軍事で隠したい事実がある政府にとっては都合よく政府の指示に従わない兵士を隔離(あるいは処刑)することも可能になります。

そうした意図があって、自民党は改正案第38条3項で「刑罰を科せられない」を削除したのではないかと考えられるわけです。

憲法第38条3項からあえて「刑罰を科せられない」を削除する必要はあるのか

このように、自民党憲法改正案は憲法第37条3項の規定からあえてわざわざ「刑罰を科せられない」の文章を削除していますが、それ自体が問題というよりも、改正案第31条が「実態の法定」と「実態の適正」の要請を否定し罪刑法定主義を無視することもできる構造にしている点と合わせて考える場合には、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白しかない被告人に対して刑罰を科すこともできる余地が生じてしまう点で問題があるものと解されます。

自民党が第38条3項からなぜ「刑罰を科せられない」を削除したのかは不明ですが、そうした危険な解釈を招き入れる改正を実現させなければならない理由はないはずです。

こうした文章の変更は国民に不利益しか与えないと思いますので、そうした危険性を十分に認識して自民党改正案の賛否を考えることが必要でしょう。