2022年3月23日、ロシアから軍事侵攻を受けているウクライナのゼレンスキー大統領から要請を受けていた国会での演説が衆議院の議員会館国際会議室で行われました(※ゼレンスキー大統領の国会演説は→【ノーカット】ゼレンスキー・ウクライナ大統領の国会演説(衆議院インターネット審議中継から)|朝日新聞社 YouTube※演説は11:11あたりから)。
このゼレンスキー大統領の演説を国会が認めることが憲法論的に大きな問題を生じさせるだけでなく、国会議員の憲法尊重擁護義務違反に繋がる危険性については『ゼレンスキー大統領の国会演説が憲法違反につながる理由』のページでも指摘してきたところですが、その危惧が現実になってしまった状況です。
今回のゼレンスキー大統領の国会演説に関しては、そうした憲法論からの違憲性の問題だけでなく、他にも様々な問題を指摘できると思いますが、国会議員の中にはその国会演説が持つ本質的な意味合いを十分に理解できず、詭弁を弄して演説を承認した過ちを正当化する意見もあるようです。
そこでこのページでは、ゼレンスキー大統領の国会演説を認めた今回の事案が具体的にどのような点で問題だったのかを改めて指摘して、それぞれの政党が抱える問題点を整理しておくことにいたします。
【1】ゼレンスキー大統領の国会演説で生じた5つの問題
まず、国会がゼレンスキー大統領の演説を認めて国会で行わせたことがどのような問題を生じさせてしまったかという点をよく理解できていない議員も散見されますので、具体的にどのような点が問題だったのかを改めて整理しておきます。
あくまでも私の個人的な視点からの問題点となりますが、ここでは次の5点を指摘しておきます。
(1)外交の白紙委任状を他国元首に渡す悪しき前例(国民主権の問題)
まず最初に指摘しておきたいのが、ゼレンスキー大統領の国会での演説を認めてしまったことで、外交における白紙委任状を他国の元首に譲り渡す前例を作ってしまったという問題です。
『ゼレンスキー大統領の国会演説が憲法違反につながる理由』の記事でも指摘しましたが、現在ウクライナで起きているロシア軍による軍事侵攻は国際法に違反する明らかな侵略行為ですから、ゼレンスキー大統領の演説が行われれば、そこに出席した国会議員は事実上、総議員が拍手を送らないわけにはいきません。
仮に日本の国会議員が総立ちで拍手を送らなければ、ロシアの侵略を容認するかのような印象を与えてしまうため、拍手を送らざるを得なくなるからです。
実際、後述するように、今回の演説でもれいわ新選組の議員を除いてスタンディングオベーションしていたそうですから、国会議員が総立ちでゼレンスキー大統領の演説に拍手を送るという事態が現実になっています。
しかし、ゼレンスキー大統領の演説に国会議員が総立ちで拍手を送るということは、その演説内容全てに同意して称える映像を世界に発信するということにほかなりませんから、立法府が持つ外交上の権限をゼレンスキー大統領に全て委ねたのと何ら変わりません。
ゼレンスキー大統領が演説で何を言おうと拍手で称賛しなければならないことがあらかじめわかっているのであれば、演説を認めた時点でゼレンスキー大統領に外交における白紙委任状を渡すのと同じことになるからです。
しかし、国家は主権者である国民の社会契約によって成立するものであり、その社会契約を結ぶ国民から移譲される権力が、いわゆる統治権と呼ばれる三権(行政権・立法権・司法権)となって国家権力によって行使されるわけですから、その国民から移譲を受けた権力を、その権力の移譲を受けた国家権力(立法府)が他国の元首に譲り渡すなど言語道断です。
もちろん、外交は本来、立法府ではなく行政府(政府)の役割でその権力(外交権)は政府が行使するものですが、立法府もその意思表示によって外交に影響を及ぼすのですから、その権力を譲り渡した罪は免れません。
国民主権の観点から考えれば、国民から権力の移譲を受けた立法府が、その権力を他国の元首に譲り渡すなど、あってはならない異常なことなのです。
ゼレンスキー大統領が国会での演説を認めた国会議員たちは、それを承知のうえでゼレンスキー大統領に演説の場を与えたのですから、その主権者である国民から移譲を受けた権力(の一部)を他国の元首に譲り渡す前例を作ってしまったことになります。
それはすなわち、国民主権原理を破壊する行為に手を染めたということですから、日本の議会制民主主義の歴史に大きな汚点を残したと言えるでしょう。
