日本国憲法では基本的人権の保障を明文で規定していますが、その人権が日本国籍を有する「日本国民」だけに保障されるものなのか、それとも日本国籍を有していない「外国人」にも保障されるのかという点については条文上明らかではありません。
日本国憲法では、その第三章の第10条から始まる規定で基本的人権の保障が規定されていますが、第三章の表題が「国民の権利及び義務」と記述され、憲法第10条以降の条文が「国民の…」という文章で規定されていることを考えれば、基本的人権は「国民」にだけ保障されるとも読めてしまうからです。
【日本国憲法(抄)】
第三章 国民の権利及び義務
第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は……
憲法10条では「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と規定されており、そこでいう”法律”は国籍法を指すと考えられますから、憲法第10条の「日本国民」や第三章表題の「国民」が、国籍法の要件を満たす者のみを対象とするもので、そこに当てはまる「国民」だけが人権の享有主体性を持つと考えた場合には、国籍法の要件を満たさない「外国人」には第10条以下で規定される基本的人権は保障されないという解釈も導かれてしまうでしょう。
では、憲法上の基本的人権は、日本国籍を有していない外国人にも保障されるものなのでしょうか。
憲法上の基本的人権は「外国人」にも保障されるのが原則
このように、憲法で規定される基本的人権が日本国籍を有していない外国人にも保障されるかという点については明文上明らかとは言えません。
しかし、人権は「人が生まれながらにして持つ権利」という自然権的思想がその基礎にあり憲法によって国民に与えられるものではないと考えられていますし、「国籍」という概念も国家権力の及ぶ範囲を区別するために便宜上利用している法律上の制度に過ぎず、人権の保障を受ける者と受けない者を区別するために考案されたものではありませんから、憲法の基本的人権の享有主体である「国民」には日本国籍を有していない外国人も含まれると考えるのが妥当です。
したがって、憲法の基本的人権は日本国籍を有していない外国人にも保障されるというのが、原則的な取り扱いとなります。
基本的人権は「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き」外国人にも保障される
このように、憲法の基本的人権が自然権的思想を基礎とするものであり、国籍が人権の保障を受ける者と受けない者を区別するために考案されたものでないことなどを考えれば、憲法の基本的人権は日本国籍を有していない外国人にも保障されるのが基本となります。
もっとも、だからと言って憲法上のすべての人権が外国人にも保障されるわけではありません。
憲法の制定過程では、外国人にすべての人権を保障する趣旨ではないことを明示するためにあえて憲法の条文上「国民の…」と規定された経緯がみられるからです。
憲法制定当時の日本には先の戦争が原因で必ずしも本人の意思とは関係なく日本で生活していた朝鮮や中国の人が多くいましたが、それらの日本国籍を有していない外国人にも憲法上のすべての人権が保障されると解釈されてしまうと混乱を招く恐れがありました。
そのため、憲法を制定する際に、日本国籍を有していない外国人を人権の享有主体に含めない意味合いをもってあえて条文に「国民の…」という文言が使用されたといわれています。
このような制定過程の事情を考えれば、必ずしも憲法上のすべての人権が外国人にも当然に保障されると解することはできないでしょう。
こういった事情があることから、憲法学の通説的見解では「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解される」性質の基本的人権については、日本国籍を有している日本国民のみに保障され、日本国籍を有していない外国人には保障されないと解釈されています。
最高裁判所の判例でも
「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべき」
と判示されていますので(マクリーン事件:最高裁昭和50年10月4日)、日本国籍を有していない外国人も原則的にはすべての基本的人権が保障されると言えますが、「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解される」基本的人権については、その性質によって例外的に保障されないものもあるということになるでしょう。
「権利の性質上日本国民のみをその対象としている」人権とは具体的にどのような人権か
以上で説明したように、日本国憲法における基本的人権の享有主体としての「国民」には日本国籍を有していない「外国人」も含まれるということになりますので原則的には「外国人」にも憲法の基本的人権は保障されることになりますが、「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解される」人権に関しては、例外的に日本国籍を有している日本国民のみに保障され、外国人には保障されないものと解されています。
では、その「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解される」人権とは、具体的にどのような人権をいうのでしょうか。
日本では、在日朝鮮人や在日韓国人、在日中国人など日本国籍を有していないものの永住権を保有している外国人も多く生活していますが、「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解される」人権に関しては、それらの永住外国人に保障されないことになり、在日の方々の人権が制限されてしまうことにもつながってしまうため問題となります。
(1)「参政権」は外国人に憲法上保障されるか
参政権については、「権利の性質上日本国民のみをその対象としている」人権に当たると考えられています。
