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「日本が平和だったのは憲法9条があったから」なのか?

憲法9条の改正に反対する人の中に「憲法9条があったから日本は戦争に巻き込まれなくて済んだんだ」とか「戦後の日本が平和だったのは憲法9条があったおかげだ」などと主張する人がいます。

先の戦争が終わってから現在までの80年間、第二次世界大戦における戦勝国は朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争やイラク、アフガニスタン戦争など次々と戦争(代理戦争)を繰り返してきましたが、憲法9条によって戦争と軍隊が否定されている日本は、そのいずれの戦争にも軍隊を派遣せずに済み、戦争に巻き込まれることなく平和を謳歌することができました。

そうした事実があることから、「憲法9条があったから日本は戦争に巻き込まれなくて済んだんだ」とか「戦後の日本が平和だったのは憲法9条があったおかげだ」などと主張して、憲法9条の改正に反対する意見を正当化しているわけです。

しかし私は、それは詭弁だと思います。

なぜなら、たしかに戦後の日本は戦争に巻き込まれずに済みましたが、それは外的要因によって「たまたま」平和を謳歌することができただけに過ぎず、日本が「憲法9条を守ってきたから」でも「憲法9条を真摯に実践してきたから」でもないからです。

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日本国憲法の平和主義と第9条は、平和実現のための積極的な外交努力を要請している

この点、憲法9条を論じるためには9条の本質を理解しておかなければなりませんので簡単に説明しておきますが、憲法9条は憲法の基本原理である平和主義を具現化した規定です。

日本国憲法は先の戦争で周辺諸国にも多大な犠牲を強いてしまった反省から前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し…」と述べることで自衛戦争も含めたすべての戦争を放棄する平和主義を基本原理とすることを宣言していますが、そのあとに「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と、また「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と続けることで、諸外国と信頼関係を築いて世界平和の実現に貢献することを要請しています。

つまり日本国憲法は、平和主義の基本原理の下でただ漫然と非武装中立を貫くだけで平和主義の基本原理を具現化できると考えているわけではなくて、中立的な立場から国際社会に向けて平和構想の提示を行ったり、紛争解決のための助言や提言であったり、貧困解消のための援助など外交努力を積極的に行い、世界の平和実現に向けた努力を行い続けることの中に日本国民の平和と安全保障の確立が実現できると考えていて、そのためには諸外国の国民を殺傷する手段に他ならない軍事力は有害無益なので、憲法9条で「戦争をするな(戦争放棄)」「軍隊を持つな(戦力の不保持)」「交戦するな(交戦権の否認)」と歯止めをかけているのです(※参考→憲法9条に「攻めてきたらどうする」という批判が成り立たない理由憲法9条は国防や安全保障を考えていない…が間違っている理由)。

戦後の日本は平和主義と憲法9条を無視して安全保障のための資源を軍事力に集中させてきた

ところで、日本国憲法の基本原理である平和主義と第9条がこうした理念を基礎にしていることを考えれば、戦後の日本はその理念を遵守して国際社会と信頼関係を築き、協調関係を保ちながらあくまでも中立的な立場を維持したうえで「平和構想を提示したり、国際的な紛争・対立の緩和に向けて提言を行ったりして、平和を実現するために積極的な行動をとる(※芦部信喜著『憲法』56頁)」ことが必要だったと言えます。

先ほど述べたように、日本国憲法の平和主義の基本原理と第9条は非武装中立・無抵抗主義を貫くだけで平和が実現できると考えているわけではなく、積極的な外交努力によって世界平和の実現に貢献し続けることを要請しているので、国の安全保障のために用意した人的資源と経済的資源の全てを、中立的な立場から国際社会に向けて平和構想の提示や紛争解決に向けた提言をするための外交努力に集中させることで、世界平和の実現に貢献し続けてゆかなければならないからです。

