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天皇制を守るため仕方なく押し付け憲法を受け入れた…が嘘の理由

憲法改正を積極的に推し進めている人たちの中に、「現行憲法の日本国憲法はアメリカ政府から天皇制の廃止を強く求められていた当時の日本が、天皇制(皇室制度)を守るためにやむを得ず受け入れたものだ」などという主張をする人がいます。

現行憲法の日本国憲法は明治憲法(大日本帝国憲法)の改正手続きを経て1947年の5月3日に施行されていますが、当時の日本は連合国の占領下にあり、その憲法草案の作成にはアメリカ政府の影響力を受けていた連合国軍総司令部(GHQ)やマッカーサーが一定程度関与していた事実があります(※参考→日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要)。

また、連合国の一部(ソ連やオーストラリア)には天皇の戦争責任や天皇制の廃止を求める国もありましたから、当時の日本において天皇制の存続がその範囲で危ぶまれていた状況があったことも事実と言えば事実です(※参考→憲法の再検討を勧めたマッカーサー、それを拒否した日本人)。

しかし、「アメリカ政府が天皇制の廃止を強要していた」だとか「当時の日本が天皇制を存続させるために渋々現行憲法である日本国憲法を受け入れた」などという主張は明らかに事実とは異なります。

なぜなら、当時の資料を確認する限り、アメリカ政府が天皇制の廃止や昭和天皇の戦争責任を求めた事実は一切なく、むしろアメリカ政府は、天皇制を維持するか否かはもっぱら日本国民の自由な意思において選択させるようマッカーサーに伝達していたことが見受けられるからです。

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なぜ「天皇制を守るためにアメリカから押し付けられた憲法を受け入れた」などというデマが拡散してしまうのか

このように、憲法9条の改正に躍起になっているいわゆる改憲勢力の人たちのなかに、いわゆる「押しつけ憲法論」を根拠にして「当時の日本は天皇制を守るためにアメリカから押し付けられた憲法を渋々受け入れたんだ!」などと主張する人がいるわけですが、その根拠として最近になって使われるようになってきたのが『アメリカのギャラップ社が当時行った世論調査の結果』なるものです。

つい先日の憲法記念日に憲法9条の改正を積極的に推し進めている某団体が講演会を開催しましたが、その講演会においてもテレビなどに多く出演している元ニュースキャスターでジャーナリストの櫻井よしこ氏が、先の大戦が終結した当時にギャラップ社が行った世論調査を引き合いに出し「昭和天皇の戦争責任を求める意見が70%あった」「天皇制を廃止すべきだという意見は66%あった」などと、当時の国際社会が日本の天皇(天皇制)に厳しい意見を持っていたと述べたうえで、当時の日本は「皇室が廃止され日本の国柄が全く違うものに作り替えられるような危険が現実にあった」だけでなく「日本民族としての国の存続が危なかった」ので「その危険を避けるために無理無体な現行憲法を受け入れた」などという趣旨の発言をしています。

この櫻井氏が提示した世論調査の結果はあくまでも当時のアメリカ国内における『国民の』世論の話に過ぎないわけですが、このような話を聞いた一般の人たちが、当時の『アメリカを中心とした連合国(占領軍)が』天皇制の存続や天皇の戦争責任回避を交換条件としてアメリカ(連合国)が作成した憲法の採用を日本に迫り、それを受けた当時の日本が「天皇制を存続させるためにアメリカ(連合国)が作った新憲法(現行憲法)を仕方なく受け入れたんだ」と理解してしまって、そのような知見に基づいた主張を展開する人が徐々に増えているのではないかと推測されます。

アメリカ政府が天皇制(皇室制度)の廃止や昭和天皇の戦争責任を要求していた事実はない

この点、私はその「ギャラップ社」の行った当時の世論調査の結果を確認していませんので、そのような世論調査の結果が実際にあったのかについては何も言及しませんが、仮にそのような世論調査の結果があったとして、当時のアメリカ政府は日本の天皇制や皇族制度についてどのように考えていたのでしょうか。

当時のアメリカ国民の間でそのように天皇の戦争責任や天皇制の廃止を求めていた世論があったとしても、アメリカの「国民の意思」と「政府の意思」は全く別のものと考えなければなりませんので、当時のアメリカ政府が日本の占領政策において天皇制や皇族制度をどのように考えていたのか、より具体的に言えば「廃止しよう」と考えていたのかが問題となります。

