お笑い芸人の「ハゲ・デブ・ブス」は表現の自由で保障されるか

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先日、とある民放のテレビ番組において、女性アイドルが自宅玄関で複数の男性から受けた暴行被害を運営側が隠蔽していた事件に絡む話題において、運営と深い関係のある女性タレントが発した「私が運営にたずわっても対処できないだろう」という趣旨のコメントに対して、「お得意の身体を使ってなんかするとかさ」と事件の性質から考えてあり得ないセクハラ発言を行った大物お笑い芸人が炎上してしまうという何とも残念なトピックがネット界隈を賑わせてくれました。

このような発言は、たとえそのセクハラ発言を受けた女性タレントが了承したうえで発せられたものであったとしても、女性蔑視や差別的思想を包含するものである点を考えれば公共の電波で垂れ流すことは絶対的に許されるべきものではありませんが、私がここで議論したいのは、その常軌を逸したセクハラ発言ではありません。そのお笑い芸人が他人の身体的特徴を揶揄して笑いをとる言動です。

当該お笑い芸人は、そのセクハラ発言を発する少し前、女性アイドルを若い男性ファンから守るために年配の男性マネジャーを多く採用するべきだという趣旨で「もっと周りにハゲをいっぱい置いた方がいいよ」「だいたい世の中はハゲで解決する」などと発言しています。

これは「ハゲ」という他人の身体的特徴を嘲笑し蔑むことで笑いを取るいわゆる「ボケ」や「ツッコミ」や「イジリ」ですが、他人の身体的特徴を揶揄する言動がなぜ社会で許容され続け、公共の電波を使って垂れ流し続けられているのか、私には理解できません。

では、このような他人の身体的特徴を揶揄する発言は、そもそも表現行為として許されるものなのでしょうか。

このサイトは憲法に関するサイトですので「ハゲ・デブ・ブサイク」など他人の身体的特徴を揶揄するお笑いが憲法の観点からどのような問題を提起できるか検討してみます。

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身体的特徴を「揶揄されない」権利は人格権(プライバシー権)の一つとして憲法13条の幸福追求権により保障される

お笑い芸人の「ハゲ」「デブ」「ブス」「ブサイク」などといった他人の身体的特徴を揶揄する発言は、その身体的特徴を持つ不特定多数の人の自尊心を傷つけその名誉を棄損する可能性があることは容易に想像がつくと思います。

では、その身体的特徴を揶揄する発言によって傷けられる個人の自尊心や名誉は、憲法でどのように保護されているのでしょうか。

この点、個人の自尊心や名誉感情を保障する権利が憲法の権利として認められているかは明文上は明らかではありませんが、一般的には個人のプライバシー権として憲法上の保障があると考えられています。

個人のプライバシー権とは、憲法13条の幸福追求権から導き出される人格権の一つで、私法上の権利として近年認知されるようになった基本的人権(新しい人権)のことを言います。

【日本国憲法第13条】

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

身体障害等に起因する身体的欠損に限らず、薄毛や肥満などであってもその身体の外見(容貌)は、その個人が尊厳を保ちながら幸福を追求するという個人の人格的生存にとって重要な要素となりますから、他人から干渉を受けることなく、その当人が自由に評価・決定できるよう、最大限の保障がなされなければなりません。

そのため、その個人の身体的特徴に関する評価が他人からむやみやたらに侵害されてしまうことがないように、人格権という基本的人権の枠内において保障されるべきであると考えられているのです。

ですから、身体的特徴を持つ人が他人から「その身体的特徴を揶揄されない権利」も、憲法13条の幸福追求権から導かれる人格権の一つとしてのプライバシー権として憲法で保障されていると言えます。

「…(中略)…私法上の権利として認められた、人格権の一つとしてのプライバシーの権利は、前述の京都府学連事件、前科照会事件等の最高裁判決によって憲法上の権利としても確立した。それを広く、個人の人格的生存にかかわる重要な私的事項(たとえば容ぼう、前科などの自己に関する情報)は各自が自律的に決定できる自由、と言うことができよう。」

