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本名を公開しないなら人を批判するな…が民主主義を破壊する理由

SNSなどで多数のフォロワーを抱える有名人や著名人、タレントなどの中に

  • 「匿名のアカウントで他人を批判するな」
  • 「実名を公開していない奴に他人を批判する資格はない」
  • 「自分を匿名という安全圏に置きながら実名を公開している人を批判するのはダサい」

などと主張する人がごくまれにいます。

これはおそらく、何らかの意見をSNS上で発信した際に、匿名アカウントから批判的なコメントが付けられたり、匿名アカウントの間で好き勝手に非難され叩かれて炎上している状況に我慢がならないからなのでしょう。

これら多数のフォロワーを抱える著名人は、いわゆる”アンチ”も多数抱えしまうため、必然的にアンチコメントの比率や炎上の確立も上がることになりますが、自分の意見を批判する言論は愉快ではありませんので、このような意見が出てしまうのではないかと思います。

しかし、このような意見には全く賛同できません。

なぜなら、匿名アカウントによる批判や非難を抑制するこのような主張は、無名の市民による表現の自由を侵害し、ひいては民主主義の破壊につながる危険性を生じさせてしまうことが容易に想像できるからです。

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表現の自由は「人が生まれながらにして持つ権利」

今述べたように、知識人や有識者やタレントなどの中に「匿名で人を批判(非難)するな!」と声を荒げる人が言るわけですが、このような人はそもそも憲法で表現の自由(言論の自由)が保障されていることを理解していません。

憲法21条では表現の自由(言論の自由)を基本的人権として保障していますが、たとえ他人を匿名で批判(非難)するコメントであっても、それが表現行為の一部である以上、そのコメントは憲法の人権として保障されています。

【日本国憲法第21条】

第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

この点、他人を批判(非難)する言論が表現の自由(言論の自由)として保障されるとしても、「本名を明らかにしないまま他人の意見を批判(非難)する言動まで保障されるのはおかしいんじゃないか?」と思う人もいるかもしれませんが、それは正しくありません。

なぜなら、憲法で保障される基本的人権は「人が生まれながらにして持つ権利」という自然権的思想が基礎になっているからです。

「人が生まれながらにして持つ権利」とは、憲法で保障される基本的人権が「国家」によって保障されるものではなく、人が生まれただけで無条件に保障されるものであることを言いますから、たとえ他人の意見を批判(非難)する表現であってもその表現行為を制限することはできません。

責任や覚悟や義務を一切果たさなくても、ただ生まれただけで行使できるのが基本的人権だからです。

たとえ本名を公開しない匿名アカウントが行う批判(非難)であっても、たとえその批判(非難)に明確な理論的根拠がなくても、たとえそれが無責任で独りよがりな批判(非難)だったとしても、その批判(非難)が最大限に認められなければならないのが憲法において保障された表現の自由(言論の自由)という人権です。

ですから、憲法の基本的人権の保障という点を考えれば、自分の意見を批判(非難)された著名人や有名人やタレントなどが「匿名で人を批判(非難)するな!」と主張していること自体が、そもそもおかしなことなのです (※詳細は→他人を批判するには相応の覚悟と責任が必要…が間違っている理由)。

有名人らと一般市民では本名を公開することの重みが違う

このように、たとえ他人の意見を批判(非難)する言動であっても表現の自由(言論の自由)として保障されますから、憲法の基本的人権の観点から考えれば「匿名で人を批判(非難)するな!」という主張は明らかに失当といえます。

この点、匿名で他人を批判(非難)する権利が表現の自由(言論の自由)として憲法で保障されるとしても、自分の本名を隠したまま匿名で他人の意見を批判(非難)するのは「卑怯だ」という意見もあります。

