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日本国憲法の制定にGHQやマッカーサーが関与したのはなぜなのか

(3)マッカーサーは日本政府案(松本案)では極東委員会やアメリカ政府の承諾は得られないと考えた

そのため松本委員会は、ポツダム宣言が国民主権原理の採用を求めていることに気付かないまま、天皇主権主義をそのまま存置した明治憲法(大日本帝国憲法)を若干修正しただけの憲法改正案を作成してGHQに提示しようとしたのですが、その日本側が作成した憲法草案をGHQに提示しようとした矢先、その草案が1946年2月1日の毎日新聞にスクープされてしまいます(※参考→日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要)。

当然、その新聞記事はGHQでもすぐに翻訳されましたが、連合国側が天皇主権主義を採用する憲法草案を容認するなど到底できません。

連合国をはじめマッカーサーもアメリカ政府も、ポツダム宣言の実現には国民主権原理の採用は不可欠であり、天皇主権主義をそのまま継続した憲法で民主主義を徹底できるなど不可能だと考えていたからです(※参考→天皇制を守るため仕方なく押し付け憲法を受け入れた…が嘘の理由)。

また、連合国のうちソ連やオーストラリア、中国などは天皇の戦争責任や天皇制の廃止を求めていましたので、もし天皇主権主義をそのまま残す憲法草案を基に憲法改正作業が進められていることがそれらの国に知られてしまえば「日本は何も変わってない」「やはり天皇の戦争責任を問わないと日本は変わらないんだ」とそれらの国に天皇制の廃止や戦争責任を追及する格好の攻撃材料を与えてしまいます(※参考→憲法の再検討を勧めたマッカーサー、それを拒否した日本人)。

しかし、マッカーサーは戦後の占領政策に天皇と皇室制度は必要不可欠であると考えていましたから、そうした混乱が起きることは何としても避けなければなりませんでした。

そのためマッカーサーは、2月3日にGHQ民生局長のホイットニーに対していわゆる「マッカーサー三原則」を提示してGHQで独自の憲法草案を作成するように命じ、日本側に提示することにしたのです(※GHQ民生局がGHQ草案を日本側に提示したのは2月13日)。

(4)なぜマッカーサーは日本側からの再提示を待たずにGHQ草案を提示することになったのか

この点、なぜマッカーサーが日本側で草案の作り直しがなされるのを待たずにGHQ民生局に草案作成を命じてGHQ草案を日本側に提示することにしたのかという点が問題となりますが、その理由は2つあると考えられます。

ア)極東委員会の第一回会合が目前に迫っていたこと

その理由の第一は、先ほども述べたように、昭和21年の2月26日に極東委員会の初会合が開かれることが予定されていたからです(※憲法制定の経過に関する小委員会報告書の概要(衆憲資第2号)|衆議院28~29頁参照)。

2月26日が経過して極東委員会が発足してしまえば、日本の憲法改正作業にかかる事項はすべて極東委員会の政策決定事項となりますので、もはやマッカーサーやGHQが独自に日本の憲法改正作業に関与することはできません。

しかし、日本側がポツダム宣言の趣旨を短期間で理解できない場合は、再び天皇主権主義に固執した憲法草案を提示してくることも予想されますが、仮にそうなって極東委員会が関与することになれば、先ほど述べたように天皇の戦争責任や天皇制廃止を求めるソ豪中などの諸国に格好の攻撃材料を与えてしまう可能性も生じてしまいます。

仮にそうなってしまえば、昭和天皇が戦犯として裁かれたり天皇制や皇室制度が廃止され日本国内が混乱し、占領政策が破綻してしまう危険性も増してしまうでしょう。

こうした事情があったことからマッカーサーは、極東委員会が関与する前に日本政府の中で憲法改正作業が進められているという既成事実を作っておきたかったのですが、日本側に憲法草案の作り直しをさせるよりも、GHQの側で具体的な憲法草案(モデル案)を作成して日本側に提示する方がより短期間に的確にポツダム宣言の趣旨を理解させることができると考えました(※憲法制定の経過に関する小委員会報告書の概要(衆憲資第2号)|衆議院21頁参照)。

そのためマッカーサーは、GHQの民生局に急いで憲法草案の骨子(GHQ草案)を作るよう命じ、日本側に提示することにしたのです。

イ)読売新聞で昭和天皇の退位に関する記事がスクープされたこと

また、2つ目の理由としては、当時の読売報知(※今の読売新聞)が昭和天皇に退位の意思があることをスクープしたことも挙げられます。

当時の昭和天皇が退位を考えていたことは昭和20年(1945年)10月から同21年(1946年)5月まで侍従次長(皇后宮太夫兼任)の職に任ぜられていた木下道雄氏が在任期間中につけていた「側近日誌(文藝春秋)」にも記述がありますが、その事実は公にはされていませんでした。

ところが、昭和21年2月27日付けの読売報知(今の読売新聞)が、AP通信のラッセル・ブラインズが東久邇宮からとったインタビューを紹介する形で「皇族方は挙げて賛成 陛下に退位の御意思 摂政には高松宮を 宮廷の対立明るみへ」と題したスクープを載せてしまいます(前掲「側近日誌」解説378頁)。

