GHQ草案は日本人が作った憲法草案の影響を受けている?

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日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要』のページでも解説しているように、現在の日本における憲法は、戦後すぐに総司令部(GHQ)から提示を受けた憲法草案(マッカーサー草案※GHQ草案)を基に政府の中で憲法改正草案が作成され、その政府が作成した憲法改正草案が帝国議会で審議されることにより明治憲法が改正される形で制定されたものと認識されています。

このような憲法制定過程の経緯を考えれば、日本の憲法は「マッカーサー草案(GHQ草案)」というアメリカが作成した憲法草案が基礎になっているという意見も当然、生じてくることになるでしょう。

もっとも、だからと言って日本の憲法が「アメリカの意思だけ」が土台になって作成されたものかというと、そうでもありません。

なぜなら、総司令部(GHQ)が提示したマッカーサー草案自体が、当時の日本の有識者が独自に作成した憲法草案を参考にしている事実があるからです。

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マッカーサー草案が提示されるより前に、民間グループや個人の間で複数の憲法改正案が作成されていた事実

先ほども述べたように、日本の現行憲法はその成立過程において総司令部(GHQ)の作成したマッカーサー草案(総司令部案)の影響を少なからず受けているといえますが、そのマッカーサー草案(総司令部案)が当時の日本政府に手渡された昭和21年の2月13日より以前に、すでに日本人において数多くの憲法草案が作成されていたのを皆さんご存知でしょうか?

この点、国会図書館のサイトを確認すると、少なくとも以下のような民間グループや個人の憲法草案が、マッカーサー草案が日本政府に提示される「前」に既に作成されていた事実がうかがい知れます。

【マッカーサー草案と同時期またはそれ以前に民間グループや個人で作成された憲法改正案】

  • 高野岩三郎「日本共和国憲法私案要綱」(1945年11月21日)
  • 清瀬一郎「憲法改正条項私見」(1945年”法律新報”12月号)
  • 布施辰治「憲法改正(私案)布施辰治起案」(1945年12月22日)
  • 稲田正次と憲法懇談会「憲法改正私案」(1945年12月24日)
  • 憲法研究会「憲法改正要綱」(1945年12月26日)
  • 大日本弁護士連合会「憲法改正案」(1946年1月21日)
  • 里見岸雄「大日本帝国憲法改正案私擬」(1946年1月28日)
  • 東京帝国大学「東京帝国大学憲法研究委員会報告書」(1946年春)

(※出典:資料と解説[第2章 近衛、政府の調査と民間案] | 日本国憲法の誕生|国会図書館(www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02shiryo.html)を基に作成)

憲法研究会が作成した「憲法草案要綱」という改正案

これらの民間グループや個人で作成された憲法草案のうち、当時もっとも注目されたのが憲法研究会が作成した「憲法草案要綱」です。

憲法研究会は東京帝国大学で教授を務めた経験をもつ高野岩三郎が発起人となって結成された研究会で、以下のようなメンバーによって構成されていました。

【憲法研究会の主要会員】
高野岩三郎(大原社会問題研究所所長・元東京帝大教授)
・馬場恒吾(ジャーナリスト)
・杉森考次郎(文芸評論家)
・岩淵辰雄(政治評論家)
・森戸辰男(東京帝大元助教授)
・室伏高信(評論家)
・鈴木安蔵(憲法研究家)
(※出典:西修著「日本国憲法の誕生」河出書房新書20頁を基に作成)

憲法研究会が作成した憲法草案要綱が注目を集めた理由は、おそらくその先進性です。

当時の政府は明治憲法の一部を変更した程度の保守的な改正草案を考えていましたが(※実際、松本委員会の松本案を基にして政府が作成した憲法改正要綱は天皇主権を維持し国民主権を明確化しないなどあまりにも保守的であったため後にGHQに突き返されています)、憲法研究会が作成した憲法草案要綱は、国民主権の明確化や天皇の統治権の否定、現行憲法の生存権や法の下の平等、言論(表現)の自由にも通ずる権利、その他の社会権など当時の世界でも先進的で極めて自由主義的な思想の下に作成されていました。

たとえば、憲法研究会が作成した憲法草案要綱の中でも、次のような部分については現行憲法に極めて近いのではないかと思います。

【憲法研究会の憲法草案要綱と現行憲法との比較】

≪国民主権(天皇の統治権の否定)≫

  • 憲法研究会の作成した憲法草案要綱
    「日本国の統治権は日本国民より発す」(※注1)
  • 現行憲法
    「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」(第1条)
  • 憲法研究会の作成した憲法草案要綱
    「天皇は国政を親らせず国政の一切の最高責任者は内閣とす」(※注1)
  • 現行憲法
    「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う。」(第3条)
  • 憲法研究会の作成した憲法草案要綱
    「天皇は国民の委任により専ら国家的儀礼を司る」(※注1)
  • 現行憲法
    「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。」(第4条1項)

≪法の下の平等≫

  • 憲法研究会の作成した憲法草案要綱
    「国民は法律の前に平等にして出生又は身分に基く一切の差別は之を廃止す」(※注1)
    「男女は公的並私的に完全に平等の権利を享有す」(※注1)
    「民族人種による差別を禁ず」(※注1)
  • 現行憲法
    「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」(第14条)

≪生存権≫

  • 憲法研究会の作成した憲法草案要綱
    「国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す」(※注1)
  • 現行憲法
    「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」(第25条)