なお、23日の演説において、出席した議員に配布された式次第(進行表)には演説後にスタンディングオベーション(起立拍手)するよう明記されていたそうですが(※参考→式次第の画像|れいわ新選組)、れいわ新選組の大石あきこ議員によれば、れいわ新選組の出席議員を除いて「見渡す限り全員」の議員が拍手を送っていたそうですから、拍手しない姿だけを切り取られて批判される危険を恐れることなく、拍手を慎んだれいわ新選組の議員は立派です。
しかしながら、れいわ新選組もゼレンスキー大統領による国会議員を対象とした演説を認めること自体は同意したのですから、その点で問題はあったと言えます。
この点、れいわ新選組は23日に発表した談話(※【談話】「ゼレンスキー大統領演説を受けて」れいわ新選組(2022年3月23日))の中で『「本会議場ではなく、議員会館会議室で行う」という条件を加味して』ゼレンスキー大統領の演説を認めたとの趣旨の説明していますが、本会議場であろうと会議室であろうと、前述したように出席した議員が拍手を送らざるを得なく立場に立たせられるのは変わりませんし、その光景が世界に配信されれば、日本の立法府がゼレンスキー大統領の演説内容にもろ手を挙げて賛成し、その演説で述べられた内容に同意したとのメッセージを送ることになるのも変わりません。
そうであれば、たとえ自分たちれいわ新選組の議員が拍手を送らなかったとしても「国会議員が事実上、拍手を送らざるを得なくなることがあらかじめ分かっている演説を他国の元首に認めた」という点はれいわ新選組も同じですから、その点で「他国の元首に外交の白紙委任状を渡す場を与えた」という点で問題はあったと言えるのではないでしょうか。
ゼレンスキー大統領の演説に拍手を送らなかったれいわ新選組の議員は立派なのですが、他国の元首に外交の権限を譲り渡す行為に加担してしまった罪は、他党と同じように背負わなければいけないだろうと考えます。
(2)国民を戦争の当事者にした危機意識の欠落(安全保障の問題)
次に、国会議員が総立ちでゼレンスキー大統領の演説に拍手を送ったことで、日本が戦争の当事国になったという点も指摘しておきます。
今回行われたゼレンスキー大統領の演説では、れいわ新選組の議員を除き、出席した国会議員が総立ちで拍手を送ったわけですから、それは日本の立法府がもろ手を挙げてロシアと戦うウクライナを称えたということになります。
それはもちろん、ウクライナと戦うロシアから見れば、日本がウクライナの側に立ってロシアと敵対する道を選択したというメッセージになりますから、ロシアにしてみれば日本もウクライナの側に立つ戦争当事国と認識せざるを得なくなったと言えるでしょう。
ゼレンスキー大統領は周辺諸国を戦争に巻き込み、自国の側に引き入れて戦争を有利に進めようと考えているのでしょうが、日本の国会議員は、そうして戦争に巻き込まれる危険を顧みることなく、彼の策に自ら飛び込んで戦争の当事国となり日本国民を戦争の渦中に差し出したのですから、国民を守る立場にあるべき国会議員として失格と言っても言い過ぎではないでしょう。
ゼレンスキー大統領の演説に拍手しなかったれいわ新選組の議員は、戦争の当事者になる道を拒絶して中立を維持すべきという態度をとったので、れいわ新選組の議員だけはこの責任から免れます。
しかし、れいわ新選組を除く他の政党の議員全員は、ゼレンスキー大統領の演説に拍手を送ることで日本を戦争の当事者にしてしまったわけですから、戦争の危険に鈍感な「平和ボケ」したお花畑的発想で政治に参加している点で危険だと言えます。
(3)平和主義と9条に違反する代理戦争の容認(憲法論上の問題①)
加えて、国会議員がゼレンスキー大統領の演説に総立ちで拍手を送ったことで、日本の立法府が事実上、憲法の基本原理である平和主義と第9条に反して、ウクライナの国民が「日本のためにも」ロシアとの間で戦う戦争を「代理戦争として」承認してしまった問題点も指摘しておきます。
この点は『ゼレンスキー大統領の国会演説が憲法違反につながる理由』のページで詳しく解説しているのでここでは詳述しませんが、ゼレンスキー大統領は米国議会で行ったオンライン演説で「我々はウクライナのためだけではなく、欧州の価値観、世界の未来のために戦っている」と述べていますので、その「世界」に日本も含まれる以上、ウクライナの国民は主観的には「日本のためにも」ロシアと戦っているということになります。
