自民党が公開している憲法改正草案の問題点を一条ずつチェックするこのシリーズ。
今回は、憲法の章立ての「第二章」の文言を、現行憲法の「戦争の放棄」から「安全保障」に変更した部分について、その問題点を考えていくことにいたしましょう。
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憲法の「第二章」の章立ての文言を「戦争の放棄」から「安全保障」に変えた自民党草案
現行憲法は100を超える条文で構成されていますが、その個々の条文は「第一章 天皇」「第二章 戦争の放棄」「第三章 国民の権利及び義務」「第四章 国会」「第五章 内閣」「第六章 司法」「第七章 財政」「第八章 地方自治」「第九章 改正」「第十章 最高法規」「第十一章 補足」の11の章立てでそれぞれ分類されています。
この点、現行憲法の「第二章 戦争の放棄」には憲法第9条の条文しか置かれておらず、憲法9条は憲法前文で「再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」と述べることで掲げられた平和主義の理念を具現化するための規定ですから、この「第二章 戦争の放棄」の章立ては、憲法の基本原理である平和主義を具現化するための重要な章立てと言えるでしょう。
ちなみに、「第二章 戦争の放棄」は次のように明記されています。
【日本国憲法(抄)】
第一章 天皇
第1条~第8条(省略)
第二章 戦争の放棄
第9条(省略)
第三章 国民の権利及び義務
第10条(省略)
一方、自民党草案でこの「第二章」の部分が次のように変更されています。
【自民党憲法改正草案(抄)】
第一章 天皇
第1条~第8条(省略)
第二章 安全保障
第9条(省略)
第三章 国民の権利及び義務
第10条(省略)
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
では、このような変更は何を意味し、どのような問題を惹起させることになるのでしょうか。
憲法の基本原理である平和主義が自衛のための戦争を許容する平和主義に変えられた事実を強化させる
このように、自民党憲法草案は「第二章」の文言を「戦争の放棄」から「安全保障」に変更していますが、この文言の変更は、憲法の基本原理である平和主義が失われることを意味します。
なぜなら、自民党の憲法草案は武力(軍事力)の行使を前提とした平和主義を基本原理としていて戦争を否定しないので、この「安全保障」への文言の変更自体が憲法の平和主義が変質したことを表象することになるからです。
この点、『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼…することが必要な理由』などのページでも解説したように、現行憲法は前文で「再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」と述べることで戦争を放棄する決意を表明し「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と述べることで国際協調主義に立脚した平和主義の理念の実現に尽力することを宣言していますが、現行憲法でこうした平和主義が基本原理として採用されたのは先の戦争の反省があるからにほかなりません。
先の戦争は、自存自衛や大東亜共栄圏なる大義名分を掲げて始められましたが、かかる自衛を名目とした戦争は自国だけでなく東アジアと太平洋の人々に甚大な犠牲を強いてしまいました。
そのため戦後の日本では、武力(軍事力)とは違ったアプローチで国民の安全保障を確保することが求められ、諸外国と信頼関係を構築し、国際的に中立的な立場から紛争解決や貧困解消のための努力など積極的な外交努力を行って世界平和の実現に尽力し、その努力の過程において日本国民の安全保障を確保していく平和主義の理念が基本原理として採用されたわけです。
そしてその平和主義の理念を具現化させるために、国家権力に対して「戦争をするな(戦争放棄)」「軍事力を持つな(戦力の不保持)」「交戦権を行使するな(交戦権の否認)」と歯止めをかけることにしました。それが憲法9条の規定です。
ですから、現行憲法が「第二章」に「戦争の放棄」という文言を用いているのは、憲法の基本原理である平和主義を実現するうえで自衛戦争も含めたすべての戦争を放棄することが不可欠であり、それを実現させるために武力の一切を否定した憲法9条が不可欠だからこそであって、その「第二章」の「戦争の放棄」の文言は、憲法の基本原理である平和主義の理念そのものと言えます。
しかし、自民党の憲法改正案は、その平和主義の基本原理を否定し、武力によって国の安全保障を確保することを是としました。これは、自民党憲法改正案の前文からも明らかです。
自民党案の前文では、戦争を放棄する「再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」の一文や世界の平和に尽力することを宣言した「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」の一文が削除された一方で、「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」などという「防衛」を意識させる文章が新たに記述されていますが、戦争放棄の文言が削除されている以上、その「国を守る」という理念を実現するための手段は武力(軍事力)の行使を当然に容認することを想起させます。
【自民党憲法改正案:前文※一部抜粋】
(中略)
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
…我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国と友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りをもって自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
(以下省略)
実際、自民党憲法改正案の第9条では自衛権を規定し自衛のための戦力行使を明文化しただけでなく「第9条の2」で国防軍を明記していますので、自衛のためであれば武力(軍事力)行使を許容させるのが自民党憲法草案の大きな目的の一つと言えます。
この点、自民党草案の前文にも「平和主義」や「諸外国との友好関係」という文章はありますが、こうした条文の規定を総合して考えれば、その平和主義は自衛のためなら武力(軍事力)の行使を許容することが前提とされていますので、平和を確保するための手段は必然的に武力(軍事力)の行使に重点が置かれることになるでしょう。
現行憲法の平和主義は、武力(軍事力)の行使を否定し、国際協調主義に立脚して国際的に中立な立場から外交努力を積極的に行うことで世界平和の実現に尽力することの中に国民の安全保障を確保しようとするところにその本質がありますが、自民党案の平和主義は武力(軍事力)の行使をもって国と郷土の安全保障を確保しようとするところにその本質がありますので、その平和主義の本質が異なるわけです(※参考→憲法9条に自衛隊を明記すると平和主義が平和主義でなくなる理由)。
だからこそ、自民党憲法草案は「第二章」の文言を「安全保障」に変更したのでしょう。
「第二章」の文言を「戦争の放棄」から「安全保障」に変更することは、日本国憲法の基本原理である平和主義の理念が、戦争を放棄し武力(軍事力)の一切を否定して国際協調主義に立脚し積極的な外交努力の中に国民の安全を確保しようと努力する平和主義から、武力(軍事力)の行使を容認し武力(軍事力)の行使をもって国と郷土を守る平和主義に変質した事実を明文上で印象付ける作用を及ぼし、その平和主義の基本原理が変質した事実を強化します。
自民党憲法草案が「第二章」の文言を「戦争の放棄」からあえてわざわざ「安全保障」に変えたことによって、武力(軍事力)の行使を容認し、自衛のための戦争を許容することを明確に宣言した事実が強化されるのです。
すなわちそれは、先の戦争の反省から自衛のための戦争も含めたすべての戦争を放棄し、国際的に中立的な立場から平和構想の提示や紛争解決のための提言、また貧困解消のための協力など、世界平和の実現に向けた積極的な努力の中に国民の安全保障を確保しようと試みる現行憲法の平和主義の理念が完全に失われてしまったことを意味します。
ですから、自民党憲法草案が「第二章」の文言を「安全保障」に変更した点は、現行憲法において宣言された崇高な平和主義の基本原理を失わせる事実を強化する点で問題があると言えるのです。