自民党が公開している憲法改正草案の条文を一条ずつ確認し、その問題点を指摘するこのシリーズ。
今回は、自民党憲法改正案第6条の第5項について確認してみることにいたしましょう。
なお、第6条の第4項の問題点については『自民党憲法改正案の問題点:第6条4項|助言と承認を「進言」に』のページで詳しく解説しています(※6条の他の項については現行憲法とさほどの際は見られないと思われましたので(※ただし、当サイト筆者の個人的な見解です)検討は省略しました)。
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天皇の「公的行為」を新たに憲法に規定した自民党憲法改正草案第6条5項
自民党が公開している憲法改正草案の第6条5項は、天皇の「公的な行為(公的行為)」に関する規定が置かれています。
現行憲法の日本国憲法には、天皇の公的行為を規定した条文はなく、天皇の公的行為は憲法解釈上で認められている行為に過ぎませんので、現行憲法上で憲法解釈上認められている天皇の公的行為が憲法に明文として規定された形です。
天皇の「公的行為」とは、憲法で規定された天皇の「国事行為」や天皇が私人として行為する「私的行為」のどちらにも含まれない公的な行為のことを言います。
天皇の「国事行為」とは
この点、現行憲法は象徴天皇制を採用していて天皇に政治的な権能はありませんので、天皇には象徴的・儀礼的な行為しか認められません。そのため現行憲法は、天皇に認められる象徴的・儀礼的な行為を「国事行為」として憲法第6条と7条に列挙しています。
具体的には憲法第6条で列挙された「内閣総理大臣の任命」や「最高裁長官の任命」、また第7条に列挙された「憲法改正・法律・政令・条約の交付」「国会の召集」「衆議院の解散」「国政選挙の施行の公示」「国務大臣等の任免等」「大赦等の免除等」「栄典の授与」「外交文書等の認証」「大使等の接受」「儀式を行うこと」がその「国事行為」に当たります。
天皇の「私的行為」とは
もっとも、現行憲法が採用する象徴天皇制から天皇の行為が象徴的・儀礼的な「国事行為」に限定されるとしても、天皇も日本の国籍を有する日本国民であり(※芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法」岩波書店88頁参照)、憲法で保障される基本的人権が「人が生まれながらにして持つ権利」という自然権思想を基にしている以上、人間である限り認められる基本的人権は天皇にも保障されなければなりません。
そのため、天皇においてもその「私人」としての私的な行為は保障されると考えられていますので(※ただし天皇の地位の特殊性から一定の制限はかかります。たとえば政治的な私的行為ができない等)、天皇が私人として行う「私的な行為」は認められることになります。
たとえば、天皇が天皇としてではなく一人の学者として生物の研究をしたり、その研究論文を発表したりするなど純粋に”私人”としての行為がそれに当たります。
天皇の「公的行為」とは
以上のように、天皇には憲法で認められた「国事行為」だけでなく私人として「私的行為」を行うことも認められていますが、これ以外にもたとえば植樹祭や国体などに出席したり、被災地を慰問したり、そうした場で「おことば」を述べられたり、外国の国賓を接待したりする場合があります。
この点、こうした行為は憲法第6条や7条で規定された「国事行為」や私人としての「私的行為」に含まれないことから憲法上認められるのかという点に疑念が生じますが、これらの行為は象徴としての地位に基づく公的行為として認められていると解釈されています(※前掲「憲法」51頁)。
もっとも、そうした天皇の公的行為も天皇が行う公的な行為である以上、主権者である国民のコントロールを介在させなければなりませんから、国事行為に準じて内閣のコントロールは必要です(※前掲「憲法」51頁)。
自民党は現行憲法で解釈として認められる天皇の「公的行為」をあえて憲法に規定した
このように、天皇に憲法の明文の規定として認められているのが象徴的・儀礼的な「国事行為」であり、憲法の明文の規定ではなく憲法の”解釈”として認められているのがその国事行為に含まれない「私的行為」や「公的行為」ということになります。
自民党はその天皇の「公的行為」をあえて憲法に規定しましたから、現行憲法では解釈として認められている天皇の「公的行為」を、あえて憲法の条文として規定したのが自民党憲法改正草案の第6条5項ということになるわけです。