しかし、そうであれば、その「日本のためにも」ウクライナ国民がロシアと戦う戦争を主導しているゼレンスキー大統領の演説に日本の国会議員が拍手を送ってはなりません。
拍手を送って称えてしまえば、日本の国会議員が、そのウクライナの国民によって戦われる「日本のための戦争」を日本の立法府が承認することになるからです。
ウクライナが単に「自衛のため」との主観的認識で戦う自衛戦争はウクライナの主権者の意思で行われるものなので、日本の国会議員が認めること自体は問題とはなりません。それはウクライナの主権者の選択なので、日本の憲法とは何の関係もないからです。
また、ウクライナがその自国のための自衛戦争を主観的には「日本のための代理戦争」との認識で戦うこと自体も、それはウクライナの主権者の自由な意思決定に基づいて行われるものなので、日本の憲法とは何の関係もありませんから何も問題ありません。
しかし、その戦争が「日本のための戦争」として行われることを日本の国会議員が国会で認めてしまえば、その戦争は日本の立法府の主観的認識のうえでも「代理戦争として」行われることになりますから、その戦争を「代理戦争として」行わせている主体が日本の国会議員となってしまいます。日本の立法府がウクライナの国民に銃を持たせて「日本を守らせるためにウクライナに代理戦争をさせている」という構図になってしまうのです。
ですが、日本国憲法は前文と9条で自衛のためも含めた戦争を放棄して、自衛のための軍事力の保持とその行使も禁止しているのですから、それは明らかな憲法違反です。
憲法が自国の国家権力に戦争と軍事力の行使を禁止しているのに、他国(ウクライナ)の国民に銃を持たせて「日本の代わりに」戦わせるのは合憲だなどというロジックは成り立たないからです。
立法府が憲法を守らず、憲法に違反してウクライナの国民に「代理戦争」をやらせることを認めたことは、憲法論的に大きな問題を生じさせたと言えるでしょう。
(4)代理戦争を認めた憲法尊重擁護義務違反(憲法論上の問題②)
また、このようにして国会議員がウクライナに「代理戦争」をやらせることを認めたことは、国会議員における憲法尊重擁護義務違反の問題も惹起させます。
(3)で説明したように、ゼレンスキー大統領は「世界(日本)のために」ロシアと戦っていると述べているわけですから、そのゼレンスキー大統領の演説に日本の国会議員が拍手を送って称えた事実は、国会議員がウクライナの国民が「日本のためにも」ロシアと戦う戦争を「代理戦争として」承認した事実となります。
国会議員が総立ちでゼレンスキー大統領に拍手を送ったことで「ウクライナ国民に軍事力を使わせて日本を守るためにロシアと戦わせること」を日本の国会議員が認めたことになるからです。
しかし先ほども述べたように、日本国憲法は平和主義の基本原理と9条において、たとえ自衛のためであっても軍事力を用いた戦争を禁止しているのですから、「日本を守るため」に軍事力を用いて戦うことは、たとえ他国民にその軍事力を使わせる場合であっても許されません。憲法が日本の国民に軍事力を使わせて戦争することを禁じているのに、他国(ウクライナ)の国民に軍事力を使わせて代理戦争させるのは認められるなどというロジックは成り立たないからです。
そうであれば、憲法第99条はすべての国会議員に憲法尊重擁護義務を課しているのですから、憲法の平和主義の基本原理と9条に違反してウクライナに日本のための代理戦争をさせることに同意した国会議員は、その憲法尊重擁護義務に違反したと言わざるを得ないでしょう。
【日本国憲法第99条】
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
※出典:日本国憲法|e-gov を基に作成
ゼレンスキー大統領の演説に拍手を贈った国会議員は、憲法99条が規定する憲法尊重擁護義務に違反しており、それは国会議員としての資質が欠落しているということに他なりませんから、拍手しなかったれいわ新選組の議員を除いて、すべての国会議員は早急に辞職すべきです。
(5)他国に「日本のための代理戦争」をさせる倫理悪(倫理上の問題)
(3)と(4)に関連して、ウクライナが「日本のため」にも戦うロシアとの戦争を「代理戦争として」認めることの倫理的な問題を指摘しておきます。
(3)と(4)で指摘したように、国会議員がゼレンスキー大統領の演説に総立ちで拍手を送ったことで、ウクライナが主観的には「世界(日本)のために」ロシアと戦う戦争を「代理戦争として」日本の立法府が認めたことになりました。
