憲法の改正に執拗に固執し続ける自民党が公開している憲法改正草案の問題点を一条ずつチェックしていくこのシリーズ。
今回は、「地方自治体の財政及び国の財政措置」に関する規定を新設した自民党憲法改正草案第96条の問題点を考えてみることにいたしましょう。
「地方自治体の財政及び国の財政措置」に関する規定を新設した自民党憲法改正草案第96条
前述したように、自民党憲法改正草案は第96条として「地方自治体の財政及び国の財政措置」に関する規定を新設しています。
具体的にどのような規定を新設しようとしているのか、その条文を確認してみましょう。
【自民党憲法改正草案(抄)】
(地方自治体の財政及び国の財政措置)
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
第96条
第1項 地方自治体の経費は、条例の定めるところにより課する地方税その他の自主的な財源をもって充てることを基本とする。
第2項 国は、地方自治体において、前項の自主的な財源だけでは地方自治体の行うべき役務の提供ができないときは、法律の定めるところにより、必要な財政上の措置を講じなければならない。
第3項 第八十三条第二項の規定は、地方自治について準用する。
このように、自民党憲法改正案は、第96条として、第1項で地方自治体の経費に自主財源を充てることを基本にするとしたうえで、第2項でその自主財源で不足する場合に国が財政上の措置を講ずるものとして、地方自治の経費負担における国の責任を二次的なものにする条文を新設しています。
また、第3項が準用する改正案第83条2項は財政の健全性を確保させる条文となっていますので、改正案第96条は、国の財政だけでなく地方自治の財政にも財政健全化を義務付けるものとされています(※なお、改正案第83条2項の問題点は『自民党憲法改正案の問題点:第83条2項|財政健全化で増税と福祉削減』のページで詳しく解説していますのでそちらもご確認ください)。
では、こうした規定は具体的にどのような問題を生じさせるのでしょうか。検討してみましょう。
地方自治の財政における自主財源の基本化は地方の切り捨てにつながる
この点、結論から言えば、自民党憲法改正草案第96条のような規定を新設することは、地方の切り捨てにつながるため問題があると言えます。
なぜなら、地方自治の経費で自主財源を基本とすることにしてしまえば、国の責任は二次的なものに過ぎなくなり、国の地方切り捨てを正当化させる大義名分となり得るからです。
地方自治体が「自治」を執行するためにはその経費を賄う財政的裏付けが不可欠なことから、現行憲法においては、地方自治体が必要な財源を調達する権能も財政自治権として「地方自治の本旨」によって保障されているものと解されています(※高橋和之著「立憲主義と日本国憲法(放送大学教材238頁参照)(※なお「地方自治の本旨」については『自民党憲法改正案の問題点:第92条1項|地方自治の本旨を破壊』のページで説明しています)。
もっとも、そのためには国と地方において税源の調和的な適正配分が必要ですから、その地方自治体における財政自治権も、その適正配分を定める法律には服さなければなりません。具体的には地方税法がそれにあたりますが、地方税法が定める道府県税と市町村税の範囲でのみ自治体が租税を賦課し徴収することが認められるわけです。
しかし、そうは言っても経済規模の小さな地方自治体がこうした地方税を自主財源として地方自治の全ての経費を賄うのは困難なため、ほとんどの自治体が何らかの補填を必要とします。そのため、実際には、地方自治体に譲与税、地方交付税、また補助金などの名目で国税として徴集された財源が分配されることで自主財源格差が調整されることになっているのです。
こうした点を踏まえれば、現行憲法上においては、地方自治体には地方自治の経費を財政的に裏付ける財政自治権が保障されていて、地方自治体は地方税法で認められた範囲で自主的に租税を徴収するだけでなく、その自主財源不足分について国に対して国税収入の一定割合を交付するよう要求する権利が、憲法上保障されていると考えられていることがわかります。
つまり、国が地方自治体の自主財源不足分を補填するために国税収入の一定割合を交付することは、現行憲法上では地方自治を具現化させるために当然に導かれるものであって、地方自治体が「自主的な財源だけでは地方自治体の行うべき役務の提供ができないとき」に限って補填するだけで足りる二次的な責任ではなく、「地方自治の本旨」を具現化させるうえで絶対的に求められる一時的な責任と言えるわけです。
