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匿名アカウントで人を批判するのが全く悪くない5つの理由

ツイッターなどのSNSで著名人や有名人やタレントなどの発言を批判(非難)すると、決まって

  • 「匿名アカウントで他人を批判(非難)するのは卑怯だ!」
  • 「自分の本名を公開する覚悟もなく他人の意見を批判(非難)するな!」
  • 「自分を安全圏に置いて人のことをあれこれ言う人はダサい!」

などと匿名アカウントで他人の意見を批判(非難)することがさも「悪いこと」であるかのような意見を言う人が現れますが、こうした意見は一見するとまともな意見のように思えます。

自分の本名を名乗りもしない赤の他人から自分の意見を批判(非難)されれば誰だっていい気はしませんし、そもそも匿名のどこの誰かも分からない相手に対しては、その批判(非難)に対して再反論を重ねて議論することさえできないからです。

しかし、このような意見には全く同意できません。

なぜなら、以下に挙げる5つの点を考えれば、匿名アカウントで他人の意見を批判(非難)する行為自体に、何ら責められるべき点はないと言えるからです。

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表現の自由という「人権の行使」に実名を公開しなければならない責任や覚悟は求められていない

このように「匿名で人の意見を批判(非難)するな!」と怒り出す著名人や有名人やタレントなどがいるわけですが、そもそも彼らは一つの大きな事実を忘れています。

それは、表現の自由(言論の自由)が人権として憲法で保障されているという点です。

他人の意見を批判(非難)する行為もそれが表現行為の一部である以上、表現の自由(言論の自由)として憲法の人権保障が及びます。

【日本国憲法第21条】

第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

この点、その他人の意見を批判(非難)する表現行為(言論)を行う人に対して「匿名で批判(非難)するな!」とか「俺の意見を批判(非難)するなら本名を名乗れ!」と本名を公開することを強制できるかという点が問題となりますが、それはもちろんできません。

なぜなら、憲法で保障されている基本的人権は「人が生まれながらにして持つ権利」という自然権的思想が基礎にあると考えられているからです。

憲法で保障されている基本的人権が自然権的思想に基づくものであることは憲法11条で「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」と規定されていることから明らかと考えられています。

【日本国憲法第11条】

国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

自然権思想とは、イギリスの哲学者ジョン・ロックの「人は生まれながらにして自由・平等な存在としての自然権を有していた」とする思想のことを言いますが、これは基本的人権が「国家」によって与えられるものではなく、人が「生まれること」によって「現在および将来の国民に」無条件に与えられる性質のものであるということを意味します。

この点、憲法で保障される人権が国家(権力者)から与えられるものではなく「人が生まれながらにして持つ権利」であるのなら、その権利を行使するために「責任」や「覚悟」や「義務」の履行を求められることはありません。責任や覚悟や義務を果たさなくても無条件に「ただ生まれただけ」で行使できるのが憲法で保障された基本的人権だからです。

ですから、たとえばあるタレントのXが「AはBだ」と発言したケースがあったとして、一般市民が匿名でタレントXに対して「XのAはBだという意見は間違っている、AはCだ!」と批判(非難)した場合であっても、その批判(非難)された著名人や有名人やタレントは「匿名で批判(非難)するな!」などとその匿名の一般市民に対して抗議することはできないことになります。

つまり、そもそも「匿名で批判(非難)するな!」などと大きな声で叫んでいる著名人や有名人やタレントなどは、憲法の基本的人権の意味をまるで理解していないのです。

なお、この点については『他人を批判するには相応の覚悟と責任が必要…が間違っている理由』のページでも詳しく論じています。

多数のフォロワーを抱える著名人と一般市民とではそもそも「本名の公開」という前提条件が対等ではない

先ほど述べたように、匿名のアカウントを利用して著名人や有名人やタレントなどの意見に批判的(非難的)なコメントを付ける行為を批判する人たちがいるわけですが、著名人や有名人やタレントと一般人とでは、その置かれた前提条件がまるで違います。

