自民党が公開している憲法改正案の問題点を一条ずつチェックするこのシリーズ。
今回は、請願権について規定した自民党憲法改正案第16条の問題点を考えてみることにいたしましょう。
請願とは
今述べたように自民党憲法改正案第16条は請願権について規定していますが「請願」が何かわからない人もいるかもしれませんので念のため簡単に解説しておきましょう。
「請願」とは「国又は地方公共団体の機関に対して希望を述べること(法律学小辞典〔第3版〕有斐閣)」を言い、その権利は国務要求権の一種とされていて基本的人権の一つと理解されています。
もっともこの請願は「希望を述べること」の意を含むことからも分かるように、憲法による請願権の保障は、請願を受けた機関にそれと誠実に処理する義務を課すにとどまり、請願の内容を審理・判定する法的拘束力を生じさせるものではないと理解されています(芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法」岩波書店249頁)。
したがって、この請願権を具現化させるために制定された請願法の下で請願を行った場合において、仮にその請願を受けた国又は地方公共団体の機関がその請願の内容を審理・判定しないことがあったとしても、それがその請願を誠実に処理した結果であれば、裁判を通じてその請願内容を審理・判定するよう求めることまで保障されるものではないと解されます。
【請願法(抄)】
第4条 請願書が誤つて前条に規定する官公署以外の官公署に提出されたときは、その官公署は、請願者に正当な官公署を指示し、又は正当な官公署にその請願書を送付しなければならない。
第5条 この法律に適合する請願は、官公署において、これを受理し誠実に処理しなければならない。
第6条 何人も、請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
以上が請願権の内容です。
では、この請願権が自民党憲法改正案第16条ではどのように規定されているのでしょうか。
「差別待遇」の禁止の対象から「何人も」を削除した自民党憲法改正案第16条
この点、請願権については現行憲法の第16条にも規定されていますので、その現行憲法第16条の規定が自民党憲法改正案第16条にそのまま移動した形になっています。
もっとも、条文の文言に若干の変更がなされていますので双方の条文を確認してみましょう。
【日本国憲法第16条】
何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
【自民党憲法改正案第16条】
第1項 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願をする権利を有する。
第2項 請願をした者は、そのためにいかなる差別待遇も受けない。
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
自民党改正案は現行憲法第16条の規定を1項と2項の2つに分けただけで一見すると変わらないようにも見えますが、「いかなる差別待遇も受けない」の部分の対象から「何人も」の文言が削除されている部分が異なります。
現行憲法では「何人も」と規定されているので、請願する人が「だれであっても」請願したことで差別待遇を受けることはないのですが、自民党改正案はそこから「何人も」の部分を削除してしまいましたので、請願する人が「何人か」によって差別待遇を受けることもあり得るということになるわけです。
この点、「何人も」という部分を削除しただけで「差別待遇を受ける」とか「差別待遇を与える」とは規定されているわけでないことから、必ずしも「差別待遇を与えてもよい」という解釈にはならないじゃないか、と思う人もいるかもしれませんが、法が改正された場合には、従前の規定から何が除かれどのような文言が追加されたかという経緯も考慮して解釈しなければなりません。
ですから、この自民党憲法改正案第16条ように、あえて「何人も」という文言が削除されたことを考えれば、請願をした者における「差別待遇を許容する」趣旨でその部分が削除されたと解釈する方が自然でしょう。
つまり、現行憲法では仮に誰かが国や地方公共団体に請願を行ったとしても、その請願をしたことをもって何らかの「差別待遇」を受けることはありませんし、仮にその請願したことによって何らかの「差別待遇」を受けた場合には、裁判等を通じてその差別待遇の改善を求めることが可能ですが、自民党憲法改正案の第16条が国民投票を通過すれば、請願を行った者に対して何らかの「差別待遇」がなされることも許容されますし、仮にその請願したことによって何らかの差別待遇を受けた場合であっても、裁判等を通じてその差別待遇を改善させることが出来なくなってしまうわけです。
「何人も」が削除されることで差別待遇を受けるのは「自民党の方針に反対する請願」をした人
このように、自民党憲法改正案第16条は現行憲法の第16条から「何人も」の部分を削除することで、請願を行った国民(住民)に差別待遇を与えることを許容しました。
もっとも、ここで問題となるのが、具体的にどのような請願を行った国民(住民)に対して差別待遇が与えられると考えられるのかという点です。
現行憲法では請願を行ったとしても「何人も」それを理由に差別待遇を受けることはありませんが、自民党改正案第16条ではそこから「何人も」が削除されていますので、自民党改正案の下では請願を行った「何人か」は差別待遇を受ける可能性が生じます。ではその「何人か」は具体的にどのような人が該当するのでしょうか。