これは、参政権は国民主権原理から導かれるものであり、国民がその帰属している国の政治に参加するためのものですから、その国に帰属していない、つまりその国の国籍がない他国の国民に保障されなければならない原理的な理由はないと考えられているからです。
ですから、選挙権や被選挙権といった参政権については、日本国籍を有していない外国人には憲法上、基本的に保障されないものと解されています。
ただし、市町村の選挙(市町村長選挙や市町村議員選挙)については若干異なります。
市町村といった自治体の選挙は、その自治体に住んでいる住民の生活に密接に関係する市長や議員を選任する性質ものとなりますので、その地域に定住する外国人に参政権を開放することも憲法上否定されていないと考えることもできるからです。
この点、最高裁の判例(定住外国人地方参政権事件:最高裁平成7年2月28日)でも、以下のように「法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を開放する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではない」と判示されていますので、国が法律で定住外国人に対して地方自治体の参政権を開放すること自体は憲法違反にならないとされています。
「憲法93条2項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、憲法第八章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではない」
このように、憲法学の通説や最高裁の判例では、日本国籍を有していない外国人には参政権は基本的に保障されていませんが、地方自治体の選挙に関する参政権に関しては法律で永住権を持つ外国人に対して参政権を付与することは制限されていない、ということになるでしょう。
【日本国籍を有していない外国人に参政権が憲法上保障されるか】
- 国政選挙
→保障されない - 地方自治体の選挙
→保障されない……ただし、法律で永住外国人に選挙権を開放することは憲法上禁止されない
(2)「社会権」は外国人に憲法上保障されるか
では、「社会権」についてはどうでしょうか。
「社会権」とは、社会的・経済的な弱者が人間に値する生活を営むことができるように、国家に対して積極的な措置を求めることができる権利のことを言います。
具体的には「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を規定した憲法25条から具現化される生活保護や失業保険給付などが代表的な例として挙げられるでしょう。
【日本国憲法25条】
第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
この点、社会権も「その国民が所属する国家」に対して積極的な措置を求めるものである点を考えれば、前述した参政権のように、その国の国籍がない他国の国民に保障されなければならない原理的な理由はないとも思えます。
しかし、社会権は国の政治に参加する国民主権的意味合いがあるものではなく、人が人として「人間に値する生活」を営むことができるよう求めるものにすぎませんから、それを憲法で保障したとしても国籍を有している国民の権利が影響を受けることはありません。
また、日本に居住する永住外国人の多くが、先の戦争を理由として定住することになった在日朝鮮・韓国人や在日中国人であり、日本ではマイノリティーに属する現状を鑑みれば、むしろ進んで日本国民と同等の社会権を保障することが、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」「自国のことのみ専念して他国を無視してはならない」と宣言する憲法前文の国際協調主義の趣旨にも合致します。
【日本国憲法:前文※一部抜粋】
(中略)…われらは…(中略)…全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ…(中略)…いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて…(以下省略)
このような点を考えれば、「社会権」については先ほどの最高裁が示すような「権利の性質上日本国民のみをその対象としている」とまでは言えませんし、また(1)の参政権の場合と異なり、日本国籍を有していない外国人に対して原理的に認められないものとまでは言えないでしょう。
ですから、憲法の人権規定のうち「社会権」については、日本国籍を有していない外国人についても憲法上できる限り保障されるべきですし、保障しても憲法違反にはならないといえます。
もっとも、この「社会権」については「憲法の規定だけを根拠として権利の実現を裁判所に請求することのできる具体的な権利ではない(※いわゆる”プログラム規定”)」と解釈されており、日本国民か外国人かにかかわらず、社会権の実現を国家に対して直接的に請求することはできませんので、その点は留意する必要があります。
【日本国籍を有していない外国人に社会権が憲法上保障されるか】
- 憲法25条などの社会権
→できる限り保障されるべきもの。保障しても憲法違反にはならない。 - 注意点
→ただし、社会権自体はプログラム規定なので国籍の有無にかかわらず、国民(外国人も含む)は国に対して直接的にその実現を請求することはできない。
(3)「自由権」は外国人に憲法上保障されるか
では、「自由権」や「平等権」などはどうでしょうか。
「自由権」とは、個人の自由な意思決定と活動を保障する人権のことを言います。国民国家では国民は社会契約によって国家権力に権限を移譲していますが、国家はともすればその権力を濫用し国民が「生まれながらにして持つ権利」である自由や平等という人権を制限する方向に作用します。
その国家による個人の領域への介入を制限し個人の自由内決定と活動を保障するのが「自由権」や「平等権」ということになるでしょう。
