この”憲法道程”のサイトでは大日本帝国憲法(所謂明治憲法)と現行憲法の日本国憲法の違いについて様々な角度から解説する記事を掲載していますが(※たとえば→『明治憲法(大日本帝国憲法)と日本国憲法の根源的な違いとは何か』、また『「押し付け憲法論」を明らかに嘘だと批判し反論できる15の理由』の記事など)、それらの記事では明治憲法(大日本帝国憲法)について「国民に主権はなかった」あるいは「主権者は天皇だった」という趣旨の説明を繰り返し行っています。
しかし、こうした記事に対しては「大日本帝国憲法のどこにも天皇主権とは書いていないじゃないか」とか「帝国憲法第四条の”統治権”は”主権”の意味ではない」「明治憲法でも主権者は国民だったのだ」などという批判もごくまれに聞かれます。
いわゆる「押しつけ憲法論者」に多い主張です。
たとえば、私がYouTubeで公開している「「憲法は連合国の内政干渉で制定されたから無効」なの?」の動画にも、次のように『帝国憲法の何処にも主權ないしは主権者という文言はなく、帝国憲法第四条は「天皇は元首にして統治權の総覧者」と規定されていて、主権者との規定は無し。元首、統治権の総覧者=主権者ではない』とのコメントが付けられていますので、そうした認識を持つ人は多いのでしょう。
そこでここでは、そうした「明治憲法でも主権者は国民だったのだ」という趣旨の意見の具体的にどこが間違っているのか、簡単に解説していくことにいたします。
「大日本帝国憲法でも国民主権だった」が間違っている理由
(1)大日本帝国憲法には「主権者が天皇」と書かれている
この点、まず「大日本帝国憲法に天皇主権とは書かれてない」という意見ですが、大日本帝国憲法には「主権が天皇にある」と書かれている条文があります。大日本帝国憲法第一条がそれです。
【大日本帝国憲法第一条】
大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
出典:大日本帝国憲法|国会図書館
この点、一条には「天皇之ヲ統治ス」と書いてあるだけで「主権者」とは書かれていないので、冒頭に挙げた”くゐかう(キコー)”氏のように天皇に「主権(がある)…という文言」が記載されているわけじゃないかという人が出てくるわけですが、そもそも”国家”は主権者が本来的に持つ権限を移譲し、その権限の委譲を受けた国家が主権者に代わってその権限を行使して統治するものです。
たとえば国民が主権者となる社会では、その権限を委譲する際の契約が所謂「社会契約」と呼ばれるものであり、その社会契約によって委譲された権限の総体によって形成されるのが「国民国家」と呼ばれる国家概念となります。
主権者が国家に対して統治権、具体的には「立法権」「行政権」「司法権」のいわゆる「三権」を国家に移譲して、その権限の委譲を受けた国家が「立法権」を立法府である国会に、「行政権」を内閣に、「司法権」を裁判所に行使させて国を「統治」させるわけです。
つまり、主権者が本来的に持つ「統治権」を移譲させて形成するのが「国家」であって、大日本帝国憲法ではその「統治」する権限そのものが天皇だったわけです。
そして、「天皇之ヲ統治ス」という条文がある以上、大日本帝国憲法上の統治権者は天皇なのですから、天皇は紛れもなく統治権の主体であり客体であって主権者に他なりません。
したがって、大日本帝国憲法第一条の条文は「主権が天皇にある」ことを示す明確な条文と言えます(いわゆる天皇主権説)。
もちろん、この解釈(天皇主権説)には戦前から争いがあり、第一条ではなく第四条を重視する立場から統治権は国家である法人に帰属し天皇はその国家に帰属する統治権を「総攬」する国の最高機関だと考える、いわゆる”天皇機関説”も存在します。
【大日本帝国憲法第四条】
天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
出典:大日本帝国憲法|国会図書館
しかし、仮に天皇機関説をとるにしても大日本帝国において唯一の統治権者は天皇です。
天皇機関説をとるにしても天皇がその法人である国家に帰属する「統治権」を「総攬」するのですから、その天皇機関説の本質は天皇主権説では主権者であった天皇を「機関」として置き換えることでその範囲で天皇に制限を掛けるものにすぎず、天皇機関説に立脚しても天皇を絶対視するところは変わりありません。
天皇機関説は、ただ内閣を通して天皇の意思を拘束しようと試みるだけであって(※天皇機関説の詳細は→日本大百科全書(ニッポニカ) 「天皇機関説」の意味・わかりやすい解説|コトバンク)、その統治権(主権)の最終的な源が国民に帰属するという解釈は導かれないわけです。
大日本帝国憲法の条文を読んでも「大日本帝国憲法に天皇主権とは書かれてないから主権は国民にあったのだ」などと言う人は、そうした統治権、主権が何を意味するのかということを根本的に理解していないのでしょう。
