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押しつけ憲法論者が八月革命説を批判したがるのはなぜなのか

日本国憲法がアメリカ政府やマッカーサーあるいはGHQや連合国の内政干渉によって無理やり押し付けられたものだと考えてその有効性に疑義を呈する主張を一般に『押しつけ憲法論』と言いますが、その「押しつけ憲法論」が必然的に矛盾を孕むものであり根拠のないことは、このサイトでも『「押し付け憲法論」を明らかに嘘だと批判し反論できる15の理由』のページなどで詳しく解説してきました。

しかし、ネット上には、こうした押しつけ憲法論が抱える矛盾を知ってか知らずか、いまだに「日本国憲法はアメリカ(あるいはマッカーサー・GHQ・連合国)に押し付けられたものだから無効だ!」と主張する意見が絶えません。

そうした意見のうち、最近になって多く聞かれるようになってきたものの一つに、憲法学の学説の『八月革命説』を持ち出して押しつけ憲法論を正当化する主張があります。

八月革命説は、憲法学者の宮沢俊義が昭和21年にはじめて公にした見解で、欽定憲法の趣旨を謳う現行憲法(日本国憲法)の上諭と民定憲法の趣旨を宣言する前文が抱える矛盾を解く法的理論の一つをいいます(※詳細は後述します)。

八月革命説は1945年のポツダム宣言受諾によって「憲法学的な意味での一種の革命があった」とみなすことで明治憲法(大日本帝国憲法)上の国体が天皇主権から国民主権に変革が起きたととらえることで、現行憲法の民定性(正当性)を説明しようとしますが(※詳細は後述します)、しかしもちろん、ポツダム宣言の受諾に際して実態的には「革命」は起きていませんから、現行憲法がアメリカなどから押し付けられたものだと妄信する押しつけ憲法論者にとっては、「 憲法学的な意味での一種の革命が起きた」と説明する八月革命説は荒唐無稽な「神話」のようにも聞こえてしまいます(※八月革命説を「神話」と評価する代表的な人物として東京外国語大学の篠田英朗教授が挙げられますが、この点も後述します)。

そのため、現行憲法がアメリカ等の押し付けだと主張する押しつけ憲法論者の多くが、その八月革命説を持ち出して「八月革命説のような”神話”を根拠に現行憲法の押しつけ性を否定する憲法学者はインチキだ。ポツダム宣言を受諾したときに日本で革命など起きていないから現行憲法はアメリカ(またはマッカーサー・GHQ・連合国)に押し付けられたものなのだ!」と声高にSNSなどでつぶやきまくるわけです。

では、こうした八月革命説を持ち出して(八月革命説を批判して)現行憲法が押し付けられたものだと論じる意見は筋道の通った意見と言えるのでしょうか。検討してみましょう。

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【1】八月革命説は現行憲法の民定性(正当性)の矛盾を解くための理論であって自律性(自主性)を説明するための理論ではない

もっとも、結論から言えば、こうして八月革命説を持ち出して現行憲法がアメリカ等に押し付けられたものだとする「押しつけ憲法論」を正当化する主張は、論理的に成り立ちません。

なぜなら、そもそも八月革命説は現行憲法を欽定憲法ではなく民定憲法と言えるか否かの議論の中で民定性(正当性)を説明するための法的理論として説かれる学説であって、現行憲法が国外勢力からの内政干渉的な影響に基づいて制定されたか否かの議論の中で自律性(自主性)を説明するための法的理論ではないからです。

(1)日本国憲法における自律性(自主性)は如何にして説明されるか

この点、押しつけ憲法論者が八月革命説を持ち出す論理的問題を考える前提として、現行憲法がアメリカやマッカーサーあるいはGHQや連合国に『押しつけられたものではない』となぜ言えるのか、その理由をまず理解する必要がありますので、その点を簡単に確認しておきますが、憲法の基本書として長年読まれ続けている「芦部信喜著 高橋和之補訂『憲法』岩波書店」では、次の7つの点を総合的に考慮して日本国憲法の制定は不十分ながらも自律性の原則に反しないと説明しています。

