日本国憲法はハーグ陸戦条約に違反している…が嘘と言える理由

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憲法改正を積極的に推し進める人たちの中に「現行憲法はアメリカ(占領軍)に押し付けられたものだ」と、いわゆる「押しつけ憲法論」を根拠にして憲法改正を正当化しようとする人たちがいますが、その中のごく一部に「現行憲法はハーグ陸戦条約に違反している!」と主張する人がいます。

現行憲法の日本国憲法は、明治憲法の改正手続きに沿って帝国議会で半年以上の期間にわたって審議されたのち、圧倒的多数の賛成をもって可決されて成立していますが(※詳細は→日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要)、その期間の日本は連合国軍の占領統治下にあったうえ、新憲法の草案もGHQ(連合国軍総司令部)の民生局が作成した法案がたたき台にして制定手続きが進められた経緯がありますので、その改正手続きは連合国軍の占領統治下において行われたものと言うこともできます。

しかし、宣戦布告や捕虜、傷病者等の取り扱いを定めるため1907年に採択され当時の日本(大日本帝国)も1911年(明治44年)に批准していた「ハーグ陸戦条約」では、他国を占領した者は「占領地の現行法律を尊重」してその占領統治を行わなければならないことが定められていました。

そうすると、連合国軍の占領統治下において改正手続きが進められ制定された現行憲法の日本国憲法は、被占領国である日本の「現行法律を尊重」して制定されたものとは言えない面がありますので、日本国憲法の制定自体がこのハーグ陸戦条約に違反して進められたと言えるのではないか、という疑義も生じてしまいます。

そのため、いわゆる「押しつけ憲法論」を声高に叫ぶ人たちの中に「日本国憲法はハーグ陸戦条約に違反して制定されたものだから国際法規違反だ!」「国際法違反の憲法は無効だから破棄して新しい憲法を作るべきだ!」などと主張して憲法改正を正当化しようとする考えが醸成されてしまうのでしょう。

では、本当に彼らが言うように、現行憲法の日本国憲法はハーグ陸戦条約に違反して制定されたということになるのでしょうか。検討してみます。

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ハーグ陸戦条約の第43条は戦後の日本統治に適用されない

この点、結論から言うと、日本国憲法の制定に関してはハーグ陸戦条約に違反するものとはなりません。

なぜなら、そもそもハーグ陸戦条約は「交戦中」の占領軍においてのみ適用されるものと解釈されていますし、仮に戦後の占領統治下にハーグ陸戦条約が適用されると考えたとしても「特別法は一般法を破る」という法の世界の大原則がある以上、ハーグ陸戦条約よりもポツダム宣言や降伏文書の方が優先的に適用されると考えられているからです。

(1)ハーグ陸戦条約は「交戦中」の占領にのみ適用されるもの

確かにハーグ陸戦条約の「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」の第43条には、他国を占領した者は、その被占領地の現行法律を尊重して秩序の維持等を図ることが義務付けられていましたから、一見すると、連合国の占領統治下で制定(改正)された日本国憲法はハーグ陸戦条約違反のようにも思えます。

【陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則第43条】

国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限り、占領地の現行法律を尊重して、成るべく公共の秩序及び生活を回復確保するため施し得べき一切の手段を尽くすべき。

※出典: 「日本国憲法制定過程」に関する資料(衆憲資第90号)|衆議院 15頁を基に作成

しかし、ハーグ陸戦条約は「交戦中」の占領についてのみ適用がなされる国際規約として認識されていますので、ポツダム宣言という休戦条約を受諾(※ポツダム宣言を受諾したのは1945年の8月14日です)した以降の日本はすでに「交戦状態」にはなく、陸戦条約の適用は排除されるものと考えられています。

「交戦中」ではない日本において新憲法(現行憲法)の制定手続が行われたのであれば、仮に占領統治下において占領軍の影響があったとしてもハーグ陸戦条約は適用されませんので新憲法(現行憲法)の成立過程にハーグ陸戦条約違反行為があったということにはならないわけです。

ですから、日本国憲法がハーグ陸戦条約に違反する行為によって制定されたという主張は根拠がないといえます。

(2)特別法は一般法を破る

また、仮にポツダム宣言を受諾した後の日本統治においてハーグ陸戦条約の適用があったとしても結論は変わりません。法の世界では「特別法は一般法を破る」という大原則があるからです。