しかしそれは、何度も繰り返すように「ウクライナの国民に銃を持たせて戦わせる」ということです。日本を守るために日本国民が血を流すのではなく、ウクライナの国民に「俺たちの代わりにお前たちが血を流せ」と言っているのと同じですから、それは倫理的に許されるものではないでしょう。
ゼレンスキー大統領の演説に拍手を送った国会議員は、自分の命を犠牲にすることなく、ウクライナの国民に「命を犠牲にしてでも日本のために戦え」と言っているわけですから、倫理意識が欠落しています。
国民の命を守るのが国会議員の使命だと私は思いますが、もしかしたら、ゼレンスキー大統領の演説に拍手を送った議員たちは、他国の国民であれば命を犠牲にさせてもよいとでも考えているのかもしれません。
【2】ゼレンスキー大統領の国会演説から考える各政党の問題点
ゼレンスキー大統領の国会演説を認めたことによって生じた問題点は以上の5点を指摘できると思いますが、これら5つの問題に関する責任の度合いについては、各政党のこれまでの態度によって若干の違いがあります。
ここからは、主要政党が具体的にどのような点で問題だったのかという点を、簡単に指摘しておきます。
① 日本共産党
今回のゼレンスキー大統領の国会演説に関連する対応で最も問題があったのは日本共産党です。
なぜ日本共産党が最悪だったかというと、それは日本共産党が憲法9条の改正に反対しているだけでなく、自衛隊の存在自体にも消極的な立場をとり、非軍事的な手段による紛争解決を党是とした政党だからです。
共産党が自民党のように、憲法9条の改正を積極的に推進していて、憲法に軍隊を明記すべきだとか、戦争できるようにすべきだと日ごろから活動している政党であるのなら、仮にウクライナの国民に軍事力を使わせて「代理戦争として」戦わせても、日ごろの言説との間で理屈の齟齬は生じさせません。
自民党は日ごろから「戦争できるように憲法を改正すべきだ」とか「軍事力を行使できるようにすべきだ」と述べているので、他国を使って代理戦争を始めても、戦争を肯定している点で理屈に矛盾は生じないからです。
しかし日本共産党は、その綱領でも謳っているように、憲法9条の尊重と自衛隊の解消、非軍事的手段によって国際紛争を解決すべきだとの立場をとる政党です。
3 自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる。
〔中略〕
――紛争の平和解決、災害、難民、貧困、飢餓などの人道問題にたいして、非軍事的な手段による国際的な支援活動を積極的におこなう。
日本共産党綱領 「四」から引用
つまり日本共産党は、少なくともその党の綱領の上では、憲法の平和主義の基本原理と9条を真摯に守って、非武装による中立的な立場を維持したうえで積極的な外交努力で国際紛争を解決すべきだという態度をとっているわけです。
それにもかかわらず日本共産党は、今回のゼレンスキー大統領の演説の件では、ウクライナの国民が「日本のためにも」戦っている(とゼレンスキー大統領が述べている)ロシアとの戦争を「代理戦争として」承認したわけですから、それは憲法の平和主義の基本原理と9条に矛盾するだけでなく、共産党の綱領にも違反します。
共産党は、綱領で「憲法9条を守って戦争するな」「軍事力を持つな」と述べているにもかかわらず、前述したように、ゼレンスキー大統領の演説に拍手を送って称賛することで、事実上、ウクライナの国民に銃を持たせて「日本のため」に戦うことを承認してしまっているのですから、明らかな矛盾でしょう。
今回のゼレンスキー大統領の演説に拍手を送った日本共産党の議員たちは、日本国民に軍事力を持たせて戦争させるのは憲法違反だと言いながら、ウクライナの国民に銃を持たせて日本を守らせるために戦争させるのは合憲だと言っているのと何ら変わりません。
しかしそれは、憲法論的にも倫理的にも「悪」以外の何物でもありません。「おれが死ぬのはダメだがお前ら(ウクライナの人々)が死ぬのは構わない」と言っているのと同じようなものなのです。
日本共産党の議員らは、前述した(1)~(5)の5つの点で問題があるだけでなく、日ごろの態度や綱領に矛盾して、他国の国民を利用した代理戦争を承認してしまった点で大きな問題があります。
その過ちを真摯に反省しないのなら、日本共産党は消滅してしまった方がマシかもしれません。
なお、こうした矛盾を知ってか知らずか、共産党の志位和夫委員長はオーストリアのマーシック大使が国連総会で次のように語った演説を引用して「中立とは侵略の傍観者になることではない」などと共産党の対応を正当化していますが、この理屈は成立しません。
