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自民党憲法改正案の問題点:第18条1項|奴隷的拘束の容認

自民党が公開している憲法改正案の問題点を一条ずつチェックするこのシリーズ。

今回は、「身体の拘束」について規定した自民党憲法改正案第18条1項の問題点を考えてみることにいたしましょう。

なお、自民党憲法改正案第18条2項の問題点については『自民党憲法改正案の問題点:第18条2項|意に反する苦役の容認』のページで解説していますのでそちらをご覧ください。

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「奴隷的拘束」を「社会的又は経済的関係において身体を拘束」に変えた自民党憲法改正案第18条1項

現行憲法の第18条は「奴隷的拘束からの自由」に関する規定を置いていますが、自民党憲法改正案ではその規定を第1項と第2項に分割した同様の規定を改正案第18条に置いています。

もっとも、現行憲法第18条の前段部分の文章が大きく変えられていますので、解釈にも大きな変更が生じることになるのは避けられません。

では、自民党憲法改正案第18条は具体的にどのように条文が変更されたのでしょうか。現行憲法の第18条と自民党案の双方の条文を確認してみましょう。

日本国憲法第18条

何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

自民党憲法改正案第18条

(身体の拘束及び苦役からの自由)
第1項 何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。

第2項 何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成

一見すると変わりがないように思えますが、現行憲法では「(いかなる)奴隷的拘束も受けない」と規定されているところが、自民党改正案では「(その意に反すると否とにかかわらず)社会的又は経済的関係において身体を拘束されない」と変えられている部分が異なります。

では、こうした文章の変更が具体的にどのような解釈の変更を及ぼすことになるのか。ここでは「身体の拘束」について規定した自民党憲法改正案第18条1項の問題点について検討することにいたしましょう。

なお「苦役からの自由」について規定した自民党改正案の第2項については先ほども述べたように『自民党憲法改正案の問題点:第18条2項|意に反する苦役の容認』のページで解説しています。

「奴隷的拘束」とは

上に挙げているように、自民党憲法改正案第18条の1項は、現行憲法第18条では「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」とされている部分を、「何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない」に変えています。

もっとも、この部分を理解するためには、そもそも現行憲法の「奴隷的拘束」の意味を理解する必要がありますので、まず「奴隷的拘束」の意味を確認してみましょう。

この点、現行憲法第18条の「奴隷的拘束」とは「自由な人格者であることと両立しない程度の身体の自由の拘束状態(たとえば、戦前日本で鉱山採掘などの労働者について問題とされたいわゆる「監獄部屋」)」のことを言います(※芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法」岩波書店235頁)。

ですから、現行憲法の下においては、国家権力が国民を「自由な人格者であることと両立しない程度の身体の自由を拘束」するよう状態に置くことは、いかなる理由があろうとも許されないということになっているわけです。

「奴隷的拘束」の一部を許容する自民党憲法改正第案18条

一方、自民党改正案第18条1項では、その部分が「社会的又は経済的関係において身体を拘束」に変えられていますから、その違いが問題となります。

この点、自民党が作成した憲法改正案のQ&Aでは、この部分の意味について次のように説明されています。

「社会的関係」とはカルト宗教団体のようなものを、「経済的関係」とは身売りのようなことを想定しており、こうした不合理な身体的拘束が本人の同意があっても認められないことは、現行憲法と同様です。規定の表現が変わったからといって、現行規定の意味が変わるものではありません。

※出典:日本国憲法改正草案Q&A|自民党 14頁より引用

このQ&Aの記述を前提とすると、自民党改正案第18条が禁止している「身体の拘束」の対象は、カルト団体などがそこに所属する構成員を社会的に閉塞された環境に拘束するようなケースと、封建時代から戦前・戦中までの日本で横行した娘の身売りなどのケースに限定されているのがわかります。

しかし、そうなると先ほど説明した「戦前日本で鉱山採掘などの労働者について問題とされたいわゆる「監獄部屋」」のような拘束は、この自民党改正案第18条の対象には含まれないことになってしまいます。

