憲法9条の改正に賛成する(自称)知識人やタレントなどの中に「憲法9条が軍隊を禁止してるから北朝鮮の拉致事件が起きたんだ!」などと、北朝鮮による拉致事件が憲法9条が原因で引き起こされたかのような主張を展開している人が少なからずいるようです。
憲法9条はその1項で「戦争を放棄」し、2項で陸海空軍その他の「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を規定することで軍事力の保有とその行使を全面的に禁止していますから、日本人が他国から組織的に拉致されても軍事力をもって拉致被害者を救出したり軍事行動によって制裁を加えることができません。
【日本国憲法9条】
第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
そのため日本に軍事力による抑止力がない点を「舐められて」北朝鮮の工作員によって国民を拉致されてしまったという理屈です。
しかし、このような北朝鮮の拉致事件と憲法9条を関連付けて、さも拉致事件の原因が憲法9条の欠陥にあるような主張は、明らかに事実誤認も甚だしく、端的に言って暴論とさえ言えます。
なぜなら、北朝鮮の拉致事件が発生した原因が憲法9条に全くないばかりか、むしろ歴代の政府が憲法9条を遵守しておけば拉致事件そのものが発生しなかった可能性の方が高いからです。
北朝鮮が日本人を拉致したのは工作員を養成するため
若い人の中には北朝鮮の拉致事件自体を知らない人もいるかもしれませんので念のために簡単に説明しておきますが、この事件は1970年代から80年代にかけて主に日本海側の地方において日本人が北朝鮮の工作員によって拉致され工作船で北朝鮮に連れていかれてしまった問題のことを言います。
この事件については小泉政権時代の2002年に拉致被害者の一部が帰国しましたが、日本側が拉致認定した人のうち未だ帰国が実現されない被害者がいるなど完全な解決には至っていないのが現状です。
ところで、この事件で北朝鮮に拉致された日本人は北朝鮮で日本語文献の翻訳などに従事させられたり(※参考→北朝鮮による日本人拉致問題|Wikipedhia)、その他にも例えば大韓航空機爆破事件では逮捕された実効犯の一人が拉致被害者の日本人から日本語教育を受けていた事実が明らかになるなど(※大韓航空機爆破事件の犯人として逮捕された一人は当初「蜂谷真由美」と自称して日本人を装っていました※参考→金賢姫|Wikipedia)、拉致事件で拉致された日本人が北朝鮮における工作員の養成のために利用されていた事実も明らかとなっています。
ですから、北朝鮮が日本人を拉致した目的の一つに、日本人を装ったテロ事件を実行するための工作員の養成に、日本から拉致した日本人を日本語教育やその他の教育に利用する意図があったことが窺えることになります。
北朝鮮が日本人を拉致したのは日本が北朝鮮と敵対関係にあるから
ではなぜ、北朝鮮がわざわざ日本人に成りすまして対外工作(大韓航空機爆破事件などのテロ事件)を行うことを意図したかというと、それは歴代の日本政府が北朝鮮と外交的に敵対してきたからに他なりません。
北朝鮮と韓国(※アメリカを中心とした国連軍を含む、以下同じ)の間で1950年から開始された朝鮮戦争は1953年に休戦協定に署名がなされていますが、未だ戦争が終結したわけではありませんので実際は現在でも両国の間では戦争状態が続いています。
そして日本は、その朝鮮戦争に国連軍として参加しているアメリカとの間に1951年に日米安保条約を結んでいますから、北朝鮮から見た日本は、戦争状態にある敵国と同盟関係にある国としてアメリカに追随する敵国という位置づけになるでしょう。
つまり、日本人として日本で生活している我々日本人は北朝鮮と戦争状態にあるとは露ほども認識していませんが、北朝鮮にとってみれば日本は戦争状態にある敵国も同然なわけです。
だからこそ北朝鮮は、わざわざ日本語教育を行った工作員に大韓航空機を爆破させ「日本人のテロリストの仕業」に仕立て上げようとしたのです。
北朝鮮が行うテロ行為をただ単に外国人の仕業にしたかったのであれば中国人に成りすましてもよかったでしょうが、中国は朝鮮戦争以降、北朝鮮を支援していて友好関係にありますので中国人に成りすまして韓国の旅客機を爆破してしまうわけにはいきません。
しかし、日本人であれば外見上も差異はありませんしアメリカに追随する敵国でもありますので成りすますには好都合です(※もちろん北朝鮮に亡命したよど号グループの日本赤軍との関係もあるかもしれません)。
つまり、北朝鮮は日本がアメリカと安保条約を結ぶことで北朝鮮と敵対関係にあるからこそ大韓航空機爆破事件の実行犯を日本人に仕立て上げようとしたわけであり、日本が北朝鮮と敵対関係にあるからこそ日本人を拉致して工作員の養成に利用しようとしたということが言えるわけです。