ところが、自民党憲法改正草案第96条は、第1項で地方自治体の経費を
「条例の定めるところにより課する地方税その他の自主的な財源をもって充てることを基本とする」
としたうえで、第2項で国が地方自治体に対して財政上の措置を講じる場合を
「自主的な財源だけでは地方自治体の行うべき役務の提供ができないときは、法律の定めるところにより」
と限定していますから、地方自治体の財源的裏付けは、地方自治体の自主財源が基本となる一方、国における地方交付税などを利用した国税の再配分は二次的なものにされています。
現行憲法では、地方自治体には「地方自治の本旨」を具現化させるために国に対して地方交付税などで国税の再配分を求めることができるのに、自民党改正案では、自主財源で賄うことを基本とさせられているので、国に対して国税の再配分を求めることが「自主的な財源だけでは地方自治体の行うべき役務の提供ができないとき」でしか認められないうえに、その場合でもあらかじめ定められた法律の範囲でしか国税の再配分を求めることができないのです。
しかしそれでは、地方自治体の財源的裏付けは不安定なものになってしまうでしょう。
自民党憲法改正草案第96条が国民投票を通過すれば、地方自治体は自主財源で財政を賄うことが基本となりますから、自主財源の不足する自治体は今まで以上に歳出の削減を求められてしまいます。地方自治は自主財源が基本となるので、「自主的な財源だけでは地方自治体の行うべき役務の提供ができない」レベルまで歳出削減をしない限り、国は国税の再配分をしなくてもよくなるからです。
しかも、自民党憲法改正草案第96条3項は第83条2項を準用することにしていて、その改正案第83条2項は財政健全化を義務付ける規定ですから、自民党改正案では地方財政も財政のプライマリーバランスを健全化させることは必須です。その面でも、地方自治体は支出の削減を求められるでしょう。
もちろんそうなって不利益を受けるのは地方の住民です。インフラ投資は削減され、住民サービスも大きく削られるかもしれません。
そうして財政の面から地方自治体を切り捨てて、住民に財源負担の責任を負わせるのが自民党憲法改正草案第96条なのです。
ではなぜ、自民党憲法改正草案第96条がこうして国の責任を軽減させる一方、地方自治体に財政負担を丸投げしようとしているかというと、それは自民党改正案自体が中央集権的な国家体制を強化する方向で設計されているからです。
自民党憲法改正草案が国防軍を予定し、軍事力を利用して国民に国の資源と国土を守らせることに最大の価値を置いている点は『自民党憲法改正案の問題点:第9条の2|歯止めのない国防軍』や『自民党憲法改正案の問題点:第9条の3|国家総動員法の復活』のページで解説してきましたが、そのためには地方の自治を可能な限り制限し、中央政府における地方自治体への責任を縮小して中央集権的な国家体制を強化することが不可欠です。
もちろん、地方の財政について国が責任を持つのは国庫の負担となりますから、中央集権的な国家体制を強化させるためにはその財政負担を地方自治体の自主財源に賄わせることも必須です。
そのため自民党改正案第96条は、地方自治体に自主財源を基本とすることを強要し、国税の再配分を法律の留保を加えたうえで二次的なものとしているのでしょう。
しかし、そうした中央集権的な国家体制は危険性を孕むものです。
明治憲法(大日本帝国憲法)は欽定憲法であったことから、天皇大権の下で中央集権的な国家体制を許容するものでしたが、そうした国家体制では民主主義にとって不可欠な権力分立原理が有効に機能せず、地方自治の空洞化を促進させて国全体を軍国主義と全体主義に誘導することを容易にし、日本は周辺諸国も巻き込んだ無理な戦争へと転がり落ちていきました。
そうして多くの人々に犠牲を強いてしまった結果が、国内だけでなく周辺諸国も焦土に変えた先の戦争です。
地方自治体の自主財源を基本にする一方、国税の再配分を二次的なものとする自民党憲法改正案第96条は地方の住民に財政の自己責任を強要することで住民サービスの低下を招き地方を疲弊させるだけでなく、中央集権的な国家体制を強化させることで全体主義・軍国主義化にも道を開きます。
そうした憲法規定を新設することが将来の国民に何をもたらすか。国民は冷静に判断することが必要でしょう。