天皇を「元首」とする憲法改正の意図はどこにあるか

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日本で憲法を改正する場合、国民投票を行う前提として、まず衆議院と参議院の各3分の2以上の議員が賛成したうえで国会が憲法改正案を発議しなければなりません。

もっとも、憲法改正に積極的な政党(自民党・公明党・維新など)の衆参両議院のおける議席数がそれぞれの議員で3分の2を超えている現在の状況では、遅かれ早かれ憲法改正の発議が国会で行われることも間違いないでしょう。

この点、憲法改正勢力のうち中心的な政党は自民党となりますが、自民党はその自党のサイトで憲法改正草案を公開していますので、将来的に国会で発議され最終的には国民投票にかけられるであろう憲法改正案の条項は比較的簡単に確認することが可能です(※日本国憲法改正草案(平成24年4月27日(決定))|自由民主党憲法改正推進本部)。

ところで、この自民党の公開している憲法改正草案のうち、「天皇」に関して大きく変更がなされているのを皆さんご存知でしょうか。

具体的には、現行憲法では「象徴でしかない」天皇に「元首」の地位が与えられるという点です。

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日本国の元首は誰か?

「元首」という言葉は、「主として対外的に国を代表する資格を持つ国家機関(※法律学小辞典〔第3版〕有斐閣”元首”の項より引用)」などと定義づけられますが、具体的には「条約の締結や大使の信任状の発受など主に外国に対して国家を代表する権能」を有する国家機関を指すものとして使われます。

一般的に君主国では「君主」が、共和国では「大統領」がこの「元首」となりますが、その国で君主が具体的にどのような権能を与えられてきたかその歴史的背景などによっても解釈が異なりますので、誰が「元首」にあたるのかは個々の国ごとに個別に判断するしかないのが実情です(※法律学小辞典(第3版)有斐閣287頁(”元首”の項)参照)。

(1)明治憲法(大日本帝国憲法)における元首は「天皇」

この点、明治憲法ではその第4条に「天皇」を元首とする明文の規定が置かれていました。

【大日本帝国憲法第4条】

天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

ですから、戦前(※正確には現行憲法が施行された1947年5月3日の前日)までの日本では、「天皇」が元首だったといえます。

(2)現行憲法における元首は「内閣又は内閣総理大臣」

一方、現行憲法では元首を誰とするかという点について明確に規定した憲法条文は存在していません。

そのため、現行憲法では誰が「元首」となるかという点について学説上解釈に争いがあります。

「だれが元首にあたるかは国によって異なるが、通常は、君主国では”君主”、共和国では”大統領”がこれにあたる。日本の場合、明治憲法は明文の定めで天皇を元首としていた〔明憲1〕が、現行憲法はこの点について規定を欠いているため、だれが元首であるかについては学説上争いがある。」

(※出典:法律学小辞典(第3版)有斐閣287頁(”元首”の項)より引用)

具体的には、「現行憲法では誰が元首になるか」という点について、

  • 「天皇」が元首と解釈する説
  • 「内閣又は内閣総理大臣」が元首であるとする説
  • 現行憲法上「元首はいない」とする説

などに解釈が分かれているのです。

もっとも、憲法学における多数説的見解では、現行憲法における日本国の元首は「内閣又は内閣総理大臣」であると解釈されています。

なぜなら、現行憲法の第1条では天皇は国の「象徴」であることが宣言され、また第4条では天皇に「国事に関する行為」のみが与えられているに過ぎず「国政を行う権能」を有していないと規定されているからです。

【日本国憲法第1条】

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

【日本国憲法第4条】

天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

「国事に関する行為」と「国政に関する行為」の違いについては解釈が分かれる部分もありますが、現行憲法で「象徴天皇制」が採用された趣旨が、天皇に「国の象徴としての役割以外の役割を与えない」ものとしてその権能を象徴的行為に限定し、明治憲法で生じた一部の権力者(政治家・軍人等)が天皇の統治権の総攬者たる地位を濫用して軍国主義を拡大させた危険を排除するところにあることを考えると、この「国事に関する行為」とは「政治(統治)に関係のない形式的・儀礼的行為」を言うものと一般に解釈されています(※芦部信喜著・高橋和之補訂「憲法(第六版)」岩波書店47頁参照)。

