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憲法改正案の発議に国会の決議が要求されている理由

憲法の改正手続きについては憲法第96条にその規定が置かれていますが、そこでは「憲法改正案を発議」すること自体に国会の決議が要求されています。

【日本国憲法第96条】

第1項 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
第2項 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

しかし、この条文を見てもわかるように、その憲法改正案が国会で決議され発議されても、最終的にはその発議された憲法改正案は国民投票にかけられて国民が直接その賛否を決めることになりますから、その「憲法改正案を発議すること」自体に国会の決議は不要であるような気もします。

ではなぜ、憲法第96条は、憲法の改正手続きにおける「憲法改正案を発議」自体に「国会の決議」を要求しているのでしょうか。

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「国民投票」は客観的冷静な判断を誤る危険性を包含している

今述べたように、憲法第96条は憲法の改正手続きにおいて、その最終的な改正の是非を国民投票に委ねていますから、憲法改正案の発議自体に国会の決議は不要であるような気もします。

しかし、国民投票は万能ではありません。国民投票のような直接民主制による決議方法では、一般大衆がその決議に参加することによってポピュリズムの問題を生じさせることがあるからです。

ポピュリズムとは古代ギリシャのアテネ民主制で生じたようないわゆる「衆愚政治」のことを言います。古代ギリシャのアテネ民主制では、国家を形成する国民一人一人が議論に参加して国家方針を決定する直接民主制を採用していましたが、その国家の意思決定に専門的な知識や経験の不足する個人が関与することになったがゆえに大衆迎合的な意見に集約されることになった結果、かえって国家を破綻させてしまいました。これがいわゆるポピュリズム(衆愚政治)の欠陥です。

このような直接民主制によって生じるポピュリズムの問題は、憲法改正手続においても生じる可能性は否定できません。憲法改正手続きが直接民主制の「国民投票」だけで判断される場合には、時の政府が大衆の民意を煽ることでいくらでも改正することができるからです。

たとえば、A国の憲法に「軍隊を持つことができない」と軍事力の保有を禁止する条文があったとして、そのA国の政府(与党や与党に迎合する国会議員)がその条文を改正して憲法に「軍隊を持つことができる」という条文に変えたいと思っている場合、これを改正することは容易です。

A国の政府が故意に隣接するB国やC国やD国と軍事的な緊張関係を作り上げて「隣国から攻められるぞ」という世論を煽れば、国民の多くが軍隊を持つ憲法に改正を望むようになるからです。

このような場合、B国が領有権を主張している離島を国有化してB国の反発を惹起させてB国との緊張関係を作出したり、C国がミサイルを海に向けて発射するたびに空襲警報を出して国民の危機意識を醸成させたり、友好国であるD国が嫌がらせで照射したレーダー波に執拗に文句をつけてD国との不仲を演出して国民の不安を煽れば、国民の多くは憲法改正の国民投票に賛成票を投じます。

「B国やC国が攻めてきたら大変だし、D国の援護は期待できないからやっぱり軍隊は必要なんだ」と考えるようになるからです。

ですから、もし仮に憲法改正手続きに直接民主制の手段となる「国民投票」だけしかなかったとすれば、国家権力の意図するままに憲法を改正することは意外と簡単なのです。

「国会の決議」を介入させることでポピュリズムを最小限に抑えることができる

このように、直接民主制の手段となる国民投票は国民が直接的に国家の意思決定に参加できるという点で民主的であり国民主権の具現化に適していると言えますが、その反面、ポピュリズムに流されて時に国家権力の意のままに操られてしまう危険性がありますので、憲法の改正手続きに国民投票だけを要件として設定するのは問題があります。

憲法は国家権力の権力行使から国民の自由と権利を守るための「歯止め」となりますが、その「歯止め」が緩められてしまう憲法改正を容易にすると国民が不利益を受けてしまう危険性が増すからです。

その危険性を軽減するためには憲法改正の手続きに直接民主制以外の制度を介入させなければなりません。

そこで日本国憲法が取り入れたのが間接民主制(代表民主制)の手段となる「国会の決議」を「憲法改正案の発議」に介在させる手法です。

政府(権力者)が憲法を改正したいと考える場合、まず政府(与党とそれに迎合する改憲勢力の議員)が憲法改正案を作成しますが(国会法第68条の2参照)、その政府が作成した憲法改正案をいったん国会という「間接民主制(代表民主制)」の議論の場で、国民の選挙によって選ばれた議員に議論させれば、ポピュリズム(衆愚政治)によって生じた問題を大幅に軽減させることができます。

選挙で選ばれた議員は専門的な資料や知識にアクセスすることが一般国民より容易なので、その国会で「憲法改正案を発議するかしないか」という点を議論させれば、客観的で冷静な思考に基づいて適切な判断を下すことを期待できるからです。

憲法改正案を発議する国会で客観的で冷静な議論ができれば、政府(国家権力)が提示してきた憲法改正案をその国会で破棄して発議しないこともできますし、仮に国会でその憲法改正案が発議されたとしても、国民はその国会で客観的で冷静な議論がされたことを認識していますから、直接民主制の国民投票の場でポピュリズムに陥ることなく客観的で冷静な判断を行うことが可能です。

