憲法の改正に執拗に固執し続ける自民党が公開している憲法改正草案の問題点を一条ずつチェックしていくこのシリーズ。
今回は、「犯罪被害者等への配慮」に関して新設した自民党憲法改正草案の「第25条の4」の問題点について考えてみることにいたしましょう。
「犯罪被害者等への配慮」に関する規定を新設した自民党憲法改正草案の「第25条の4」
自民党は現行憲法では明文の規定として置かれていない「犯罪被害者等への配慮」なる規定を「第25条の4」として新設しています。
具体的にどのような規定が新設されたのか、条文を確認してみましょう。
【自民党憲法改正草案第25条の4】
(犯罪被害者等への配慮)
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
国は、犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇に配慮しなければならない。
このように、自民党憲法改正草案第25条の4は犯罪被害者とその家族の人権とその処遇について国に配慮するよう努力義務を課していますから、一見するとその配慮を受ける国民側には有益なようにも思えます。
では、こうした規定は国民にとって有益なだけで不利益は生じないのでしょうか。検討してみましょう。
「犯罪被害者等への配慮」に関する自民党憲法改正草案第25条の4つの問題点
この点、結論から言えば、こうした「犯罪被害者等への配慮」に関する規定を憲法に置くことは、問題があると言えます。
なぜなら、「犯罪被害者等への配慮」を憲法に明文として規定してしまえば、本来”推定無罪”の原則が働く「犯罪加害者」側の人権が損なわれる懸念が生じてしまうだけでなく、犯罪の社会的原因を有耶無耶にさせ、犯罪被害者にとっても人権保障を損ねてしまう恐れがあるからです。
(1)犯罪加害者側の人権がやみくもに損なわれてしまう危険性
先ほど引用したように、自民党憲法改正草案第25条の4は「犯罪被害者等への配慮」を憲法に明文の規定として置くことで国に犯罪被害者側の保護に関する努力義務を課していますが、これは恐らく、具体的には犯罪被害者への補償であったりその家族等への報道取材によるプライバシー侵害や、事件に関する情報開示を想定しているものと解されます。
犯罪の被害に遭えば生命・身体だけでなく経済的にも大きな被害が生じることもありますが、加害者側に十分な補償を求めるのは事実上困難ですし、報道などが過熱して被害者の家族等もプライバシーが侵されてしまう懸念もあるでしょう。
また、犯罪被害者としては加害者がどのような経緯で犯罪に至ったのか知りたい場合もあるでしょうから、そうした場合に捜査資料等の開示に配慮することも求められるケースはあるかも知れません。
そうした被害者側の保護を手厚くする趣旨で、こうした規定を盛り込もうとしたのだと思います。
もちろん、「犯罪被害者側」への配慮は重要なものだと思います。犯罪被害者側は「加害者」の違法な行為によって被害を受けた被害者なのですから、そうした側の人に最大限の配慮をして保護することは必要でしょう。
しかし、こうして「犯罪被害者」の側の保護を強調してしまうと、その反射的効果として「加害者」側の配慮が疎かになる危険性があります。
憲法で「犯罪被害者側」の配慮を強調すれば、国に対して被害者側の人権保障に配慮することが求められる一方、「加害者側」への配慮は求められないので「加害者側」の人権保障が軽視される方向に作用してしまうからです。
ですが「犯罪加害者」であっても裁判が確定するまでは”推定無罪”の原則が働きますので、裁判が終結して有罪判決が確定するまではあくまでも”無罪”です。
また、仮に有罪が確定しても犯罪者だからプライバシー権等の人権をいくらでも侵害してよいという話にはなりません。
つまり、ある犯罪が起きてしまった場合、逮捕された加害者とその家族についても、被害者側と同じように人権は保障されなければならないものなのです。
それにもかかわらず、自民党憲法改正草案第25条の4のように「被害者側だけ」の人権保障を国に努力義務として課してしまえば、「加害者側」の人権は「被害者側」と比較して軽んじてもよいというメッセージになりかねません。
本来平等であるべき人権保障の要請を、犯罪被害者側だけに一方的に傾けた自民党憲法改正は、加害者側の人権保障を軽視する方向に傾斜してしまう点で問題があると言えるのです。
