現行憲法の日本国憲法はその第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と明記することで天皇が「象徴」であることを明文の規定で明らかにしています。
【日本国憲法第1条】
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
一方、明治憲法(大日本帝国憲法)では天皇が「神聖」であることや「元首」であること、また天皇に「統治権ヲ総攬」する権能(国を統治する権限)を与える規定はありますが、天皇を「象徴」とするような明文規定は置かれていません。
【大日本帝国憲法(抄)】
第1章 天皇
第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
(以下省略)
そうすると明治憲法では天皇は「象徴ではなかった」かのようにも思えますが実際にはそうではありません。
なぜなら、明治憲法(大日本帝国憲法)においても天皇は「象徴」だったからです。
明治憲法でも天皇は「象徴」
そもそも君主制を採用する国民国家ではその国の君主は「象徴」であると認識されているのが一般的で、その時代や出現した権力者によって政治的な権力(統治権)があったりなかったりしているのが普通です。
天皇が古来から「象徴」としてあったという点については、皇太子時代の上皇陛下(平成の天皇)も以下に引用するように記者会見で同様に述べられている事実がありますので、象徴としての天皇像が帝王学として引き継がれてきたことを考えてみても、歴代の天皇が自ら「象徴」としての役割を認識していたことを推認することができます。
「皇室の伝統を見ると、武ではなく常に学問でした。(歴史上も)軍服の天皇は少ないのです」
「日本の天皇は、文化といったものを非常に大事にして、権力がある独裁者というような人は、非常に少ないわけですね。象徴というものは決して戦後にできたわけではなく、古い時代から(天皇は)象徴的存在だったと言っていいと思うんです」
皇太子時代に今の天皇は、宮内記者会との会見で、伝統的な天皇の姿についてこう述べた。前者の発言は1977年(昭和52年)の夏のことであり、天皇はずっと象徴的存在だったと語ったのは、その翌年である。
※出典:高橋紘著:解説-昭和天皇と『側近日誌』の時代、木下道雄「側近日誌」文藝春秋272頁より引用。
古来における天皇は世間の民衆からは隔絶した存在でしたから、ある種の「象徴」的な存在だったわけですが、その一方で、日本ではその天皇が「象徴」としての役割だけでなく「権力者」としての権能をも有していた時代が、かつての日本には存在しました。
奈良や平安時代までは律令制度の下で天皇(公家)が臣民(民衆)を支配する政治制度によって国政が運営されていた時期がありましたので、君主である天皇が「象徴」としての役割だけでなく政治的な実権という権力も保持していた時期があったということが言えます。
たとえば、天武天皇や持統天皇のように、自ら政治権力を行使して国の政を指揮していた時期の天皇は、「象徴としての権威」だけではなく、「権力者」としての政治的権力も行使していたということが言えるでしょう。
しかし、そのようにして天皇が「象徴」としての役割だけでなく「権力者」として政治権力を行使した時代は長い日本史の歴史の中ではわずかの期間でしかありません。
武士が政治の実権を握った鎌倉時代(実際にはその前の平氏の時代から)以降は政治的な「権力(統治権)」を取り上げられてしまいましたので、それ以降の天皇は”象徴”としての「権威」とその役割だけが残されて京に所在していたということになるからです。
ですから、天皇が「象徴」であることは、何も戦後に始まったわけではなく、日本古来の伝統的なものであったということも言えるわけです。
もっとも、日本の場合に注意しなければならないのが、天皇がその政治的な「権力(統治権)」という実権を取り上げられた以降も、時の権力者によって「象徴としての権威」が利用されてきたという事実がある点です。
たとえば信長が桶狭間で弱体化した東の今川を攻めるのではなく斎藤や浅井、六角など強敵の支配する西に兵を進めたのは、天皇が所在する京を確保すれば足利将軍の政治的実権(権力・統治権)を掌握し天皇の権威を利用することで地方の豪族や大名を従わせることができると考えたからですが、それは信長が天皇の「象徴としての権威」を利用しようとしていたからに他なりません。