この点、当時のアメリカ政府の姿勢を知るには、当時のアメリカ政府が作成した資料等を確認すれば分かりますが、最も重要な資料になるのがアメリカ政府が作成した「日本の統治体制の改革」という文書です。

(1)アメリカ政府は戦争終結前から明治憲法の問題点を研究していた

当時のアメリカ政府は戦争終結前の早い段階から日本における軍国主義的統治体制の根本的な問題は明治憲法(大日本帝国憲法)の欠陥にあると認識していましたので、アメリカ政府内において国務・陸・海軍三省調整委員会(SWNCC)の下部組織である極東小委員会(※連合国が設置した極東委員会とは関係ありません)に日本降伏後の統治体制の改革方針を研究させていました。

そしてその研究成果が、1945年(昭和20年)の10月8日付で作成された「日本の統治体制の改革」という文書でまとめられていたのです。

(2)日本の憲法に関する研究成果は「SWNCC-228」としてGHQにも伝達されている

この「日本の統治体制の改革」という文書は、1946年(昭和21年)の1月7日付けでアメリカ政府における日本の憲法改正に関する公式な指針とされ「SWNCC-228」という実質的な指令として採択される形で1946年(昭和21年)1月11日にマッカーサーに送付されGHQ民生局にも伝達されていますので、GHQ民生局は当然この「SWNCC-228(日本の統治体制の改革)」を基にGHQ草案を作成しています(※参考→「憲法草案はGHQが1週間で作った」が明らかに嘘である理由)。

ですから、この「SWNCC-228(日本の統治体制の改革)」の内容を確認すれば、当時のアメリカ政府が日本に対して天皇制(皇族制度)についてどのように考えていたのか、具体的に言えばその廃止を求めていたのかいなかったのかもわかるわけです。

(3)「SWNCC-228」で天皇制(皇族制度)の廃止は指示されていない

では、この「SWNCC-228(日本の統治体制の改革)」には、日本の天皇制や皇族制度について具体的にどのように記述されていたのでしょうか。

この点「SWNCC-228(日本の統治体制の改革)」の概要は、衆議院の憲法調査会が編纂した「憲法制定の経過に関する小委員会報告書の概要(衆憲資第2号)」の24~26頁に掲載されていますが、そこでは「SWNCC-228 4.結論」の項目として以下のように挙げられています。

Ⅰ.(※長いので当サイト筆者が省略しています)
Ⅱ.日本における最終的な政治形態は、日本国民の自由に表明する意思によって決定されるべきものであるが、皇室制度を現在の形態で維持することは、前述の一般的な目的に合致しないと考えられる。
Ⅲ.(※長いので当サイト筆者が省略しています)
Ⅳ.日本人は、皇帝制度を廃止するか、あるいはより民主主義的な方向にそれを改革することを奨励支持されなければならない。しかし、日本人が皇帝制度を維持すると決定する場合には、前期ⅠおよびⅢで列挙せるものに加えて、次に掲げる保障が必要なることをも、最高司令官は日本国政府に対し、指示しなければならない。
(以下省略)

※出典:憲法制定の経過に関する小委員会報告書の概要(衆憲資第2号)24~25ページを基に作成

上で引用した部分のうち「Ⅱ」の「前述の…」は国民主権原理や民主主義を徹底させる制度保障などを指し、「Ⅳ」の「次に掲げる…」の部分は内閣の選任や、天皇の国事行為に内閣の助言を擁すること、また皇室費等に関する事項を指していますが、これを見る限り、アメリカ政府が天皇制や皇族制度についてその廃止を求めたり天皇の戦争責任などを求めていた事実はうかがえません(※「前述の…」が指す「Ⅰ」の部分および「次に掲げる…」が指す「Ⅳの後段」の部分は長すぎるため当サイト筆者が省略していますので確認したい場合は憲法調査会の資料を参照してください)。

「Ⅱ」で「皇室制度を現在の形態で維持すること」についてアメリカが明治憲法のままの皇室制度を維持することについて否定的に考えていたことは分かりますが、それは「現在の形態で維持すること(※天皇に主権(統治権の総覧者たる地位)を置いたままにすること)」が「前述の一般的な目的に合致しない」と述べているだけであって、「前述の一般的な目的」に合致する場合、つまり国民主権主義を採用して民主主義を徹底するものであれば、皇室制度は維持しても構わないと考えていたことが分かります。