【大日本帝国憲法第4条】

天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

この点、現行憲法における天皇の「国事に関する行為」については憲法7条に列挙されていますが、そこでは「大使及び公使の信任状の認証」や「外交文書の認証」また「外国の大使や公使の接受」といった外交関係に関する権能が挙げられていますので、これら「認証」や「接受」といった外交関係に関する権能はすべて天皇に対しては形式的ないし儀礼的行為しか認められていないということになります(憲法7条5号8号9号)。

【日本国憲法第7条】

天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

第1~4号(省略)
第5号 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
第6~7号(省略)
第8号 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
第9号 外国の大使及び公使を接受すること。
第10号(省略)

つまり、現行憲法は天皇に対しては、「条約の締結や大使の信任状の発受など主に外国に対して国家を代表する権能」という国の「元首」が当然に有してしかるべき権能について、その一部分を認めてはいますが、その権能は「形式的・儀礼的行為」に限られていることになるわけです。

では、その権能のうち「実質的・実務的行為」の部分を有しているのは誰かというと、それはその「形式的・儀礼的行為」に過ぎない天皇の国事行為に「助言と承認」を与える「内閣(またはその内閣を組織する内閣総理大臣)」ということになります。

そうすると、「主として対外的に国を代表する資格を持つ国家機関」と定義される「元首」としての権能のうち、天皇には「形式的・儀礼的行為」しか認められておらず、その「実質的・実務的行為」が認められているのは「国政に関する権能」を有している「内閣又は内閣総理大臣」ということになるでしょう。

そうであれば、現行憲法では「条約の締結や大使の信任状の発受など主に外国に対して国家を代表する権能」を有する国家機関は、「形式的・儀礼的」には天皇であっても「実質的・実務的」には「内閣又は内閣総理大臣」ということが言えます。

ですから、憲法を研究する大多数の憲法学者の間では、日本国の「元首」は「内閣又は内閣総理大臣」という解釈が最も妥当であろうとする学説が採用されているのです。

「元首の要件でとくに重要なものは、外国に対して国家を代表する権能(条約締結とか大使・行使の信任状を発受する権能)であるが、天皇は外交関係では、7条5号・8号・9号の「認証」(一定の行為が正規の手続きで成立したことを公に証明する行為)、「接受」(接見する事実上の行為)という形式的・儀礼的行為しか憲法上は認められていない。したがって、伝統的な概念によれば、日本国の元首は内閣又は内閣総理大臣ということになる(多数説)。」

※出典:芦部信喜著・高橋和之補訂「憲法(第六版)」岩波書店47頁より引用

(3)自民党改正草案における元首は「天皇」

これに対して自民党が予定している改正草案では、その第1条で日本国の元首は「天皇」であると以下のように明記されています。

【自由民主党:日本国憲法改正草案(平成24年4月27日(決定))第1条】

「天皇は、日本国の元首であり、日本国および日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」

(※出典:日本国憲法改正草案(平成24年4月27日(決定))|自由民主党憲法改正推進本部|2頁を基に作成)

ですから、自民党や自民党の憲法改正に賛成している一部の勢力の間では、日本国の元首を「天皇にしたい」、天皇を「元首の地位に位置付けたい」という思惑があることがわかります。

現行憲法では「天皇が元首であることは紛れもない事実」ではない

このように、現行憲法で日本国の元首は「内閣又は内閣総理大臣」と解釈されている(多数説)わけですが、自民党を中心とする与党、あるいはそれらの勢力に迎合する人達の間では、「天皇」を元首とする憲法に変えようとしているのが今の憲法改正に関する議論の実情といえます。

なお、この日本国の「元首」に関して自民党が作成し公開している「日本国憲法改正草案Q&A(増補版)」では、そのQ5(7頁)において、わざわざアンダーラインを引いて強調する形で「我が国において、天皇が元首であることは紛れもない事実ですが…」と記述されていますが、これは憲法学的に考えれば明らかな「嘘」と言えます。

