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ジャーナリストの出国を禁止する旅券返納命令が違憲となる理由

先日(2019年2月4日)、ジャーナリストの常岡浩介氏(https://twitter.com/shamilsh?lang=ja)が外務省から旅券返納命令を受けたことにより出国を禁止された旨の報道がありました。

報道によれば、イエメンの内戦を取材するためカタール経由でスーダンからイエメンに入国しようとした常岡氏が、羽田空港の出国審査の自動化ゲートで「このパスポートは登録されていません」と表示されたため外務省に問い合わせたところ、外務省の担当者から「旅券法13条第1項に基づいた旅券返納命令が出ている」と回答され出国禁止状態になっていることが判明したそうです。

「旅券法第13条1項」は外務大臣や領事館が旅券の発行を制限できる旨を規定した条文ですが、旅券法19条で旅券の返納命令の場合にも適用されていますので、旅券法第13条1項に該当する事実がある人は、たとえ渡航先のビザを取得していても旅券(パスポート)の返納命令に応じなければならず、羽田から出国することさえできなくなってしまいます。

この点、旅券法第13条1項は旅券の制限がなされうる事例を1号から7号まで7つ限定して列挙していますが、2月5日にabemaTVの番組に出演した常岡氏の話によれば、今回の旅券の返納命令は13条1項1号の「渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者」にあたることを理由として出されている模様です(※参考→旅券返納命令は羽田空港でFAXを渡され…ジャーナリストの常岡浩介氏が経緯説明、政府の対応に疑問符も|AbemaTIMES)。

 【旅券法第19条1項】

外務大臣又は領事官は、次に掲げる場合において、旅券を返納させる必要があると認めるときは、旅券の名義人に対して、期限を付けて、旅券の返納を命ずることができる。
1号(省略)
2号 一般旅券の名義人が、当該一般旅券の交付の後に、第13条第1項各号のいずれかに該当するに至つた場合
(以下省略)

【旅券法第13条1項】

外務大臣又は領事官は、一般旅券の発給又は渡航先の追加を受けようとする者が次の各号のいずれかに該当する場合には、一般旅券の発給又は渡航先の追加をしないことができる。
1号 渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者
(以下省略)

つまり、今回常岡氏が受けている旅券の返納命令は、過去に常岡氏が「渡航先」の国の法律等によって入国を禁止された事実があり、その「渡航先」に再度入国しようとしていることが理由となって外務大臣から旅券の返納命令を受けているということになるわけですが、この外務大臣の返納命令の運用は到底認められるものではありません。

なぜなら、常岡氏にはそもそもその旅券法第13条1項1号にいう「渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者」に当てはまる事実が存在しないからです。

AbemaTIMESの記事(※参考→旅券返納命令は羽田空港でFAXを渡され…ジャーナリストの常岡浩介氏が経緯説明、政府の対応に疑問符も|AbemaTIMES) に挙げられている常岡氏が外務省から通知された旅券の返納命令書には、外務大臣が常岡氏に対して旅券の返納命令を出した根拠について「貴殿は、平成31年1月、オマーンにおいて入国を拒否され、同国に施行されている法規により入国を禁止されているため、旅券法第13条1項第1号に該当する者となり…」と記載されていますから、外務大臣は今回の常岡氏の旅券返納命令の処分について常岡氏が「オマーンの法規でオマーンから入国を禁止された事実があること」を根拠にしていることが分かります。

この点、上に挙げた報道によれば確かに常岡氏は今年の1月にオマーン経由でイエメン入りしようとした際、経由地のオマーンで入国を拒否され強制送還されていますので、常岡氏に「オマーンの法規でオマーンに入ることを認められない者」に当てはまる事実があることは否めないかもしれません。

しかし、今回(2月2日)常岡氏が入国しようとしたのは「スーダン」であり「オマーン」ではありません。常岡氏はスーダンのビザを取得して「スーダン」に入国しようとしていますが「スーダン」の法規で「スーダン」から入国を禁止されている事実はありませんので、「スーダンに入国しようとした常岡氏」には旅券法第13条1項1号の事実は存在しないはずです。