多数のフォロワーを抱える著名人や有名人やタレントはSNSで一言発信すれば数十万人にその自分の意見を共有させることができますし、SNSで気の利いたコメントを残すことでワイドショーへの出演や書籍の執筆など少なからぬ経済的利益を受けることも可能ですから、著名人や有名人やタレントなどが「本名を公開する」という行為が利益を生み出すことはあっても、それ自体が彼らに不利益を及ぼすことはまず考えられません。

また、たとえ有名人やタレントなどでなくても、例えば実名でSNSアカウントを開設している弁護士や公認会計士や医師や起業家などは、自分の実名アカウントで気の利いた意見を発信しフォロワーを集めることで自分の事務所や企業のイメージを向上させ顧客の獲得に繋がることも期待できるでしょうから、彼らにとっても「本名を公開する」ということに経済的なメリットこそあれデメリットは特にないと言えます。

もちろん、彼らがSNSで不適切発言をして炎上してしまえばそれによって仕事が減る可能性もありますから「本名を公開すること」にリスクが全くないわけではありませんが、炎上しない限り「本名を公開すること」で不利益が生じることは普通はないわけです。

しかし、一般市民はそうではありません。社会に対する影響力の全くない一般人は、仮にSNSで気の利いたコメントを残しても数十回リツイートされるぐらいが関の山で、テレビへの出演や書籍の出版依頼を受けることもないからです。

しかも、一般市民がネットで実名を公開する場合、自分の意見に内在する思想と個人の本名が関連付けられることで私生活上の不利益が生じてしまう危険性があります。

たとえばLGBTや疾病や身体的欠損などの特性を持つ人たちの中には差別や偏見を恐れて自分の身体的特性と自身の本名を関連付けられないように細心の注意を払って生活している人も少なからずいますが、それらの身体的特性に関する偏見や差別を助長する意見に批判(非難)する場合にも本名の公開を求められるとなれば、自身の本名とその特性が関連付けられる危険性が増大することになり、その「本名を公開する」という行為自体が大きなリスクとなり精神的負担となり得るでしょう。

このような一般市民の不利益を考えれば、「本名を公開する」という行為はSNSで自身の主張を発信する際の対等な前提条件とはならないと考えるべきです。

つまり、SNSを利用する一般市民は、「本名を公開する」ことで著名人や有名人やタレントと対等関係になるわけではなく、「本名を公開しない」状態でようやく「本名を公開」した著名人や有名人やタレントと対等な関係で議論ができるわけですから、その一般市民に対して「本名を公開しないと卑怯だ」とは言えないのです。

ですから、このような前提条件の違いを一切無視して、ただ「本名を公開していない」ことだけを理由に「匿名で人の意見を批判(非難)するな!」と主張して一般市民の言論を抑制しようとする人たちの意見は失当と言えるのです。

なお、この点については『匿名アカウントでの批判は自分を安全圏に置く卑怯な行為なのか』のページでも詳しく論じています。

賛意を表す”リツイート”や”イイね”にも対立する意見を批判(非難)する意思が含まれている

また、「匿名で人の意見を批判(非難)するな!」と声高に主張している人達が、決して自分の意見に賛同する”リツイート”や”イイね”に対して「匿名で俺の意見に賛同する”リツイート”をするな!」とか「匿名アカウントで俺の意見に”イイね”をつけるな!」と言わないのも問題です。

なぜなら、全ての意見には、その意見と対立する他の意見を批判(非難)する主張が内在されているからです。

ある意見に賛同する意思表示は、その意見と対立する他の意見を間接的に批判(非難)する意思を包含しますので、著名人や有名人やタレントの意見に賛意を示す”リツイート”や”イイね”は、その意見と対立する他の意見を必然的に「批判(非難)」していることになります。

たとえば、ある有名人が「消費税の税率を上げるべきだ」という意見をSNSで発信した場合には間接的に「消費税を上げるべきではない」という意見を批判(非難)していることになりますので、その「消費税の税率を上げるべきだ」という意見に賛同する”リツイート”や”イイね”を押した人は、必然的に「消費税を上げるべきではない」という意見を批判(非難)していることになるわけです。

