現在の与党、特に自民党は憲法改正の必要性を声高に主張していますので、そう遠くない将来に憲法改正の発議を国会で行うことは間違いないでしょう。
実際にそうなれば、その自民党の草案を基礎とした改憲案が国民投票にかけられることになるでしょうから、今の段階で自民党がどのような憲法改正案を考えているのかという点を国民が理解しておくことは非常に重要です。
なぜなら、自民党が具体的にどのような憲法改正を望んでいるのか国民自身が十分に理解しておかなければ、いざ国民投票になった際に冷静に賛否を判断することができないからです。
ところで、この自民党の憲法改正草案を実際に読んでみて、「国民主権」に関して気になる条文がありましたので、ここで少しご紹介しておくことにします。
具体的には、自民党改正草案の第1条です。
自民党の憲法改正草案では日本国の「元首」が「天皇」になる
自民党の草案を確認する前に、まず現行憲法で「国民主権」が具体的にどのように規定されているか確認してみましょう。
現行憲法では「国民主権」は「象徴天皇制」とともに、第1条で以下のように規定されています。
【日本国憲法第1条】
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
一方、自民党の憲法改正草案では、憲法の第1条は以下のように変更されています。
【自由民主党:日本国憲法改正草案(平成24年4月27日(決定))第1条】
「天皇は、日本国の元首であり、日本国および日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」
(※出典:日本国憲法改正草案(平成24年4月27日(決定))|自由民主党憲法改正推進本部|2頁を基に作成)
一見すると変わりがないように思えますが、現行憲法では「象徴でしかない」天皇が、自民党の改正草案では「象徴であるとともに元首でもある」と変更されている点が大きく違います。
「現行憲法でも元首は天皇じゃないの?」と疑問に思う人もいるかもしれませんが、憲法学的な解釈では天皇は元首ではありません。現行憲法における元首は憲法学の多数説的見解では「内閣または内閣総理大臣」と解釈されているからです(芦部信喜著・高橋和之補訂「憲法(第六版)」岩波書店47頁参照)。
「元首の要件でとくに重要なものは、外国に対して国家を代表する権能(条約締結とか大使・行使の信任状を発受する権能)であるが、天皇は外交関係では、7条5号・8号・9号の「認証」(一定の行為が正規の手続きで成立したことを公に証明する行為)、「接受」(接見する事実上の行為)という形式的・儀礼的行為しか憲法上は認められていない。したがって、伝統的な概念によれば、日本国の元首は内閣又は内閣総理大臣ということになる(多数説)。」
※出典:芦部信喜著・高橋和之補訂「憲法(第六版)」岩波書店47頁より引用
ですから、もし仮に自民党の憲法改正案が国民投票を通過した場合には、日本国の元首が「内閣又は内閣総理大臣」から「天皇」に変更されることになります。
なお、少し話がそれますが自民党が作成した「日本国憲法改正草案Q&A(増補版)」では、そのQ5(7頁)において、わざわざアンダーラインを引いて強調する形で「我が国において、天皇が元首であることは紛れもない事実ですが…」と記述されていますから、「現行憲法でもやっぱり天皇が元首だろ?」と思う人がいるかもしれません。
「憲法改正草案では、1条で、天皇が元首であることを明記しました。元首とは、英語では Head of Stateであり、国の第一人者を意味します。明治憲法には、天皇が元首であるとの規定が存在していました。また、外交儀礼上でも、天皇は元首として扱われています。
したがって、我が国において、天皇が元首であることは紛れもない事実ですが、それをあえて規定するかどうかという点で、議論がありました。」※出典:日本国憲法改正草案Q&A(増補版)|自由民主党憲法改正推進本部7頁より引用
しかし、確かにそのように解釈する学説も存在していますが(※詳細は→天皇を「元首」とする憲法改正の意図はどこにあるか)、現行憲法で「天皇が元首である」とする学説を採る学者は少数であり、多数の学者が「元首は内閣又は内閣総理大臣である」と解釈しているわけですから、その「現行憲法の元首は内閣又は内閣総理大臣である」というのが現行憲法における元首の解釈論としては妥当です。