にもかかわらず、外務大臣は「スーダン」に入国しようとした常岡氏に対して「オマーンの法規でオマーンから入国を禁止されている」ことを理由に、旅券法第13条1項1号の「渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者」にあたるものとして旅券の返納命令を出しています。

つまり、本件で外務大臣は、旅券法第13条1項1号のいう「渡航先(スーダン)」ではない「他の国(オマーン)」に入国が禁止されているにすぎない常岡氏に対して、「その国(スーダン)」に入国できないようにするために旅券を取り上げようとしていることになりますから、今回の常岡氏に対する外務大臣の旅券法第13条1項1号にあたることを理由とした旅券の返納命令は、旅券法第19条1項2号と同法13条1項1号の解釈と適用において裁量権を逸脱した無効な処分ということが言えるわけです。

なお、旅券法のコンメンタールでは旅券法第13条1項1号について、実務的には「…何らかの理由で外国から強制退去処分を受けた前歴の有無及びその間の事情と、本人の意図している渡航内容等を総合的に判断して、本号を適用する必要があるかどうかを慎重に決定する取扱いとしている」と解説されているようですから、政府が「オマーン」から入国を禁止された事実(内容)を総合的に考慮して「世界中すべて国への出国を禁止すべきだ」と判断した可能性はもちろんあります。

しかし「オマーン」で入国禁止を受けただけに過ぎないジャーナリストから旅券(パスポート)を取り上げることで「世界中全ての国」への出国を禁止しなければならない合理的な必要性が存在し得るものなのか疑義は消えません。

ですから、その点を考えてみても、本件の旅券法の運用に関しては到底是認できるものではないと考えられるのです。

ところで、今回の旅券の返納命令についてはこのような外務大臣における旅券法の解釈と適用の問題を指摘できることとは別の問題として、国家権力による基本的人権の侵害という問題も提起できるものと考えられます。

なぜなら、本件のような外務大臣の恣意的な旅券法の解釈と適用による旅券の返納命令を認めてしまえば、ジャーナリストだけでなく、すべての国民に保障されてしかるべき「知る権利」という民主主義の実現に不可欠である重要な基本的人権にも重大な侵害が加えられてしまうことが明らかと言えるからです。

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ジャーナリストの旅券返納と出国禁止が侵害する4つの基本的人権

このように、海外に取材に赴こうとしているジャーナリストに対して、外務大臣が恣意的な判断で旅券法第13条1項を捻じ曲げて解釈・適用し、不当に旅券(パスポート)を取り上げてしまう事例(旅券の発給拒否も含みます)が現実問題として発生しているわけですが、では、このような国の不当な処分は具体的にどのような基本的人権を侵害することに繋がると言えるのでしょうか。

ジャーナリストの海外渡航の自由(憲法22条)を侵害する

この点、まず指摘できるのがパスポートを取り上げられるジャーナリスト個人の「海外渡航の自由」が侵害されてしまう問題です。

憲法22条1項で保障されている「居住・移転の自由」には「旅行の自由」も含まれていると考えられていますが、その「旅行の自由」のうち「海外渡航の自由(海外旅行の自由)」については「外国への移住の自由」に類似するものとして22条2項で保障されているというのが憲法学における多数説と判例の見解として採用されています。

外国への移住も外国に定住するための「海外渡航」と言えるので、その「海外への移住の自由」の中に「一時的な海外渡航の自由」も含めて差し支えないだろうと考えられているからです(芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法(第6版)」岩波書店222~223頁参照)。

【日本国憲法22条】

第1項 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
第2項 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

そうすると、ジャーナリストが海外に取材に赴く自由も「海外渡航の自由」として保障されなければなりませんが、先ほど説明したような外務大臣(政府)における旅券法の恣意的な運用によってジャーナリストが旅券の返納を求められてしまえば、ジャーナリストは海外への渡航が不当に制限され自由な出国が妨げられてしまうでしょう。

ですから、外務大臣(政府)が旅券法を捻じ曲げて解釈・適用しジャーナリストから不当に旅券を返納させてしまう行為は、憲法22条で保障された「海外渡航の自由」という基本的人権を侵害するものとして違憲性の問題を生じさせると言えるのです。