※出典:芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法(第6版)」岩波書店121~122頁より引用

具体的に説明すると、たとえば「薄毛の人(※ここで言う「薄毛」とは加齢による薄毛だけでなく怪我や病気を起因とした脱毛等の後遺障害も含みます。以下同じ)」がいた場合に、その「薄毛」という身体的特徴を社会から「ヘアスタイルの一つ」と評価されるか、それとも「ハゲ」と嘲笑の対象と評価されるかは、その「薄毛の人」の人生に大きな影響を与えることになるのは避けられません。

「薄毛の人」がその「薄毛」という身体的特徴を社会から「ヘアスタイルの一つ」と評価される限りその「薄毛の人」は世間から笑われることなく普通の生活を送ることができますが、その「薄毛」を社会から「ハゲ」と評価されてしまえば、その「薄毛の人」は「ハゲ」という嘲笑の対象としてピエロを演じて生活することを社会的に強制させられてしまうからです。

もちろん、世間には「薄毛」を「ハゲ」と笑われることに抵抗がなく、むしろその「薄毛」を自ら「ハゲ」とネタにして笑いをとる人もいますから(例えばお笑いタレントの自虐ネタなど)、「ハゲ」と評価されることを積極的に望む人が一定数存在するのも事実です。

しかし、そうでない人にとっては「薄毛」を「ハゲ」と評価されてしまえば普通人と同じ「他人からハゲと笑われない」生活が制限されるという点で人格的生存が脅かされてしまうことになり得ますから、その「薄毛の人」が他人から「薄毛」の評価を干渉され「ハゲ」と評価されることのないよう、その「薄毛の人」の自己決定権を保護する必要性はあると言えるでしょう。

「薄毛の人」が「薄毛」という身体的特徴を他人から干渉されることなく「ヘアスタイルの一つ」と評価するか「ハゲ」と評価するか自ら決定できる権利を保障しなければ、その「薄毛の人」が個人の尊厳を保って幸福を追求し人生を送るという人格的生存が確保できないからです。

そのため憲法では、その「薄毛の人」が持つ「薄毛」という身体的特徴を他人から「ハゲ」と評価されない権利、すなわち他人から「身体的特徴を揶揄されない権利」も人格権の一つとしてのプライバシー権として保障されうると考えられているのです。

このように、「薄毛の人」が他人から「ハゲ」と評価されない権利、言い換えれば他人から「ハゲと嘲笑されない権利」は憲法13条の幸福追求権から派生される人格権(プライバシー権)として保障されると考えられますが、このように理解した場合、お笑い芸人の「ハゲ」発言の問題も理解できると思います。

お笑い芸人がテレビ番組で「薄毛の人」を「ハゲ」と小バカにして嘲笑し笑いのネタにする場合、社会に多数存在する「薄毛の人」は、その番組を視聴し爆笑した不特定多数の視聴者から「その薄毛」という身体的特徴の評価を「ハゲ」という嘲笑の対象として固定化されることになるからです。

そのお笑い芸人の「ハゲ」という”イジリ”によって、世間一般の「薄毛の人」が「ハゲ」という嘲笑の対象として評価が固定化されてしまえば、その「薄毛の人」は本人が望むか望まないかにかかわらず、その後の一生を「ハゲ」として社会から笑われながら生きていかなければならなくなってしまいますが、それではその「薄毛の人」は個人の尊厳を保ちながら幸福を追求することがその人生においてできなくなってしまうでしょう。

つまり、お笑い芸人の「ハゲ」という”イジリ”は、社会に存在する不特定多数の「薄毛の人」の「薄毛」の評価を「ハゲ」という嘲笑対象としての社会的評価に固定化させることによって、その不特定多数の「薄毛の人」の人格的生存権を侵害しているということが言えるわけです。

お笑い芸人の「ハゲ・デブ・ブス・ブサイク」発言も表現の自由として保障される

このように、「ハゲ・デブ・ブス・ブサイク」など、他人の身体的特徴を揶揄するお笑い芸人の発言は、その身体的特徴を持つ不特定多数の個人のプライバシー権を侵害する表現になり得ると考えられますので、憲法の人権保障の観点から考えれば認められるべきではないと言えます。

