アメリカは6回も憲法改正してるから日本も…が詭弁である理由

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憲法改正を積極的に勧める与党(自民党)の議員やそれに同調する(自称)知識人あるいはタレントなどの中には「アメリカは何回も憲法を改正しているんだから日本も憲法を改正すべきだ」と、する主張が多く見受けられます。

アメリカでは戦後(1945年以降)、憲法が6回改正されていますから、その事実を根拠に「アメリカは6回も憲法を改正してるんだから日本だけ1回も改正してないのはおかしい」という理屈です。

しかし、アメリカにおける憲法改正の具体的な内容を詳細に確認してみると、それが日本における憲法改正の必要性を正当化する根拠としてなりえないことが容易に判断できます。

なぜなら、確かにアメリカにおいて戦後(1945年以降)複数回にわたって憲法が改正された事実はありますが、その全てがいわゆる「統治機構(日本でいえば国会・内閣・裁判所・地方自治といった国の統治に関する機関のこと)」に関する条項の改正であって、自民党が予定しているような「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」といった憲法の三原則に関わる条文の改正とはその性質が根本的に異なっているからです。

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アメリカにおける過去6回の憲法改正は「統治機構」に関する部分に限られる

まず、アメリカにおける過去の憲法改正を確認していきましょう(※アメリカでは憲法を”改正”することを”修正”と呼んでいますがここでは”改正”という言葉で論じます)。

先ほども述べたように、1945年以降、アメリカでは過去6回の憲法改正が行われています。

50年代に1回、60年代に3回、70年代に1回、そして最後の改正が1992年に1回行われていますが、その具体的な内容は国会図書館でウェブ上でも公開されている「国会図書館作成:諸外国における戦後の憲法改正(第5版)」に以下のように説明されています。

【戦後(1945年以降)のアメリカにおける憲法改正の状況】

  • 大統領の3選禁止(1951年改正)
  • コロンビア特別区市民への大統領選投票権付与(1961年改正)
  • 連邦選挙における人頭税要件の撤廃(1964年改正)
  • 大統領選の継承および代行(1967年改正)
  • 選挙権年齢の18歳への引き下げ(1971年改正)
  • 連邦議会議員の任期途中の歳費引き上げの禁止(1992年改正)

※出典:国会図書館作成:諸外国における戦後の憲法改正(第5版)(http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10249597_po_0932.pdf?contentNo=1&alternativeNo=)を基に作成。

以上を見てもらえれば一目瞭然ですが、その改正の実情は「選挙」に関する部分と「税」に関する部分だけに限られています。

1961年にコロンビア特別区(ワシントンD.C.)の市民に対して大統領選の投票権が付与される改正が行われていますが、これは当時の制度的に「州」ではない「特別区」であるコロンビア特別区(ワシントンD.C.)の市民に大統領選の選挙権が与えられていなかったものを人口の増加等の理由から選挙権の付与の必要性が生じた結果であり、「参政権」という「人権」に部類するような性質の改正ではなく「選挙制度」に関する改正(つまり統治機構の問題)にすぎません。

したがって、アメリカでは確かに戦後(1945年以降)6回の憲法改正が行われている事実がありますが、そのすべてが「統治機構(主に議会と大統領選挙に関する事項)」に関する条項の細かな部分の修正にすぎず、「人権」や「国民主権」などといった「国の原則」に関わる条項の改正は一切行われていないことがわかります。

日本では「統治機構」に関する細かな部分は「法律」で規定されているので「統治機構」に関する部分の細かな改正に「憲法改正」は必要ない

このように、アメリカにおける戦後(1945年以降)の憲法改正に関する具体的な内容を精査してみれば、そのすべてが「統治機構」に関する部分であることが容易に分かります。

この点、憲法改正に賛成する人の中には「統治機構に関する部分であってもアメリカでは憲法を改正した事実はあるわけだから日本みたいに一回も改正してないのはおかしいだろう」と言う人がいるかもしれません。しかし、それは間違っています。