この点、考えられるのは「公益及び公の秩序」に反する請願をした場合です。なぜなら、自民党憲法改正案の第12条が、人権の制約原理である「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変えているからです。
自民党憲法改正案第12条については『自民党憲法改正案の問題点:第12条|人権保障に責務を強要』のページで詳しく解説していますので細かいところはそちらのページを見ていただきたいのですが、現行憲法では「公共の福祉」に反する権利行使の場合しか基本的人権の制約が認められないところを、自民党憲法改正案第12条は「公益及び公の秩序」に反する場合にその制約が認められるようにしています。
「公益及び公の秩序」に反する場合に基本的人権の制約を認めるということは、国家権力の都合で自由に国民の基本的人権を制限することができるようになるということです。なぜなら「公益」は「国益」の言い換え、「公の秩序」は「現在の一般社会の秩序」の言い換えだからです。
「国益」とは「国の利益」、「国」とはその運営をゆだねられている「政府」のことであって「政府」を形成するのは政権与党、現状では自民党ということになりますから、「国益に反する権利行使は制限され得る」という文章は「自民党の不利益になる権利行使は制限され得る」という意味になります。
また、「公の秩序」とは「現在の一般社会で形成される秩序」という意味になりますが、その「現在の一般社会で形成される秩序」は現在に生きる多数の一般市民によって形成されますから、「公の秩序に反する権利行使は制限され得る」という文章は、「多数派(マジョリティー※つまり自民党)の不利益になる権利行使は制限され得る」という意味になります。
つまり、自民党憲法改正案第12条が国民投票を通過すれば、国民に保障された基本的人権は「公益及び公の秩序」に反する権利行使について制限することが可能になるので、政権を掌握した自民党が、自分たちの政策や国家統治に反対する国民の自由や人権を「公益及び公の秩序」に反するという理由でいくらでも自由に制限できるようになるわけです。
そうなると、国や地方自治体の政策や統治に反対の意思をもって請願を行った国民(住民)がいたとすれば、それは「政府(自民党)の利益に反する」ということになりますので「公益及び公の秩序」に反する請願となり、自民党改正案第16条の下では、そうした請願を行った国民(住民)に対して差別待遇を与えることも許容されることになります。
つまり、自民党改正案第16条が現行憲法の第16条から「何人も」の文言を削除したのは、政府(自民党)の政策や統治に反対する請願を行った国民(住民)に対して差別待遇を与えることを憲法上「合憲」とするところにその目的があると言えるのです。
「何人も」が削除されることによって具体的にどのような差別待遇が予想されるか
このように、自民党憲法改正案第16条は、政府(自民党)の方針に沿って行われる国や地方自治体の政策や統治に反対する請願を行った国民(住民)に対して差別待遇を与えることを予定した規定となります。
つまり、自民党憲法改正案第16条が国民投票を通過すれば、国民(あるいは住民)が国や地方自治体の機関に対して「ここをこうしてほしい」とか「こういう制度をつくってほしい」とか「こういう法律や条例をつくってほしい」とか「こういう行政は改善してほしい」などと希望を述べた場合において、その希望が政府(※政権与党の自民党)の方針と異なるものである場合には、その請願を行った国民(住民)がなんらかの差別待遇を受けてしまうことも肯定されることになるわけです。
では、そうした場合に、具体的には国民にどのような不利益が生じるのでしょうか。具体的に考えられるのは次の2つのケースです。
(1)国や地方自治体からの差別待遇のおそれ
まず考えられるのが、国や地方自治体に政府(自民党)の方針に反対する何らかの請願を行った場合に、その国や地方自治体から直接的に差別待遇を与えられるようなケースです。
たとえば、ある地域に原子力発電所を建設する計画が持ち上がったとして、そこに住む住民などの市民グループが建設反対の署名を集めて自治体や国に陳情(請願)したとします。
このような場合、現行憲法では憲法の第16条に「何人も…差別待遇も受けない」と規定されていますので、その請願を行った市民グループのメンバーや署名した市民に対して国や自治体が何らかの差別待遇を与えることはできません。仮に国や地方自治体がそれらの人に差別待遇を与えれば、それが憲法違反となって違法性を惹起し国賠請求などの対象となるからです。
しかし、自民党改正案第16条は「何人も」の文言が削除されましたから、そうした請願を行った住民グループや署名した人に対して何らかの差別待遇を与えることも、認められるようになってしまいます。
先ほど説明したように、政府(自民党)の方針が原発建設であれば、それに反対する請願は「公益及び公の秩序」に反するものとなりますので、その請願を行った国民(住民)に差別待遇を与えることも自民党憲法改正案第16条の下では許されることになるからです。
具体的にどのような差別待遇が与えられるかはわかりませんが、たとえば納税率でペナルティーを与えたり、生活保護や社会保障の審査で消極的な判断を加えたり、公務員の採用試験や公共事業の入札などでペナルティーを与えるような差別待遇が考えられるかもしれません。