「我々は、いかなる軍事同盟の当事者でもない中立国だ。中立性は憲法にも定められている」
オーストリアのマーシック大使は、国連加盟国として最後の70番目に演説台に立ち、そう話した。同国はEU(欧州連合)の一員だが、NATO(北大西洋条約機構)加盟国ではない。
「中立とは、価値観の中立を意味しない。また、一方的な、正当化できない国際法違反に直面し、なんらの立場も取らないということでもない。被害者と侵略者をはっきり区別する決議案を、私たちは支持する」
https://www.asahi.com/articles/ASQ3T269PQ3TUHBI003.html
なぜなら、「国際法違反の侵略を始めた侵略国に加える制裁」と「国際法違反の侵略を受けた被侵略国の元首を称えて侵略国に加える制裁」は本質的に全く異なるものだからです。
今回のロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、国際法に違反する明らかな侵略行為なのですから、それに対して日本がロシアに制裁を加えたとしても、その制裁はあくまでも国際法違反という「ロシアと国際社会」あるいは「ロシアと日本」との間の約束を反故にした事実に対する制裁です。
国際法違反に対する制裁が「ロシアと世界」「ロシアと日本」との約束を反故にしたことに対する制裁であれば、たとえその国際法違反に日本が制裁を加えても、それは「日本とロシア」の関係における制裁であって、「ロシアとウクライナ」の間の戦争の関係でウクライナの側に立ったことにはなりません。
その制裁は「日本が日本の側に立った制裁」なのですから、ウクライナとロシアとの戦争で中立的立場を逸脱したことにはならないのです。
しかし、ウクライナのゼレンスキー大統領の演説に拍手を送って彼を称賛したうえで、彼の求めを受けてロシアに加える制裁は、国際法違反に対する制裁ではありません。「ロシアと日本」との関係における制裁ではなく「ロシアとウクライナ」の関係で生じている戦争において、「日本がウクライナの側に立って」ロシアに与える制裁となるからです。
「ウクライナがロシアと戦う戦争」においてウクライナのゼレンスキー大統領を拍手で称賛して日本がロシアに制裁を加えれば、それは明らかに「日本がウクライナの側に立った制裁」となりますから、それは中立的立場を超えてウクライナの側に加勢し、戦争の当事者になったことになります。
「国際法違反の侵略行為を非難する趣旨で行うロシアへの制裁」と、「国際法違反の侵略行為でウクライナに侵攻するロシアに対してウクライナの側に立って行うロシアへの制裁」は、同じ「制裁」であっても本質的には異なる「制裁」なのです。
ところが共産党の志位委員長は、この本質的に異なる2つの制裁を混同して論じてしまっています。
志位委員長は「中立とは侵略の傍観者になることではない」と言いますが、ロシアがウクライナに軍事侵攻したこと自体は国際法違反なのですから日本がロシアに制裁を加えてもそれは中立を超えることにはなりません。そのことで制裁を加えても中立的立場を逸脱することにはならないので「侵略の傍観者」になることはないのです。
しかしゼレンスキー大統領の演説に拍手を送って称賛したうえで制裁を加えれば、それはウクライナの側に立ってロシアに制裁を加えることになりますから、中立的立場を逸脱して「戦争の当事者」になることに他なりません。
志位委員長がその本質的に異なる2つの制裁を故意に混同してこうした議論を展開しているのか、その本質的違いに気づかないまま混同させてしまったのかわかりませんが、仮に前者であればこの志位委員長のツイートはウクライナの国民を利用して行わせる代理戦争を正当化する詭弁となりますし、仮に後者であれば日本国憲法の平和主義の基本原理と9条が何を要請しているか全く理解できていないことになりますから、憲法を具現化する能力が欠落した政治家となってしまいます。
今回の共産党の方針に反対する若手の議員が誰もいなかったのか、志位委員長の決定に異議を唱えることのできない状況が党内にあるのか知りませんが、その過ちを正すことができないというのなら、志位委員長はそろそろ委員長を退いて若い人に譲った方が良いのではないでしょうか。
② 社民党(社会民主党)
共産党の次に悪かったのが社民党(社会民主党)です。