では、戦後の日本は憲法の基本原理である平和主義と第9条を真摯に実践して、中立的な立場から世界平和の実現のために積極的な外交努力を行ってきたと言えるでしょうか。

答えは「否」です。

たとえば歴代の政府は、「自衛のための必要最小限度の実力であって9条2項の”戦力”ではない」との理屈で事実上の軍隊に他ならない自衛隊を整備し、その装備を強化するために莫大な国家予算を投入してきましたが、この事実は国の安全保障のための人的・経済的資源のすべてを外交努力に集中させることを要請した憲法の平和主義と9条に明らかに反しています。

憲法の平和主義と9条を具現化させるのであれば、安全保障のために用意した人的資源と経済的資源のすべてを、世界平和を実現させるための外交努力に集中させなければなりませんから、それを無視して憲法9条が本来的に予定していない自衛隊という事実上の軍隊を強化するために安全保障予算を浪費することは、憲法の平和主義や9条の理念と整合しないからです。

また戦後の日本政府はアメリカと事実上の軍事同盟に他ならない安保条約を結ぶことでアメリカの「核の傘」の下に入り、アメリカと敵対するソ連(ロシア)や中国、北朝鮮などと政治的に対立してきましたが、これも国際的に中立的な立場から紛争解決のための助言や提言を積極的に行うことを要請した憲法の平和主義と9条の精神に反しています。

憲法の平和主義と9条を具現化させるのであれば、国際社会で対立が生じた場合であっても一方の側に立つのではなく、あくまでも中立的な立場を維持したうえで、その紛争当事国の間に立って利害関係を調整し、戦争や紛争に発展してしまわないように紛争解決のための助言や提言を積極的に行っていかなければならないからです。

そうであれば、アメリカと安保条約など結ばずに、中立的な立場を維持したうえで米ソ間の冷戦を終わらせるような提言をしなければなれませんでしたし、米ソ間の代理戦争として行われた朝鮮戦争やベトナム戦争でも両当事国の間に立って戦争終結のための助言や提言を積極的に行って平和実現のために尽力しなければならなかったはずです。

ですが当時の日本政府は日本の領土を米軍基地としてアメリカ軍に提供することでソ連(ロシア)と敵対する米軍の軍事的優位性を補完してきましたし、朝鮮戦争やベトナム戦争では米軍に基地を提供するという形でその戦争を間接的に支援してきました。

もちろん、朝鮮戦争の勃発は1950年のことでサンフランシスコ講和条約(1951年)より前ですし、ベトナム戦争が激化したのも沖縄返還(1972年)より前のことですから、当時の日本が基地の提供を拒むのは事実上難しかったという意見もあるかも知れませんが、サンフランシスコ講和条約発効後や沖縄返還後においても従前どおり基地を提供して朝鮮半島やベトナムに向かう米軍を支援してきたわけですから、戦後の占領政策でアメリカに抗えなかったという言い訳は成立しません。当時の日本は自由な意思の下で積極的にアメリカの戦争に加担してきたのです。

湾岸戦争や近年行われたイラクやアフガニスタンでの戦争も同様です。これらの戦争でも日本政府は、アメリカに追随する形でフセイン大統領やタリバンなどと敵対する姿勢を示してきたのですから、その姿勢は中立的な立場を維持したうえで紛争解決のための助言や提言を積極的に行うことを要請した憲法の平和主義と9条に反するものであったと言えるでしょう。

台湾問題も同じ構図です。

憲法の平和主義と9条を具現化させるのであれば、台湾や台湾を支援するアメリカと同調するのではなく、あくまでも中立的な立場を維持したうえで、台湾を中華人民共和国に統一しようとする中国政府と台湾との間に立って、紛争解決のための助言や提言を積極的に行わなければならないはずなのに、最近の日本政府は台湾を支援するアメリカに追随して中国と敵対し続けています。