また、「Ⅳ」でも「民主主義的な方向にそれを改革すること」が「奨励支持」されるなら皇室制度の維持は差し支えないと述べられており、「次に掲げる…」部分の保障、つまり天皇の国事行為に内閣の助言を要すること等が保障されるのであれば皇室制度の存続も肯定されるとしていますので、天皇制や皇族制度自体の存続は否定していなかったことは明らかです。

ですから、この「SWNCC-228(日本の統治体制の改革)」を見る限り、当時のアメリカ政府は天皇制や皇族制度を継続するか廃止するかは日本国民の自由な意思に委ねようと考えており、ただ天皇主権主義から国民主権主義への変更を求めていただけであったということがわかるわけです。

そしてこの「SWNCC-228(日本の統治体制の改革)」は、先ほども述べたようにマッカーサーへの実質的な指令として伝達されていますので、マッカーサーから草案作成を命じられたGHQ民生局は基本的にこの「SWNCC-228」に沿った形の憲法草案を作成して日本側に提示していたということになります。

実際、GHQ民生局が作成して日本側に提示したGHQ草案では、主権をはっきり国民に置いたうえで天皇を「象徴」とし、その権能を社交的(儀礼的)なものに限定してはいるものの、天皇制や皇族制度はそのまま存続されていますので(※参考→日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要)、アメリカ政府がマッカーサーとGHQの民生局を経由して当時の日本政府に対して「天皇制の廃止や昭和天皇の戦争責任を求めた」り、「GHQ草案の受け入れと引き換えに天皇制の存続や昭和天皇の安全を提示した」ような事実は一切なかったことが明らかと言えます。

(4)トルーマン大統領も天皇制を日本国民の意思に委ねると発言している

なお、1945年10月18日付のAP通信がワシントンから当時のトルーマン大統領が「天皇制の運命は日本人民が自由な選挙で決定するのは良いことだ」と述べたことを報じた事実もありますので(木下道雄著「側近日誌」文藝春秋94頁脚注2参照)、そのような報道がアメリカ国内であったことから考えても、当時のアメリカ政府が天皇制の廃止を求めたり、天皇制の存続と引き換えに新憲法を強要しようとしていたような事実がなかったことは明らかだったと言えます。

(5)当時のマッカーサーは天皇制の廃止を求めるどころかむしろ「天皇制反対の世界の空気を防止せん」と躍起になっていた

ちなみに、戦争終結後に侍従次長(皇后宮太夫兼任)の職に任ぜられていた木下道雄氏が在任期間中につけていた「側近日誌(文藝春秋社刊)」にも、当時のマッカーサーが「天皇制反対の世界の空気を防止せん」とするために日本政府に憲法草案作成を急がせた旨の記述がありますから、当時のマッカーサーが、むしろ天皇制の存続に尽力していたことが明らかだったと言えるでしょう(※参考→日本国憲法の制定にGHQやマッカーサーが関与したのはなぜなのか)。

右は憲法改正の事ながら、かくも急なるは、先日出た読売の記事、これは東久邇宮が外人記者に談られた御退位の問題に関すること。即ち、天皇には御退位の意ある事、皇族挙ってこれに賛成すると云う事。これが折角いままで努力したMの骨折を無にすることになるので、M司令部はやっきとなり、一刻も早く日本をして民定の民主化憲法を宣言せしめ、天皇制反対の世界の空気を防止せんとし、一刻も速やかにこれを出せと迫り来るによる。

※出典:木下道雄「側近日誌」文藝春秋:163頁、昭和21年3月5日(火)部分より引用

ポツダム宣言を受諾した以上、天皇制の転換は国際法的な義務

以上で説明したように、現行憲法の制定に関してはその草案作成作業において、GHQの民生局やマッカーサーを介してアメリカ政府も一定の範囲で関与している事実がありますが、当時のアメリカ政府が日本に対して天皇制や皇族制度の廃止を求めたり、天皇制の存続や天皇の戦争責任回避を交換条件として日本側に対してGHQ草案に沿った憲法制定を「押し付け」ていたような事実は一切ありません。

ですから「当時の日本は天皇制(天皇・皇族)を守るためにアメリカから押し付けられた憲法を渋々受け入れたんだ!」などという主張は明らかな事実誤認と言えます。

この点、アメリカ政府が日本側に明治憲法における天皇主権主義を採用した天皇制から国民主権主義を採用した現行憲法の天皇制に転換することを求めている事実があることから、その点で「アメリカ政府から(天皇を中心とした)国体の変更を強要されたんだ(押し付けられたんだ)」と思う人もいるかもしれませんが、それもおかしな話です。