日本国憲法の自律性(自主性)を説明できる根拠

日本国憲法の自律性はポツダム宣言の受諾・降伏文書の署名によって本来条件付きのものであったこと。
国民主権原理と基本的人権の尊重原理は近代憲法の一般原理なのでその原理に基づいた憲法を制定することは国家近代化のために不可欠だったこと。
終戦当時の日本政府はポツダム宣言の歴史的意義を十分に理解することができず自らの手で近代憲法をつくることができなかったこと。
GHQ草案作成の前後において、在野の知識人が作成した憲法草案や当時の国民に対する世論調査から、当時の多くの国民が日本国憲法に近い憲法意識を共有していたと判断できること。また帝国議会の審議の過程でも当時の日本政府がGHQ草案の基本線を積極的に支持していたこと。
完全な普通選挙によって組織された帝国議会において審議の自由に対する拘束はなかったこと。
憲法施行後1年後2年以内に憲法の再検討をするよう極東委員会に求められながら、当時の日本政府はその必要なしという態度をとったこと。
憲法施行後、憲法の基本原理が国民の間に定着しているという社会的事実が広く認められること。

※芦部信喜著 高橋和之補訂『憲法』岩波書店 28~29頁、芦部信喜著『憲法学 Ⅰ 憲法総論』有斐閣 190~191頁 を基に作成

現行憲法の制定過程では、マッカーサーやGHQ民生局が一定の範囲で関与した事実がありますので、その点を重視するのであれば、現行憲法(日本国憲法)の制定は「一国の憲法はその国の国民の自由意思に基づいて制定されなければならない」という自律性(自主性)の原則を損ねる行為の介在によって進められていたのではないかという指摘もできます。

しかしポツダム宣言は、国民主権原理と基本的人権の尊重を求める内容のものでしたので、そのポツダム宣言を前提として制定される現行憲法(日本国憲法)の自律性(自主性)も、本来的に条件付きのものであったということが言えます(※前述の①(※この点は当サイトの『「押し付け憲法論」を明らかに嘘だと批判し反論できる15の理由』のページの(1)~(3)でも詳しく説明しています))。

また、ポツダム宣言が採用を求めた国民主権原理と基本的人権の尊重原理は近代憲法の一般原理ですから、天皇主権主義と人権に法律の留保や天皇大権を許容した明治憲法(大日本帝国憲法)を廃して国家を近代化するうえでも国民主権原理と基本的人権の尊重原理の採用は不可欠であったと言えます(※前述の②(※この点も当サイトの『「押し付け憲法論」を明らかに嘘だと批判し反論できる15の理由』のページの(1)~(3)で詳しく説明しています。なおハーグ陸戦法規との関係に関しては『日本国憲法はハーグ陸戦条約に違反している…が嘘と言える理由』のページで解説しています)。

他方、当時の日本政府が組織した憲法問題調査委員会(通称「松本委員会」)が、ポツダム宣言の趣旨を理解できないまま天皇主権主義をそのまま残したうえ人権尊重も不十分な憲法草案しか作成することができなかったという事情もありましたから(※前述の③(※この点の詳細は当サイトの『日本国憲法の制定にGHQやマッカーサーが関与したのはなぜなのか』のページでも詳しく説明しています))、近代憲法を制定するうえでGHQの関与は不可欠だったとも言えます。

さらに、GHQ民生局が日本政府に草案の元になる原案(※いわゆる「GHQ草案(マッカーサー草案)」)を提示した前後には、現行憲法(日本国憲法)の価値観に近い憲法草案を作成し公表していた日本人の民間グループも存在していましたし(※前述の④(※この点の詳細は『GHQ草案は日本人が作った憲法草案の影響を受けている?』のページで詳しく説明しています))、当時行われた世論調査でもGHQ草案をたたき台にして作成された内閣草案が国民に広く支持されていたことを確認できます(※前述の④(※この点は当サイトの『「押し付け憲法論」を明らかに嘘だと批判し反論できる15の理由』のページの(6)で詳しく説明しています)) 。また、その草案を議論した帝国議会においてもGHQ草案の基本線が積極的に支持されていたことを確認できます(※前述の④(※この点の詳細は『日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要』のページでも詳しく説明しています))。