ジャーナリストの職業選択の自由(憲法22条)を侵害する

また、この問題は憲法22条で保障された「職業選択の自由」を侵害する点も指摘できます。

ジャーナリストが政府から旅券を取り上げられてしまえば、海外で取材することができなくなり、ジャーナリストの仕事自体ができなくなってしまうからです。

もちろん、外務大臣(政府)が正当な理由を根拠にしてジャーナリストから旅券を取り上げる場合には、たとえそれによってそのジャーナリストの仕事に支障が生じても、22条1項の「公共の福祉」の関係からその「職業選択の自由」の制限の違憲性を問うことは困難です。

しかし、このページの冒頭で説明した事例のように「オマーン」で入国を拒否されたジャーナリストが「スーダン」に入国を予定しているにもかかわらず「オマーンで入国を禁止されたこと」を理由に旅券を取り上げてしまうような場合には、外務大臣(政府)の側に旅券法上の正当な法的根拠は存在せず、単に政府側に何らかの政策的な理由(例えばイエメンで取材されては困る事実があるなど)によってジャーナリストの「職業選択の自由」を制限していることになりますから、そこに「公共の福祉」の必要性は存在しないと言えます。

ですから、外務大臣(政府)が不当にジャーナリストから旅券の返納を求める処分は「職業選択の自由」を侵害する違憲性の問題を惹起させると言えるのです。

ジャーナリストの取材の自由(憲法21条)を侵害する

外務大臣(政府)が旅券法第13条1項に挙げられる事由が存在しないにもかかわらず、恣意的な運用を行ってジャーナリストから旅券を返納させる行為は、憲法で保障される「取材の自由」を侵害している点も重要です。

「取材の自由」とは、憲法21条の「表現の自由(言論の自由)」の受け手である表現の受領者における「知る権利」を保障するための「報道の自由」から導かれる基本的人権のことを言います。

【日本国憲法第21条】

第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

国民主権原理に基づいて民主主義を実現させるためには、主権の存する国民が積極的に国政に関与することが不可欠となりますが、国家権力の行為や情報を国民が収集するのは困難が伴いますので、国民の政治参加を有効なものとするために、国民が国家権力の影響を受けずに事実を「知る権利」は最大限に保障されなければなりません。

そのためには当然、報道機関が事実を収集し報道するための「報道の自由」も保障されなければなりませんが、「報道の自由」を有効に保障するためには報道機関が国家権力の影響力を排除し独立して取材しうる「取材の自由」も保障される必要があります。そのため憲法21条で保障される「表現の自由」には「取材の自由」も含まれると解されているわけです。

このように「取材の自由」は国民の「知る権利」を保障して民主主義を実現させるための重要な人権ですから、その「取材の自由」は国家権力の支配や影響を受けることなく完全に独立した自由な状態が保障されなければならないのは当然です。

しかし、外務大臣(政府)における旅券法の恣意的な運用でジャーナリストが旅券を取り上げられてしまえば、その「取材の自由」は国家権力によって支配され、海外で国家権力の干渉を排除した自由な取材ができなくなってしまうでしょう。

ですから、旅券法の恣意的な運用でジャーナリストから旅券を不当に取り上げる国の処分は憲法21条で保障された「取材の自由」をも侵害していると言えるのです。

国民の知る権利(憲法21条)を侵害する

また、今説明したように「取材の自由」は国民の「知る権利」を保障するために不可欠な人権と言えますから、ジャーナリストの「取材の自由」が制限されることになれば国民の「知る権利」も侵害されてしまうのは当然です。

このページで説明したイエメンの内戦を取材しようとしたジャーナリストの件でも、外務大臣(政府)がジャーナリストに旅券の返納命令を出すことによって当該ジャーナリストは「出国の自由(海外渡航の自由)」を制限されてしまいましたから、我々国民は今現在イエメンでどのような内戦が行われているのか、イエメンの内戦で具体的にどのような人権侵害行為が行われているのか「知る」ことができなくなってしまいました。

つまり我々国民は、外務大臣(政府)が本件ジャーナリストに旅券の返納命令を出したことによって、「イエメンの内戦の実情を知る」という貴重で重要な「知る権利」を侵害されていることになるわけです。