そうであれば、「匿名で人の意見を批判(非難)するな!」と声高に主張している人達は、その自分の意見に賛同する”リツイート”や”イイね”に対しても「匿名で”リツイート”や”イイね”を付けるな!」と言わなければなりません。

自分の意見に賛同する”リツイート”や”イイね”も、その自分の意見に反対する意見を批判(非難)する意思表示が包含されるため、その自分の意見に”リツイート”や”イイね”を付ける行為自体が「他人の意見を批判(非難)」することになるからです。

しかし、これらの著名人や有名人やタレントなどは、自分の意見に賛同する”リツイート”や”イイね”に対しては一切文句を言わず、自分の意見を批判(非難)する”リツイート”や”イイね”に対してだけ「匿名で批判(非難)するな!」と主張しているのですから、いかに彼らが卑しくずる賢いかが分かるでしょう。

「匿名で批判(非難)するな!」と声高に主張している著名人や有名人やタレントなどは、匿名のアカウントで自分たちの意見を批判(非難)する一般市民を「卑怯だ!」と攻撃していますが、自分の意見に賛同する匿名コメントだけは許容して悦に入り、自分の意見を批判(非難)する匿名コメントだけを排除しようとする彼らの方がよほど卑怯で悪辣なのです。

選挙における「投票」は匿名で対立候補を批判(非難)する行為

「匿名で批判(非難)するな!」と声高に主張する著名人や有名人やタレントなどは、ある意見を批判(非難)する場合に「本名の公開」を求めていることになりますが、このような思想が一般化されてしまえば、最終的には民主主義が成り立たなくなります。

なぜなら、本名を公開しないと他人の意見を批判(非難)できないのなら、選挙における投票行動などできなくなってしまうからです。

選挙における「投票」は、自分が支持する候補者や政党の名前や名称を投票用紙に記載しますが、その意思表示は間接的に対立する他の候補者や政党の主張を批判(非難)する意思表示が必然的に含まれることになります。

たとえば、政党Xの候補者Aと政党Yの候補者Bが立候補した選挙で有権者が政党Xの候補者Aに投票した場合、その有権者は政党Yの候補者Bの主張する意見よりも政党Xの候補者Aの意見の方が優れていると考えたからこそ候補者Aに投票していますから、その投票行動は間接的に「政党Yの候補者Bの主張は妥当ではない」と批判していることになるわけです。

しかし、選挙の場合は投票用紙に自分の本名を記載する必要はありません。投票用紙に自分の本名を記載することが求められてしまえば、権力者の報復を恐れて有権者の自由な意思による投票が担保されなくなってしまうので本名の記載までは求められていないからです。

つまり、選挙の場合には国民主権や民主主義の実現のためにあえて無記名投票を採用し、国民に対して「匿名で人の意見を批判(非難)する場」を与えているわけです。

では、もし「匿名で人を批判(非難)するな!」という思想が一般化されてしまえばどうなるでしょうか。

そのような思想が一般化され、その思想に疑問を持たない人が多数を占めるようになれば、選挙の投票においても本名の記載を求める記名投票が制度化される危険性がありますが、仮にそうなってしまえば、もはや国民主権や民主主義は担保されなくなってしまうでしょう。

このように「匿名で批判(非難)するな!」という思想は一見するともっともらしく聞こえますが、突き詰めて考えると民主主義を否定する方向に利用されうる危険な思想と言えます。

そのような問題に気付かずに、あるいは気付いたうえで「匿名で批判(非難)するな!」と声高に主張している著名人や有名人やタレントなどの主張が本当に信頼に値するものなのか、今一度すべての国民が真剣に考える必要があると思います。

道徳(マナー)は権力者が押し付けてよいものではない

以上で説明したように「匿名で人の意見を批判(非難)するな!」という主張は、憲法で保障された表現の自由(言論の自由)という基本的人権の点から考えてそもそもおかしな主張ですし、民主主義や国民主権を実現する必要性から考えても妥当ではないばかりか有害な思想とさえ言えます。