加えて、その草案が議論された帝国議会は完全な普通選挙で選ばれた議員によって組織されていますし、審議の自由に対する法的な拘束のない状況の下で草案が審議され可決されたことも確認できます(※前述の⑤(※この点の詳細は当サイトでも『日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要』や『日本国憲法は「占領軍に銃剣を突きつけられて」制定されたのか』のページなどで説明しています))。

しかも、当時の日本政府と国民は極東委員会から憲法施行後1年後2年以内に憲法の再検討をするよう求められていたにもかかわらず、その必要性がないとの態度をとって現行憲法(日本国憲法)の再検討(再改正)にまったく着手することもなかったうえ(※前述の⑥(※この点の詳細は『憲法の再検討を勧めたマッカーサー、それを拒否した日本人』のページで詳しく説明しています))、そうして成立した現行憲法(日本国憲法)の基本原理は戦後70年以上にわたって日本国民に浸透し定着している事実もうかがえます(※前述の⑦(※この点は当サイトの『「押し付け憲法論」を明らかに嘘だと批判し反論できる15の理由』のページの(15)で詳しく説明しています))。

こうした事実や経緯を総合的に考慮すれば、その制定過程においてマッカーサーやGHQ民生局が一定の範囲で影響力を行使した事実があることで不十分であることは否めないにしても、国民の自律的な決定に基づいて現行憲法(日本国憲法)の制定がなされたと理解することができます。

そのため、憲法の基本書などにおいては、現行憲法(日本国憲法)はアメリカやマッカーサーあるいはGHQや連合国の内政干渉的な行為によって「押し付けられた」ものではなく、日本国民によって自主的・自律的に制定されたものだという解説がなされているわけです。

(2)日本国憲法における民定性(正当性)は如何にして説明されるか

以上で説明したように、現行憲法がアメリカやマッカーサーあるいはGHQや連合国に『押し付けられたものでないこと』は、現行憲法(日本国憲法)の制定が『自律性(自主性)』の原則に反していないことをもって説明することができます。

しかし、現行憲法(日本国憲法)が『自律性(自主性)』の原則に反しない日本国民による自律的な(自主的な)憲法であってマッカーサーやGHQに「押し付けられた」ものでないと言えるとしても、そこから必ずしも民定憲法の正当性を説明することはできません。

なぜなら、現行憲法(日本国憲法)の上諭と前文には、憲法の『民定性(正当性)』に矛盾をきたす文章が存在するからです。

現行憲法(日本国憲法)の上諭では、次のように天皇が明治憲法第73条の規定に基づいて改正を裁可して公布したと述べられていますから、この記述を踏まえれば現行憲法の日本国憲法は形式的には天皇が明治憲法の改正手続によって成立させた欽定憲法と言えます。

朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢しじゅん及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

※出典:日本国憲法|国立公文書館デジタルアーカイブ の上諭部分より引用(※旧字を常用漢字に変更し、一部ルビを付した部分があります)

大日本帝国憲法第73条

第1項 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
第2項 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

※出典:大日本帝国憲法|国会図書館 より引用

しかし、現行憲法(日本国憲法)は前文で「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し…」と、また「…ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と宣言していますから、この前文の記述を踏まえれば、現行憲法の日本国憲法は主権者である国民が国民主権原理に基づいて制定した民定憲法であるということになります。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は(※以下省略)