天皇の「公的行為」を憲法に規定した自民党憲法改正草案第6条5項が惹起させる問題点
では、その自民党憲法改正草案第6条5項はどのように規定されているのでしょうか、条文を確認してみましょう。
【自民党憲法改正草案第6条5項】
第一項及び第二項に掲げるもののほか、天皇は、国または地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う。
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
この点、文頭の「第一項及び第二項」は自民党憲法改正草案第6条の1項と2項を指していますが、1項には天皇の国事行為としての「内閣総理大臣の任命」と「最高裁長官の任命」が、また2条には「憲法改正・法律・政令・条約の交付」「国会の召集」「衆議院の解散」「国政選挙の施行の公示」「国務大臣等の任免等」「大赦等の免除等」「栄典の授与」「外交文書等の認証」「大使等の接受」「儀式を行うこと」が規定されており、その部分は現行憲法の6条ないし7条で規定されたものと差異はありません。
ですから、この自民党草案第6条5項はそれら国事行為以外に天皇が「公的な行為(公的行為)」を行うことができることを明文上で規定したものとなっています。
では、この天皇の「公的行為」を規定した自民党草案第6条5項は具体的にどのような問題を生じさせるのでしょうか。
「公的行為」に内閣のコントロールが掛けられていない
自民党草案第6条5項が規定した天皇の公的行為に関する条文の問題点としてまず指摘できるのが、天皇の公的行為に内閣のコントロールが利いていない点です。
先ほど説明したように、天皇には象徴的・儀礼的な行為である「国事行為」や私人としての私的行為とは別に公的行為もすることができると解釈されていますが、国民主権の観点からその公的行為についても国事行為に準じて内閣のコントロールが必要になるとされています。
たとえ国事行為に含まれない公的行為であっても、それが内閣のコントロールの制約の外で行われることを認めてしまえば、天皇の政治関与に利用されることで国民の主権が後退する危険性があるからです。
日本国憲法は民主主義を徹底させる必要性から国民主権主義をその基本原理として採用していますから、天皇の行為は純粋に私的な行為を除いて主権者である国民のコントロールを利かせなければなりません。
現行憲法では天皇の国事行為に内閣の「助言と承認」が必要とされていますが、天皇の「公的行為」もそれに準じて内閣がコントロールする必要性がありますので、天皇が「公的行為」を行う場合にも、内閣の「助言と承認」かもしくはそれに準じた何らかの内閣のコントロールが介在されなければならないと考えられているわけです。
もしも内閣のコントロールを介在せずに天皇が公的行為を行えば、それは憲法で天皇に認められた国事行為を逸脱する行為として違憲性を帯びることになるでしょう。
しかし、そうであるにもかかわらず自民党の憲法改正案第6条5項では条文のどこにも内閣のコントロールを示す文言は置かれていません。
自民党憲法改正案では、『自民党憲法改正案の問題点:第6条4項|助言と承認を「進言」に』のページでも説明したように、天皇の国事行為に関する内閣のコントロールについては内閣の「助言と承認」ではなく「進言」と変更されていましたが、その「進言」の文言さえ6条5項には置かれていませんので、自民党憲法改正案第6条5項が国民投票を通過すれば、天皇は内閣の関与(※進言(現行憲法では「助言と承認」))なしに自由に公的行為ができるようになってしまうわけです。
ですが、そのようにして天皇の権能を広げることは天皇の権限を強化することにつながりますので、主権者である国民の主権の位置を相対的に後退させることになってしまいます。
この点は『自民党憲法改正案の問題点:第6条4項|助言と承認を「進言」に』や『自民党憲法改正案の問題点:第1条|天皇を元首に?』のページなどで散々説明してきたのでこのページでは繰り返しませんが、現行憲法で天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基づく」ものとなっていて国民の意思を前提とする存在ですので(現行憲法第1条)、天皇の権限を強化してその地位や権能を拡大させてしまえば、主権者である国民の主権は相対的に後退します。