≪表現の自由(言論の自由)≫

  • 憲法研究会の作成した憲法草案要綱
    「国民の言論学術芸術宗教の自由に妨ける如何なる法令をも発布するを得ず」(※注1)
  • 現行憲法
    「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」(第21条1項)

※読みやすくするため「カタカナ文語体」を「ひらがな表記」に変更しています。

※注1…出典:国会図書館作成「憲法草案要綱 憲法研究會案(テキスト)」、憲法研究会著「憲法草案要綱 憲法研究會案」(http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/052/052tx.html)を基に作成。

※憲法研究会が作成した憲法草案要綱は国会図書館のサイトでウェブ上で公開されていますので、他の要綱を知りたい場合は国会図書館のサイトで各自ご確認をお願いします。

以上は憲法研究会が作成した憲法草案要綱のうちのほんの一部ですが、それでもこのように現行憲法に類似する点が多々見受けられます。

もちろん、この憲法研究会の憲法草案要綱はマッカーサー草案が日本政府に提示される前に作成されていますから(マッカーサー草案が政府に提示されたのは昭和21年2月13日ですが憲法研究会が憲法草案要綱を発表したのは昭和20年12月26日です)、この憲法草案要綱が作成された時点において憲法研究会のメンバーはマッカーサー草案にどのような条項が盛り込まれるかを知りません。

しかし、このような現行憲法とほぼ変わりない内容が盛り込まれた憲法草案が民間人の手で作成されていたわけですから、当時の日本におけるリベラルな知識人の間では、すでに現行憲法に通ずる自由主義的、民主主義的な思想が広く共有されていたということがうかがえるといえるでしょう。

ちなみに、この憲法研究会によって作成された「憲法草案要綱」は、昭和20年の12月26日付の新聞紙上で大きく取り上げられた事実がありますので(西修著「日本国憲法の誕生」河出書房新書21頁参照)、当時の日本における一般市民がこの憲法研究会が作成した憲法草案要綱に寄せる期待や関心も相当程度高かったことが十分に推測されます。

憲法研究会の憲法草案要綱がGHQの憲法草案作成に大きな影響を与えていた事実

以上のように、マッカーサー草案が日本政府や日本国民に提示される以前において、すでに日本の民間人独自の手によって現行憲法に相当程度近い改正案が作成され、かつ国民にも新聞に掲載されることによって公表され関心を集めていた事実があるわけですが、この憲法研究会が作成した憲法草案要綱はあまりにも当時の日本政府(松本委員会)が考えていた改正案とその思想が乖離していましたので(※ただし『幣原喜重郎 外交五十年 (人間の記録)日本図書センター』を読む限り幣原首相個人としては憲法研究会の草案に近い思想を持っていたようです)、政府(松本委員会)からは見向きもされませんでした。

その代わり、この憲法研究会が作成した憲法草案要綱はGHQには高く評価されます。

この憲法研究会が作成した憲法草案要綱は、新聞紙上で一般に公開され、かつ政府に手渡されたその日に英語が話せた研究会のメンバーの杉森氏(文芸評論家)の手によってGHQ(総司令部)に直接届けられ、GHQにおける翻訳作業を経て民生局に所属していたラウエル中佐らによって詳細な分析と検討が進められました(※注2)。

※注2:国会図書館作成:憲法研究会「憲法草案要綱」 1945年12月26日(http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/052shoshi.html)参照

その結果が「Comments on Constitutional Revision proposed by Private Group(私的グループによる憲法改正草案(憲法研究会案)に対する所見)」という参謀長宛てに提出された文書にまとめられていますが、そこでは「民主主義的で賛成できる」「著しく自由主義的」などと高く評価されており、後の研究によって憲法研究会が作成した憲法草案要綱がGHQが作成した憲法草案(マッカーサー草案)に大きな影響を与えていたことが確認されています(※注3)。

※注3:国会図書館作成:ラウエル「私的グループによる憲法改正草案(憲法研究会案)に対する所見」 1946年1月11日参照
「Comments on Constitutional Revision proposed by Private Group(私的グループによる憲法改正草案(憲法研究会案)に対する所見)」は国会図書館のサイト(http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/060shoshi.html)においてウェブ上で閲覧可能です(※ただし英文)

すなわち、マッカーサー草案(GHQ草案)に記載されていた憲法草案の多くは、GHQが草案を作成する前からすでに日本人の手で憲法研究会が作成した憲法草案要綱に記載されており、かつ、その憲法研究会が作成した憲法草案要綱をGHQも検討・研究し、GHQ案(マッカーサー草案)を作成する際の参考として利用したことは紛れもない事実として存在しているわけですから、マッカーサー草案自体も純粋なアメリカ製ではないといえるわけです。

日本国憲法の基本的思想が「日本製」である理由

このように、日本の憲法がGHQが作成したマッカーサー草案を受け入れて、そのマッカーサー草案(GHQ草案)の内容に沿った新憲法の草案を起草することになったことは事実なのですが(※注4)、その政府が作成する新憲法草案の基礎となったマッカーサー草案(GHQ草案)もまた、憲法研究会という日本人が作成した憲法草案要綱の影響を受けているということも事実として存在します。

※注4:国会図書館作成:GHQ草案 1946年2月13日参照(http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076shoshi.html

マッカーサー草案に記載され現行憲法に明記されることになった人権や国民主権といった基本理念は、当時の日本におけるリベラルな国民の間においてはすでに常識的なものとして認識されていたことが明らかなのですから、今ある日本国憲法というものに内在する基本的思想は純粋に「日本製」であるということが言えるのです。