※出典:日本国憲法|e-gov の前文を基に作成

つまり、現行憲法の上諭は日本国憲法を欽定憲法(天皇によって制定された憲法)として交付したとしているにもかかわらず、前文は民定憲法(国民によって制定された憲法)であると宣言しているので、憲法の民定性(正当性)に矛盾を生じさせてしまっているわけです。

そうすると、現行憲法(日本国憲法)をはたして主権者である国民が国民主権原理に基づいて制定した民定憲法であると言うことができるのかという点でその正当性に疑問が生じてしまいますから、その疑問を解消させるために、現行憲法(日本国憲法)が民定憲法であることを理論的に論証しなければならないということになります。

そこで、その矛盾を解く法的理論として憲法学者の宮沢俊義によって提示されたのが、先ほど紹介したいわゆる「八月革命説」です。

八月革命説は、おおむね次のような趣旨でその矛盾を解消させようと試みます。

八月革命説の内容

憲法の基本原理を変える憲法改正はできないと考える憲法改正限界説に立てば、明治憲法第73条の改正規定によって天皇主権主義と対立する国民主権主義を定めること(国体を変えること)はできない。
しかしポツダム宣言は国民主権主義をとることを要請しているので、ポツダム宣言を受諾した段階で明治憲法の天皇主権は否定され国民主権が成立し日本の政治体制の根本原理となった(※つまり、降伏が法律学的意味の革命をもたらした)と考えることができる。
もっとも、この革命によっても明治憲法が廃止されたわけではなく、その根本建前が変わった結果として、憲法の条文はそのままでも、その意味は新しい建前(国民主権)に抵触する限り重要な変革を被ったと考えなければならないから、たとえば、明治憲法第73条において議員も改正の発案権を持つようになったこと、議会の修正権に制限はなくなったこと、天皇の裁可と貴族院の議決は実質的な拘束力を失ったこと、国体を変えることはできないという制限は消滅したこと、を認めなければならない。
したがって、現行憲法(日本国憲法)は形式的には明治憲法の改正として成立したものではあるが、実質的には明治憲法の改正としてではなく、新たに成立した国民主権主義に基づいて、国民が制定した民定憲法であると言える。ただ、明治憲法の73条という手続きをとることで明治憲法との間に形式的な継続性を持たせることは、実際上は便宜で適当だったと考えられる。

※芦部信喜著 高橋和之補訂『憲法』岩波書店 29~31頁、芦部信喜著『憲法学 Ⅰ 憲法総論』有斐閣 193~195頁 を基に作成

現行憲法(日本国憲法)は明治憲法第73条の改正手続きを経ることで成立していますが、憲法の改正については、憲法に設置された憲法改正規定において憲法の基本原理であってもすべての憲法規定を改正することができるのだと考える「憲法改正無限界説」がある一方で、憲法に設置された憲法改正規定によって基本原理を改正することを認めてしまうと憲法の根本的支柱を取り除くことを憲法改正規定が認めてしまうことになり自己矛盾に陥る(一種の自殺行為になってしまう)ことから、憲法の基本原理に抵触する部分については憲法の改正規定によっても改正することができないと考える「憲法改正限界説」が学説上、通説的な見解とされています(※この点の詳細は→憲法の三原則(基本原理)はなぜ改正できないのか)。

そうすると、明治憲法は天皇主権主義が基本原理とされているわけですから、その天皇主権主義の国体を、明治憲法の改正規定であるところの明治憲法第73条によって国民主権主義に改正することはできないのではないかという疑問が生じてしまいます。

しかしポツダム宣言は、国民主権主義をとることを明文で要求していますから (※詳細は→「押し付け憲法論」を明らかに嘘だと批判し反論できる15の理由の(1)~(3) 参照)、ポツダム宣言を受諾した以上、国民主権主義をとることは不可避です。

そうであれば、ポツダム宣言を受諾した段階で明治憲法の天皇主権は否定されるとともに、降伏が憲法学的な意味での一種の「革命」をもたらしたととらえることで「日本の最終の政治形態は日本国民の自由に表明された意思によって決定される」という国民主権主義が成立して、それが日本の政治体制の根本原理となったと考えることができます。