主権者である国民の主権が後退し、天皇の地位や権能が強化されれば当然、その天皇の強化された地位を一部の政治勢力や政治家が都合よく利用し、国政のために政治利用する危険性も生じますが、それは明治憲法(大日本帝国憲法)で生じた戦争の惨禍を繰り返す危険を招きます(※参考→『自民党憲法改正案の問題点:第6条4項|助言と承認を「進言」に』又は『自民党憲法改正案の問題点:第1条|天皇を元首に?』)。
このように、天皇の公的行為を規定しながら、それに内閣の「助言と承認」など内閣の関与を何も規定していない自民党憲法改正案第6条5項は、天皇のできる行為を拡大させて天皇の権能を強化する結果、相対的に主権者である国民の主権を後退させることにつながりますから、民主主義の観点から問題があると言えるのです。
「公的行為」の対象が際限なく拡大される危険性がある
また、自民党憲法改正案第6条5項が国民投票を通過すれば、天皇の公的行為が際限なく広げられて一部の政治勢力などに利用される点も問題です。
自民党改正案第6条5項では、天皇が「その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行」と規定されていますので、この憲法草案が国民投票を通過すれば、「その他の公共団体」の主催する会合や式典なども憲法の制約を受けることなく自由に出席できるようになります。
しかも、天皇の公的行為に内閣のコントロールは関与されなくてもよくなりますから、政権を掌握した政党が自由に天皇を「その他の公共団体」の会合等に出席させることもいくらでも自由になるわけです。
たとえば極端な例ですが、「国民主権・基本的人権・平和主義の3つをなくさなければ本当の自主憲法にはならない!」などと現行憲法の価値観すべてを否定する極右思想を持つ政治団体Xがあったとして、その極右政治団体Xが支援する特定の政党Aが選挙で多数議席を確保して政権をとったとします。
現行憲法では、天皇の公的行為について内閣のコントロールが必要と解釈されていますので、仮にその政党Aが天皇を極右政治団体Xの会合に出席させようとしても、それはできません。
天皇の公的行為にも内閣の「助言と承認」またはそれに準じた内閣の関与が必要と考えられていますので、たとえ政権を掌握した政党が組織する内閣であったとしても、天皇をその極右政治団体Xの会合に出席させることを認める内閣の関与自体が天皇を特定の政治団体のために利用するものとして憲法違反となるからです。
しかし、自民党憲法改正案第6条5項では天皇の公的行為に内閣のコントロールは必要とされませんから、政権を掌握した政党Aが内閣の関与を受けずに(主権者である国民の間接的な関与なく)、天皇を極右政治団体Xという「その他の公共団体」の会合等に出席させても憲法違反の問題は生じないでしょう。
自民党改正案第6条5項では、違憲性の問題を生じさせることなく政党Aが自由に天皇をその極右政治団体Xの会合に出席させることもできることになりますから、自民党案が国民投票を通過すれば、「国民主権・基本的人権・平和主義の3つをなくさなければ本当の自主憲法にはならない!」などと気勢を上げる極右政治団体Xとその支援を受ける政党Aの会合の貴賓席に天皇を座らせるようなこともできることになるわけです。
もちろん、自民党は極右政党ではないと思いますし、自民党が極右政治団体から支援を受けているなどということもないでしょうから、必ずしも自民党がそうした天皇の政治利用を意図してこのような条文を作成したかどうかはわかりません。
しかし、自民党憲法改正案第6条5項が国民投票を通過すれば、少なくとも天皇が内閣のコントロールなしに特定の政治団体の会合などに出席させられることも憲法上合憲とされてしまうことになる余地が生じるのですから、そうした危険性を惹起させる点で自民党憲法改正案第6条5項は問題があると言えるのです。
天皇の公的行為を規定する自民党憲法改正案第6条5項は国民主権を後退させ民主主義を破壊する点で問題がある
以上で説明したように、天皇の公的行為を明記する自民党憲法改正案第6条5項は、天皇の権能を強化する結果として主権者である国民の主権を後退させ、民主主義を機能不全に陥らせる危険性を包含していますから、民主主義の観点から問題があると言えます。
もちろん、先ほども述べたように自民党がそうした意図があってこのような条文を作成したのか、それはわかりません。
しかし、この自民党草案が国民投票を通過すれば、実際にそのような危険が生じるのは明らかなのですから、我々国民はその危険性を十分に認識したうえで、自民党の憲法改正草案に賛否の判断を下さなければならないと言えます。