しかし、これもおかしな話です。なぜなら、「卑怯」というのは当事者が対等な前提条件の下でのみ言える非難だからです。

多数のフォロワーを抱える著名人や有名人やタレントなどと、フォロワー数が数人から数十人程度しかない一般人では社会に与える影響力に天と地ほどの差があります。

また、自分の意思で自ら望んで本名をメディアやネット上に公開し、その本名を公開することで多大な経済的利益を受けている著名人や有名人やタレントなどと異なり、一般人はメディアやネット上に本名を公開することなく静かな生活を送っていて仮に一般人がネット上に本名を公開したとしても何ら経済的なメリットは受けられないわけですから、その両者がネット上で本名を公開することでフラットな関係になるとは言えないでしょう。

もちろんこれは有名人やタレントなどだけに限られません。例えば実名でSNSアカウントを開設している弁護士や公認会計士や医師や起業家なども自分の実名アカウントで気の利いた意見を発信しフォロワーを集めることで自分の事務所や企業のイメージを向上させることで顧客の獲得に利用しているわけですから、その経済的なメリットがある弁護士や医師や起業家と、その経済的なメリットが全くない一般人とではその重みが全く違います。

つまり、一般市民はネット上に本名を公開することで対等な状態に立つわけではなく、本名を公開せず匿名のアカウントを利用することでようやく本名を公開した著名人や有名人やタレントと対等な関係で議論を交わすことができるわけですから、一般人と著名人や有名人やタレントとの間では「本名を公開した状態」が対等な立場にはならないのです。

一般人は「本名を公開しない」状態が「本名を公開した」著名人や有名人やタレントと対等な状態となるわけですから、一般人が匿名のまま著名人や有名人やタレントの意見を批判(非難)したとしても、「卑怯」ということにはなりません。

むしろ「本名を公開しない」状態でようやく自分と対等な関係にある一般人を「匿名で人を批判(非難)するな!」と人権保障を無視した勝手な意見で本名を公開させ、自分と同じ土俵に引きずり上げようとする著名人や有名人やタレントの方がよほど「卑怯」と言えるのです(※詳細は→匿名アカウントでの批判は自分を安全圏に置く卑怯な行為なのか)。

有名人らに「匿名で批判(非難)するな!」と言われれば国民は表現の受領者の立場に追いやられてしまう

このように、憲法で保障された表現の自由(言論の自由)という人権の側面だけでなく、一般人と著名人や有名人やタレントとの間における「本名を公開する」という条件の重みが大きく異なることを考えれば、自分の意見を批判(非難)された著名人や有名人やタレントが「匿名で人を批判(非難)するな!」と主張すること自体が法的にも倫理的にも根拠のない自分勝手な道徳(マナー)を押し付ける独りよがりな主張であることが分かります。

ではなぜ、彼らが個人の表現の自由という人権を侵害してまでその独りよがりな道徳観念を一般市民に押し付けようとしているかというと、それは彼らが「名もなき市民の声」を世論から排除したいからです。

表現の自由(言論の自由)が保障される社会では表現行為における表現者とその表現の受け手である受領者の2者が存在しますが、その両者は互いに表現と受領の双方を互換的に行為できなければなりません。

つまり、表現の自由が保障される社会では、表現者と受領者がそれぞれ固定化されることは本来は予定されておらず、表現行為の受領者であっても表現を行う場が確保されることが理想なのです。

しかし、近代に入ってからの現実社会では表現者と受領者は長い期間固定化されてきました。マスメディアが表現者の役割を担うことで一般市民は受領者の立場に追いやられてきたからです。

その表現者と受領者の関係が破壊されたのがインターネットの普及です。インターネットが生み出したSNSは今までマスメディアによって受領者に追いやられていた一般市民に表現者として自身の意見を表現する場を与えましたから、ネットの普及によって表現の自由(言論の自由)における表現者と受領者の関係はようやく対等性を確保することができたわけです。

しかしそれは、これまで表現者としての立場を独占してきたマスメディアにとっては好ましいことではありません。彼らにとっては表現者の立場を独占することこそが経済的利益の確保につながるからです。

ネット空間の表現者の立場に一般市民が参入してくれば、マスメディアの世論に与える影響力は相対的に希薄化されますから、彼らにとってはネット空間における一般市民の表現行為は邪魔です。