「憲法改正草案では、1条で、天皇が元首であることを明記しました。元首とは、英語では Head of Stateであり、国の第一人者を意味します。明治憲法には、天皇が元首であるとの規定が存在していました。また、外交儀礼上でも、天皇は元首として扱われています。
したがって、我が国において、天皇が元首であることは紛れもない事実ですが、それをあえて規定するかどうかという点で、議論がありました。」

※出典:日本国憲法改正草案Q&A(増補版)|自由民主党憲法改正推進本部7頁より引用

なぜなら、先ほども説明したように、憲法学において現行憲法における元首を「天皇」であると結論付ける学説も存在していることは間違いありませんが、その「現行憲法で元首は天皇である」とする説を採る学者は少数にすぎないからです。

憲法学の世界では多数の学者が「元首は内閣又は内閣総理大臣である」と解釈しているわけですから、その「現行憲法の元首は内閣又は内閣総理大臣である」という解釈が現行憲法における元首の解釈論としては妥当です。

もちろん、多数説が必ずしも正しいというわけではなく、場合によっては少数説が通説となる可能性も否定できませんから、「現行憲法の元首は天皇である」という少数説の学説をもとに政党が憲法草案を起草すること自体は全く問題ありません。

しかし、憲法学においては「現行憲法の元首は内閣又は内閣総理大臣である」という解釈が多数説として採用されているわけですから、その学説上の紛れもない事実を一切無視して「我が国において、天皇が元首であることは紛れもない事実」とまで言い切ってしまうのは(しかもアンダーラインを引いてまでして強調するのは)、あまりにも乱暴にすぎるといえます。

仮にこれが、どうしても「天皇を元首にしなければならない何らかの理由」があり、改憲案に「天皇は、日本国の元首であり…」という一文を入れても国民が疑念を抱かないようにするためにあえて「現行憲法でも元首は天皇だった」という事実と異なる知識を国民の意識に植え付けようという魂胆があって記述されたものであったとすれば大問題ですが、伝統ある自民党がまさかそのような蛮行を行うはずがありませんから、おそらく党員の方々の中に憲法の専門書を読んだことのある人が一人もいなかったのでこのような単純な記述ミスに誰も気付かなかったのかもしれません。

日本国の元首を「内閣又は内閣総理大臣」から「天皇」に変更する憲法改正の意図はどこにあるか

以上のように、日本国の「元首」の地位は、明治憲法(大日本帝国憲法)では「天皇」にありましたが、先の戦争による反省から現行憲法では「内閣又は内閣総理大臣」であるとされている一方で、今後行われようとしている憲法改正の議論ではその元首の地位が戦前と同じように「天皇」に変更されようとしているということになります。

では、この憲法上の「元首」の地位を、「内閣又は内閣総理大臣」から「天皇」に変更することは具体的にどのような意味を生じさせるのでしょうか。

自民党の憲法改正草案では日本国の元首を「天皇」と明記していますので、その元首の地位を現行憲法における「内閣又は内閣総理大臣」から「天皇」にあえて変更するための意図が問題となります。

この点、先ほども述べたように、現行憲法における多数説的見解において「天皇」が元首と解釈されないのは、「元首」に当然付与されるべき「条約の締結や大使の信任状の発受など主に外国に対して国家を代表する権能」などのうち「形式的・儀礼的行為」な権能しか認められていなかった点にありますから、その「天皇」に「元首」の地位を与えるということは、その「元首」としての地位に「実質的・実務的行為」としての権能を与えることを意味することになるでしょう。

つまり、憲法改正によって天皇に「元首」の地位を与えることによって、現行憲法では「形式的・儀礼的行為」としての国事行為を行う権能を有しているだけの「象徴でしかない」天皇に、「実質的・実務的行為」としての権能を付与する点に大きな意味があるわけです。

これはすなわち、現行憲法では「象徴でしかなかった」天皇が行う「形式的・儀礼的行為」にしか過ぎない国事行為に「実質的な意味」を持たせたいという意図の表れということができます。