もっとも、そう考えたとしてもその「憲法学的な意味での革命」によって明治憲法が廃止されたわけではないので、その条文は従来のままであっても、その意味は国民主権主義に抵触する範囲で変革を被ったと考えなければなりませんから、明治憲法第73条については、議員も改正の発案権を持つようになったこと、議会の修正権に制限はなくなったこと、天皇の裁可と貴族院の議決は実質的な拘束力を失ったこと、国体を変えることはできないという制限は消滅したこと、を認めなければならない結果、明治憲法の改正として現行憲法(日本国憲法)を手続的に成立させることができます。

このように考えれば、現行憲法(日本国憲法)は、形式的には明治憲法の改正規定であるところの第73条を利用して明治憲法の改正として成立しているわけですが、それは実質的に明治憲法の改正として成立したということではなくて、実質的には新たに成立した国民主権原理に基づいて国民が成立させた民定憲法であるということができますので、現行憲法(日本国憲法)の上諭が明治憲法の改正手続きを経ることで(形式的には)欽定憲法として改正したと述べたうえで、前文で(実質的には)民定憲法であると宣言した部分の矛盾を解消させることができます。

現行憲法(日本国憲法)は明治憲法第73条の改正規定を利用して明治憲法の改正として成立してはいますが、それは実質的に明治憲法の改正として成立させたわけではなくて、明治憲法との間に形式的な継続性をもたせることは、明治憲法上においても立憲主義国家だった日本では実際上便宜で適当だったので、手続的には明治憲法第73条を利用して成立させたと考えるわけです。

ただし、こう考える場合には、明治憲法第73条は現行憲法(日本国憲法)を成立させるために便宜的に借用されただけということになりますから、手続的に明治憲法第73条を使って「明治憲法の改正」という形で現行憲法(日本国憲法)を成立させているとしても、明治憲法から現行憲法(日本国憲法)に変更する過程における法的な連続性は断絶されることになりますので、明治憲法と現行憲法の間に形式的な継続性があるとしても「法的連続性はない」ものと考えられるということになります。

以上が、いわゆる八月革命説の概略です。

この八月革命説は、前述した現行憲法(日本国憲法)の上諭と前文の矛盾を解消して、日本国憲法における民定性(正当性)を理論的に説明することができますので、その理論上の矛盾を説明する最も適切な学説として挙げられています。

ただし、この八月革命説に対しては有力な批判もあり、この八月革命説をもってその矛盾が確定的に解消されたというわけではないので(※批判の詳細は前に引用した芦部書を参照してください)、今後の憲法学的議論が発展していくなかで、それが八月革命説を発展させた理論なのか全く別の理論なのかはわかりませんが、その矛盾を解消するより明確な理論が、いずれ発見されるものと思います。

(3)八月革命説で押しつけ憲法論を正当化する人は憲法の民定性(正当性)と自律性(自主性)に混乱をきたしている

このように、八月革命説は現行憲法(日本国憲法)の民定性(正当性)を説明するうえで今の憲法学の議論の中では最も適切な学説であると考えられていますが、ここで混同してならないのが、あくまでも八月革命説は憲法の民定性(正当性)を説明するための理論であって、憲法の「自律性(自主性)」を説明するための理論ではないという点です。

先ほどの(1)でも説明したように、現行憲法が自律性(自主性)を備えているということ(※国外勢力による内政干渉的な影響力によって制定された他律性(他主性)的な憲法ではないということ)は、憲法制定過程に確認できる事実(※前述した(1)の①~⑦の事実)によって明らかとなっていますので、その憲法制定過程に確認できる事実こそが現行憲法が自律性(自主性)を持つこと、言い換えれば『現行憲法がアメリカ等に押し付けられたものではないこと』の根拠となります。