「戦前日本で鉱山採掘などの労働者について問題とされたいわゆる「監獄部屋」」のような拘束は、そこの管理主体が「政治的関係」において「法的に」又は「物理的に」逃げられないようにして拘束したものであり、自民党改正案第18条はQ&Aのいう「社会的関係」や「経済的関係」とは性質が異なるからです。

Q&Aでは「規定の表現が変わったからといって、現行規定の意味が変わるものではありません」と説明されていますが、自民党案第18条1項で禁止しているのは「社会的関係」と「経済的関係」に基づく身体の拘束だけであって、「戦前日本で鉱山採掘などの労働者について問題とされたいわゆる「監獄部屋」」のような”身体の拘束”は禁止規定に含まれていないのです。

つまり、現行憲法第18条が禁止した「奴隷的拘束」は、自民党改正案が予定している「社会的関係」や「経済的関係」に関する”身体の拘束”も含めたすべての拘束が禁じられますが、自民党改正案第18条の下では戦前や戦中の日本で鉱山労働者を対象に行われていた監獄部屋等のような”身体の拘束”は禁止されないので、国家権力がそのような”身体の拘束”を国民に義務付けても憲法違反とはならないわけです。

自民党改正案が「奴隷的拘束」の一部を許容したのは国民に国防への協力を義務付けるため

ではなぜ、自民党憲法改正案第18条が、現行憲法が禁止した「奴隷的拘束」の中からそうした戦前の日本で鉱山労働者を対象に行われていた監獄部屋等のような”身体の拘束”を禁止規定から除外したのかというと、それは自民党の憲法改正案自体がそうした”身体の拘束”をあらかじめ予定しているからです。

自民党憲法改正案が「強制労働」や「徴用」などを予定していることは『自民党憲法改正案の問題点:第9条の3|国家総動員法の復活』のページで解説しましたが、自民党改正案が前文で「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」と規定していることからも分かるように、自民党憲法改正案の一番重要な目的は「国民に国土と資源を守らせること」にあります。

しかし、「国民に国土と資源を守らせる」場合には、その国民に「国防への協力を義務付ける」必要がありますが、「国防への協力を義務付ける」行為自体が強制労働や徴用などを含むので、その強制労働や徴用によって生じうる「戦前の日本で鉱山労働者を対象に行われていた監獄部屋等のような”身体の拘束”」を否定する現行憲法の第18条の文言のままでは整合性がとれなくなり、憲法違反になってしまいます。

そのため、自民党憲法改正案第18条では、現行憲法の「奴隷的拘束」の文言を「社会的又は経済的関係において身体を拘束」という文章に変更し、「社会的関係」や「経済的関係」に含まれない「戦前の日本で鉱山労働者を対象に行われていた監獄部屋等のような”身体の拘束”」をそこから除外することで、「国防のための強制労働や徴用によって生じ得る身体の拘束」を許容できるようにしたわけです。

つまり、自民党憲法改正案第18条が「奴隷的拘束」の文言を「社会的又は経済的関係において身体を拘束」に変えたのは、現行憲法で禁止される「奴隷的拘束」の一部、具体的には自民党憲法改正案第9条の3の規定によって解禁されることになる強制労働や徴用によって生じ得る”身体の拘束”の違憲性を回避するところにその目的があるのです。

先ほど挙げたように、自民党が作成したQ&Aには「規定の表現が変わったからといって、現行規定の意味が変わるものではありません」と記述されていますが、憲法論的に考えればそんなことはありません。

自民党憲法改正案第18条1項が国民投票を通過すれば、「奴隷的拘束」が禁止された現行憲法の解釈が大きく変更され、その「奴隷的拘束」の一部である「国防のための強制労働や徴用の際に生じうる身体の拘束」が許されることになりますので、その点を誤解しないように注意する必要があります。

