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自民党憲法改正案の問題点:第3条|国旗国歌の強制で天皇の国に

憲法改正を執拗にアナウンスしている自民党がウェブ上で公開している憲法改正草案を条文ごとに細かくチェックしてその問題点の検討を試みるこのシリーズ。

今回は、自民党憲法改正草案の「第3条」について確認してみることにいたしましょう。

なお、自民党憲法改正草案の「第2条」については現行憲法と特段の違いはないと思われますので「第2条」の検討は省略しています。

ちなみに、この記事の概要は大浦崑のYouTube動画でもご覧になれます。

記事を読むのが面倒な方は動画の方をご視聴ください。

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自民党憲法改正草案で新設された「国旗及び国歌」と表題される「第3条」の内容

現行憲法の日本国憲法の第3条には天皇の国事行為に対する「内閣の助言と承認及び責任」に関する条文が置かれていますが、自民党改正案ではその条文が削除され(ただし自民党改正案では第6条4項で「内閣の進言」の条文が新設されています)、その代わりに「第3条」として「国旗及び国歌」の条文が新設されました。

現行憲法に国旗や国歌の規定はなく、国旗や国歌は「国旗及び国歌に関する法律」に規定されていますので、「法律」で規定されている国旗や国歌に関する規定が、自民党改正案では「憲法」に格上げされた形です。

この点、自民党が自党のサイトで公開している「第3条」は次のように規定されています。

自民党憲法改正案※一部のみ抜粋】

第一章 天皇

第一条~第二条(省略)

(国旗及び国歌)
第三条 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。

※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成

では、この自民党憲法改正草案の「第3条」は、具体的にどのような点に問題があるといえるのでしょうか。

「国旗」と「国歌」を規定する自民党憲法改正草案第3条が惹起させる4つの問題

このように、自民党憲法改正草案の第3条は、「国旗」を日章旗(日の丸)と、「国歌」を君が代と憲法に明記するだけでなく、その「日の丸」と「君が代」を”尊重”することを義務付けられる条文になっていますが、このような規定は大きく分けて4つの問題を惹起させるものと考えられます。

以下、その4つの問題について、順に説明します。

(1)天皇と「日の丸」「君が代」を関連付けることで国民主権が後退する

憲法に「日章旗(日の丸)」と「君が代」を明記する自民党の憲法改正案第3条を見てまず指摘できるのが、国民主権原理を後退させてしまうという問題です。

なぜなら、自民党の憲法改正草案が国民投票を通過すれば、国旗として強制される「日章旗(日の丸)」と国歌として強制される「君が代」の表象する「天皇」が絶対的・普遍的な存在に変えられてしまうからです。

この点、まず注意して確認してほしいのが、この第3条が「第一章 天皇」の章に挿入されているという点です。

現行憲法は「第一章 天皇」「第二章 戦争の放棄」「第三章 国民の権利及び義務」「第四章 国会」「第五章 内閣」「第六章 司法」「第七章 財政」「第八章 地方自治」「第九章 改正」「第十章 最高法規」「第十一章 補足」の11の章で章立てられていますが、先ほど説明したように現行憲法には「国旗」と「国歌」を規定した条文はありませんので、当然「第一章 天皇」の章の中に「国旗」や「国歌」の規定はありません。

現状の「国旗」と「国歌」は「国旗及び国歌に関する法律」における根拠にすぎず、憲法で定められたものではありませんから、そこで規定された「日章旗(日の丸)」と「君が代」は、憲法で根拠づけられている「天皇」とは法的に切り離されているわけです。

もちろん、先の戦争では「日の丸」や「君が代」が「天皇」と関連付けられて国威発揚等に使用された経緯がありますから、「日の丸」や「君が代」と「天皇」は密接に関連しているわけですが、いちおう法的に両者は天皇とは切り離されていて関連性が否定されているのが、現在の「日の丸」「君が代」と「天皇」との関係性ということになるでしょう。

一方、自民党の憲法改正草案では、「国旗」と「国歌」をあえて「憲法」に規定しただけでなく、その条文を「第一章 天皇」の章に挿入していますから、自民党の憲法改正草案が国民投票を通過すれば、憲法で国旗に指定された「日の丸」と、憲法で国歌に指定された「君が代」が「天皇」と”法的に”関連付けられることになります。

そして、「日の丸」と「君が代」が「天皇」と”法的に”関連付けられることになれば必然的にその「日の丸」や「君が代」に包含される意味も「天皇」と法的に関連付けられますから、「日の丸」は天皇を象徴するという解釈、「君が代」は天皇の永続性を詠った歌という解釈になってしまいます。

つまり、現行憲法上は法的に関係性が切り離されている「日の丸」「君が代」と「天皇」が、法的に関連付けられて一体となるわけです。そして、そうした関係性を「尊重」することが自民党改憲案第3条2項によって義務付けられるのです。