具体的には、「奴隷的拘束・苦役からの自由(18条)」や「思想・良心の自由(19条)」、「信教の自由(20条)」や「言論・表現の自由(21条)」、「職業選択の自由や居住移転の自由(※ただし入国の自由については争いがあります)(22条)」「学問の自由(23条)」や「法の下の平等(14条)」などが挙げられます。
この点、これら「自由権」や「平等権」は、基本的に日本国籍を有していない外国人にも憲法上保障されていると考えられています。
なぜなら、『日本国憲法における人権の享有主体としての「国民」とは誰なのか』のページでも説明したように、自由権や平等権などの人権は「人が生まれながらにして持つ権利」としての性質を持つ人権と言えるからです。
自由権や平等権に含まれる人権が「人が生まれながらにして持つ権利」であれば、その保障は国籍の有無にかかわらず、すべての人に保障されなければなりません。ですから、自由権や平等権などの人権は、外国人にも基本的に保障されるといえるのです。
もっとも、その自由権や平等権などに含まれる人権の中でも、参政権的な性質のある「集会・結社の自由(21条)」のような人権については、前述した(1)の参政権との関係上「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるもの」については一定の制限がかけられる場合があります。
ですから、参政権的な性質を持つ「集会・結社の自由(21条)」に含まれる人権、たとえば外国人の政治活動等については、一定の範囲で日本国籍を有していない外国人について制限される場合はあるといえます(芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法(第6版)」岩波書店96頁参照)。
【日本国籍を有していない外国人に自由権・平等権が憲法上保障されるか】
- 自由権・平等権など
→基本的に日本国民と同様に保障される。 - 注意点
→ただし、参政権に関係する政治活動の自由に関する人権など「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるもの」は制限される。
外国人の人権をむやみに制限すれば民族の分断を招く
以上で説明したように、人権が「人が生まれながらにして持つ権利」であること、また憲法が国際協調主義を基礎に置いていることを基礎に考えれば、憲法で規定される基本的人権は日本国籍を有していない外国人にも保障されるのが原則ですが、「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるもの」にあたる人権については、例外的に外国人の人権保障を制限することも憲法上認められるということになるでしょう。
ただし、ここで注意しなければならないのは、その原則と例外を逆に考えないようにしなければならないという点です。
『日本国憲法における人権の享有主体としての「国民」とは誰なのか』のページでも説明したように、人権が「人が生まれながらにして持つ権利」であること、また憲法が国際協調主義を基礎に置いていることを考えれば、憲法における基本的人権の享有主体である「国民」には「日本国籍を有していない外国人」も含まれるのが原則なのですから、外国人の人権保障を考える場合には、まず「日本国籍を有していない外国人にも原則的にすべての人権が保障される」というところから議論を始める必要があります。
そしてそのうえで、先ほど挙げた最高裁の判例(マクリーン事件:最高裁昭和50年10月4日)の示す基準のように、「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるもの」に当たるか否かを判断し、その議論の中でその外国人の人権を制限することの正当性が例外的に認められるか、という点を十分に検討することが必要と言えるでしょう。
しかし、これを逆に考えて、日本国籍を有していない外国人には権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるもの「以外の人権しか保障されない」というスタンスで議論を始めてしまう場合には、むやみやたらに外国人の人権が侵害されてしまう可能性があるので注意が必要です。
日本における外国人の問題は主に在日朝鮮人や在日韓国人、在日中国人などの問題として議論されることが多いですが、基本的人権が「人が生まれながらにして持つ権利」としての自然権的アプローチから出発して「日本国籍を有していない外国人にも原則的にすべての人権が保障される」というところから議論せず、在日の人には「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるもの以外の人権しか保障されない」というスタンスで議論を始めてしまうと、在日の人たちの人権が闇雲に制限されてしまうことになりかねません。
そのような議論がエスカレートしてしまえば、人権侵害という問題が生じるのはもちろん、中国におけるチベットやウイグルと同じような民族の分断の問題を生じさせ、むえきな対立を生じさせてしまう危険性があることも十分に認識すべきです。
もちろん、先ほども説明したように、国政選挙に関する参政権など国民主権原理が密接に関連する人権など「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるもの」に含まれる人権については、その制限の緩和には十分な議論が必要かもしれません。
しかし、それとは関係のない「社会権」のうち生活保護や高校無償化など社会保障と密接に関係する人権の部類は外国人の保障をむやみやたらに制限すべきではないでしょう。
ですから、外国人の人権については、人権が自然権的思想を基礎にしていること、また憲法が国際協調主義を基礎に置いていることを前提にして、すべての人権が外国人に保障されるものだという原則を理解したうえで、「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解される」人権に含まれるか否かを個別具体的に、あくまでも慎重に議論していく意識が求められるといえます。