もちろん、だからと言って北朝鮮の拉致事件が正当化されるわけではありませんが、日本がもしアメリカと安保条約を結ばず国際的に中立な立場を維持していれば、少なくとも北朝鮮は拉致の対象として「日本人を選ぶこと」はなかったはずですから、日本がアメリカと安保条約を結んだことは、北朝鮮に対する安全保障施策としては有効に機能しなかっただけでなく、対北朝鮮との関係ではかえって日本の国益を損ねる結果になってしまったということが言えるのです。
憲法9条は安保条約を予定していない
ところで、日本国憲法の第9条1項で放棄された「戦争」には侵略戦争だけでなく自衛戦争も含まれるものと考えられていますので(※詳細は→憲法9条の「戦争放棄」解釈における3つの学説の違いとは?)、日本はたとえ自衛のためであっても「戦争」を行うことができません。
また、憲法9条2項で保持が禁止された「陸海空軍その他の戦力」には「外敵の攻撃に対して実力をもってこれに対抗し、国土を防衛することを目的」としたすべての組織が含まれることになりますので、日本にはいかなる理由があろうと「外敵の攻撃に対して実力をもってこれに対抗し、国土を防衛することを目的」とした組織が存在してはならないことなります(※詳細は→憲法9条2項で放棄された「戦力」とは具体的に何なのか)。
このような日本国憲法の平和主義と憲法9条の意味を考えた場合、はたして日米安保条約(※日米安全保障条約|外務省)は日本国憲法に許容されうる条約と言えるでしょうか。
もちろん、旧安保条約の合憲性が問われた砂川事件 (※砂川事件:最高裁昭和34年12月16日|裁判所判例検索) で最高裁は憲法9条2項の「戦力」について「わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべき」と判示していますから、日米安保条約に基づいてアメリカ軍が日本に駐留していても、それ自体は「憲法に違反する」というものでないかもしれません。
「…従って同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」
※出典:砂川事件:最高裁昭和34年12月16日|裁判所判例検索より引用
また、この砂川判決で最高裁は、安保条約のような高度の政治性を有する条約の合憲性の判断は司法裁判所の判断には原則としてなじまないものであると判示し、安保条約の違憲性の判断から逃げ続けていますから、今の日本に「安保条約は違憲である」と結論付ける司法判断は存在しないので「安保条約は違憲だ」と言うこともできないでしょう。
「安保条約は、わが国の存立に重大な関係を有する高度の政治性を有するものであること、かかる条約の違憲なりや否やの判断は司法裁判所の判断には原則としてなじまないものである…」
※出典砂川事件:最高裁昭和34年12月16日|裁判所判例検索より引用
しかし、安保条約の下で日本に駐留するアメリカ軍は「外敵の攻撃に対して実力をもってこれに対抗し、国土を防衛することを目的」として日本が他国から攻撃された場合に日本を守るために存在しているわけですから、そのアメリカ軍の装備は「外敵の攻撃に対して実力をもってこれに対抗し、国土を防衛することを目的」とした装備であることが必要なのは当然です。
また日本が他国から攻撃された場合にその日本に駐留するアメリカ軍が自衛のための戦力を行使すればそれは「自衛戦争」になるのは当然でしょう。
そうであれば、日米安保条約は日本国憲法の平和主義と憲法9条が予定した条約とは言えないはずです。
憲法9条は「自衛戦争も含めたすべての戦争を放棄」し「陸海空軍その他の戦力の保持を禁止」し「交戦権」も否定しているわけですから、それに抵触する戦力はたとえ外国の戦力であっても存在すべきではなく、その戦力を持たない状態で国の安全保障を確保することが求められているのが日本国憲法の平和主義の神髄なはずです(※詳細は→憲法9条が戦争を放棄し戦力の保持と交戦権を否認した理由)。
ですから、アメリカとの間で締結された日米安保条約は憲法が基本原理として採用した平和主義とそれを具現化する憲法9条の規定からは本来的に導かれない条約であり、憲法の趣旨から考えれば日米安保条約は本来は締結すべきではなかった条約と言えます。
憲法9条を遵守していれば拉致事件はなかった
このように、日米安保条約は日本国憲法の基本原理である平和主義や憲法9条の理念からは本来的に許容されない条約だったと言えますから、日米安保条約を締結した当時の日本政府(岸政権※岸信介は安倍晋三の祖父にあたります)は、憲法の平和主義と憲法9条の解釈を捻じ曲げて安保条約の締結に踏み切ったということが言えます。