自民党憲法改正案第18条1項は、「国防のための強制労働等に伴う身体の拘束」を認める点で明治憲法(大日本帝国憲法)と同じ

以上で説明したように、自民党憲法改正案第18条1項は、自民党憲法改正案全体(特に自民党案第9条の3)が国防のための強制労働や徴用を許容していることから、それと整合性を持たせるために、国家による国民の「奴隷的拘束」の一部である「国防のための強制労働や徴用によって生じ得る身体の拘束」を可能とさせるためのものであることがわかります。

ところで、こうした規定は明治憲法(大日本帝国憲法)と同じです。

明治憲法(大日本帝国憲法)でも基本的人権は保障されていましたが、民定憲法ではなく欽定憲法であったことから、国家権力が法律を定め、または天皇大権を利用すれば、いくらでも制限ができるものでした(※参考→明治憲法(大日本帝国憲法)と日本国憲法の根源的な違いとは何か)。

そのため明治憲法(大日本帝国憲法)の下では、国民に対する強制労働や徴用などによって必要とされる身体の拘束等、国民の権利や自由を制限する制度も合法として広く許容されることになったのです。

しかしそうした自由と権利の侵害が、国全体を戦争に誘導し全体主義的な方向に作用させた一因でもありましたから、戦後に制定された現行憲法では第18条に「奴隷的拘束」の禁止規定を置くことで、国民が国家権力から不当に身体拘束されないように歯止めを掛けたわけです。

それにもかかわらず、自民党改正案第18条1項は「社会的又は経済的関係において身体を拘束されない」と規定することで、「国防のための強制労働や徴用によって生じ得る身体の拘束」といった「奴隷的拘束」の一部の強制を許容しているのですから、これは明治憲法(大日本帝国憲法)への逆戻りと言えます。

明治憲法(大日本帝国憲法)で失敗した憲法規定に戻す必要が本当にあるのか、冷静に考える必要があると思います。

「奴隷」という言葉は「わが国の憲法になじまない」は本当か

なお、最後に自民党が作成したQ&Aに少し気になる記述があったのでその点について言及しておきます。

先ほど紹介した自民党のQ&Aには「奴隷制」に関して次のような記述があります。

「奴隷的拘束」の表現振りの変更
自民党の憲法改正草案では、現行憲法18条前段の「奴隷的拘束も受けない」を「社会的又は経済的関係において身体を拘束されない」(草案18条1項)と改めています。「奴隷的拘束」という表現は、歴史的に奴隷制を採っていた国に由来すると考えられるため、我が国の憲法になじむような、分かりやすい表現で言い換えたものです。

※出典:日本国憲法改正草案Q&A|自民党 14頁より引用

つまり自民党は、『日本は欧米諸国と異なり奴隷制を採っていたわけではないから「奴隷」という文言は日本の憲法にはなじまないので「社会的又は経済的関係において身体を拘束」という文章に変えただけだ。だから「奴隷的拘束」が禁止されるという解釈は現行憲法と変わらない』と言いたいわけです。

しかし、「奴隷」という表現は、日本の歴史から考えて本当に「なじまない」言葉なのでしょうか。

たとえば平安から鎌倉の時代にかけては、東国ではいわゆる蝦夷(えみし)と呼ばれた北方民族が奴隷として売買され召使などの労働力として利用されたり、京の都に近い叡山などの寺社勢力でも寄進を受けた寺領から連れてきた奴僕(ぬぼく)と呼ばれる奴隷が使用人として多く抱えられていたことが知られていて、吉川英治も『新・平家物語』の中で、室町時代の古写本で”曼殊院門跡覚什が弟子、桑門慈源がこれを写す”と後書きのある冊子の中に、幼少の頃の武蔵坊弁慶が母の再婚相手の義父に虐待されたうえ書社山の一寺に奴隷として売られていったとする説があるのを紹介(※吉川英治『新・平家物語(五)』講談社 347∼350頁参照)したうえで次のように記しています。

天平のころには、稲、何十そくという安値で、人間の子が、売買されていた。法令では、なんども、禁止されたが、弁慶の子どものころにも、なお、奴隷の売買は行われていた。寺院にも、公卿や武家にも、ふつうの召使以下の、最下級の奴隷は、たくさん飼われていたのである。