しかし、人権保障の観点を考えた場合、そのお笑い芸人の「ハゲ・デブ・ブス・ブサイク」など他人の身体的特徴を揶揄する発言についてもまた、その人権保障を考えなければなりません。

なぜなら、お笑い芸人が発する”ボケ”や”ツッコミ”も、憲法21条1項の表現の自由として保障される必要があるからです。

【日本国憲法第21条】

第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

この点、他人の身体的特徴を揶揄する発言は名誉棄損的表現として憲法における表現の自由で保障される範囲に含まれないという考え方もありますが、今日では、たとえ名誉棄損的表現であっても一応は表現の自由の射程内に含まれ憲法で保障されるものと考えられています。

「当初は政治的内容の表現が中心であったが、今日ではいかなる内容であれ一応表現の自由の保障の射程内にあると考えている。特に、かつては射程外と考えられていたわいせつ的表現、名誉棄損的表現、プライバシー侵害的表現、商業広告なども、今日では一応表現の自由の範囲に入るものと考えるようになっている」

※出典:高橋和之著「立憲主義と日本国憲法」放送大学教材121頁から引用

表現の自由は、その表現者が表現行為によって自己実現を図るために不可欠なものであり、思想良心の自由(憲法19条)など他の人権とも密接に関係するだけでなく、言論活動によって政治的意思決定に関与する点を考えれば憲法の基本原理である国民主権にも大きな影響を及ぼす基本的人権と言えますので、最大限に保障されなければなりません。

ですから、お笑い芸人の「ハゲ」「デブ」「ブス」「ブサイク」などといった他人の身体的特徴を揶揄する表現であっても、表現の自由に含まれるものとして保障されなければならないのが原則と言えます。

もっとも、だからと言ってお笑い芸人による「ハゲ」「デブ」「ブス」「ブサイク」などという他人の身体的特徴を揶揄する発言がいかなるケースでも認められるわけではもちろんありません。

先ほど説明したように、その身体的特徴を持つ人にとっては、そのお笑い芸人の発言によって個人の尊厳を保ちながら幸福を追求し人生を送ることができなくなり、個人の人格的生存権という基本的人権が侵害されてしまうからです。

このような場合には、お笑い芸人の「ハゲ」「デブ」「ブス」「ブサイク」などといった発言を表現の自由として保障すべき要請と、その身体的特徴を揶揄する発言によって人格権を侵害される個人の人権保障がぶつかり合うことになりますから、表現の自由と人格権のどちらを優先させるか権利の調整が必要になります。

つまり、お笑い芸人の「ハゲ」「デブ」「ブス」「ブサイク」などといった他人の身体的特徴を揶揄する表現によって、個人の尊厳を保って幸福を追求し人生を送るという人格的生存が侵害されてしまわないよう、個人の人格権(プライバシー権)を保障するために、お笑い芸人の表現の自由という人権を制限することができるか、という点が問題になるわけです。

他人の身体的特徴を揶揄する表現の自由は比較衡量論によって制限されうる

この点、表現の自由は人間の人格形成だけでなく民主主義の実現に必要不可欠な国民の知る権利(「知る権利」も憲法21条の表現の自由から基本的人権として保障されます)の保障の要素が包含されていますから、たとえ名誉棄損的表現であってもその制限を最小限に抑える必要があります。

そのためこのようなケースでは、名誉棄損的な表現も憲法21条の表現の自由として保障されるとしたうえで、

「それを制限することによってもたらされる利益とそれを制限しない場合に維持される利益とを比較して、前者の価値が高いと判断される場合には、それによって人権を制限することができる」

※出典:芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法(第6版)」岩波書店101頁より引用

という比較衡量論の基準を参考にして、対立する保護すべき人権の利益と比較衡量しながら、最大限保護の及ぶ表現の範囲を限定するという「定義づけ衡量論」を用いて判断されるのが一般的です。