このように、外務大臣(政府)が旅券法を恣意的に運用しジャーナリストの旅券を返納させる行為は、その処分を受けたジャーナリスト個人だけでなく、我々すべての国民に保障されてしかるべき「知る権利」という重要な基本的人権をも侵害しているという点についても十分に理解しておく必要があります。

国におけるジャーナリストの安全確保の要請はジャーナリスト(及び国民)の人権保障に優先しない

以上で説明したように、外務大臣(政府)が旅券法の恣意的な運用でジャーナリストから旅券を返納させる行為は、そのジャーナリスト個人の「海外渡航の自由(出国の自由)」や「取材の自由」「職業選択の自由」を侵害するだけでなく、我々一般市民(国民)の「知る権利」という民主主義の実現に不可欠な人権を侵害する重大な人権侵害行為と言えます。

この点、国(日本政府)の側に立って考えた場合には、国は国民の生命と財産を守るべき義務がありますから(外務省設置法4条1項1号9)、たとえジャーナリストであっても危険な国や地域に安易に立ち入らせることはできないという意見ももちろんあります。

【外務省設置法第3条】

外務省は、平和で安全な国際社会の維持に寄与するとともに主体的かつ積極的な取組を通じて良好な国際環境の整備を図ること並びに調和ある対外関係を維持し発展させつつ、国際社会における日本国及び日本国民の利益の増進を図ることを任務とする。

【外務省設置法第4条1項1号】

外務省は、前条の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。
1~8(省略)
9  海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関すること。
(以下省略)

つまり、ジャーナリスト(国民)の基本的人権(取材の自由や知る権利、渡航の自由など)も「公共の福祉」の制約(日本国憲法第12条)を受けるので、海外に渡航するジャーナリスト(国民)の安全の必要性があればその基本的人権の制約も一定の範囲で認められるべきだとする意見です。

日本国憲法第12条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

例えば、トルコ経由でシリアに入国しようとして外務大臣(政府)から旅券の返納命令を受けたジャーナリストが裁量権の逸脱を理由に旅券返納と渡航制限の取り消しを求めた裁判(東京地裁:平成29年4月19日|裁判所判例検索東京高裁:平成29年9月6日|裁判所判例検索)では、国家には国民の生命や身体を守る責務があるだけでなく紛争地域に赴いた個人が生命・身体の危険にさらされたり身柄を拘束された場合には政府にも多大な影響が生じうるから個人だけの問題として処理することは妥当ではないとして旅券の返納命令と渡航制限が憲法に違反しないと判断されたものもありますから、個人の人権保障の必要性のみをもってジャーナリストへの旅券返納や渡航制限を「違憲」と結論付けることもできないかもしれません。

しかし、この裁判例の原告が主張しているように、自律(自立)した個人が自ら選択した「善き生き方」を追究するためにあえて危険な国や地域に赴いて取材することを選択したわけですから、その個人の自由で崇高な意思決定を無視するだけでなく、前述したような「海外渡航の自由」や「職業選択の自由」「取材の自由」あるいは国民の「知る権利」という重要で民主主義の実現にも不可欠な基本的人権を制限してまで守らなければならない国(国家権力)側の「公共の福祉」の必要性が存在し得るものなのか私には理解できません。

また、仮にその「公共の福祉」が存在したとしても、ジャーナリスト(国民)の人権を制限した場合に得られる利益はそのジャーナリストが報道の自由のためにいわゆる「自己責任」を自覚した範囲で(国に生命の安全を確保してもらえる権利を放棄したとも理解できる)身命を賭した身体の安全であるのに対して、そのジャーナリスト(国民)の人権を制限しない場合に維持される利益は国民の「海外渡航の自由」や「職業選択の自由」「取材の自由」「知る権利」という重大かつ民主主義に不可欠な人権であることが明らかなわけですから、比較衡量論(※「それを制限することによってもたらされる利益とそれを制限しない場合に維持される利益とを比較して、前者の価値が高いと判断される場合には、それによって人権を制限することができる」と考える人権の調整方法)的考え方で判断すれば、より得られる利益の大きい後者の利益、すなわちジャーナリストの「取材の自由」等の人権を国家権力の干渉によって制限することは認められないと解すべきでしょう。

