広告

先制攻撃が自衛隊に認められないと憲法論的に解釈される理由

自衛隊は世界でも有数の装備を保有していますが、その自衛隊の武力の使用はあくまでも日本が他国等から実際に攻撃された場合の自衛手段としての使用に限られ、自国が攻撃を受けていない状態で行われる「先制攻撃」は認められないという解釈の下でこれまで運用されてきました。

しかし、法学になじみのない一般の人にとっては、日本国憲法においてなぜ自衛隊による先制攻撃が認められないのか、論理的に理解できていない人も多いかもしれません。

ではなぜ、歴代の政府は自衛隊を「先制攻撃はできないもの」という解釈の下で運用してきたのでしょうか。

自衛隊が「先制攻撃」できない憲法上の理由はどこにあるのか、検討してみます。

広告

通説的な見解では自衛隊は憲法9条2項の「戦力」にあたる

自衛隊になぜ「先制攻撃」が認められないのかという点を考える前提として、そもそも日本国憲法の下で自衛隊の存在が認められるものなのかという点を考えなければなりません。

憲法9条はその第2項で「陸海空軍その他の戦力」の保持を禁止していますが、自衛隊が戦闘機や戦車やイージス艦などの兵器を装備していることを考えれば自衛隊は「陸海空軍その他の戦力」にあたるものとして憲法上「違憲」と解釈される余地があるからです。

自衛隊が憲法9条2項の「戦力」にあたるのであれば、そもそも自衛隊が組織されていること自体を「違憲だ」と言えてしまいますので、自衛隊の先制攻撃の違憲性を考える必要自体なくなるでしょう。

【日本国憲法9条】

第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この点、憲法9条2項の「戦力」が具体的にどのような「戦力」を指すのかという点が問題となりますが、通説的な見解では9条2項の「戦力」を「外敵の攻撃に対して実力をもってこれに対抗し、国土を防衛することを目的として設けられた、人的・物的手段の組織体(芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法(第六版)」岩波書店60頁より引用」と定義していますから、自衛隊の装備や組織がその定義に当てはまるのであれば、通説的な見解では自衛隊は「違憲」という解釈が導かれることになります。

そこで自衛隊の装備や組織を確認してみますが、今述べたように自衛隊が装備している戦闘機や戦車やイージス艦などの兵器は「外敵の攻撃に対して実力をもってこれに対抗」することを目的として配備されているものに他なりませんし、自衛隊はそもそも「国土を防衛することを目的」として組織された実力部隊なわけですから、今現実に存在している自衛隊の組織と装備は通説的な見解に従えば憲法9条2項の「戦力」にあたるものと考えられます。

ですから、憲法9条2項の「戦力」を通説的な見解に従って解釈した場合には、自衛隊は「違憲」という結論になるものと考えられます(※詳細は→憲法9条2項で放棄された「戦力」とは具体的に何なのか)。

政府の解釈では自衛隊は「必要最小限度の実力」なので9条2項の「戦力」にはあたらない

このように、憲法9条2項の「戦力」を通説的な見解に立って解釈した場合、自衛隊は9条2項の「戦力」にあたるものとして「違憲」という帰結が導かれることになりますが、ではなぜ今の日本で自衛隊が現実に運用されているかというと、それは歴代の政府が憲法9条の下であっても「国家固有の自衛権」は放棄されていないという見解に立ったうえで「自衛のための必要最小限度の実力の行使」は認められると解釈してきたからです。

先ほど説明したように、憲法9条2項は「戦力」の保持を禁止していますが、憲法9条の規定が国家の「自衛権」までも放棄しているのかという点には解釈に争いがあり、国連憲章の第51条が個別的自衛権や集団的自衛権の行使を認めていることから全ての独立国家に自国を守るための「自衛権」が当然に認められているとする解釈も広く認められています。

この点、歴代の政府も、その国家として当然に認められる「固有の自衛権」は憲法9条の下でも放棄されていないという見解に立ち「自衛のための必要最小限度の実力」の保持と行使は憲法9条の下でも認められると解釈してきました。

つまり歴代の政府は自衛隊の組織と装備は憲法9条2項の「戦力」ではなく国家として当然に認められる「固有の自衛権」を行使するための「必要最小限度の実力」に過ぎないから自衛隊は憲法9条2項に違反しないという理屈を用いることで、自衛隊を憲法上「合憲」と解釈して運用してきたわけです。

もちろんこの解釈は常識的に考えれば「屁理屈」に過ぎないと言えるので裁判になれば「自衛隊は違憲」という判決が出されるはずなのですが、裁判所は自衛隊の違憲性の判断は統治行為に属するので「一見明白に違憲と判断できる場合」を除いて司法が判断する内容になじまないという理由でその判断を避け続けていますし(長沼事件:札幌高裁昭和51年8月5日、最高裁昭和57年9月9日 :憲法判例百選Ⅱ有斐閣参照) 、この政府の解釈も一応は「理屈の筋道」が通っているので今のところは「違憲判決が出ていない」という状態で自衛隊の運用が認められている(裁判所が違憲判決を出さないので自衛隊を廃止できない)という状態で自衛隊の存続が許されているということになります。