つまり、表現の自由は人間の人格形成と民主主義の実現に必要不可欠なのでたとえ他人の名誉やプライバシーを侵害する表現であっても最大限保護するのが原則と考えたうえで、その名誉棄損的表現によって侵害される他の人権の保護の必要性と比較衡量しながら、限定的に表現の自由を規制して人権の調整を図ろうという基準で表現の自由を制限するか否か判断するわけです。

もっとも、その名誉棄損的表現によって人権が侵害される側の人間が私人(一般市民)の場合には、公人(公務員や著名人など)の場合よりも国民の知る権利の要請は低くなりますので、名誉棄損的表現の自由よりも、それによって侵害される個人の人格権(プライバシー権)の保護の方が重要視されることになります。

名誉棄損的表現によって人格権を侵害される人間が公人(公務員や著名人など)ではなく私人(一般市民)であるなら、その名誉棄損的表現の自由を保護すべき利益よりも私人の人格権保護の要請の方がより重要と言えるからです。

実際、過去の最高裁の判例でも、幼少時に血管奇形に属する疾病に罹患して外貌に身体的特徴のある女性が、友人の小説家からその容貌を「異様なもの、悲劇的なもの、気味の悪いものなどと受け取られるか烈な表現」で無断で小説のモデルとして描かれた事件で、その女性の名誉やプライバシー、その他の名誉感情が侵害される不利益と小説の出版を差し止めることによって表現の自由が侵害される不利益とを比較衡量したうえで、「本件小説の出版等により被上告人に重大で回復困難な損害を被らせるおそれがあるというべき」と判示されてその小説の出版差し止めが認められたものがあります(※「石に泳ぐ魚」事件:最高裁平成14年9月24日|裁判所判例検索参照)。

「人格的価値を侵害された者は、人格権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である。どのような場合に侵害行為の差止めが認められるかは、侵害行為の対象となった人物の社会的地位や侵害行為の性質に留意しつつ、予想される侵害行為によって受ける被害者側の不利益と侵害行為を差し止めることによって受ける侵害者側の不利益とを比較衡量して決すべきである。そして、侵害行為が明らかに予想され、その侵害行為によって被害者が重大な損失を受けるおそれがあり、かつ、その回復を事後に図るのが不可能ないし著しく困難になると認められるときは侵害行為の差止めを肯認すべきである。」

※「石に泳ぐ魚」事件:最高裁平成14年9月24日|裁判所判例検索より引用

ですから、他人の身体的特徴を揶揄したり名誉を棄損するような内容の表現であっても基本的には表現の自由として保護されるのが原則ですが、その名誉棄損的表現を制限した場合に生じる表現者の不利益と、その表現行為によって人格権(プライバシー権)を侵害される個人の受ける侵害の程度やその性質を比較衡量して、侵害される人権権(プライバシー権)の被害が大きく、その侵害される人格権の回復が不可能ないし著しく困難になる場合には、その表現行為が制限されることもありうると言えるのです。

身体的特徴を揶揄する表現を制限することで生じる芸人の不利益は、人格権を侵害される人の不利益と比較にならないほど小さい

では、このような考え方があることを理解したうえで、お笑い芸人がテレビ番組などで発する不特定多数の人を標的にした身体的特徴を揶揄する”イジリ”について考えてみましょう。

この点、お笑い芸人の「ハゲ」「デブ」「ブス」「ブサイク」などといった他人の身体的特徴を揶揄する表現も、それが”お笑い”という表現行為の一つである以上、その表現は最大限に保障されなければなりませんから、その身体的特徴を揶揄する発言も基本的には憲法21条の表現の自由として保障される必要があります。

しかし、お笑い芸人がその他人の身体的特徴を揶揄する表現によって得られる利益は、そのお笑い芸人がその下卑たジョークで低俗な一般大衆から受ける僅かな”ウケ”と、その”ウケ”によって維持できるお笑い芸人としての”人気”と、その人気によって得られる”次の仕事”ぐらいしかなく、それらは要するに「カネ(お金)」の問題にすぎませんから、仮にその表現行為を制限したとしても、その表現の自由を制限して生じる不利益は、それらお笑い芸人個人の経済的利益が減少し、低俗な一般大衆が下卑たジョークで笑う機会を奪われるぐらいしかありません。