もちろん、多数説が必ずしも正しいというわけではなく、場合によっては少数説が通説となる可能性も否定できませんから、「現行憲法の元首は天皇である」という少数説の学説をもとに解釈し憲法草案を起草すること自体は全く問題ありません。
しかし、「現行憲法の元首は内閣又は内閣総理大臣である」という解釈が多数説として採用されているという学説上の紛れもない事実を一切無視して「我が国において、天皇が元首であることは紛れもない事実」とまで言い切ってしまうのは(しかもアンダーラインを引いてまでして強調するのは)、いかがなものでしょうか。
仮にこれが、どうしても「天皇を元首にしなければならない何らかの理由」があり、改憲案に「天皇は、日本国の元首であり…」という一文を入れても国民が疑念を抱かないようにするためにあえて「現行憲法でも元首は天皇だった」という事実と異なる知識を国民の意識に刷り込もうという魂胆があって記述されたものであったとすれば大問題ですが、自民党がそのようなことをするはずがありませんので、おそらくこのQ&Aの作成に携わった党員の方々の中に憲法の専門書を読んだことのある人が一人もいなかったのでこのような単純な記述ミスに誰も気付かなかったのでしょう。
天皇を「元首にする」意図はどこにあるか
話を元に戻しましょう。国民主権の話です。
では、日本国の元首が「内閣又は内閣総理大臣」から「天皇」に変更されると、具体的にどのような影響が国民に生じるのでしょうか。
この点、自民党の憲法改正案でも「主権」は「国民」にあると規定していますので(前掲自民党草案1条参照)、国の元首が「内閣又は内閣総理大臣」から「天皇」に変わったからと言って直ちに「国民主権」が否定され「天皇主権」になってしまうわけではありません。
しかし、現行憲法では「象徴でしかない」天皇を、あえて「象徴であり元首でもある」と変更するわけですから、そこに何らかの意図があると考えるのが自然でしょう。
では、その意図はどこにあるのでしょうか?
(1)天皇が「元首」になれば天皇の国事行為が実質的な意味を持つことになる
その意図が何なのかは図りかねますが、おそらく天皇の国事行為に実質的な意味を持たせたいのだろうと思います。
先ほども説明したように、現行の日本国憲法で天皇は外交関係では「認証」や「接受」といった形式的・儀礼的行為しか認められていませんが、その現行憲法を改正し天皇を「元首」とすることによってその形式的・儀礼的行為でしかない国事行為に実質的な意味を持たせることが可能になるからです(芦部信喜著・高橋和之補訂「憲法(第六版)」岩波書店47頁参照)。
「わが国では、元首という概念それ自体が何らかの実質的な権限を含むものと一般に考えられてきたので、天皇を元首と解すると、認証ないし接受の意味が実質化し、拡大する恐れがあるところに、問題がある。」
※出典:芦部信喜著・高橋和之補訂「憲法(第六版)」岩波書店47頁より引用
天皇の国事行為が実質的な意味を持つようになれば、その国事行為に天皇の実質的な決定権も与えられると拡大して解釈される可能性もありますが、仮に天皇の国事行為について天皇に実質的決定権が与えられるとなれば、それは明治憲法(大日本帝国憲法)における「統治権の総攬者」たる天皇の地位に限りなく近づくことになるでしょう。
【大日本帝国憲法第4条】
天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
(2)天皇を「元首」にするということは「国民から元首を取り上げる」ということ
また、この改正案が実現すれば「国民が」内閣又は内閣総理大臣という「元首を取り上げられる」ことになるという点も考える必要があります。
なぜなら、日本国の元首が「内閣又は内閣総理大臣」である限り、国民は選挙における投票行動によって与党を形成しその選挙で形成された与党が内閣と内閣総理大臣を組織することで間接的ではあっても「元首」を選任することができますが、「天皇」が元首になった場合は国民の意思は元首の地位に全く反映されなくなるからです。
つまり、現行憲法ではあくまでも国の中心には「国民」が存在しますが、自民党の憲法改正案が国民投票を通過すれば、国の中心的存在は「天皇」になるわけです。