吉川英治『新・平家物語(五)』講談社 350頁

時代を下って戦国時代には、敵対する領主を攻め滅ぼした際、その領主の家臣や領民を自国に連れ帰って鉱山労働に従事させたり、拉致した女性を強姦し売渡したりするなどが広く行われていました。いわゆる「乱取り(乱妨取り)」と呼ばれる略奪です。

武田信玄がそうした乱取りによって拉致した男女を鉱山や鉱山労働者を相手にさせる女郎屋で囲い込み強制労働させた例は良く知られた話(甲陽軍鑑などの記述)ですし、大阪城の天守閣に展示されているいわゆる大阪夏の陣の屏風絵にも市中を逃げ回る女性を寄せ手の将兵が拉致している情景が描写されているのを見ることができます。もちろんそうして拉致された女性は強姦されて女郎屋などに性奴隷として売られたりしたわけです。

また、中世から昭和初頭に至るまで、飢饉等でその日の糧に窮した農民が娘を女郎屋に売り渡したり、いわゆるナンキンコゾウ(※山形県などの一部地域で人手不足を補うため他家の次男三男を養子に貰い成人するまで奴隷労働を強制させた慣習)に代表される人身売買が横行していた事実も広く知られた話です。

さらに言えば、先の戦時中も占領した地域で軍人が女性を拉致・監禁してレイプを繰り返したり(たとえば南京事件や北支で行われたいわゆる三光作戦など)、市民を騙してあるいは強制連行して満州や内地の鉱山などで働かせたり、捕縛した捕虜を劣悪な環境のまま鉄道建設など強制労働に従事させたりした事例(たとえば泰緬鉄道など)があるのは周知の事実です。

もちろん、こうした事例を「奴隷制」という「制度(天皇による統帥権の行使としての大本営からの命令)」と解釈してよいかは議論があるでしょうが、そうした身体的拘束を受けた人から見れば奴隷的な状況に置かれていたことは事実です。

欧米やその植民地だった南米などのように国家統治の制度として組み込まれた「奴隷制」はなかったかもしれませんが、日本の歴史の中で「奴隷」とされていた人は紛れもなくいたわけで、その時代の権力者や一般人が自国民あるいは他国民を「奴隷」として積極的に利用してきた事実は事実として存在するのです。

そうであれば、日本の憲法条文として「奴隷」との表現が「なじまない」とは言えないでしょう。それとも自民党は「日本で奴隷は存在しなかった」と歴史を修正したいのでしょうか。

「”奴隷”というその言葉が歴史的に使われてこなかったからだ」という意見もあるかも知れませんが、そんなことを言い出せば「国民」や「人権」や「平等」や「国家」などの言葉も明治以前は使われていなかったのですから、そうであればすべての文言を変えなければ整合性が取れません。

自民党がなぜ、わざわざこのような歴史修正主義的な記述をQ&Aで行っているのか甚だ疑問です。

このような記述をしてしまうと、この文章の読み手は「日本の歴史の中で奴隷は存在しなかったのだ」と誤解してしまい、「単に”奴隷”という言葉が日本ではなじまないので文章を変えただけだ」という自民党の説明をそのまま受け取ってしまう恐れがあります。

仮にそうなれば、『「奴隷的拘束」が禁止されるのは現行憲法と変わらない』という説明もすんなり受け取ってしまうでしょう。

しかし、先ほど説明したように、自民党改正案第18条1項は「奴隷的拘束」の一部、具体的には「国防のための強制労働や徴用によって生じ得る身体の拘束」を許容するものなのですから、こうした誤解を招く説明をQ&Aに記述するのは問題があるように思います。

自民党という歴史ある国政政党が、歴史修正主義的手法を用いてこうした読み手を錯誤に陥らせてしまう記述をQ&Aで公開していることについては、非常に大きな疑問を感じるのです。