【自民党憲法改正案の問題点:第3条】国旗国歌の強制で天皇の国に

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(3)国家権力の権力行使を縛るための憲法が国民を縛ることになること

憲法に「日の丸」や「君が代」を明記し、それを「尊重」することを義務付ける自民党の憲法改正草案第3条は、国民に義務を課す点でも問題があると指摘できます。

なぜなら、憲法は国民を制限するためにあるのではなく、国民が国家権力の権力行使に歯止めをかけるためのものだからです。

民主主義の国家では国家を形成する国民が国家に権限を委譲しますが、その権限を委譲する際に「この範囲でだけ権限を委譲しますよ」「この範囲でだけ立法作用によって国民に義務を課し自由を制限することを許しますよ」と制限を掛けて国家権力の権力行使に歯止めをかけようと試みます。これが憲法であって、これが立憲主義の本質です(※参考→憲法は何を目的として改正されるべきなのか)。

にもかかわらず、自民党の憲法改正草案の第3条では、制限を掛ける側の主体である国民の側に「日の丸を尊重しろ」「君が代を尊重しろ」としているだけでなく、しかもそれが「第一章 天皇」の章に規定されていますから、結果として「天皇を尊重しろ」という意味を含むことになってしまいます。

つまり、憲法によって国家権力を縛る立場にあるはずの国民が、その逆に国家権力から「天皇を尊重しろ」と縛られることになるのですから、これは憲法の破壊であって立憲主義の破壊です。

ですから、憲法に国旗として「日章旗(日の丸)」を国歌として「君が代」を明記する自民党の憲法改正草案第3条は、国家権力の権力行使に歯止めをかけるために存在する憲法を、その逆に国民を縛るために用いている点において、立憲主義の観点から問題があるといえます。

(4)「思想良心の自由」「幸福追求権」など基本的人権を制限すること

国旗として「日章旗(日の丸)」を、国歌として「君が代」を規定する自民党の憲法改正草案第3条は、憲法で保障された「思想良心の自由(憲法第19条)」や「幸福追求権(憲法第13条)」という基本的人権を制限する点も問題です。

日本国憲法第19条

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

日本国憲法第13条

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

現行憲法では19条で「思想及び良心の自由」を、また13条で「幸福追求権」を保障していますが、これはもちろん、明治憲法(大日本帝国憲法)の下でそうした基本的人権を制限して国民を戦争に向かわせた反省があるからです。

明治憲法(大日本帝国憲法)の下でも基本的人権を保障する規定は置かれていましたが、それは法律や天皇大権の留保がつけられた不十分なもので、国家権力が法律を整備し天皇大権を利用すればいくらでも国民の自由や権利を制限できるものに過ぎませんでした(※参考→明治憲法(大日本帝国憲法)と日本国憲法の根源的な違いとは何か)。

明治憲法(大日本帝国憲法)の下では「個人」としての権利や自由が国家権力によって制限することが許容されており、それが国民の自由や権利を制限する法的根拠を与えることになって全体主義を正当化させ、不毛な戦争に国民を誘導する手段として使われたのです。

そのため戦後に制定された現行憲法では、国民に多様な思想や考え方を持つことを許容し、国民を「人」としてではなく一人一人のかけがえのない「個人」として尊重することが求められました。

そこで規定されたのが19条の「思想良心の自由」であって13条の「幸福追求権」です。

「思想良心の自由」や「幸福追求権」は、個人一人一人の異なる思想や良心が自由であることを保障し、個人一人一人がそれぞれ異なる幸福を追求する権利を保障しています。

この「個人」の思想や幸福を保障することは、多様性を許容し民主主義を実現していくうえで必要不可欠ですから、我々日本国民が民主主義国家を運営していくのであれば、絶対に守り抜いていかなければならない基本的人権なのです。

「思想良心の自由」また「幸福追求権」が保障される現行憲法の下では、「日章旗(日の丸)」や「君が代」を尊重するかしないかも個人の自由意思に委ねられなければなりませんから、歴史的な背景から「日の丸が嫌いだ」とか「君が代なんて歌いたくない」いう人がいても構いませんし、「日の丸はやめて他のデザインに変えるべきだ」とか「君が代をほかの歌に変えろ」という人がいても構いません。

もちろん「日の丸を尊重する」とか「君が代を歌うと感動する」いう人がいても構いませんし、私のように「日の丸」や「君が代」に何の感情も抱かないまま「日の丸」を前に起立し言われるがままに「君が代」を斉唱する人がいても構いません。それが「思想良心の自由」であって「幸福追求権を保障する」ということです。

しかし、自民党の憲法改正草案第3条は、国旗として「日章旗(日の丸)」を、国歌として「君が代」を憲法に規定し、そのうえでそれを「尊重」することを求めていますから、その草案が国民投票を通過すれば「日の丸」の掲揚に際して起立することを強制する法律や、「君が代」の斉唱を強制させる法律を制定することが法的に認められることになってしまいます。

この点、自民党が自党のサイトで公開している憲法改正草案のQ&Aでは「これによって国民に新たな義務が生ずるものとは考えていません」と書かれていますから(自民党憲法改正草案Q&A8頁)、憲法に「日の丸」や「君が代」が明記されたからといってそれが強制されるわけがないと思う人もいるかもしれません。

ですが、憲法に「日の丸」や「君が代」が明記され、それを「尊重」することが求められる以上、それを「尊重しないこと」が違憲となってしまいますので、「日の丸」に起立しないことを許容したり「君が代」を斉唱しないことを許容する法律を施行すること(たとえば学校教育法などに起立や斉唱を強制させる条文を規定しないこと)自体が違憲性を帯びることになってしまうでしょう。

つまり、自民党の憲法改正草案第3条が成立すれば、国民は自分の意思に関係なく「日の丸」に起立し「君が代」を斉唱し「日の丸」や「君が代」を尊重することを法的に強制させられることになる余地が生じてしまうのです。

もちろん、「日の丸」や「君が代」に何の違和感も持たない人はそれで良いかもしれません。

しかし、歴史的な背景やその他の事情から「日の丸」や「君が代」を快く思わない人にまでそれを強制する社会が、果たして民主主義を実現していくことができるでしょうか。

個人がその思想や良心を保障されず、個人が個人として幸福を追求することを制限される社会が、多様性を許容して自由な社会を作っていくことができるでしょうか。

自民党の憲法改正草案第3条は、「日の丸」や「君が代」を憲法に規定していますが、それは個人の思想や幸福追求権に介入し、国民の多様性を否定して日本を全体主義国家に誘導する機能を包含しています。

それは当然、国民の基本的人権を制限した明治憲法(大日本帝国憲法)の下で抑圧と専制を拡大させていった過去の過ちを繰り返させる危険を生じさせますから、民主主義や立憲主義の観点から考えて明らかに問題があると言えるのです。

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国旗として「日章旗(日の丸)」を、国歌として「君が代」を規定する自民党憲法改正草案は国民主権を後退させ基本的人権を制限し民主主義を破壊する危険を生じさせる

以上で説明したように、国旗として「日章旗(日の丸)」を、国歌として「君が代」を規定する自民党憲法改正草案の第3条は国民主権を後退させ基本的人権を制限し民主主義を破壊する危険を生じさせる点で大きな問題があると言えます。

もちろん、自民党がそうした意図をもってこの憲法草案を作成したのか、それはわかりません。

しかし、少なくとも自民党の憲法改正草案第3条が国民投票を通過することによってそうした危険が現実に生じてしまうことが明らかなのですから、我々国民はその危険性を十分に理解したうえでその賛否を判断しなければならないと言えます。