そうなれば当然、国民の中に天皇が絶対的・普遍的な存在だという認識が広がることになりますが、それは現行憲法の象徴天皇制とは相いれない思想です。

現行憲法はその第1条において天皇の地位を「主権の存する日本国民の総意に基づく」とすることで天皇制が明治憲法(大日本帝国憲法)のような絶対的・普遍的なものではなく、国民の総意に基づいて変更(または廃止)することができる可変的なものとしているからです(※参考→憲法1条の「天皇の地位は…国民の総意に基づく」の総意とは何か)。

明治憲法(大日本帝国憲法)では神聖にして不可侵な天皇に統治権を総攬する権能(主権)と対外的に日本国を代表する権能(元首たる地位)、また軍を統括する統帥権の総覧者たる地位が与えられていましたが、その天皇に与えられた権能が当時の国家指導者や軍人に利用され軍国主義を拡大させてしまいました。

そうした反省があったことから、戦後に制定された現行憲法では天皇の神聖性を否定し、天皇の地位さえも国民の総意(主権)に基づいて変更(廃止)することができるようして、絶対的・普遍的な存在であった天皇を可変的な存在にしたわけです(※参考→明治憲法(大日本帝国憲法)と日本国憲法の根源的な違いとは何か)。

現行憲法の天皇制は、天皇の普遍性・絶対性を否定し、主権の存する日本国民の総意に基づく可変的なものとしたところにその本質があるのですから、その可変的な天皇を「日の丸」と「君が代」を憲法に明記することで絶対的・普遍的な存在に変えようとする自民党の憲法改正草案は、現行憲法の天皇制を限りなく明治憲法(大日本帝国憲法)のそれに近づけることになるでしょう。

憲法の「第一章 天皇」の章に「国旗」として「日章旗(日の丸)」を、「国歌」として「君が代」を明記する自民党の憲法改正草案は、天皇の地位を絶対的・普遍的な存在とすることで、相対的に主権者である国民の地位を後退させますから、結果的に現行憲法で実現されることになった国民主権原理を後退させることにつながります。

ですから、自民党の憲法改正案第3条は、国民の主権を制限する方向に作用するという点で民主主義の観点から問題があるという指摘ができるのです。

(2)天皇と「日の丸」「君が代」を関連付けたことで天皇を中心とした国家に変えられること

また、自民党の憲法改正案第3条によって憲法に「日の丸」と「君が代」が明記されてしまえば、日本という国家が天皇を中心とした国に変えられてしまうという問題も指摘できます。

先ほども説明したように現行憲法の日本国憲法における天皇は「主権の存する日本国民の総意に基づく」とされており、あくまでも国民の総意によって実現されるものにほかなりませんから、天皇の地位はあくまでも国民の総意を前提にしたものに過ぎません。

現行憲法では天皇も「主権の存する国民」によって実現される存在ですから、日本国の中心には「主権の存する国民」があるわけです。

しかし、自民党の憲法改正案第3条によって憲法の「第一章 天皇」の章に「日の丸」と「君が代」が明記されれば、その「日の丸」の掲揚と「君が代」の斉唱を義務付けられるのは国民となりますから、主権の存する国民が「日の丸」の掲揚と「君が代」の斉唱を法的に義務付けられることになる結果、主権の存する国民が、「日の丸」が象徴し「君が代」が普遍性を詠う天皇に、忠誠を求められる存在になるでしょう。

たとえば、オリンピックで日本選手がメダルをとれば、メダル授与式で表彰台の背後や対面に国旗が掲揚され国歌が流されますが、その選手やそれを観る国民は「天皇」に対してその成績を報告し捧げているわけではありません。その「日の丸」や「君が代」の向こう側に「天皇」はいないわけです。

もちろん、天皇を信奉している人の中にはそう想う人もいるかもしれませんが、そうした思想を持つ人を除いて、そう想わない人がいても構わないわけですし、「日の丸」や「君が代」の向こう側に「天皇」を想うことを強制はされません。

「日の丸」や「君が代」の向こう側に家族や恋人を想っても構いませんし、故郷の自然を思い出してもよいですし、歴史的な事情などから「日の丸」や「君が代」の向こうに戦争の惨禍を思い出してもよいわけです。

しかし、憲法に「日の丸」や「君が代」が明記されてそれを「尊重」することが憲法上で法的に義務付けられれば、オリンピックの表彰式で掲げられる「日の丸」に起立し頭を下げ、「君が代」を斉唱して敬意を表明する相手は「天皇」そのものとなります。

憲法の「第一章 天皇」の章に「日の丸」や「君が代」が明記され、それを「尊重」することが義務付けられれば、「日の丸」や「君が代」それ自体が”法的に”天皇を象徴するものとなるからです。

そうなってしまえば、それはもう戦前・戦中の「日の丸」や「君が代」と同じではないでしょうか。

先の戦争では、多くの国民が天皇を中心とした明治憲法(大日本帝国憲法)の下で、「日の丸」を掲げて「君が代」を斉唱し、天皇の兵士として過酷な戦争にまい進させられました。

「日の丸」や「君が代」を明記する自民党の憲法改正案第3条は、そうした天皇中心の国家に変える余地を生じさせる点で、問題があるといえます。