先制攻撃は「必要最小限度の実力の行使」を超えてしまう

以上で説明したように、通説的な見解に従えば自衛隊は「違憲」と解釈せざるを得ないと考えられますが、歴代の政府は自衛隊が憲法9条2項の「戦力」ではなく「必要最小限度の実力」なので「違憲ではない」という理屈で自衛隊を運営していますので、その自衛隊の運用はあくまでも「必要最小限度」の範囲内に限られなければなりません。

もし仮に、政府が「必要最小限度」を超えた範囲にまで自衛隊の任務や権限を広げて自衛権を行使してしまった場合には、政府が自衛隊の合憲性の根拠としている「自衛隊は自衛のための”必要最小限度の実力”なので憲法9条2項の”戦力”にはあたらない」というロジックが破綻してしまうからです。

政府が自衛隊の任務や権限を「必要最小限度」を超えて運用してしまうと、政府自身の自衛隊の合憲性の理屈が破綻してしまうので、政府としては絶対に自衛隊の任務や権限が「必要最小限度」の範囲を越えないよう注意しなければならないわけです。

そのため歴代の政府は、自衛隊の自衛権の行使が「必要最小限度」の範囲を超えないように「自衛権発動の三要件」という要件を設定し、その3つの要件をすべて満たす場合に限って自衛隊の自衛権の行使が発動できるという基準の下で自衛隊を運用してきました。

【自衛権発動の三要件】

  1. 我が国に対する急迫不正の侵害(武力攻撃)が発生したこと
  2. これを排除するために他に適当な手段がないこと
  3. 実力行使の程度が必要限度にとどまるべきこと

つまり政府は、自衛隊はこの「自衛権発動の三要件」をすべて満たす場合に限って自衛権を発動できるからこそ「自衛のための必要最小限度の実力」の範囲に収まる実力部隊だから「憲法9条2項の”戦力”にはあたらない」という理屈で自衛隊を正当化してきたわけです。

そうすると、自衛隊が「先制攻撃」をできない理由もわかると思います。

「先制攻撃」は、いま説明した「自衛権発動の三要件」の第一要件である「急迫不正の侵害」の要件を満たさないからです。

今説明したように、自衛隊は憲法解釈上、「自衛権発動の三要件」に挙げられた3つの要件をすべて満たす場合にだけしか自衛権を発動することができませんので、「急迫不正の侵害」が現実に発生していない場合には、たとえそれが「自衛のため」であっても自衛隊は武力を行使することができません。

この点、「急迫不正の侵害」とは現実に国外勢力から事実的な攻撃を受けた場合のことに他なりませんから、国外勢力から現実に攻撃を受けていないにもかかわらず、国外勢力から攻撃(急迫不正の侵害)を受ける「恐れ」が認知できたことのみを理由として予防的にその国外勢力を攻撃することは認められないわけです。

他国から攻撃を受ける「恐れ」が認知できただけで予防的にその相手国を攻撃する「先制行為」は、「急迫不正の侵害」という「自衛権発動の三要件」の第一要件を満たさないので、もし仮にそれを自衛隊が行えば、その自衛権の行使自体が「自衛のための必要最小限度の実力」を超えることになってしまいます。

そうすると、それまで「自衛のための必要最小限度の実力」として憲法9条2項の”戦力”には「あたらなかった」として憲法上「合憲」と判断されていた自衛隊が、その時点で「憲法9条2項の”戦力”にあたる」組織に変質してしまうことになり、憲法上「違憲」な組織に変更されてしまうことになってしまうでしょう。

だからこそ現行憲法の9条の下では「先制攻撃」は認められないと解釈されているのです。

政府は「国家固有の自衛権」はあくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が損なわれる急迫不正の侵害に対処するためのやむを得ない措置として初めて容認されるもので、そのための「必要最小限度の範囲に限って」武力の行使が許容されるにすぎないと解釈していますから、その急迫不正の侵害がない段階の、ただ「攻撃される恐れがある」というだけの理由で自衛権の行使を認めることはできません。

「…(中略)…この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容されます。これが、憲法第9条のもとで例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、1972(昭和47)年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところです。」

※出典:防衛省・自衛隊:憲法と自衛権より引用

政府が「先制攻撃」まで認めてしまうと、その先制攻撃を認めたという事実によって自衛隊の存在が「自衛のための必要最小限度の実力」の範囲を越えてしまうことになり、自衛隊を合憲とした政府解釈のロジックが破綻してしまうので、現行憲法の9条の下では、自衛隊に「先制攻撃」は認められないと解釈されているわけです。