つまり信長は、自身が掌握した「権力(統治権)」に、政治的な実権(権力・統治権)を持たない”象徴”としての天皇を関連付けさせることで、天下布武の実現のために天皇が持つ「象徴としての権威」 を都合よく利用しようとしたわけです。
また戊辰戦争では薩長の連合軍が鳥羽伏見で”錦の御旗”を掲げることで幕府軍を朝敵に仕立て上げることに成功しましたが、これも討幕軍が掌握した「権力(統治権)」に、錦の御旗という天皇の持つ「象徴としての権威」を関連付けさせることで維新を実現させようと西郷や木戸が考えていたからに他なりません。
つまり薩長も、自分たちが掌握した「権力(統治権)」を、政治的な実権のない「象徴」としての天皇(の錦の御旗)に関連付けさせることで、天皇が持つ「象徴としての権威」を討幕の為に都合よく利用したわけです。
このように、日本では古来から天皇は「象徴」として存在していたわけですが、その時々において天皇が持つ「象徴としての権威」が、時の権力者が掌握した「権力(統治権)」と関連付けられることで権力者に利用されてきた歴史があります。そしてこれは明治憲法(大日本帝国憲法)でも承継されています。
明治憲法ではその第4条の前段で「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ…」と規定することで天皇に「統治権の総覧者たる地位」という「権力(統治権)」を与えている一方で、その後段に「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と規定することで一応は立憲君主制としての体裁を整えていますが、その天皇の「統治権」を国の実権を掌握した権力者が帝国議会に「協賛(大日本帝国憲法第5条)」させ、また国務大臣に「輔弼(大日本帝国憲法第55条)」させることで都合よく利用できるシステムにしているのは、日本における歴代の権力者が天皇を利用してきた手法と変わりません。
【大日本帝国憲法(抄)】
第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第5条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
~(中略)~
第55条1項 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
2項 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
(以下省略)
ですから、明治憲法(大日本帝国憲法)における天皇の位置づけは、古来から認識されてきた「象徴」という面は変わっておらず、その天皇に「統治権の総覧者たる地位(主権)」を与えてはいるものの、時の権力者が自由に天皇の権能(権力・統治権)を利用できる構造で設計されていると言えます。
つまり、明治憲法(大日本帝国憲法)における天皇も、従来からの「象徴」としての地位はそのままであったわけですが「統治権の総覧者(主権者)」としての「実質的な権能(政治的な権力)」が前面に出ていたがゆえにその「象徴」としての面が隠れていただけなのです。
「およそ、君主制国家では、君主は、本来、象徴としての地位と役割を与えられてきた。明治憲法の下でも、天皇は象徴であったということができる。しかし、そこでは、統治権の総攬者としての地位が前面に出ていたために、象徴としての地位は背後に隠れていたと考えられる。日本国憲法では、統治権の総攬者としての地位が否定され国政に関する権能をまったくもたなくなった結果、象徴としての地位が前面に出てきたのである。」
出典:芦部信喜著・高橋和之補訂「憲法(第六版)」岩波書店45~46頁より引用
ですから、明治憲法(大日本帝国憲法)では天皇を「象徴」とする明文の規定が置かれていたわけではありませんが、天皇が「象徴」であった点については現行憲法と変わらないということが言えるわけです。
現行憲法における象徴天皇制の特徴は天皇が「象徴であること」にあるのではなく「象徴でしかない」ところにある
このように、現行憲法では象徴天皇制を採用していますが、天皇が「象徴」であった点は明治憲法(大日本帝国憲法)でも変わりません。明治憲法(大日本帝国憲法)も「象徴天皇制」を採用していた点は現行憲法と同じなのです。