したがって、八月革命説を持ち出して「八月革命説は成り立たないから憲法はアメリカ等から押し付けられたものだ」とする主張は、現行憲法の民定性(正当性)を説明するための理論である八月革命説を、現行憲法の自律性(自主性)を説明するための理論であると勘違いして論じてしまっている点で、論理的な混同を起してしまっていることになり、失当と言えます。

【2】8月革命説を根拠に『押しつけ憲法論』を正当化する主張はどこから来たのか

以上で説明してきたように、8月革命説はあくまでも現行憲法(日本国憲法)の民定性(正当性)の矛盾を解消するために説明される法的理論ですから、この八月革命説を持ち出して現行憲法は「押し付けられたものだ」と憲法の自律性(自主性)を論じるのは、明らかに失当と言えます。

現行憲法(日本国憲法)がアメリカやマッカーサーあるいはGHQや連合国にが押し付けられたものか押し付けられたものではないかという議論は憲法の「自律性(自主性)」の議論なのですから、そこに憲法の「民定性(正当性)」を説明するための理論である八月革命説を持ち出すことはできないのです。

このページの冒頭で紹介したように、押しつけ憲法論者の中には「8月革命説のような”神話”を根拠に現行憲法の押しつけ性を否定する憲法学者はインチキだ。ポツダム宣言を受諾したときに日本で革命など起きていないから現行憲法はアメリカ(またはマッカーサー・GHQ・連合国)に押し付けられたものなのだ!」と主張する人がいますが、そうした主張をする人は、憲法の「民定性(正当性)」の議論で用いられる8月革命説を持ち出して憲法の「自律性(自主性)」を論じていますので、そもそも憲法の「自律性(自主性)」の議論と「民定性(正当性)」の議論の違いをよく理解できていないのです。

ところで、ではなぜ、こうした憲法の「自律性(自主性)」の議論と憲法の「民定性(正当性)」の議論を混同して8月革命説を批判し、押しつけ憲法論を正当化する人がネット上に散見されるのでしょうか。

ネット上に散見されるということは、どこかのインフルエンサーがそうした議論を唱えはじめたのをきっかけとして、ネット民がそれをパクってSNS上で広めていると考えられますので、最初にそうした八月革命説を批判して押しつけ憲法論を正当化する主張を展開したのは誰なのかという点に興味が湧くわけです。

この点、ネット上で検索を掛けてみると、同様の主張を展開しているインフルエンサーを一人発見することができます。それがこのページの冒頭でも紹介した東京外国語大学の篠田英朗教授です。

篠田氏はネットメディアを利用して次のような主張を展開しています。

引用Ⅰ

芦部信喜の『憲法』によれば、「八月革命」説とは、「国民主権を基本原理とする日本国憲法が明治憲法七三条の改正手続で成立したという理論上の矛盾を説明する最も適切な学説」である。「八月革命」説によって、日本国憲法が「国民が制定した民定憲法である」ことがわかる。ただし「明治憲法との間に形式的な継続性をもたせることは、実際上は便宜で適当であった」だけにすぎない。だから明治憲法と日本国憲法との間に「法的連続性」はないのだという。

果たしてこれは法律家らしい首尾一貫した説明だろうか。「便利だったからやっただけ」で、日本国憲法の正当性に問題はないが、日本国憲法を成立させた明治憲法改正手続きは成立していない!? 芦部のこの「便宜で適当であった」という「八月革命」の描写は、いったい何を意味しているのか。イデオロギー的に導き出したい結論を導いたかのように見せかけるだけの中身のない装飾だということではないのか。

(※当サイト筆者中略)

アメリカの影を拒絶しつつ、憲法を正当化する「八月革命」の含意が、憲法学者には非常に便利に感じられたのだろう。だがそこに、日本の憲法学が、現実の国際社会との接点を見失い、ガラパゴス化していく、大きな罠があった、とも言える。

※出典:篠田英朗著 戦後の憲法解釈をダメにした「東大教授」の方便 荒唐無稽な法理を「定説」にした男 page2|PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) より引用