なぜなら、日本はポツダム宣言を受諾しているからです。

日本は戦争に負けた1945年の8月14日にポツダム宣言を受諾していますが、このポツダム宣言は日本(※正確には日本国の軍隊)に対して無条件降伏を一方的に命じるだけのものではなく、連合国と日本を相互に拘束する一種の休戦条約の性質も持っていました(※芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法(第6版)」27頁)。

そのため、日本がそのポツダム宣言の内容に拘束されるのと同様に、連合国側も日本に対してポツダム宣言の趣旨に沿った国造り(国の統治体制の改革)を一定の範囲で求めることができる国際法的な権利を有していたものと解されるわけですが、ポツダム宣言には以下に挙げるように、「民主主義を阻害している障碍を除去すべきこと」や「基本的人権の保障を確立させること」また「平和的傾向を有し責任ある政府を樹立すること」などが明記されていました。

【ポツダム宣言(抄)】

10 (中略)日本国政府は、日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障碍を除去すべし 言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし

12 前記諸目的が達成せられ且つ日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且つ責任ある政府が樹立せらるるにおいては連合国の占領軍は直ちに日本国より撤収せらるべし

出典:ポツダム宣言|国会図書館※読みやすくするため「カタカナ文語体」を「ひらがな表記」に変更しています。

ですから、当時の日本には、このポツダム宣言で述べられたように民主主義が徹底され、国民の人権保障も確立され、平和的傾向を有する国づくりをすることが法的な義務として課せられていたことになりますし、その一方で連合国側も日本に対してそのような国に転換することを求めることのできる国際法的な権利があったということになるわけです。

この点、当時の明治憲法(大日本帝国憲法)は天皇主権主義を採用しており国民に主権はありませんでしたから民主主義は徹底されていませんでした。民主主義を徹底させるためにはその主権が国民になければならず、国民主権主義を採用しなければ民主主義の徹底はあり得ないからです。

だからこそ戦後の日本は天皇主権主義を採用していた明治憲法から国民主権主義を採用する憲法への改正作業(新憲法の制定)が不可欠だったわけですが、先ほど述べたように連合国側も日本に対してその民主主義の徹底を求めることのできる国際法的な権利を有していましたので、民主主義の徹底と国民主権原理の採用が絶対的に不可分である以上、たとえポツダム宣言に「憲法を改正しなければならない」と直接的に規定されていなくても、連合国側は日本政府に対して「天皇主権主義から国民主権主義を採用する憲法に改正しなさい」と求めることは当然可能でした。

ですから、日本がポツダム宣言を受諾している以上、そのポツダム宣言で述べられた範囲においてGHQ(連合国軍総司令部)の民生局が「天皇主権から国民主権に基本原理が変更された憲法草案(GHQ草案)」を作成し、それに沿った憲法草案の作成を日本側に求めても、それは国際法的に正当な権利を行使しているだけに過ぎませんから「押し付け」とはならないわけです。

ちなみに、この現行憲法の天皇制については当時毎日新聞が行った世論調査でも回答者の85%以上が賛成していましたので、当時の日本国民も決して「押し付けられた」などと思っていなかったことが容易に推定できます(※参考→日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要)。

また、このGHQ草案をたたき台にして日本政府が作成した憲法草案は若干の修正を経た後、完全な自由選挙で選任された議員が組織する帝国議会の衆議院において「賛成421、反対8」の圧倒的多数で可決されていますので(※参考→日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要)、現行憲法の天皇制が日本国民の自由な意思に基づいて選択されたものでありアメリカ政府(連合国)から強制されたものでないことも明らかだったと言えるでしょう。

これらの事実を踏まえれば、仮に当時のアメリカで行われた世論調査で天皇の戦争責任や天皇制の廃止を求める世論が多かったとしても、それはアメリカ国民の世論に過ぎずアメリカ政府の方針ではなかったわけであって、「アメリカ政府が天皇制の廃止を強要していた」だとか「当時の日本が天皇制を存続させるために仕方なくアメリカ(連合国)から押し付けられた憲法を受け入れた」などという事実が全く存在しなかったのは疑いようがありません。

このような事実を認識してもまだ同様の主張をするというのであれば、それはもう歴史修正主義に基づく主張以外の何物でもないと言えます。