なぜなら、アメリカで戦後(1945年以降)に改正された憲法の「統治機構」に関する部分については、日本ではそもそも憲法改正の必要性が生じることがないからです。

たとえば、先ほど挙げた「1961年におけるコロンビア特別区(ワシントンD.C.)市民への大統領選の投票権付与」に関する憲法の改正ですが、先ほども説明したとおり、これは当時の制度的に「州」ではない「特別区」であるコロンビア特別区(ワシントンD.C.)の市民に大統領選の選挙権が与えられていなかったものを人口の増加等の理由から選挙権の付与の必要性が生じた結果であり、「参政権」という「人権」に部類するような性質の改正ではなく「選挙制度」に関する改正です。

この点、日本では「選挙制度」については「公職選挙法」という「法律」で定められていますから、仮にこのような選挙権の付与が日本において必要な状況が生じたとしても、それは「公職選挙法」という「法律」を改正すれば足り、憲法の改正はそもそも必要になりません。

細かな選挙制度の手続きの詳細まで「憲法」に規定したアメリカと、選挙制度の詳細は憲法ではなく公職選挙法という「法律」に委ねられている日本では、そもそも憲法の構造自体が異なるわけですから、アメリカにおけるこの「コロンビア特別区の市民への大統領選の選挙権の付与」の事実は、日本の憲法改正を肯定する理由にはつながらないのです。

また、たとえばアメリカでは、先ほども説明したように1971年改正において選挙権が18歳に引き下げられる改正が行われていますが、日本では選挙権の「年齢(成人年齢)」は法律(民法第4条)で定められており、選挙権の年齢を引き下げたいのであれば法律(民法)を改正して成人年齢を引き下げる必要がありますので憲法改正はそもそも不要です。

このように、アメリカで戦後(1945年以降)に改正された憲法の内容は、日本ではそもそも憲法改正の必要性自体が生じないものですので、この点を考えてもアメリカにおける憲法改正の事実は日本の憲法改正の必要性を説明するうえで正当な比較対象になりえないといえます。

自民党の憲法改正草案は「国民主権」「人権」「平和主義」という「憲法の原則」を改正するもの

以上のように、国会図書館が作成した資料(諸外国における戦後の憲法改正(第5版))で確認する限り、アメリカで戦後(1945年以降)に行われた憲法改正は、そのすべてが「統治機構」に関する部分であって「人権」や「国民主権」などといった国の根幹にかかわる部分ではないことがわかります。

しかし、自民党が公開している憲法改正草案を確認してみると、その内容は「国民主権」や「基本的人権の尊重」「平和主義」といった憲法の三原則、つまり国の根幹にかかわる部分を大幅に、しかも国民の権利を縮小ないし制限する方向で改正するものが随所に見られます。

たとえば、現行憲法の三原則の一つである「国民主権」の部分です。

【日本国憲法第1条】
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」

このように現行憲法では「その主権が国民にあること」が「象徴天皇制」と共に第1条に規定されていますが、自民党の憲法改正草案では次のように規定されています。

【自由民主党:日本国憲法改正草案(平成24年4月27日(決定))第1条より引用】

「天皇は、日本国の元首であり、日本国および日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」

※出典:日本国憲法改正草案(平成24年4月27日(決定))|自由民主党憲法改正推進本部(https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf)を基に作成)

一見すると同じように見えますが、現行憲法では「象徴」に過ぎない天皇が自民党の憲法改正案では「元首」になってるところが大きく異なります。

この点、現行憲法では国の「元首」は「内閣または内閣総理大臣」になるというのが憲法学上の多数説の見解(芦部信喜「憲法(第六版)」47~48頁参照)ですから、もし仮に自民党の改正案が国民投票で承認された場合には、それは「国民主権」が「縮小ないし後退」してしまうことになるでしょう(※この点の詳細は『憲法を改正すると国民主権が後退してしまう理由』のページで詳しく論じています)。

また、憲法の三原則の一つである「基本的人権」の部分についても同様に、自民党の憲法改正草案ではその権利を制限(ないし縮小)する方向での改正が盛り込まれています。

この点、現行憲法では「基本的人権」に関する部分については「公共の福祉」に反して濫用することは認められないと規定されています(日本国憲法12条)。

【日本国憲法第12条】
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

しかし、自民党の改正案では「公益及び公の秩序」に反して濫用することが禁じられる内容に変更されています。

【自由民主党:日本国憲法改正草案(平成24年4月27日(決定))第12条より引用】

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保証されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。」