引用Ⅱ

(※当サイト筆者中略)その背景には、「護憲派」としての東大法学部系の主流の憲法学者たちが、「押しつけ憲法」改正論を唱える「改憲派」勢力と、政治的な確執を持ってきたことがある。マッカーサーによって押し付けられた憲法は否定し、新たに自主憲法を制定すべきだ、という議論を警戒する余り、「押しつけ」にかかわる要素、つまりアメリカ人の介在を一切認めないという立場を彼らはとってきた。

「実は、ポツダム宣言受諾時に、国民が主権を握る革命が起きていた、その国民こそが憲法を制定したのであり、アメリカ人が憲法を制定したのではない」。このような「物語」を、憲法学者たちは「八月革命説」と呼ぶが、荒唐無稽な絵空事とはされていない。東大法学部教授・宮沢俊義によって提唱された「八月革命説」は、京都大学系の憲法学者らの厳しい批判の繰り返しにもかかわらず、憲法学界の「通説」あるいは「多数説」といった地位を得ている。すべては、アメリカ人が憲法を起草した、ということを認めると、「押しつけ憲法」改正論の連中に利用されかねない、という政治的思惑から広まった「神話」である。

出典:篠田英朗著 日本国憲法の「アメリカの影」を直視せよ 戦後処理の一環だった憲法の制定 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) より引用

※蛇足になりますが、上に引用した2つの記事は読者に誤解を与える記述が多数含まれますので、念のためいくつかその間違いを指摘しておきます。

※引用Ⅰに『日本国憲法を成立させた明治憲法改正手続きは成立していない!?』とありますが、篠田氏が引用している芦部信喜著の「憲法」に『日本国憲法を成立させた明治憲法改正手続きは成立していない』などという趣旨が述べられた部分はありませんので、これは明らかな誤読と言えます(※詳細は「芦部信喜著『憲法』岩波書店」を参照してください)。日本国憲法は明治憲法の改正手続きを経て制定されていますので明治憲法の改正手続きが成立していることは八月革命説でも変わりません。ただ、それはあくまでも形式的な継続性を持たせるために明治憲法の改正手続きを便宜的に借用しただけであって、実質的に明治憲法の改正として成立させたわけではなくて、ポツダム宣言を受諾した段階で「憲法学的な意味での革命が起きた」ととらえて実質的には国民主権原理に基づいて成立したものだと説明するのが八月革命説となります。篠田氏は恐らくその点をよく理解できていないのでしょう。

※また、引用Ⅱに『 「護憲派」としての東大法学部系の主流の憲法学者たちが、「押しつけ憲法」改正論を唱える「改憲派」勢力と、政治的な確執を持ってきた』とありますが、憲法学者がいわゆる「押しつけ憲法論」を否定するのはあくまでも「科学的」な観点でそれが間違いであると指摘できるからであって、篠田氏の言うように「政治的」な立場からそれを批判しているのではありません。学者も個人なので個人的な政治思想は持っているでしょうが、憲法学者は個人の政治的見地から「押しつけ憲法論」を否定しているのではなくて学問的見地から現行憲法が押し付けられたものではないと認定できるのでそれを否定しているのです。篠田氏は大学教授のはずですが「法の検証(法の真理の探究)」と「イデオロギーの選択(政治思想の選択)」の違いが分からないのかもしれません。

※さらに、引用Ⅱには『つまりアメリカ人の介在を一切認めないという立場を彼らはとってきた』ともありますが、前述の(1)で説明したとおり、押しつけ憲法論が否定されるのは、GHQやマッカーサー(アメリカや連合国)の介在があったことを認めたうえで、憲法制定過程に国民の民主的な意思決定が存在する事実を認定できるからです。篠田氏の言うように『アメリカ人の介在を一切認めない』わけではなく、アメリカ人の介在があったことを認めたうえで押しつけ憲法論を否定しているので、これも明らかな事実誤認と言えます。