もっとも、彼らの主張もうなずける面がないわけではありません。

本名を名乗りもしない赤の他人から自分の意見をあれこれ批判(非難)されるのは不愉快ですし、自分の意見を批判(非難)されればそれに反論しなければなりませんが、どこの誰かも分からない匿名の相手のために貴重な時間を奪われてしまうのは納得できない面もあるからです。

しかしそれは、あくまでも道徳(マナー)のレベルでの話です。

たとえば、私が匿名で開設したSNSのアカウントで著名人や有名人やタレントなどの意見を批判(非難)することがあっても彼らのアカウントに直にDMやコメントを送り付けることがないのは、彼らの貴重な時間を私個人の意見を送り付けることで奪ってしまうことが道徳(マナー)違反だと私が考えているからです。

ですから「匿名で人を批判(非難)するな!」という主張を「道徳(マナー)」として考えた場合には、その意見にもうなずける面もあります。

しかし、道徳(マナー)は権力者が一般市民に押し付けてよいものではありません。個人が自由な意思で選択し、個人の自由な意思で従うのが道徳(マナー)であって権力者から強制されるものではないのです。

権力が道徳(マナー)を強制することを認めれば、戦前戦中の教育勅語のような教育をも認めなければならなくなってしまうので権力者が道徳(マナー)を市民に強制することは認められるべきではないのです。

もちろん著名人や有名人やタレントなども一般市民であり国家権力ではありませんから、彼らがSNSで「匿名で人を批判(非難)するな!」と主張しても国家権力が道徳(マナー)を国民に強制したということにはなりません。

しかし、彼らが多数のフォロワーを抱えている事実やメディアで発言する機会が与えられていることを考えれば彼らの影響力は立派なある種の「権力」と言えますから、彼らのような影響力のある人たちがその「権力(影響力)」を行使して「匿名で人を批判するな!」という道徳(マナー)を一般市民に押し付けるべきではないのは当然と言えます。

ですから、著名人や有名人やタレントなどが「匿名で人を批判(非難)するな!」と匿名アカウントのユーザーの発言を抑制する行為は、彼らが考える独りよがりな道徳(マナー)観念を社会的な影響力というある種の権力を利用して社会に拡散させ一般化させようとしている面を考えても、許されるものではないと言えます。

最後に

以上で説明したように「匿名のアカウントで人を批判(非難)するな!」という主張は一見すると真っ当な意見のような気がしますが、憲法で保障された表現の自由(言論の自由)という基本的人権や民主主義の実現という観点、著名人や有名人と一般市民との社会的な影響力や地位、また個人的な道徳(マナー)を権力を用いて強制している点を考えれば、到底許容されるものではなく、端的に言って危険な思想とさえ言えます。

もちろん、表現の自由(言論の自由)が憲法で保障されるとは言っても、その人権保障は無制限に認められるものではなく相手方の人格権(プライバシー権)を侵害するような発言は慎まなければなりません (※詳細は→お笑い芸人の「ハゲ・デブ・ブス」は表現の自由で保障されるか)。

しかし、「他人の意見を批判(非難)すること」と「他人の人格を誹謗中傷して名誉を棄損すること」は全く別の表現行為なのですから、それを混同して「本名を公開しないなら俺の意見を批判(非難)するな!」というのはただの傲慢、自分の意見だけを社会で一般化させたいという独善主義的思想の発露に過ぎません。

このような思想が社会で一般化されてしまえば、民主主義は容易に破壊され、一部の影響力を持つ権力者の思うが儘に世論は操作され、我々一般市民はそれにただ従うだけの奴隷にされてしまう危険性も生じます (※詳細は→有名人が「匿名アカウントで人を批判するな」と言いたがる理由) 。

ですから国民は、このような意見に惑わされることなく、このような意見を主張する著名人や有名人やタレントなどの発言を注意して監視しなければなりません。

それをおろそかにすれば、今我々が謳歌している自由と安寧はいとも簡単に取り上げられてしまうことを肝に銘じなければならないと言えるのです。