では、明治憲法(大日本帝国憲法)の象徴天皇制における天皇と現行憲法の象徴天皇制における天皇のどこが異なるのかというと、それは現行憲法の象徴天皇制における天皇が「象徴でしかない」という点です。
前述したように明治憲法では「象徴」であるはずの天皇に「統治権の総覧者」としての地位(国政を統括する権限、主権)が与えられていましたので国の主権は天皇にありましたから、明治憲法における天皇は「象徴であり主権者でもあった」ことになります。
しかし、その天皇に与えられた「統治権の総覧者」たる地位が国家指導者や軍人に濫用され、その濫用に少なからぬ国民が迎合し熱狂してしまうことで翼賛議員の専制政治を招き入れることになり先の戦争が引き起こされてしまいました。
つまり、明治憲法では憲法が「象徴天皇制」を採用しながら天皇に「象徴であり主権者でもある」地位を与えていた憲法上の欠陥が国家指導者や軍人、また彼らに同調・迎合した少なからぬ国民に都合よく利用されることで(もちろん天皇もその同意を与えたわけですが)軍国主義の台頭を招いてしまったわけです。
その反省を基礎にして採用されたのが現行憲法の「象徴天皇制」です。現行憲法における天皇も明治憲法と同じように「象徴」ですが「統治権の総覧者」たる地位が与えられていないだけでなく、天皇の権能は憲法で定められた国事行為に限られています(憲法4条、同7条)。
「国事に関する行為」とは「形式的・儀礼的行為」に限られると解釈されますから、天皇には国の統治(政治)とは関係のない形式的で儀礼的な行為を行う権限しか与えられておらず、しかもその形式的・儀礼的な行為を行うことにさえ内閣の助言と承認が必要になるという制限がかけられているのが現行憲法の大きな特徴と言えるでしょう(憲法7条)。
【日本国憲法第4条】
天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
【日本国憲法第7条】
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
(以下省略)
このように、現行憲法における「象徴天皇制」では、明治憲法で天皇に与えられていた権能(統治権の総覧者たる地位から派生される国政に関する権能)をことごとく否定するだけでなく、形式的・儀礼的な国事行為だけを内閣の助言と承認によってのみ与えて天皇の地位を「象徴でしかない」ものにしている点が大きな特徴と言えます。
ではなぜ、明治憲法では「象徴であり主権者でもあった」天皇を、現行憲法では「象徴でしかない」天皇にしているかと言うと、それは天皇を「象徴でしかない」存在にする限り、時の権力者によってその天皇の権能が濫用されてしまう危険を排除することができるからです。
前述したように、明記憲法では天皇が「象徴であり主権者でもあった」ため、天皇に与えられていた「統治権の総覧者たる地位」が国家指導者や軍人に濫用されて不毛な戦争が引き起こされましたが、現行憲法のように天皇が「象徴でしかない」場合には、たとえ一部の政治家や政治勢力が天皇の権能を濫用しようと考えても濫用することはできません。
現行憲法における天皇は「象徴でしかない」ので、仮に一部の政治家や政治勢力が天皇に与えられた形式的・儀礼的な権能に過ぎない国事行為を濫用しても、その濫用した天皇の国事行為には「実質的な意味」が一切ないので国政に全く影響を与えることができないからです。
つまり、現行憲法の象徴天皇制は天皇が「象徴」である点において国家権力の暴走に歯止めをかけているわけではなく、天皇を「象徴でしかない」「象徴以外の権能が与えられていない」存在にすることによって、明治憲法(大日本帝国憲法)で生じた専制の危険を防いでいると言えるのです。
このように、象徴天皇制という意味では明治憲法(大日本帝国憲法)も現行憲法も同じですが、その「象徴」が意味するところは大きな違いがあります。
現行憲法は「象徴天皇制」を採用していること自体が重要なのではありません。天皇が「象徴でしかない」という点が重要なのであり「象徴以外の権能が与えられていない」という点が重要なのです。
仮に「象徴天皇制」であったとしても、天皇に「象徴以外の権能」が与えられた場合には、その「象徴以外の権能」が時の権力者に悪用されることで容易に国政を牛耳られてしまいます。
ですから国民は、憲法の「象徴天皇制」を守るだけではなく、「天皇が象徴でしかない象徴天皇制」が破壊されないように、十分に気を配らなければならないと言えるのです。