国民から主権を取り上げなくても「天皇の国事行為に実質的な意味をもたせるだけ」で限りなく明治憲法に近づけることができる
ところで、現行憲法では天皇は「象徴」ですが(憲法1条)、これは明治憲法(大日本帝国憲法)も変わりません。明治憲法(大日本帝国憲法)でも天皇は「象徴」と考えられていたからです。
ただ明治憲法では、その4条で天皇に統治権の総攬者としての地位が与えられていたため「象徴」としての地位が隠れていたにすぎません(芦部信喜著・高橋和之補訂「憲法(第六版)」岩波書店45~46頁参照)。
【大日本帝国憲法第1条】
大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
【大日本帝国憲法第4条】
天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
「およそ、君主制国家では、君主は、本来、象徴としての地位と役割を与えられてきた。明治憲法の下でも、天皇は象徴であったということができる。しかし、そこでは、統治権の総攬者としての地位が前面に出ていたために、象徴としての地位は背後に隠れていたと考えられる。日本国憲法では、統治権の総攬者としての地位が否定され国政に関する権能をまったくもたなくなった結果、象徴としての地位が前面に出てきたのである。」
出典:芦部信喜著・高橋和之補訂「憲法(第六版)」岩波書店45~46頁より引用
この点、明治憲法は天皇主権主義を採用していたわけですから、明治憲法における天皇は「象徴であり」「元首であり」「主権者でもあった」ということになるでしょう。
これに対して現行の日本国憲法では天皇は「象徴でしかない」わけですが、先ほども述べたように自民党の改正草案が国民投票を通過することによってその「象徴でしかない」天皇が「元首にも」なるわけです。
そして先ほども述べたように、天皇に「元首」の地位を認めることで天皇の国事行為に実質的な意味を持たせることができ、それは限りなく「統治権の総攬者たる地位」を有していた明治憲法(大日本帝国憲法)における天皇の権能に近づくことになります。
そうなれば、あとはあえて国民から「主権」を取り上げなくても、天皇の地位は明治憲法と変わらない「象徴であり」「元首でもあり」「主権者でもある」ものになってしまうでしょう。
なぜなら、天皇を「元首」とすることで天皇の国事行為に実質的な意味を与えることができれば、それ以降の天皇は「統治権の総攬者たる地位」に限りなく近い形で国事行為に実質的な権限を行使することになりますから、それは明治憲法で天皇に主権が与えられた状態とさほど変わらないものになるからです。
つまり、自民党の改正草案が国民投票を通過することで国民から「内閣又は内閣総理大臣という元首」を取り上げることに成功すれば、あとは国民からあえて「主権」を取り上げなくても、天皇の国事行為に実質的な意味を与えることで天皇の地位を明治憲法(大日本帝国憲法)における「統治権の総攬者たる地位」に限りなく近づけることができるわけです。
憲法を改正すると国民主権が後退してしまう理由
このように考えると、現行憲法で「象徴でしかない」天皇を「元首」と変更する憲法改正は、現行憲法が一歩明治憲法(大日本帝国憲法)に近づくことになるという意味において「国民主権の後退」といえるかもしれません。
もちろん、自民党の憲法改正草案は国民投票にかけられますので、国民が「天皇に元首の地位を与えてもよい」と考えるのであれば自民党の改正草案に賛成してもまったく差し支えありませんし、むしろ賛成すべきでしょう。
ですが、天皇に「元首でもある」地位を与える憲法改正は、それ自体が天皇の国事行為に実質的な意味を与えることでその国事行為の実質的決定権が天皇にあるとして天皇の権能が拡大されるだけでなく、現行憲法では「象徴でしかない」天皇を、明治憲法(大日本帝国憲法)における「象徴であり」「元首であり」「主権者でもある」天皇に限りなく近い存在に変えてしまうことによって現行憲法を明治憲法に近づけ、相対的に国民主権を後退させてしまう点は留意しておかなければなりません。
「天皇に元首の地位を与える」ということが何を意味するのか、という点を十分に理解しないまま国民投票で賛成票を投じるのは、将来の国民に予期しない災いをもたらす可能性があることは十分に認識しておくべきでしょう。