だからこそ憲法第96条は「憲法改正案を発議すること」自体に「国会の決議」を要件として介入させることにしているのです。

つまり憲法第96条は、憲法の改正手続きにおいて直接民主制の手段となる「国民投票」で生じてしまうポピュリズム(衆愚政治)の弊害を可能な限り軽減させるために、あえて間接民主制(代表民主制)の手段となる「国会の決議」を、憲法改正案の発議自体に介在させているということができるのです。

ただし「国会の決議」の前に解散総選挙で民意が問われることが必要

以上で説明したように、日本国憲法の改正手続を規定した憲法第96条は、憲法改正の最終的な判断を国民投票という直接民主制の手段に委ねていますが、それによって生じるポピュリズム(衆愚政治)の弊害を回避するためにあえて、憲法改正案の発議自体に国会の決議という間接民主制の手段を介在させることで、権力者の意のままに憲法が改正されてしまう危険を排除していることが分かります。

ただし、ここで注意しなければならないのが、その憲法改正案の発議自体に介在させる「国会の決議」が有効に機能するのが、事前に「憲法改正案を発議すること」自体を争点とした解散総選挙が行われている場合に限られるという点です。

先ほど説明したように、憲法第96条が「憲法改正案を発議するか否か」について間接民主制の手段となる「国会の決議」を要請している趣旨は、その国会の場で国民が選挙によって選んだ議員に専門的な資料や知識にあたらせて客観的かつ冷静な議論を行わせるところに本質的な意義があります。

そうであれば、その「憲法改正案を発議するか否か」という論点について『誰』を国会で議論させるか、という点について国民の民意を反映させなければなりません。「憲法改正案を発議するかしないか」という論点について総選挙で民意が問われていなければ、たとえ「国会の決議」を介在させたうえで「憲法改正案を発議する」という結論が出たとしても、その国会の決議で行われた「憲法改正案を発議する」という結論に民意は反映されていないことになるからです。

たとえば、先ほど例示したA国に「軍隊を持つことができない」という憲法を「軍隊を持つことができる」と改正したいと考えている政党Xがあったとして、前の選挙で憲法改正案を争点にせず、単に経済政策を争点にしただけで衆参両議院で3分の2以上の議決を確保したとしましょう。

その場合、国民はその「経済政策」には賛成したかもしれませんが、「憲法改正案を発議する」こと自体に賛成したわけではありませんので、前の選挙で当選させた議員に「憲法改正案を発議するか否か」という点について議論と決議をさせる意思は全くなかったことになるでしょう。

にもかかわらず、その選挙の数年後に政党Xが「軍隊を持てるように憲法を改正しますよ」と言い出して憲法改正案を作成して国会に提出してしまった場合には、国民は経済政策に同意しただけの国会議員や政党に「憲法改正案を発議するかしないか」の議論と決議を委ねなければならなくなってしまいますが、それでは国民の民意はまったくその「憲法改正案を発議するかしないか」という議論に反映されないことになってしまいます。

また、その場合のA国の国民は、「憲法改正案を発議するかしないか」という点を議論させるために選んだ議員ではなく、単に経済政策に賛成して選んだ議員にその「憲法改正案を発議するかしないか」という全く畑違いの議論をさせなければならなくなってしまいますから、専門的な資料や知識にあたらせて客観的で冷静な議論や決議を期待することもできなくなってしまうでしょう。

つまりこのようなケースでは、経済政策を隠れ蓑にして大量に衆参両議院の議席を確保した与党(またはそれに迎合する改憲勢力)の思うがままに憲法を改正されてしまう危険性が生じてしまうわけです。

ですから、憲法が改正される場合には、単に「憲法改正案の発議」に間接民主制の手段となる国会の決議が介在されることだけが重要なのではなく、その間接民主制の手段となる国会の決議の前提として、衆議院が解散されて総選挙が実施されることで「その憲法改正案の発議をしてもよいのか」という点について民意が問われるのは絶対的に必要であると言えるのです。

もし仮に、時の政府が衆議院を解散せずに憲法改正を国会に提示してその憲法改正案の発議を行ったとすれば、その国会で発議された憲法改正案は民意が反映されていないという点において、民主主義や日本国憲法が採用した国民主権原理を無視するものとして無効性を帯びることになるでしょう。

ですから、もし政府が憲法改正が必要であると考えるのであれば、事前に衆議院を解散し、具体的な憲法改正案を作成したうえで選挙の争点として国民に開示し「その憲法改正案を国会で発議してもよいか」という点について総選挙で民意を問うプロセスを経ることが最低限必要になると言えるのです。

憲法の改正手続きを規定した憲法第96条は「国民投票」だけでなく、憲法改正案の発議に「国会の決議」を要求していますが、その国会の決議はただ国会が「憲法改正案の発議するだけ」でよいのではありません。

その国会の決議の前段階として衆議院の解散総選挙が実施され、「憲法改正案を発議するかしないか」という点が争点となった総選挙で民意が反映されてはじめて、その「憲法改正案の発議」という国会の決議が国民主権を具現化する間接民主制の手段として有効に機能するものであることはすべての国民が十分に理解する必要があると言えます。