つまり、東久邇宮が「昭和天皇に退位の意思があること」や「皇族がその退位に賛成していること」をAP通信の記者に語ったことが新聞で公にされてしまったわけです。

しかしこの事実はマッカーサーにとっては好ましくありません。マッカーサーは昭和天皇が退位するようなことになれば国内に混乱を招くと考えていたからです。

皇太子(現在の上皇陛下)は終戦の年に11歳だったため昭和天皇が退位するのであれば摂政を置かなければなりませんが、秩父宮は病気のため支障があり、高松宮は開戦当時軍の中枢にいたため都合が悪く、当時30歳の三笠宮は若すぎて適任ではないと当時の昭和天皇は考えていました(※木下道雄「側近日誌」文藝春秋:165頁参照)。

又、ご退位につきては、それは退位した方が自分は楽になるであろう。今日の様な苦境を味わわぬですむであろうが、秩父宮は病気であり、高松宮は開戦論者でかつ当時軍の中枢部に居た関係上摂政には不向き。三笠宮は若くて経験に乏しいとの仰せ。東久邇宮の今度の軽挙を特に残念に思召さる。東久邇宮さんはこんな事情は少しも考えぬのであろうとの仰せ。

※出典:木下道雄「側近日誌」文藝春秋:165頁、昭和21年3月6日(水)より引用

そうなれば後継者の選定にも難儀が予想されますので、その後継者問題で国論が分裂し日本国内の世論に混乱を招く懸念が生じます。

また、昭和天皇自身や皇族が退位に賛成しているという事実が公になってしまえばマッカーサーにそれを拒否する権限はありませんし、天皇制の廃止や天皇の戦争責任を求めているソ中豪などの国に格好の攻撃材料を与えることになり、これらの国から「本人が退位を望んでいるなら退位させろ」とか「退位を望む天皇の後継者も決められないうえ国内に混乱を招く天皇制など廃止してしまえ」とか「天皇が退位するならA級戦犯で逮捕して戦争責任を追及しても差し支えないだろう」などという意見が出てこないとも限りません。

このようなことが現実に生じれば、それまでマッカーサーがとってきた天皇制の存続や昭和天皇の戦争責任回避の努力が全て水の泡になってしまいますが、それを防ぐには、この昭和天皇が退位を望んでいるという事実が極東委員会や連合国諸国に広く知られてしまう前に、連合国やアメリカ政府も納得できるような民主的な憲法草案が日本の議会で議論されている必要があります。

このような事情もあったことから、マッカーサーはGHQの民生局が作成したGHQ草案を日本側に提示したうえで、そのGHQ草案をたたき台にした「日本案(※のちに日本側でGHQ草案をモデルにした3月2日案が作成されGHQに提示されることになります)」を早急に作成するよう日本政府に働きかけることにしたとも考えられます(※木下道雄「側近日誌」文藝春秋:163頁参照、同解説378頁参照)。

右は憲法改正の事ながら、かくも急なるは、先日出た読売の記事、これは東久邇宮が外人記者に談られた御退位の問題に関すること。即ち、天皇には御退位の意ある事、皇族挙ってこれに賛成すると云う事。これが折角いままで努力したMの骨折を無にすることになるので、M司令部はやっきとなり、一刻も早く日本をして民定の民主化憲法を宣言せしめ、天皇制反対の世界の空気を防止せんとし、一刻も速やかにこれを出せと迫り来るによる。

※出典:木下道雄「側近日誌」文藝春秋:163頁、昭和21年3月5日(火)部分より引用
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極東委員会とアメリカ政府双方の承認を受けうるモデル案として日本政府に提示されたのがGHQ草案

以上で説明したように、現行憲法の日本国憲法が制定される過程においては、GHQ民生局が憲法草案のたたき台になるGHQ草案を作成して日本側に提示している事実がありますが、その事実自体はポツダム宣言の法的拘束力の範囲で行われたものとなりますので、そこに法的な問題点は見当たりません。

また、GHQ草案が日本側に提示されたのも、当時の日本政府(松本委員会)が民主主義の本質を理解しておらず、国民主権原理を採用しなくとも天皇主権主義の下で民主主義の徹底が図れるものと誤って理解していたところに大きな原因があったと言えます。

ですから、マッカーサーやGHQ民生局が日本の憲法改正作業に関与したのは、マッカーサーやアメリカ政府が当初予定していたものではなく、つまるところ当時の日本政府がポツダム宣言の趣旨や民主主義の本質を十分に理解できなかったことが原因であって、連合国側(極東委員会)やアメリカ政府を納得させるためにそうすることが不可避な状況に置かれてしまったマッカーサーの苦肉の妙手であったとも言えるのかもしれません。

なお、GHQ草案の意義(性格)について、衆議院の憲法審査会は以下のように結論づけていますので最後に引用しておきましょう。

第 4 に、GHQ 草案の性格である。これについては、GHQ が、松本案をもってしては米国政府及び極東委員会のいずれの承認も得られない、という判断のもとに、双方の承認を受け得るようなモデル案を具体的に日本政府に示したものと解される。

※出典:憲法制定の経過に関する小委員会報告書の概要(衆憲資第2号)|衆議院36頁より引用

憲法の制定過程
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