(2)犯罪加害者への怨嗟が掻き立てられることで犯罪の社会的側面としての問題が覆い隠されてしまう危険性
また、こうして憲法に「犯罪被害者側」の人権保護に関する国の努力義務を明記してしまうと、「加害者」への批判・非難に国民の関心が向けられることで、犯罪そのものの社会的問題に関する検証や議論が疎かにされてしまう懸念も指摘できます。
自民党改正案の第25条の4のような「犯罪被害者等への配慮」を国の努力義務として課す規定が国民投票を通過すれば、(1)で述べたように「犯罪被害者やその家族」の保護に国民の関心が向けられる一方、「犯罪加害者やその家族」に対する保護は相対的に軽視されますから、必然的に加害者への批判・非難は厳しくなり、犯罪加害者の家族への取材等に関しても被害者家族へのそれと比較してハードルは下げられることになるかもしれません。
仮にそうなれば、その犯罪がなぜ起きてしまったかという点よりも、国民の関心は加害者を糾弾することへ向けられていくようになるでしょう。
しかし、ある犯罪が起きた時に必要なのは、その犯罪がどうして起きてしまったのか、社会はそれをなぜ防ぐことができなかったのか、そうした犯罪が二度と起きないような社会にするためにはどうすればよいかといった視点からの検証と議論です。
加害者個人が批判・非難されることは仕方ない面があるとしても、その犯罪を加害者個人の問題に矮小化してしまうのではなく、社会全体の問題として受け止めて、その事件がなぜ起きてしまったのかという点を検証し議論しなければ、同じような事件がいつかまた引き起こされてしまうでしょう。
もちろん「犯罪被害者」側の保護は大切ですが、憲法にあえて「犯罪被害者の保護」を明記してしまうと、その犯罪が「犯罪被害者 対 犯罪加害者」という図式に矮小されてしまい、「犯罪 対 社会」の視点が抜け落ちてしまって犯罪の本質的な問題を見失うような気がするのです。
「犯罪被害者だけ」を保護する規定を国の最高法規である憲法に明記するということは、犯罪を「加害者」と「被害者」との個人の問題に矮小化させ「社会」の責任を有耶無耶にしてしまう方向に作用してしまう点で大きな懸念があると言えるのです。
(3)「犯罪被害者等への配慮」は現行憲法でも法律で十分対応できるもの
さらに言えば、「犯罪被害者等への配慮」については自民党改正案の第25条の4のように憲法に明文化しなくても、法律によって整備できるものである点でも問題です。
先ほど説明したように「犯罪被害者等への配慮」は具体的には犯罪被害者への補償やその家族等へのプライバシーの侵害、あるいは事件の情報開示等を指しているものと解されますが、そうした点は現行憲法の枠内でも十分に法律で保護できる問題だからです。
たとえば、犯罪被害者への補償という観点であれば、現行憲法でも第25条で生存権が保障されていますので、その生存権という人権保障の枠内で法律を整備することで十分に犯罪被害者への補償を充実させることは可能です。
この点、現行憲法上すでに「犯罪被害者等給付金の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律」が施行されていてその法律の枠内で犯罪被害者の補償が実施されていますから、残るのは政令などで補償の中身(経済的補償の給付など)をいかに充実させるかの問題です。つまり、政治的な決断さえあれば犯罪被害者の補償を厚くする事は現行憲法でも十分に可能なのです。
また、犯罪被害者への取材の問題に関しても、それが個人の尊厳を損ねたり被害者家族のプライバシー権を侵すようなものである場合には、現行憲法第13条の幸福追求権から導かれるプライバシー権(自己の情報をコントロールする権利)からの要請として「公共の福祉」の下で犯罪被害者とその家族を保護することもできますから、あえて憲法に「国に対する配慮の努力義務」という形で明文化しなくても、対応できる問題でしょう。
捜査資料等の情報開示にしても、国民の「知る権利」は憲法第21条で保障されているのですから、法律の範囲で十分に対応が可能なはずです。
つまり、自民党改正案の第25条の4が憲法に明記しようしている「犯罪被害者等への配慮」は、なにも憲法に自民党案のような条文を新設しなくても、現行憲法の下で十分に実現できるのです。
それができないから条文を新設したのだ、と自民党が言うのであれば、それは自民党が現行憲法上でやれることをやっていないということですから、自民党が改正案に「犯罪被害者等への配慮」の規定を新設しようとしていること自体、自分たちの怠慢を認めているようなものなのです。