これらはなにも、アメリカや西側諸国の姿勢が間違っているとか、ロシア(ソ連)や中国の言うことが正しいなどという次元の低い話をしているのではありません。

歴代の日本政府が、憲法の平和主義と9条を実践することなく、その理念とは反対に、国際的に中立的な立場を維持することなくアメリカや西側諸国に追随し、世界平和を実現させるために紛争解決のための助言や提言を積極的に行うどころか、世界に紛争をまき散らす欧米諸国の手先となって世界の平和を乱してきたという事実を指摘しているのであって、軍事力を否定した憲法9条があるにもかかわらず、その理念とは反対に、本来であれば外交努力に集中すべきであった安全保障のための人的・経済的資源を、憲法が本来的に予定しない自衛隊と日米安保条約という軍事力のために浪費してきたという事実を指摘しているのです。

つまり戦後の日本政府は、憲法の平和主義の基本原理と第9条を全く守ってこなかったわけです。

そうであれば、「憲法9条があったから日本は戦争に巻き込まれなくて済んだんだ」とか「戦後の日本が平和だったのは憲法9条があったおかげだ」などという理屈は成立しません。

歴代の政府が憲法の平和主義の基本原理と第9条を真摯に守って中立的な立場から国際社会に向けて紛争解決のための助言や提言を積極的に行って世界平和の実現に尽力してきた結果として、戦後の日本が平和を享受できたというのであればそうも言えますが、歴代の政府はその努力に尽力することなく、憲法の平和主義と9条を守るどころか、その反対に、もっぱら事実上の軍隊である自衛隊と事実上の軍事同盟に他ならない安保条約という軍事力によって安全保障を確保しようとしてきたからです。

もちろん、日本が朝鮮戦争やベトナム戦争、あるいは湾岸戦争などに軍隊を派遣せず、それらの戦争で誰も殺さなくて済んだのは、憲法9条があったからこそ法的な制限が掛けられることで派兵を拒否できたおかげとも言えますので、その範囲で憲法9条が平和に役立った事実はあるかもしれません。

しかし日本は、その9条の裏では在日米軍に軍事基地を提供することで朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争などに派兵するアメリカを支援してきたのですから、アメリカの戦争を補完することで間接的に戦争に参加してきたとも言えます。

朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争において、日本は軍隊を派遣しなかったことで直接的には誰も殺さずに済みましたが、アメリカ軍の戦争を助けることで間接的に多くの他国民を殺傷してきたのです。

こうした事実を踏まえれば、「日本は戦争に巻き込まれなくて済んだ」とか「日本は平和だった」などと到底言えるものではないでしょう。

戦後の日本が戦争に参加しなかったことをもって「憲法9条があったから日本戦争に巻き込まれなくて済んだんだ」とか「戦後の日本が平和だったのは憲法9条があったおかげだ」と主張する人は少なくありませんが、戦後の日本は憲法の平和主義と9条をないがしろにして、世界に紛争をまき散らすアメリカを手助けすることで間接的に幾多の戦争に参加してきたのですから、こうした主張は成り立たないはずなのです。

「憲法9条があったから日本戦争に巻き込まれなくて済んだんだ」とか「戦後の日本が平和だったのは憲法9条があったおかげだ」との主張は、戦後の日本政府が憲法の平和主義の基本原理と第9条を全く守らずに、憲法の平和主義と9条が本来的に予定していない自衛隊という軍隊と日米安保条約という軍事同盟によって安全保障を確保しようとしてきた事実、またアメリカ軍を支援することで間接的に多くの他国民を殺傷してきた事実を有耶無耶にしてしまっている点で、詭弁に他ならないと言えるのです。

戦後の日本は外的要因によって「たまたま」平和だっただけ

もっとも、そうは言っても戦後の日本は直接的には戦争に巻き込まれなくて済んだのですから平和だったということも事実と言えば事実です。

では、「憲法9条があったから日本戦争に巻き込まれなくて済んだんだ」とか「戦後の日本が平和だったのは憲法9条があったおかげだ」との主張が詭弁であったとして、戦後の日本が戦争に巻き込まれなくて済んだのはなぜなのでしょうか。