※出典:日本国憲法改正草案(平成24年4月27日(決定))|自由民主党憲法改正推進本部(https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf)5頁を基に作成。

これも一見すると現行憲法と大差ないように見えますが、「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」ではまったくその意味するところが異なります。

「公共の福祉」とは「人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理」などと説明されることもあるものの学説上の解釈が多岐にわたるためここで説明するのは困難ですが(※公共の福祉を説明できるほどの知識がありませんので…)、簡単に言うと「自分勝手はだめですよ。自分のことだけを考えてはいけませんよ(※伊藤真著「憲法問題」PHP新書87頁より引用)」というように考えてもらえばわかりやすいと思います。

これに対して「公益」や「公の秩序」は「公(おおやけ)の利益(秩序)」となりますから、「公(おおやけ)」つまり「国家の利益に反して勝手なことをしてはダメですよ」ということになってしまいます。

そうすると、自民党の改正案が実現すれば「人権」の行使も「国家権力」に反する行使(公益及び公の秩序に反する行使)が認められなくなってしまいますから、たとえば「言論の自由」や「表現の自由」という「基本的人権」についても、それが「国家権力を批判する言論」と認定されるかぎりそれを国家権力によって制限することができるようになりますから、それはすなわち「基本的人権」が「制限ないし後退」されてしまうことに繋がるでしょう(※伊藤真著「憲法問題」PHP新書88頁参照)。

もちろん、メディアが盛んに取り上げている憲法9条の改正も、それが自衛隊を明記するものであれ、国防軍を明記するものであれ、9条2項を削除するものであれ、自衛戦争をも放棄した現行憲法から自衛戦争を許容する憲法に改正することになる点を考えれば、国家権力に掛けられた制限を緩和する点で「平和主義を後退」させる改正といえます。

このように、自民党が作成した憲法改正案を詳細に確認してみると、「統治機構」に関する部分しか改正していない過去のアメリカにおける憲法改正の事実とは大きく異なり、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」といった憲法の基本原則に関する部分を大幅に、しかも国民の権利等を著しく「制限(ないし縮小)」、逆に言うと国家権力の権限を拡大(強化)する形で改正するものであることが簡単に分かります。

「統治機構」という憲法の”枝葉”の部分しか改正していないアメリカの事例を根拠に日本の憲法改正を正当化する議論は「詭弁」

このように、政府が憲法改正案として公表している自民党が作成した憲法草案を読む限り、日本では憲法の「統治機構」の部分にとどまらず「基本的人権の尊重」や「国民主権」「平和主義」といった国の根幹(日本国憲法の三原則)に関わる条項までも改正しようとしているわけですから、憲法の「統治機構の部分だけ」しか改正していないアメリカにおける憲法改正の事情を日本の憲法改正の場合にそのまま当てはめて、その改正の必要性を説明するための比較対象にするのは無理がありますし、妥当とはいえません。

※「アメリカは”統治機構”という”国の原則とは関係ない”事項に関する憲法の改正が頻繁に行われてるんだ。だから日本も”基本的人権”や”国民主権”や”平和主義”という”国の原則”に関係する憲法の条項の改正も認められるんだ」という理屈が成り立たないのは小学生でも分かります。

アメリカで戦後(1945年以降)に行った憲法改正のすべては、そもそも日本では憲法改正の議論にはつながらないものですし、アメリカでは憲法の根幹にかかわるような「国民主権」や「人権」等に関する部分は全く改正していないわけですから、そのようなアメリカにおける憲法改正は、日本の憲法改正の議論では参考にすらならないわけです。

ですから、アメリカで憲法改正がなされた「6回」というその回数だけを引き合いに出して憲法改正を正当化する主張を展開する政治家や(自称)知識人、タレントの部類の発言は、おしなべて「詭弁」と言えるのです。