また、たとえば最近であれば選択的夫婦別姓制度や同性婚などの実現を求めて署名活動を行って国や自治体に法整備や行政手続きの変更等を求めるケースがありますが、こうしたケースでも、陳情した団体や署名した署名者に対して、国や自治体が今述べたような何らかのペナルティーを課すことで差別待遇が与えられる危険性はあると言えるでしょう。
(2)会社や学校等からの差別待遇のおそれ
(1)以外のケースとしては、民間企業(個人事業主も含む)や学校など、国や自治体に含まれない公的又は私的団体(法人等)が、政府(自民党)の方針に反対する何らかの請願を行った人に対して差別待遇を与えるケースが考えられます。
たとえば、カジノの建設を推進している自治体で、カジノ建設に反対する市民グループが署名を集めて国や自治体などに建設中止の陳情(請願)をしたケースにおいて、その市民グループのメンバーや署名した人が、勤務先の会社や通学する学校から何らかの差別待遇を受けたようなケースを想像してください。
このようなケースが起きた場合、現行憲法では「何人も…差別待遇も受けない」と規定されていますから、現行憲法の下ではそうした勤務先や所属する学校が、請願した人に対して何らかの差別待遇をすることは法的に認められません。
例えば勤務する会社の経営者がカジノ建設に賛成する思想を持っていた場合に、その経営者が「お前はカジノの建設に反対する署名活動をしただろう、俺はカジノ建設に賛成だからお前を平社員に降格させる」などと言って、人事権の行使として降格処分にしたような事案がもしあったとすれば、それは労働契約違反として違法性を帯びることになります。
具体的には、現行憲法の法体系の下では労働契約法第3条5項で規定された権利の濫用の禁止規定のような労働法令の中で労働者は保護されるので、そうした会社の差別待遇は労働契約法違反の行為として、会社側に地位の回復や損害賠償義務を求めることもできるわけです。
【労働契約法第3条5項】
労働者及び使用者は、労働契約に基づく権利の行使に当たっては、それを濫用することがあってはならない。
しかし、こうしたケースであっても、仮に自民党改正案第16条が国民投票を通過した場合には、差別待遇を受けた市民は差別待遇から守られなくなってしまいます。
自民党改正案第16条では「何人も」が削除されていますので、自民党改正案第16条の法体系の下では今述べたような差別待遇も許容されることになるからです。
たとえば今の例で、カジノ建設に反対する市民グループのメンバーや署名した人が会社からカジノ建設に反対する請願をしたことを理由に降格処分を受けたようなケースがあったとしても、自民党改正案第16条の下では国や自治体の政策に反対する請願は「公益及び公の秩序」に反するものとして差別待遇は認められることになりますので、請願したことを理由とした降格処分は労働契約法第3条5項の「権利の濫用」とは認められなくなり、その降格処分は法的に違法ではないと判断されるようになるわけです。
このように、自民党改正案第16条が国民投票を通過した場合には、国や自治体だけでなく民間の会社や学校などが、そこに所属する労働者や学生等に行う差別待遇についても法的に認められるようになってしまうのです。
請願した国民(住民)に差別待遇が認められるのなら国民(住民)の政治的意思決定は歪められ民主主義は機能不全に陥る
以上で説明したように、自民党憲法改正案第16条は現行憲法の第16条から「何人も」の文言を削除することによって、国や自治体に請願を行った国民(住民)に対して何らかの「差別待遇」を与えるものになっています。
そして、『自民党憲法改正案の問題点:第12条|人権保障に責務を強要』のページで詳しく解説したように、自民党憲法改正案第12条では現行憲法における人権制約原理の「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変えることによって、事実上、政府(政権与党の自民党)の方針や統治に反対する国民(住民)の自由や権利を「公益及び公の秩序」に反するという理由でいくらでも自由に制限することが可能にしています。
すなわち、その自民党憲法改正案第12条とこの第16条の規定とを合わせて考えれば、自民党憲法改正案が国民投票を通過すれば、政府(自民党)の方針に反する請願を行った国民(住民)に対して、「公益及び公の秩序」に反するという理由でその国民(住民)に差別待遇を与えることで、いくらでもその国民(住民)の自由や基本的人権を制限することができるようになるわけです。
そうするとどうなるか。そうした制度の下で暮らす国民は、たとえ国や地方自治体の政策や統治に不満があっても請願を事実上出せなくなることで、国民(住民)の意思を統治(政治)に反映できなくなってしまうでしょう。
そしてそうした社会では、差別待遇を受けることを懸念して、国民(住民)は政府の政策に反対する意思表示を控えるようになりますから、国民(住民)の政治的意思決定は歪められ民主主義は機能不全に陥ってしまうかもしれません。
自民党憲法改正案第16条は現行憲法から「何人も」の部分を削除することで、国民に保障された請願という基本的人権を事実上行使できないようにするためのものであり、国民から請願という民主主義の実現に不可欠な基本的人権を取り上げてしまう条文となっています。
自民党憲法改正案第16条は、自民党の政策や統治に反対する国民(住民)を意のまま従わせることを容易にさせる規定なのですから、その点を十分に認識して、賛否の判断を検討することが必要です。