この立法権・行政権・司法権のいわゆる三権(統治権)三権(分立)は小学生の社会科で教わるものだと思いますが、「明治憲法でも主権者は国民だったのだ」などと主張している人は小学校の社会科から学び直した方が良いのではないでしょうか。
(2)「天皇に制限が掛けられているから国民主権」とはならない
また、大日本帝国憲法の条文に「天皇ハ…憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ」「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ」などといった記述があることから、その範囲で天皇に制限が掛けられていることを根拠にして「大日本帝国憲法でも主権者は国民だった」などという意見もネット上に散見されますが、天皇に制限が掛けられているからといって主権が天皇にないとか、主権者が国民だったということにはなりません。
【大日本帝国憲法第四条】
天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
【大日本帝国憲法第五条】
天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
【大日本帝国憲法第五十五条】
国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
大日本帝国憲法で天皇の権能に制限が掛けられていても、その天皇に掛けられた制限は専制君主制を制限して立憲君主制の建前を具現化するだけに留まるからです。
大日本帝国憲法では、仮に専制君主でありたいと考える天皇が誕生したとしても、帝国憲法で国務大臣の輔弼や帝国議会の協賛という形で制限が掛けられることで立憲君主制の国家として運営されるのですから、天皇が立憲君主として「統治権を総覧」する主体であることに変わりありません。
天皇主権説に立って解釈するなら天皇はその憲法の枠内で統治権を総攬する主権者そのものですし、天皇機関説に立って解釈するなら天皇はその憲法の枠内で国家に帰属する統治権を総攬する客体に他ならず、その場合、天皇に掛けられた制約は専制君主であろうとする天皇に制限を掛けて立憲君主制の建前を具現化させるにとどまるので、国民に主権があることを示すことにはならないわけです。
したがって、大日本帝国憲法に天皇の権能を制限する条文があることをもって「明治憲法でも主権者は国民だったのだ」などとする意見も根拠がないと言えます。
(3)「大日本帝国憲法でも国民主権だった」は成り立たない
以上で説明したように、大日本帝国憲法では国民に主権はなく、天皇主権説に立脚すれば主権者は紛れもなく天皇だったのであって、仮に天皇機関説をとるにしても、それは天皇の統治権に制限を掛けるにとどまり天皇が唯一の統治権者だったことに変わりはないのですから、「大日本帝国憲法でも主権者は国民だったのだ」とか「大日本帝国憲法でも主権は国民にあった」という意見は成り立たちません。
そもそも、大日本帝国憲法の告文や上諭を読めばそれが民定憲法ではなく欽定憲法であることや国民が「臣民(天皇の臣下)」であることは明確に記述されていますし、大正14年に衆議院議員法、が改正されるまで十五円以上の納税者しか参政権は与えられておらず、しかも女性には敗戦後の昭和20年まで参政権自体解放されていなかったわけですから(※参考→戦前は一部の人しか選挙権がなかったってホント? | Japan’s Wartime and Postwar Periods Recorded)、その事実を考えても大日本帝国憲法で主権者が国民でなかったことぐらい容易にわかるはずでしょう。
「大日本帝国憲法でも主権者は国民だったのだ」とか「大日本帝国憲法でも主権は国民にあった」という主張は、日本国憲法がGHQやアメリカ、連合国に押し付けられたものだと主張する「押しつけ憲法論者」に多くみられますが、統治権や主権といった基本的なところを理解しないまま「憲法を変えろ!」と声高に叫ぶのは国民主権と天皇主権の違いを理解しないまま現行憲法を破棄して大日本帝国憲法に戻すものであって、民主主義に対する冒涜に他なりません。
それではまるで、バットをボールに当てた途端に三塁ベースに走り出す人や、キックオフの瞬間にボールを小脇に抱えて相手陣内に走り出すような野球やサッカーのルールを全く知らない人が「ルールを変えろ!」と言っているのと変わらないのではないでしょうか。
憲法の改正を望むのは結構ですが、本当に変えたいと思うのであれば、専門書を読むなどして憲法を真摯に学んだうえで生産性のある議論を展開すべきだと思うのですが、いかがでしょうか。