一方、そのお笑い芸人の「ハゲ」「デブ」「ブス」「ブサイク」などといった他人の身体的特徴を揶揄する”イジリ”がテレビ番組等の公共の電波によって拡散されれば、その身体的特徴を持つ不特定多数の人たちは、そのお笑い芸人の発言によって社会で嘲笑の対象として評価され、それ以後の人生で尊厳を保ちながら幸福を追求して人生を送る機会を奪われてしまうことになりますが、仮にその身体的特徴を揶揄する表現が制限されれば、世間一般の人と同じ普通の生活を送る自由が確保されます。

そうであれば、先ほどの比較衡量論を参考に考えても、そのお笑い芸人の他人の身体的特徴を揶揄する表現を制限しない理由はありません。

お笑い芸人の他人の身体的特徴を揶揄する表現を制限しない場合に得られる利益が「そのお笑い芸人の金儲け」と「低俗な一般大衆の娯楽」にしかない一方で、その表現を制限した場合に得られる利益は「身体的特徴で肩身の狭い生活をしている人が普通の生活を送る自由」という個人の生存に不可欠な人格的生存権の保障にあるからです。

仮にそのようなお笑い芸人の「ハゲ」「デブ」「ブス」「ブサイク」などといった他人の身体的特徴を揶揄する”イジリ”が今後も公共の電波で垂れ流されることになれば、「他人の身体的特徴は笑いのネタにしてよいもの」という認識が社会全体に拡散されることによって、その身体的特徴は「嘲笑の対象」という評価に固定化されてしまい、その回復を事後に図るのは不可能ないし著しく困難になるでしょう。

「他人の身体的特徴は笑いのネタにしてよい」という評価が一般化されてしまえば、その身体的特徴を”自虐ネタ”として笑いにできる僅かな人を除き、身体的特徴を保持して懸命に普通の生活を送ろうと努力している不特定多数の人たちが、他人から容貌を笑われながらその後の人生をピエロを演じて生活することを強制されてしまうことになるのですから、そのような人格権の侵害が生じないよう表現行為は制限されなければなりません。

ですから、お笑い芸人の「ハゲ」「デブ」「ブス」「ブサイク」などといった他人の身体的特徴を揶揄する”イジリ”は、表現の自由という人権保障を考えたとしても、絶対に許容されるものではなく、積極的に制限されるべきものであると言えるのです。

他人の身体的特徴を揶揄する表現で笑いをとる芸人は、他人の幸福追求権の犠牲のうえに金儲けできていることに気付くべき

以上で説明したように、お笑い芸人が他人の身体的特徴を揶揄して笑いをとる表現行為は、表現の自由(憲法21条)を考えても、その身体的特徴を保持する不特定多数の人の人格的生存権を侵害している現実に鑑みれば、到底許されるものではないことが分かります。

もちろんこれはそのお笑い芸人個人だけの問題だけではありません。他人の身体的特徴を揶揄する発言を”お笑い”の名の下に垂れ流すテレビ局やメディアの側も、それによって不特定多数の人の人格的生存権を棄損していることは同罪です。

これらの発言を良しと考えるお笑い芸人や大手メディアは、その垂れ流す「ハゲ」「デブ」「ブス」「ブサイク」などといった他人の身体的特徴を揶揄する”イジリ”によって不特定多数の人の人格権を棄損し、その身体的特徴を持つ人々が他人から嘲笑されることなく普通の生活を送る自由を侵害し続けていることにいい加減に気付かなければならないのです。

他人の身体的特徴を揶揄して笑いをとる”ボケ”や”ツッコミ”や”イジリ”は、決して「芸」などではありません。

それはただ、その身体的特徴を持ちながら普通の生活を送ろうと懸命に生きている多数の個人の尊厳と幸福追求権の犠牲の上において実現しようとする「卑しい金儲けの手段」に過ぎないです。