だから彼らは「匿名で人を批判(非難)するな!」と主張して表現者の立場に立とうとする一般市民に本名の公開を求めることで、一般市民の表現者の立場への参入を抑制しようとしているわけです。

「匿名で人を批判(非難)するな!」と言われると、倫理的にもっともらしく聞こえますが、彼らは彼らの倫理観からそのような主張をしているわけではありません。

ただ単に、自分たちに経済的メリットを与える社会を構築するための世論の形成にとって「名もなき市民の声」が邪魔なので、「匿名で人を批判(非難)するな!」と声高に吠え立てて一般市民の発言を黙らせようとしているだけなのです(※詳細は→有名人が「匿名アカウントで人を批判するな」と言いたがる理由)。

「本名を公開しないなら人を批判(非難)するな!」が一般化されれば民主主義は簡単に破壊される

以上で説明したように「匿名で人を批判(非難)するな!」という著名人や有名人やタレントなどの主張は、憲法で保障された表現の自由に反するばかりか、彼らの経済的利益と彼らの望む世論形成のためだけに「名もなき市民の声」を抑制しようとする不当な思想が内在されていますので、到底是認することはできません。

しかも、その一般市民の表現を抑制しようとする主体が著名人や有名人やタレントなどという権力者であることも大きな問題です。

著名人や有名人やタレントは多数のフォロワーを抱えるだけでなく、テレビ番組に出演したり書籍を執筆したりすることで社会に大きな影響を与えることができますから、彼らの持つ影響力こそが社会における大きな権力といえます。

その権力者が自分たちの利益と思想の実現のために「名もなき市民の声」を抑制することが社会で認められるようになれば、国の世論はたちまち彼らの望む方向で統一され、容易に全体主義に突き進むことになるでしょう。

フォロワーを何十万人も抱えている有名人が「実名を公開しないで他人を批判するのは卑怯だ」とつぶやけば、実名を公開していない人は委縮して人を批判できなくなってしまうからです。

そのような社会が一般化してしまえば、世論はネット上に実名を公開できる人だけによって形成されることになりかねません。

しかし世の中は、ネット上で本名を公開できる人だけによって形成されているわけではありません。社会には、ネット上で本名が公開されることで差別や偏見を受けることを恐れ、社会の片隅でひっそりと生きている人も大勢います (※詳細は→匿名アカウントでの批判は自分を安全圏に置く卑怯な行為なのか) 。

そのような「名もなき市民の声」を無視して、権力者が自分たちの都合だけで世論を形成する社会が民主主義と言えるのでしょうか(※選挙で本名の記載が義務付けられていないことを考えればそれが如何に愚かなことかわかると思います→匿名アカウントで人を批判するのが全く悪くない5つの理由)。

「匿名で人を批判(非難)するな!」は一般市民を再び表現の自由における受領者に追いやるための詭弁

ネットは多様な意見を持った個人が、社会的な地位や影響力、経済力に関係なく強者も弱者も同じ土俵で発言できる素晴らしいツールです。

そのインターネットという議論の場を、本名を公開できる人だけに開放し、本名を公開できない人には「匿名で人を批判(非難)するな!」と怒鳴りつけ「本名を公開できないなら黙って俺の意見を聞いていろ!」と、ただ傍観することだけを強制するのはあまりにも乱暴です。

社会的に影響力のある著名人や有名人やタレントなどから「匿名で人を批判(非難)するな!」と言われれば、普通の一般市民は「なるほどそうか」と無意識的に賛同してしまいがちですが、そのもっともらしい言葉の裏には「名もなき市民の声を黙らせて自分たちの意見だけで世論を形成したい」「大衆の意見を無視して自分たちの都合の良い社会を作りたい」という思想が必然的に包含されています。

ですから我々一般市民は、そのような狡猾で卑怯な言論に惑わされることなく、民主主義を破壊しようとする彼らの言論を注意深く監視して、「名もなき市民の声」を社会に届け続けなければならないと言えるのです。