憲法の再検討を勧めたマッカーサー、それを拒否した日本人

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与党の政治家や憲法の改正に賛成する人の中には「日本の憲法はアメリカ(マッカーサー)から押し付けられたものだから改正すべきだ」と主張する人が多くいます。

現在の日本国憲法は、その成立過程において当時の総司令部(GHQ)が作成したGHQ草案(マッカーサー草案)を基にした事実がありますので、その点だけにフューチャーして「押し付けられた」と断定する理屈です。

しかし、この理屈にはそもそも無理があります。

なぜなら、マッカーサーや極東委員会(連合国)が憲法施行後1年から2年以内に日本人の手によって憲法を再検討し改正しなおすことを積極的に勧めたにもかかわらず、その勧めを日本政府と日本国民自らが拒否していた事実があるからです。

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極東委員会とGHQ(総司令部)の間の確執

今述べたように、現在の日本国憲法はGHQ(連合国軍総司令部)が作成したGHQ草案(マッカーサー草案)を基礎として制定されていた経緯がありますが、その成立過程は必ずしも極東委員会と歩調を合わせたものではありませんでした。

極東委員会とは、日本の占領管理政策を実行するために米英ソの外相会談で設置が決められた、仏中加豪など連合国13か国の委員によって構成される連合国側の最高政策決定機関をいいますが、昭和21年の3月6日に日本政府から「憲法再生草案要綱」が公表されるまで、極東委員会は日本における憲法改正作業について一切GHQ側から連絡を受けていなかったからです。

マッカーサーがなぜ、極東委員会に秘密裏にして日本の憲法改正作業を急がせたかというと、マッカーサーが日本の占領統治に天皇制の存続が不可欠と考えていた一方で、極東委員会の一部には天皇の戦争責任や天皇制の廃止を求める意見も根強く残っていたからです。

GHQの民生局が作成し日本政府に提示したGHQ草案(マッカーサー草案)は現行憲法と同じように天皇制を存続させるものでしたが、その草案が極東委員会に知られてしまうと天皇制の廃止を主張する極東委員会の委員の承諾を得られません。

そのため、マッカーサーとしては、極東委員会が関与してくる前に日本の議会において憲法改正作業が開始されていることを既成事実化しておき、極東委員会の関与を排除しておきたかったのです。

ポツダム宣言には、その12項で「日本国国民の自由に表明せる意思に従い」という文言が入れられていましたから、極東委員会が関与してくる前に日本の議会において憲法改正作業が進められていれば、極東委員会といえどもポツダム宣言の趣旨に反して日本政府に憲法草案の変更を強要することはできません。

【ポツダム宣言 第12項】

「前記諸目的が達成せられ且日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於ては聯合国の占領軍は直に日本国より撤収せらるべし」

(※出典:外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊 ※ポツダム宣言|国会図書館(http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html)を基に作成)※読みやすくするため「カタカナ文語体」を「ひらがな表記」に変更しています。)

そのため、マッカーサーは極東委員会が関与してくる前に、GHQが主導する形で日本の憲法改正作業を進めていくことになったのです。

もちろん、極東委員会はこのようなマッカーサー(GHQ)の態度を不快に感じていましたから、日本の新憲法がポツダム宣言の趣旨に沿った「日本国民の自由な意思の表明」たるものであることを確認する意味でも、憲法改正(明治憲法から現行憲法への改正)作業には極東委員会の承認を必要とするものと考え、アメリカ政府を通じてGHQのマッカーサーにもその政策決定を通知していました。

しかし、マッカーサーの方でも、日本の議会で憲法改正作業が行われている以上、それにことさらに極東委員会が関与することは、それ自体が「日本国民の自由な意思の表明」による民主的国家の樹立を求めたポツダム宣言の趣旨に反することになると考えていましたので、両者の関係は対立したまま、日本の帝国議会において憲法改正作業が進められていくことになったのです。

極東委員会における「日本の新憲法の再検討に関する規定」の政策決定

以上のようなマッカーサーの姿勢は、極東委員会の委員としては納得のいくものではありませんでした。

極東委員会としては、日本における憲法改正作業が極東委員会の関与しない形でGHQの主導で進められていくことを苦々しく思っていたわけです。

そのため、極東委員会の内部でも次第に「本当に日本国民の自由な意思決定の下で改正作業が進められたのか」という点を疑う声が大きくなっていき、その結果が昭和21年の10月17日に極東委員会で採択された「日本の新憲法の再検討に関する規定」という政策決定につながります。

この「日本の新憲法の再検討に関する規定」の内容は、

  • 憲法施行から1年以上2年以内に国会で憲法の再審査がなされること。
  • 極東委員会もその期間内に憲法を再審査すること。
  • 極東委員会が、日本に対して国民投票を実施して新憲法が日本国民の自由な意思を表明するものであるかどうかを確認することを要求できること。

の3点を決定するもので、憲法施行後に日本国民自身で新憲法を改めて審査させ、日本国民が望むのであれば再度憲法を改正し直す機会を与えるものでした。

【新憲法の再検討に関する規定第2項の日本語訳】

「日本国民が、新憲法の施行の後、その運用の経験にてらして、それを再検討する機会をもつために、かつ、極東委員会が、この憲法はポツダム宣言その他の管理に関する文書の条項を充たしていることを確認するために、本委員会は、政策事項として、憲法施行後一年以上二年以内に、新憲法に関する事態が国会によって再審査されねばならないことを決定する。極東委員会もまた、この同じ期間内に憲法の再審査を行う。ただし、このことは、委員会が常に継続して権限をもっていることを損うものではない。極東委員会は、日本国憲法が日本国民の自由な意思を表明するものであるかどうかを決定するにあたって、国民投票、または憲法に関する日本人の意見を確かめるための他の適当な手続をとることを要求できる。」