ハーグ陸戦条約は条約批准国を拘束する「一般法」である一方で、その批准後に日本が締結(受諾)したポツダム宣言や降伏文書は「特別法」と言えますから(※日本政府がミズーリ号の船上で降伏文書に調印したのは1945年の9月2日です)、法の世界に「特別法は一般法を破る」という大原則がある以上、戦後の日本統治においてはハーグ陸戦規定よりもポツダム宣言や降伏文書などの「特別法」が優先されます。

ですから、仮に戦後の日本にハーグ陸戦条約の適用があり、日本統治に占領軍の影響があったと考えても、その適用されるハーグ陸戦規則43条よりもポツダム宣言や降伏文書の方が優先されることになり、占領軍の占領統治において制定された日本国憲法は有効に成立しうることになりますので、ハーグ陸戦条約に違反するという帰結は論理的に導かれないということになります。

「法学」「衆議院の憲法審査会」「歴代の政府」のすべてが「ハーグ陸戦法規違反ではない」と結論付けている

法学の世界では「ハーグ陸戦法規違反ではない」は常識

なお、この点については憲法学の基本書として長年読まれ続けている『芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法(第6版)」岩波書店』でも同様に解説されていますので念のため引用しておきます。

ハーグ陸戦法規(陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則)を援用して、日本国憲法の制定は国際法に反するという意見もあるが、陸戦法規は交戦中の占領に適用されるものであるから、日本の場合には適用なく、休戦条約(特別法)が陸戦法規(一般法)よりも優先的に適用される。

※芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法(第6版)」岩波書店28頁より引用

衆議院の憲法審査会も「ハーグ陸戦法規違反ではない」と結論付けている

また、衆議院の憲法審査会が編纂した資料「「日本国憲法制定過程」に関する資料(衆憲資第90号)|衆議院」でも同様に、日本国憲法の成立過程に「ハーグ陸戦法規は適用されない」「ハーグ陸戦条約よりポツダム宣言や降伏文書が優先的に適用される」と結論付けられていますので念のため引用しておきます。

「規則43条」は、交戦中の占領軍にのみ適用されるところ、わが国の場合は交戦後の占領であり、原則としてその適用を受けず、ハーグ陸戦法規には違反しないとする見解があり、政府見解もこの立場に立っている。仮に適用されるにしても、ポツダム宣言・降伏文書という休戦協定が成立しているので、「特別法は一般法を破る」という原則に従い、休戦条約(特別法)が陸戦条約(一般法)よりも優先的に適用されることになる。

※出典:「日本国憲法制定過程」に関する資料(衆憲資第90号)|衆議院 15頁より引用

歴代の政府も「ハーグ陸戦法規違反はない」趣旨の答弁をしている

ちなみに、歴代の政府も、たとえば第102回国会における質問の答弁書においてハーグ陸戦法規は交戦中の占領において適用されるものであり戦後の占領軍の統治のようなケースでは適用されない旨の答弁を行い、上記と同様の見解を採用していますので念のため引用しておきます。

陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則中の占領に関する規定は、本来交戦国の一方が戦闘継続中他方の領土を事実上占領した場合のことを予想しているものであつて、連合国による我が国の占領のような場合について定めたものではないと解される。

※出典:第102回国会答弁第46号「衆議院議員森清君提出日本国憲法制定に関する質問に対する答弁書」(昭和60年9月27日受領)より引用

押しつけ憲法論者の「現行憲法はハーグ陸戦条約違反だ!」は確定的に間違い

以上で説明したように、戦後に明治憲法から現行憲法への改正手続きを経て制定された現行憲法の日本国憲法については、一部の無知で無教養な人たちが「ハーグ陸戦条約違反だ!」などと主張しているわけですが、そのような事実はありません。ですから明らかに論理的な裏付けのない「嘘」と言えます。

ところで、自民党とそれに迎合する公明党やいわゆる改憲勢力に属する人たちは、憲法の改正、特に憲法9条の改正に躍起になっていますので、もしかしたら近い将来、この改憲勢力が国会に憲法改正案を提出し、国会で数の力で強引に発議して、9条の改正案を国民投票にかけてくることも予想されます。

その場合、国民は憲法9条の改正に賛成するのかしないのか、国民投票で判断を下さなければなりませんが、そのためには正しい憲法知識を習得しておくことが不可欠です。

もし曖昧なままの知識で賛否を判断してしまえば、将来世代の国民に本来予期しない危険や負担を与えてしまわないとも限らないからです。

ですから、憲法改正に前のめりな、いわゆる「押しつけ憲法論」に基づいた思考に凝り固まって「日本国憲法はハーグ陸戦条約違反だから無効だ!」などと詭弁を弄して現行憲法を破棄し、明治憲法に戻そうとする人たちの主張には、十分に注意する必要があります。