さらに言えば、ジャーナリストの人権を制限してまで外務大臣(政府)による旅券の返納や渡航制限を合憲と判断してしまえば、外務大臣(政府)が政策的判断によって恣意的にジャーナリストに旅券を返納させ出国を禁止することで、政府は海外において国民に知られることなくいかなる悪行もできることになってしまい、国家権力の海外における不当な抑圧行為も一切歯止めがかからなくなってしまう恐れがあるわけですから、そのような制限は到底認められるものではないと言えます。

実際、このページの冒頭で紹介した常岡氏のケースでも、常岡氏は今年(2019年)の1月にオマーン経由でイエメン入りしようとした際、経由地のオマーンで入国を拒否され強制送還されていますが、そのオマーンからの入国の拒否は外務省が日本大使館経由でオマーンの警察に常岡氏を入国させないよう情報を流したことが発端となっていると報道されていますので(イエメン取材目指す記者が出国禁止に 安倍政権下で2人目|BuzzFeed News)、外務大臣(政府)の旅券法の恣意的な運用が認められるというのであれば、政府が海外の国や地域で何か国民に知られたくない事実がある場合(例えば、日本政府や日本の友好国が海外で他国の国民の人権を抑圧したり侵略行為を行っているような場合)には、当該国に入国しようとするジャーナリストの経由地の国等にあらかじめ入国を拒否するよう根回しをすることでいくらでもジャーナリストの取材を排除することが可能になってしまうでしょう。

ですから、ジャーナリストが自己犠牲の精神で自身の生命を賭してあえて危険な国や地域に取材に行く場合には、たとえ国側にジャーナリストも含む国民の生命・財産の保護を確保する責務があることを考えたとしても、ジャーナリストの取材の自由等の人権を制限することは、到底許容されるものではないと言えるのです。

国の政策的な判断でジャーナリストの取材の自由が侵害されれば民主主義は破綻する

以上で説明したように、政府が旅券法を恣意的に運用してジャーナリストに旅券の返納を求めたり出国を禁止して取材活動を妨害する行為は、「取材の自由」や「海外渡航の自由」「職業選択の自由」といったジャーナリスト個人の人権だけでなく全ての国民の「知る権利」という国民主権と民主主義の実現に不可欠な人権を侵害する点に鑑みれば到底是認できるものではありません。

また、仮にそのような政府の政策的な判断による取材の自由の制限が認められてしまえば、政府は海外で国民に知られることなくいかなる不当な行為をすることもできてしまうわけですから、そのような国家権力の横暴を抑止するためにも、ジャーナリストの取材の自由は国益や公共の福祉の観点を考慮したとしても、最大限に保障されるべきものと言えます。

渡航制限国でのジャーナリスト拉致・人質事件は自己責任なのか』のページでも指摘したように、ジャーナリストの危険地域への取材については「自己責任論」を振りかざした挙句「国に迷惑をかけるな」との大義名分で否定的な意見を持つ人も多いかもしれません。

しかし、そのような考え方が一般化されてしまえば、「知る権利」が確保できなくなった国民は国家権力の垂れ流す大本営発表を鵜呑みにするしかなくなってしまうことになり、国民主権や民主主義は容易に機能不全に陥ってしまうでしょう。

仮にそうなれば、国家権力の横暴や専制はますます増幅されることになり、政府はジャーナリストを排除した海外でいかなる抑圧や侵略、あるいは貧困をまき散らすこともできることになりますが、それでは80年前にこの国が犯した過ちを繰り返してしまうだけではないでしょうか。

ジャーナリストに対する不当な旅券の返納や出国の禁止処分はジャーナリストだけの問題ではなく、国家権力によるすべての国民に対する抑圧と専制の始まりです。

その危険性に気付かないまま政府の恣意的な旅券法の運用を見逃してしまえば、我々日本の国民だけでなく世界のすべての国民に大きな犠牲と負担を強いてしまう危険性があることに、すべての国民が気付く必要があります。