この点、思うに、それは「たまたま」そうなっただけでしょう。

戦後の日本は、アメリカと事実上の軍事同盟に他ならない日米安保条約を結ぶことで、そのアメリカが敵対するロシア(ソ連)・中国・北朝鮮と対立してきましたが、ソ連(ロシア)は連邦の安定化や中国との国境紛争、またソ連の崩壊などで忙しく、中国(中国共産党)も国民党(後に台湾に移転)との争いや文化大革命、自国領内の少数民族(自治区)の統治に精一杯だったでしょうし、朝鮮戦争後の国際情勢は冷戦の下で安定化の方向に向かいましたから、その国際情勢の中であえて軍事行動を選択する必要性は、そもそもなかったはずです。

また、そもそも日本は先の戦争で明治以降に手に入れた領土の全てを取り上げられており、日本が実効支配している範囲にロシア(ソ連)や中国などが法的・歴史的に自国の領土と主張できる領土はありませんから、これらの国が国境紛争を起こさなければならない積極的な理由も見当たりません(※石原都知事が都として尖閣諸島の購入を示唆して以降は中国との関係が悪くなりましたが…)。

ロシアがウクライナに侵攻したり、中国がチベットに侵攻した事実を持ち出して、ロシアや中国が「日本にも攻めてくる」と主張する人もいますが、ウクライナやチベットは歴史的にロシアや中国に成立した政治権力に支配されていた時期があり、その中で漢民族やロシア民族の流入があったからこそロシアや中国において自国の領土に組み込もうと企てる動機が生じるわけであって、歴史的にロシアや中国に成立した政治権力に支配された経験がない日本にそれをそのまま当てはめて「攻めてくる」などと短絡的に決めつけることはできないでしょう。

他方、爆撃機を飛ばして航空自衛隊にスクランブルを掛けさせるロシアや、尖閣諸島周辺に軍船を航行させる中国や、日本海にミサイルを撃ち込む北朝鮮の軍事行動を真に受けて、「戦後の日本が周辺諸国から攻められなかったのは安保条約と在日米軍のおかげだ」とか「戦後に周辺諸国が攻めてこなかったのは自衛隊があったおかげだ」などと主張する人もいるかもしれませんが、在日米軍がいようといまいと、自衛隊があろうとなかろうと、周辺諸国において日本に侵攻しなければならない積極的な理由はなかったわけですから、在日米軍や安保条約あるいは自衛隊による事実上の軍事力を背景にした抑止力が日本の平和に機能したということも言えません。

つまり、戦後の日本が周辺諸国との間で戦争にならなかったのは、単に周辺諸国に日本と戦争しなければならない積極的な理由がなかったからというだけであって、日本が平和を維持するために何らかの主体的な働きかけをしたからではないのです。

そうであれば、戦後の日本が平和だったのは外的要因によって「たまたま」そうであったというだけに過ぎないと言えるのではないでしょうか。

これからの日本は憲法の平和主義と9条を真摯に実践しなければならない

以上で説明してきたように、戦後の日本は「憲法の平和主義の基本原理があるのに平和主義を守らず」に、「憲法9条があるのに9条を守らず」に、もっぱら憲法が本来的に予定していない自衛隊という事実上の軍隊と、日米安保条約という事実上の軍事同盟によって安全保障を確保しようとしてきたのですから、これまで平和を維持できたのは「憲法9条があったから」ではありません。

戦後の日本は憲法9条を全く無視してきたのですから、戦後の日本が平和だったのは「憲法9条があったから」でも「日本政府が主体的に何らかの行動をとってきたから」でもなくて、周辺諸国が「たまたま」戦争を望まなかったというだけのことであって、外的な要因によって平和を享受できただけなのです。

もっとも、こうして考えた場合、日本がこれまでの安全保障施策をそのまま続けることはできません。今後そうした周辺諸国における外的な要因が失われれば、日本もいずれ戦争に巻き込まれる可能性があると言えるからです。

では、今後の日本が平和を維持していくためにはどうすればよいのでしょうか。

この点、憲法9条を改正して憲法に軍隊を明記し自衛戦争ができるようにして軍事力で国を守るべきだという意見もあるかも知れませんが、『日本が軍隊で国民を守れない(戦争に勝てない)7つの理由|大浦崑』の記事でも論じたように、過去の歴史的事実や地理的・経済的・財政的条件等を踏まえれば、日本が軍事力で国民の安全保障を確保することはまず不可能です。