※加えて、引用Ⅱには『国民こそが憲法を制定したのであり、アメリカ人が憲法を制定したのではない」。このような「物語」を、憲法学者たちは「八月革命説」と呼ぶが』とありますが、先ほど説明したように八月革命説は憲法の「自律性(自主性)」を説明するための法的理論ではなく「民定性(正当性)」を説明するための法的理論であって、現行憲法が欽定憲法ではなく民定憲法として成立したことを論理的に論証するための理論です。篠田氏の文章風に言うなら『国民こそが憲法を制定したのであり、天皇が憲法を制定したのではない』ということを論証するための理論が八月革命説なので、この部分も八月革命説の内容を全く理解できていないと言えます。

※なお、篠田氏は引用Ⅱで『(八月革命説は)憲法学界の「通説」あるいは「多数説」といった地位を得ている』と述べていますが、私が所有する憲法学の教科書(基本書)を4冊ほど確認したところ八月革命説を「通説」や「多数説」と解説しているものはありません。また有斐閣の法律学小辞典(第3版)の八月革命説の項でも「通説」「多数説」との解説はなされていませんでしたので念のため付記しておきます。

※その他にも篠田氏の論にはいくつかツッコミどころがありますが、長くなりすぎてしまうのでその指摘は割愛します。

このように、篠田英朗氏は八月革命説を持ち出して、いわゆる「押しつけ憲法論」を否定する憲法学者を批判していますが、これはさきほど説明したように、八月革命説は憲法の「民定性(正当性)」を説明するための理論であって、憲法がアメリカ等に押し付けられたものか否かの「自律性(自主性)」を説明するための理論ではありませんので、この篠田氏の議論の組み立てはそもそも議論を混同させてしまっています。

憲法学者は『八月革命説で「憲法の自律性(自主性)」を説明できるから現行憲法は押し付けられたものではない』との理屈でいわゆる『押しつけ憲法論』を否定しているのではなくて、前述の(1)で説明したように憲法制定過程に見られる事実から憲法の「自律性(自主性)」を説明できることをもって『押しつけ憲法論』を否定しています。憲法学者は八月革命説を憲法の「民定性(正当性)(※日本国憲法が天皇によって制定された欽定憲法ではなく国民によって制定された民定憲法であること)」を説明するために用いているのであって、「自律性(自主性)(※日本国憲法が国外勢力に押し付けられたものでないこと)」を説明するために用いているわけではないのです。篠田英朗氏はその違いをよく理解できていないのでしょう。

もっとも、篠田英朗氏は大学教授という肩書がありますから、大学教授がこうした議論の混乱を生じさせた主張を展開してしまうと、それを見た一般のネット市民は「大学教授がそう言っているからそれは正しいのだ」とのバイアスが掛けられてしまうので、その議論の混同に気づかないまま、SNSなどで同様の主張を拡散してしまいます。

そのため、このページの冒頭で紹介したように「八月革命説のような”神話”を根拠に現行憲法の押しつけ性を否定する憲法学者はインチキだ。ポツダム宣言を受諾したときに日本で革命など起きていないから現行憲法はアメリカ(またはマッカーサー・GHQ・連合国)に押し付けられたものなのだ!」と言いだす人が増殖されてしまうのではないでしょうか。

ですが、篠田英朗氏のような大学教授が、憲法の「自律性(自主性)」の議論と「民定性(正当性)」の議論の違いを理解できないまま、両者を混同させて八月革命説を批判して、いわゆる『押しつけ憲法論』を否定する憲法学者を批判する主張をネット上で拡散することは、学問的ではありませんし、なにより不要・不当な混乱を議論の場に持ち込むことで世論に不要な争いを招きます。

そうした議論の混乱は、民主主義の実現を妨げるだけなのですから、その点を十分に意識して、大学教授も含めた一人でも多くの国民が憲法の専門書を読むなど憲法を真摯に学ぶ努力に尽力することが、今の日本国民に何より必要なのではないかと思うのです。