このように考えれば、「自民党憲法改正草案第25条の4」が必要のない規定なのがわかるでしょう。
自民党は現行憲法上で可能な範囲ですら「犯罪被害者等への配慮」を十分に実現していないので、改正案第25条の4のような規定を新設しても、それを具現化させる法律を整備し「犯罪被害者等への配慮」などするわけがないからです。
現行憲法の下ですら「犯罪被害者等への配慮」を十分にやらない政党が、憲法を改正して「犯罪被害者等への配慮」を明文化したところでそれをやるはずがないのです。
自民党はおそらく、「犯罪被害者等への配慮」などに関心など全く持っていないにもかかわらず、「犯罪被害者等への配慮」を考えている政党だと世間に思わせて世論の支持を得るためだけにこうした規定を憲法に新設したのかもしれません。
もしも仮に「憲法を改正したい」という自分たちのイデオロギー実現のためにこうした規定を新設したというのであれば到底許されるものではありませんが、歴史ある自民党がそうした蛮行をするはずがありませんのでそれは気のせいなのでしょう。
(4)「犯罪被害者等への配慮」を憲法に規定することで犯罪被害者がかえって不利益を被る可能性
4つ目の問題点として、「犯罪被害者等への配慮」を憲法に明文の規定として置いてしまうと、かえって犯罪被害者が不利益を被ってしまう可能性がある点があげられます。
先ほど説明したように、自民党憲法改正草案第25条の4として新設する「犯罪被害者等への配慮」は具体的には犯罪被害者への補償やその家族等へのプライバシー侵害への対処に関する配慮を指しているものと解されますが、そうした点は現行憲法では憲法第25条の「生存権」や憲法第13条の「幸福追求権(プライバシー権)」、また情報開示にしても憲法第21条の「知る権利」などの要請として「人権侵害」を根拠に国にその配慮を求めることが可能です。
つまり、自民党憲法改正草案第25条の4のような規定がない現行憲法上は、「犯罪被害者等への配慮」は憲法第25条(生存権)や第13条(プライバシー権)、第21条(知る権利)などの「人権」の問題として国にその対処を求めることができるので、国は犯罪被害者からその配慮を求められれば、拒否できないわけです。
しかし、自民党の憲法改正草案第25条の4は「国の責務」という形で「犯罪被害者等への配慮」を明文化していますから、それは単なる国の努力義務にとどまってしまいますので国が「配慮した」と判断すれば、それ以上の事はやらなくても済んでしまうことになります。
つまり、自民党改正案の第25条の4のような規定が存在しない現行憲法のままであれば、犯罪被害者は憲法第25条の生存権や第13条の幸福追求権(プライバシー権)、第21条の”知る権利”などを根拠として「人権侵害」の側面から国に対して「犯罪被害者等への配慮をしろ」と求めることができるのに、自民党改正案の第25条の4のような「犯罪被害者等への配慮」として「国の責務」という努力義務の形で規定してしまうと、国が「努力義務は果たした」と判断すればそれ以上の配慮をしないことも憲法で認められてしまうので、国の裁量で「犯罪被害者等への配慮をしないこと」が憲法で許されることになってしまうのです。
そうなれば、自民党改正案の第25条の4の下では、国は改正案の第25条の4を根拠にすれば「憲法第25条の4の規定に基づいて配慮はしたからこれ以上の配慮をしなくても違憲ではない」との言い訳が成り立つことになりますので、政治的な裁量で「犯罪被害者等への配慮をしないこと」もできるようになってしまうでしょう。
それはすなわち、犯罪被害者の保護が今より薄くなってしまうということです。
自民党改正案の第25条の4は、「犯罪被害者等への配慮」を厚くするため条文を新設したように見えますが、国からしてみれば裁量の余地が広がるので、「犯罪被害者等への配慮」という観点から見れば、国民側の保護はその逆に狭められてしまうのです。
自民党は改正草案第25条の4で「犯罪被害者等への配慮」を明文の規定として新設してはいますけれども、生存権(憲法第25条)やプライバシー権(憲法第13条)、”知る権利”(憲法第21条)など基本的人権の観点から考えればそれは決して犯罪被害者にとって有益なものになるとは限りませんので、その点を十分に考えて賛否を判断する必要があると思います。