もっとも、現在の自衛隊はすでに先制攻撃できる状態にある

以上で説明したように、憲法学の通説的な見解で解釈すれば、先制攻撃の可否を考える以前の問題として自衛隊の存在そのものが違憲と言えます。

また、自衛隊を政府の説明する「自衛のための必要最小限度の実力」であるという解釈に立って考えた場合であっても、「急迫不正の侵害」のない状態で「先制攻撃」のための自衛権を発動させることは明らかな憲法違反と言えます。

ですから、今存在する自衛隊は、法的には「先制攻撃」を行うことは絶対的にできない組織なはずなのですが、今の自衛隊はすでに「先制攻撃」を行うことができる組織になっています。

なぜなら、既に政府は2014年(平成26年)7月1日付けの閣議決定で従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認してしまったからです(※参考→平成26年7月1日 安倍内閣総理大臣記者会見 | 平成26年 | 総理の演説・記者会見など | 記者会見 | 首相官邸ホームページ)。

「集団的自衛権の行使」とは、「急迫不正の侵害」がない状態で、自国の安全保障と密接に関係すると自国の政府が判断した場合に、その他国を第三国の攻撃から「他衛」するための自衛権の行使に他なりませんので、集団的自衛権の行使を容認するということは、「急迫不正の侵害」がない場合における自衛権の発動を容認するという概念を当然に包含します。

そうすると、すでに今の政府は、先ほど挙げた自衛権発動の三要件のうち「急迫不正の侵害」がない状態であっても自衛隊の自衛権発動を容認しているということになりますので、もはや自衛隊は「急迫不正の侵害」がなくても自衛権の発動ができる組織に改編されていることになり、既に「先制攻撃」を行うことができる状態にあると言えます。

実際政府は、2014年7月1日の閣議決定で歴代の政府がとってきた自衛隊発動の三要件を国民の同意を得ずに勝手に変更し、その第一要件とされていた急迫不正の侵害を要するとした部分を以下のように変えることで、集団的自衛権の行使のためであれば自国が現実に攻撃を受けていなくても攻撃(先制攻撃)することができるという解釈に立って自衛隊を運用しています。

わが国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること

※出典:防衛省・自衛隊:憲法と自衛権より引用

もちろん、憲法論的にいえば「急迫不正の侵害」がない状態で「先制攻撃」を行えば歴代の政府がとってきた「自衛隊は自衛のための必要最小限度の実力であって9条2項の”戦力”にあたらない」というロジックが破綻してしまいますので、このような政府の解釈は論理的に成り立ちません。

ですから、このような閣議決定による憲法解釈の変更は明らかな憲法違反となるわけですが、政府の解釈では既に今の自衛隊は「先制攻撃」を行うことができる組織にされてしまっていると言えるわけです。

先制攻撃を認めることは侵略戦争を認めるということ

ところで、自衛隊に先制攻撃を認めることは、自衛隊員の武器の制限を緩和する点で自衛隊員の生命を守るために有益だと考える人もいるかもしれません。先制攻撃が認められるようになれば、自衛隊員は実際に攻撃を受けていなくても実力の行使ができるようになりますので、自衛隊員の安全確保のために有益な面もあるからです。

しかし私はそうは思いません、「先制攻撃」を認めるということは、必然的に侵略戦争を認めるという概念を含むことになるからです。

先日、アメリカ軍が空母打撃群をイランに派遣したというニュースが流れましたが、たとえば今回のこのようなケースでアメリカ軍の軍船がイランの戦闘機から攻撃を受ける事案が発生したような場合に、イランが日本に何ら敵対意識を持っていないにもかかわらず日本のイージス艦がイランの戦闘機を撃墜するような行為が「集団的自衛権の行使」であって「先制攻撃を許容する」ということの帰結です。

しかし、このような日本の攻撃はイランからすれば侵略戦争以外の何物でもありません。

「集団的自衛権の行使」や「先制攻撃」はそれを実行する側の国からすれば「自衛」のための戦争であっても、その攻撃を受ける側の国にとっては”寝耳に水”の攻撃であり、全く戦争状態にない第三国からの意味不明な突然の攻撃であって侵略行為に他ならないからです。

「先制攻撃」を認めるということは「侵略戦争」を当然に認めるということに他ならないのですから、自衛隊員に「先制攻撃」を認めさせるということは、我々国民が自衛隊員に対して「侵略戦争やってこい」と命じているのと同じなのです(※参考→「侵略戦争しないから9条は改正してもよい」が間違っている理由)。

「先制攻撃」を認めることに肯定的な意見を持つ人は、なぜ自衛隊員に「侵略戦争」をさせることが自衛隊員の生命を守ることに繋がるのか、なぜ自衛隊員に「侵略戦争」を強要させることで国民の安全保障を確保することができるのか、その点をまず理論的かつ実践的に説明しなければならないのではないでしょうか。