天皇の国事行為に「実質的意味」が与えられると具体的にどうなるか

では、もし仮にこのような天皇を「元首」とする憲法改正草案が国民投票で信認を得ることになり、天皇の国事行為に「実質的意味」が与えられた場合、具体的にどのような変化が国に生じ得るのでしょうか。

この点、自民党の憲法改正草案でも天皇は「象徴」であって、その権能は国事行為に限定されるわけだからその国事行為に実質的な意味が与えられても現行憲法と変わりはない、という意見もあるかもしれませんがそうとは言い切れないでしょう。

たとえば、天皇が式典等の場において「おことば」を発する際に何等かの「国政に関する権能」に含まれるような発言をしてしまった(または政治家等が意図的に天皇に国政に関する権能に属する発言をさせた)ような場合です。

あくまでも仮定の話ですが、たとえば天皇が式典で「日本はA国と同盟を結ぶべきだ」と発言したとしましょう。

このような特定の国と同盟を結ぶという行為は「国政に関する権能」に含まれるものと解されますが、現行憲法では天皇には「国事に関する行為」に含まれる権能しか認められていませんので、仮にこのような「おことば」を天皇が発したとしても、その発言は公的には「なかったもの」として扱われます。

現行憲法では天皇に「国政に関する権能」は認められていませんので、その権能に含まれる「おことば」自体も内政的または外交的にも「存在しないもの」として国政に全く影響をあたえないものと解釈されるからです。

一方、憲法が改正されて、天皇に「元首」としての地位が与えられ、その「国事に関する行為」に「実質的・実務的行為」としての権能、すなわち「実質的な意味」が与えられた場合には異なります。

なぜなら、天皇に「元首」の地位が与えられれば、その「日本はA国と同盟を結ぶべきだ」という天皇の「おことば」は「形式的・儀礼的」な発言にとどまらず、実質的な意味を持つことになりますので、公的に「なかったもの」として扱うことはできなくなるからです。

天皇に憲法(自民党改正草案における憲法)で「元首」としての地位が与えられ、その国事行為に「実質的・実務的行為」としての権能である「実質的な意味」が生じるようになれば、その「元首としての発言」を考慮に入れて政府は国政(国の統治)を行わなければならなくなるでしょう。

もちろん、仮に天皇の「おことば」に実質的な意味が生じたとしても、天皇に「国政に関する権能」が与えられていなければ、その最終的な判断は内閣や内閣総理大臣、あるいは国会の議決に委ねられることになりますから、天皇の「おことば」がすべての国政(国の統治)において優先されるというものではないかもしれません。

しかし、一部の政治家や勢力が天皇の「おことば」を国政のために利用しようと企む場合には問題が生じます。

時の権力者が「A国とどうしても同盟を結びたい」と考える場合には、天皇に「おことば」で「日本はA国と同盟を結ぶべきだ」と発言させることで、国民の世論を容易に権力者の意図に沿う方向に誘導することができるからです(※ちなみに、天皇陛下の「おことば」は陛下ご自身が作成されるだけでなく、宮内庁の官僚が作成した作文を陛下が読み上げるだけというケースもあります。もちろん天皇陛下の意思を全く無視して官僚が「おことば」を作成することは”普通は”ありませんが、時の権力者が望めば恣意的に「おことば」を操作することは可能です)。

仮にそうなれば、国民の多数が「A国と同盟を結ぶ必要はない」と考えていたとしても「国の元首である天皇がA国と同盟を結びたいと考えているんだから天皇の意思は尊重すべきだ」という論調で権力者側の主張を正当化させることも容易に可能になるでしょう。

これは、戦前に一部の政治家や軍部が天皇の統帥権を悪用して戦火を拡大させた事例によく似ています。

もちろん、天皇を「元首」とするだけで現行憲法が明治憲法に逆戻りするとまではいえませんが、「象徴でしかない」天皇に「元首としての地位も」あたえることでその国事行為に実質的な意味を持たせることは、権力者が天皇の元首としての地位を利用して国政を意図的に操る危険性を生じさせる可能性があることは認識しておかなければならないでしょう。