(※出典:「帝国憲法改正諸案及び関係文書. 3:連合国側関係文書」(憲資・総第十一号)憲法調査会事務局(1957年)|国会図書館「Provisions for the Review of a New Japanese Constitution (FEC-031/41)(http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/05/129/129tx.html)」)

極東委員会としては、日本の新憲法がGHQ主導の下で改正されたのではないかとの疑いを持っていましたので、憲法施行後1年から2年以内に日本政府と日本国民自身において再検討させることで新憲法が「日本国民の自由な意思を表明するもの」であることを担保させ、日本の新憲法がポツダム宣言の趣旨に沿った形で日本国民自身の手で改正されたものであることを確認しておきたかったわけです。

この政策決定に対してマッカーサーは、「憲法施行後すぐに再検討の機会を与えてしまうと新憲法への国民の信頼が揺らいでしまう」と考えていたため、当初は消極的でした。

しかし、結局はその極東委員会の決定を受け入れることを決意し、昭和22年の1月3日には吉田首相への書簡で憲法施行後1年から2年以内に国会で憲法改正の再検討を行うこと、また国民投票についても容認することを伝えています。

(※ちなみに、この極東委員会の政策決定は昭和22年の3月30日付けの新聞で国民にも公表されています。)

このように、日本国憲法はその成立の過程でGHQ草案(マッカーサー草案)の影響を受けていたことは否めませんが、新憲法が施行されてからすぐの段階で、極東委員会とマッカーサー(GHQ、アメリカ政府)の双方が、日本政府と日本国民に対し、国民投票を含めた新憲法の再検討を実施するよう積極的に勧めていたことも、また事実なのです。

極東委員会とマッカーサーからの憲法再検討の勧めを受け流した日本政府と日本国民

このように、極東委員会とマッカーサー(アメリカ政府)はどちらも日本政府と日本国民に対して「新憲法が嫌ならすぐにでも国会の決議とか国民投票を実施して憲法をもう一回作り直してみたらどうですか?」と勧めていた事実があるわけですが、これに対する日本政府や国民の反応は鈍いものでした。

先ほども述べたように、極東委員会の政策決定は昭和22年の1月3日にマッカーサーから吉田首相に伝えられていましたが、吉田首相や政府は憲法改正に関する特段の審議を行いませんでしたし、国民の間でも、昭和22年の3月30日に新聞で極東委員会の政策決定が報道されていたにもかかわらず憲法改正は国民的議論に発展することがなかったのです。

国会では、当時の法務総裁(法務大臣)の鈴木義男がGHQからの指令によって通常国会における憲法改正特別委員会を設置するよう求める談話を発表したり(西修「日本国憲法の誕生」河出書房新社95頁参照)、一部の知識人の間で憲法改正に関する議論があったようですが、実際の憲法改正に結びつくような運動にまでは発展しませんでした。

マッカーサーはその翌年の昭和23年にも重ねて憲法改正の再検討を促していますが、日本政府はそれも受け流し、結局は何らの検討もしないまま、新憲法を受け入れています。もちろん国民もです。

そして結局、日本側が憲法改正の手続きを何ら進めることなく新憲法を粛々と受け入れていることが認められたため、極東委員会が自然承認する形で新憲法の改正手続きは連合国側に容認されることになったのです。

なお、この点について当時、昭和電工疑獄事件やそれに伴う内閣総辞職と総選挙が実施され政局が混乱したことを理由に「当時の混乱した政局では新憲法の再検討に関する国会審議は事実上できなかった」などと、政府と国民が憲法の再検討に関する議論や国民投票を「したくてもできない状況にあった」という意見がありますが、国民の間でその議論が全く盛り上がらなかったことなどを考えれば、そのような意見は詭弁と言えます(※詳細は→国民投票を経ていない現行憲法は制定手続に不備があるといえるか)。

最後に

以上の事実はあまり一般の人には知られていませんが、衆議院の憲法調査会が作成した資料や文献(西修「日本国憲法の誕生」河出書房新社84,85,95,96頁参照)に記載されていますし、主要な文書は国会図書館でも公開されていますから(ウェブ上でも簡単に確認できます※下記【参考資料】参照)偽らざる事実として認識されています。

つまり、現在の日本国憲法はその成立過程においてGHQ(総司令部・マッカーサー)の影響を多分に受けていることは事実としても、マッカーサーや極東委員会から憲法改正の再検討を促されたにもかかわらず、当時の日本政府と日本国民はそれを受け流すだけで改正に関する議論を一切しなかったわけですから、結局は当時の日本政府も日本国民も、新憲法を「日本国民の自由な意思を表明するもの」として受け入れているということが明らかなわけです。

ですから、この事実一つをとっても「日本の憲法はアメリカ(マッカーサー)から押し付けられたものだから改正すべきだ」という意見は正しくない、と言えるのです。

【参考資料】
・「日本国憲法制定過程」に関する資料(衆憲資第90号)|衆議院(http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi090.pdf/$File/shukenshi090.pdf
・憲法制定の経過に関する小委員会報告書の概要(衆憲資第2号)|衆議院(http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi002.pdf/$File/shukenshi002.pdf
・新憲法の再検討をめぐる極東委員会の動き|国会図書館(http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/05/129shoshi.html
・日本国憲法の誕生 概説 第5章 憲法の施行|国会図書館(http://www.ndl.go.jp/constitution/gaisetsu/05gaisetsu.html