では、もし仮に当時の政府が憲法の平和主義と9条の理念を遵守して、アメリカとの間で安保条約を締結しなかったらどうなっていたでしょうか。
日本国憲法は平和主義を基本原理としており、国際的に中立的な立場から国際社会と協調して外交交渉や国際的な紛争解決のための提言を駆使することで外交的な紛争を解決することを求めていますから(※参考→憲法9条は国防や安全保障を考えていない…が間違っている理由)、歴代の政府が憲法の平和主義と9条の理念を遵守していれば、北朝鮮と韓国・アメリカの橋渡し役となって国際的な紛争解決のための提言を積極的に行って朝鮮戦争の講和のために尽力していたかもしれません。
また、憲法前文は「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに存在する権利を有することを確認」し「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と宣言することで自国だけでなく、世界のすべての国から紛争と貧困を除去することを求めていますから、歴代の政府が憲法の平和主義と9条を遵守していれば、仮に講和に至らなかったとしても、北朝鮮の貧困解消のため経済支援などを積極的に行い北朝鮮と友好関係を築くことで敵対関係にならなかったかもしれません。
もし仮にそうなっていたら、北朝鮮が日本人に成りすましてテロ事件を行う必要性はないわけですから、北朝鮮が工作員の教育係にするために日本人を拉致することもなかったでしょう。
つまり、北朝鮮が大韓航空機爆破事件などのテロ事件を引き起こす際に、実行犯を日本人に仕立て上げることを意図し、その実行犯の教育係にするためにわざわざ日本から「日本人を拉致した」のは、日本がアメリカと安保条約を締結しアメリカと一緒になって北朝鮮に敵対していたからに他ならないわけですから、憲法の平和主義と9条の理念を遵守して北朝鮮と敵対していなければ、北朝鮮の拉致事件は少なくとも「日本人を対象としては」引き起こされなかったと考えられるわけです。
「北朝鮮の拉致事件は憲法9条のせいだ」が間違っている理由
以上で説明したように、北朝鮮が日本人を拉致した大きな要因は、日本がアメリカと安保条約を締結することで北朝鮮から見た日本が敵対関係にあるものとして認識されたことが大きく影響しているわけですから、拉致事件の原因が「憲法9条にあった」ということにはなりません。
むしろ、憲法の平和主義と9条の理念を遵守してアメリカと安保条約などを結ばなければ、朝鮮戦争において中立的な立場を維持することができただけでなく、北朝鮮に人道的な援助を行うことでむしろ北朝鮮と友好関係を築くことができた可能性が高いわけですから、北朝鮮の拉致事件は歴代の政府が憲法の平和主義と9条の理念を捻じ曲げて解釈し、憲法の平和主義と9条の趣旨を無視してアメリカに追随してきた外交の失敗が招いた事件とさえ言えるでしょう。
憲法9条を遵守して日米安保条約など結ばなければ、少なくとも日本人が北朝鮮に拉致されることはなかったわけですから、北朝鮮の拉致の標的として日本人が選ばれたのは歴代の政府が「憲法9条を無視してアメリカの武力(軍事力)に頼って国の安全保障を確保してきた」国の安全保障施策の失敗にあったことは明らかと言えます。
つまり、北朝鮮の拉致事件の対象として日本人が狙われたのは「憲法9条があるから」なのではなく歴代の政府が「憲法9条があるのに憲法9条を無視してきたから」に他ならないのです。
そうであれば、北朝鮮の拉致事件に関して、憲法9条には何の罪もありません。歴代の政府が憲法9条を遵守して戦争放棄と戦力不保持を徹底しておけば、拉致事件は回避することができたはずだからです。
「憲法9条が軍隊を禁止してるから北朝鮮の拉致事件が起きたんだ!」などとその責任を9条に押し付けること自体、理屈の筋道として成立していないのです。
そもそも、世界最強のアメリカ軍が日米安保条約に基づいて沖縄や日本各地に駐留し日本の国土防衛に寄与しているにもかかわらず日本各地から日本人が拉致されたのですから、日本が軍隊を持たないことと拉致事件は因果関係が生じるはずがないのでしょう。
にもかかわらず、憲法9条の改正に賛成する人たちは、憲法9条を改正したいがために北朝鮮の拉致事件という日本人を標的にした卑劣な国家的犯罪行為を利用してまで「憲法9条が軍隊を禁止してるから北朝鮮の拉致事件が起きたんだ!」などと主張しているのですから始末に負えません。
結局彼らは「自分たちの主張を実現させるためなら拉致事件という卑劣な犯罪行為を利用しても構わない」と考えているのですから、その思想の根源は拉致事件を主導した人たちと共通したものを包含しているのかもしれません。