明治憲法でも天皇は「象徴」

ところで、現行憲法では天皇は「象徴」ですが(憲法1条)、これは明治憲法(大日本帝国憲法)も変わりません。

明治憲法(大日本帝国憲法)でも天皇は「象徴」と考えられていましたが、明治憲法ではその4条で天皇に統治権の総攬者としての地位が与えられていたため「象徴」としての地位が隠れていたにすぎないのです(芦部信喜著・高橋和之補訂「憲法(第六版)」岩波書店45~46頁参照)。

【大日本帝国憲法第1条】

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

【大日本帝国憲法第4条】

天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

「およそ、君主制国家では、君主は、本来、象徴としての地位と役割を与えられてきた。明治憲法の下でも、天皇は象徴であったということができる。しかし、そこでは、統治権の総攬者としての地位が前面に出ていたために、象徴としての地位は背後に隠れていたと考えられる。日本国憲法では、統治権の総攬者としての地位が否定され国政に関する権能をまったくもたなくなった結果、象徴としての地位が前面に出てきたのである。」

出典:芦部信喜著・高橋和之補訂「憲法(第六版)」岩波書店45~46頁より引用

つまり、「象徴天皇制」という意味では現行憲法も明治憲法(大日本帝国憲法)も全く同じといえるわけです(※ちなみに自民党の憲法改正案でも天皇は「象徴」です(自民党改正案第1条参照)→日本国憲法と自民党改正案の象徴天皇制は何が違うのか)。

では、明治憲法(大日本帝国憲法)と現行憲法で具体的に「天皇」にどのような違いがあるかというと、最大の違いは現行憲法における天皇には「象徴としての地位しか」認められていない、つまり現行憲法における天皇は「象徴でしかない」というところに大きな特徴があります(※参考→明治憲法と日本国憲法の象徴天皇制はどこに違いがあるのか)。

明治憲法では天皇は「象徴であり元首であり主権者(統治権の総覧者)でもあった」わけですが、その天皇の「象徴以外の権能」、つまり天皇の「元首」や「主権者(統治権の総覧者)」の地位を一部の政治家や軍人が悪用することで軍国主義を拡大させてしまった反省がったため、現行憲法では天皇を「象徴でしかない」存在に、「象徴以外の権能が与えられていない」存在にしたわけです。

天皇が「象徴でしかない」存在である限り、いくら時の権力者がその地位を悪用しようと思っても、悪用することはできません。天皇には「象徴としての権能」つまり「形式的・儀礼的行為」としての権能しか与えられていないからです。

これに対して、その「象徴でしかない」はずの天皇を、「元首」という存在にする場合には、同じ「象徴」であっても天皇の地位は「象徴でしかない」存在から「象徴であり元首でもある」地位へと大きく変貌することになります。

そうなれば、たとえ天皇が「象徴」であったとしても、明治憲法(大日本帝国憲法)のように一部の権力者が天皇に与えられた「象徴以外の権能」、具体的には天皇に与えられた「元首」の地位を悪用し傀儡的に国政を牛耳ることができる可能性は否定できないということになります。

天皇に「元首」の地位を与えるか否かは国民が判断すること

以上で説明したように、日本国の「元首」を「天皇」とする憲法改正は、現行憲法における元首が「内閣又は内閣総理大臣」であることを考えると、天皇の国事行為に実質的な意味を持たせることを意図した憲法改正であることがわかります。

もっとも、もちろん天皇の国事行為に実質的な意味を持たせることが「悪い」というわけではありませんから、国民がそのような国家を望むというのであれば、憲法改正に関する国民投票において自民党が国会で発議する憲法改正案に賛成しても一切構いませんし、「天皇に実質的な権能を与えたい」と考えるのであれば、むしろ自民党の改正草案に賛成すべきです。

しかし、天皇を「元首」とする憲法改正に具体的にどのような意図があるのかという点を十分に理解しないまま憲法改正の国民投票を迎える場合には、将来の国民に予期しない災いをもたらす可能性があることも十分に認識しておくべきと言えます。