そうすると、武力(軍事力)以外の方法で国民の安全保障を確保しなければなりませんから、結局は日本国憲法の平和主義の基本原理と第9条を遵守して、国際社会で信頼関係を築き、世界平和の実現に尽力してゆく道しかないことになります。

そうであれば、このページの冒頭で紹介したように、日本国憲法は、平和主義の基本原理の下でただ漫然と非武装中立を貫いて平和を謳歌するだけで平和主義の基本原理を具現化できると考えているわけではなくて、中立的な立場から国際社会に向けて平和構想の提示を行ったり、紛争解決のための助言や提言であったり、貧困解消のための援助など外交努力を積極的に行い、世界の平和実現に向けた努力を行い続けることの中に日本国民の平和と安全保障の確立が実現できると考えているのですから、これからの日本が平和を維持していくためには、その平和主義の理念の下で積極的な外交努力を展開していくことが不可欠でしょう。

これまでは憲法の平和主義の基本原理や憲法9条を守らなくても、周辺諸国の外的要因によって「たまたま」平和を維持することができましたが、それがいつまでも続く保証はどこにもないのですから「憲法9条があるから平和だったのだ」などと憲法9条の上に胡坐をかいている場合ではないのです。

憲法9条の改正に反対する人の中には「憲法9条があったから日本戦争に巻き込まれなくて済んだんだ」とか「戦後の日本が平和だったのは憲法9条があったおかげだ」と主張する人が少なくありませんが、そうした意見が正しいとの前提に立ってしまえば、歴代の日本政府がとってきた安全保障施策が正しかったということになってしまいます。

しかし、戦後の日本は「憲法の平和主義の基本原理があるのに平和主義を守らず」に、「憲法9条があるのに憲法9条を守らず」に、世界に紛争をまき散らすアメリカの手助けをしてきただけに過ぎません。

戦後の日本は、憲法の平和主義や第9条の理念とは真逆の発想で、「専制と隷従、圧迫と偏狭」をこの世界から除去する努力をせず、「恐怖と欠乏」に苦しむ世界の国民を置き去りにして、「自国のことのみに専念して他国を無視」して自国の経済繁栄を謳歌してアメリカに追随し、憲法9条の上に胡坐をかいて自国の平和を漫然と謳歌してきただけなのです(※日本国憲法|e-gov の前文を参照)。

もちろん、戦後の日本はODAなどに多額の予算を割り当てて途上国の経済発展や貧困解消に尽力してきましたから、世界から「専制と隷従、圧迫と偏狭」また「恐怖と欠乏」を除去することに全く貢献してこなかったというわけではありません。

しかし、憲法が本来的に予定していない自衛隊や在日米軍のために割り当ててきた莫大な安全保障資源を世界平和の実現のために充てていれば世界の紛争や貧困は今以上に改善されていたはずですし、圧倒的に低い難民受け入れ率を是正して積極的に難民を受け入れていれば弾圧で失われた命の多くを救うことができたはずでしょう。

つまり戦後の日本は、自国だけの平和を世界平和の具現化に優先させて、「恐怖と欠乏」に苦しむ世界の国民の救済を自国の繁栄に劣後させる施策を選択し、憲法の平和主義の基本原理と第9条を実践しない道をただ漫然と歩んできただけなのです。

そしてその憲法の平和主義と9条が予定した道とは異なる道を歩んできた結果が、周辺諸国との軋轢を生じさせてきたのです。

こんなことを続けていても、世界から紛争や貧困をなくすことなどできませんし、世界平和の実現も、日本における真の平和も、いつまでたっても具現化させることはできないでしょう。

そのことに一人でも多くの国民が気付き、この国が日本国憲法の平和主義の基本原理と第9条の理念を実践して世界平和の実現に尽力してゆくことを、強く望みます。