社民党の議員がゼレンスキー大統領の演説に拍手を送って称賛したのかしていないのか、私が調べた範囲では判然としませんが、前述したように拍手で称賛することは憲法論だけでなく様々な問題を惹起させますので、仮に社民党の議員が拍手しなかったなら「拍手しなかった」と言うはずです。
しかし社民党からは何のアナウンスも出ていないようですから、おそらく拍手を送ってゼレンスキー大統領を称賛したのでしょう。
ですが、仮にそうであれば、前述した(1)(2)(3)(4)(5)の全てにおいて共産党と同じ問題を抱えていることになるので対応は最悪だったと言えます。社民党も共産党と同じく軍事力の行使や戦争について否定的な見解をとっている政党だからです。
「戦争するな」「軍事力を行使するな」と自国の政府(日本政府)に言いながら、ウクライナが「日本のために代理で戦争すること」には承認を与えたのですから明らかな矛盾です。
ただし、志位委員長のように詭弁を弄して正当化することなく今のところ明確なスタンスを示さず沈黙を保っているので非難しようにもできません。社民党のこの態度は卑怯でずる賢い面がありますが、共産党に次いで悪いとしておきます。
③ 立憲民主党・日本維新の会・公明党・国民民主党
立憲民主党と日本維新の会、公明党、国民民主党の議員らも、おそらく演説に出席した議員の全てがゼレンスキー大統領に拍手を送って称賛したでしょうから、前述した(1)(2)(3)(4)(5)の全ての点について問題を抱えていることになりますので最悪だったと言えるでしょう。
ただ、立憲民主党と日本維新の会、公明党、国民民主党は自衛隊を合憲と考えていますし事実上の軍事力に他ならない自衛隊の武力を行使することも自衛のためであれば合憲と考えているはずですから、「戦争と軍事力の行使を肯定している」という点で共産党や社民党とはそのスタンスが異なります。
特に日本維新の会は憲法に自衛隊を明記すべきというスタンスをとっていますので、自衛のための戦争も軍事力の行使も積極的に肯定しているはずです。
立憲民主党や日本維新の会、公明党、国民民主党が自衛のための戦争と武力(軍事力)の行使を合憲だ(合憲とすべきだ)と肯定しているとすれば、他国を使って代理戦争させたとしても、戦争と軍事力の行使を肯定しているという点でロジックの筋道に矛盾は生じさせませんので、戦争と軍事力の行使を否定している共産党や社民党ほどには非難できません。
ただし、繰り返しになりますが、前述した(1)(2)(3)(4)(5)の全ての点について問題を抱えている点は共産党や社民党と変わりませんので、その5点について厳しく非難されるべきであることは免れません。
④ 自民党(自由民主党)
立憲民主党や日本維新の会、公明党、国民民主党に次いで悪かったのが自民党です。
なぜ自民党が立憲民主党や日本維新の会、公明党や国民民主党ほど悪くなかったかというと、それは自民党が国民の基本的人権を厳しく制限し、軍隊と戦争を積極的に肯定する憲法改正案を公開している政党だからです。
自民党が公開している憲法草案の危険性については『【私見】自民党憲法改正草案の問題点』のカテゴリーの中で散々批判してきましたが、自民党憲法改正草案の最大の目的は、国民に命の犠牲を強制して国を守らせるところにあります。
国家が国民の命を守るのではなく、国民に命を懸けて国家(国と郷土)を守らせるのが自民党憲法改正草案の目的なのです。
この点、自民党改憲案は国防軍を明記し、自衛のための戦争をできるようにして、国民に「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守(自民党憲法改正草案前文)」らせるところにその主眼が置かれていますが、国民に命を犠牲にさせて国を守らせるためには国民の基本的人権を強く制限して抑圧しなければなりませんので、国家権力が国民の自由と人権を思いのままに制限できる憲法規定が欠かせません。
そのため自民党憲法改正草案は、国民の基本的人権を自由に制限できる条文が散見されるわけです。
しかしそれは、自民党が戦争と軍事力の行使を積極的に肯定しているだけではなく、国民を戦争に駆り立てるための人権制限も積極的に肯定しているということですから、その戦争や人権制限の矛先を他国の国民に向けたとしても、ロジック自体には矛盾を生じません。
自民党は
「俺たちは国民に銃を持たせて日本を守らせるべきだと考える政党だから、お前たち(ウクライナ国民)に銃を持たせて戦争させるのも厭わない。だからお前たちに銃を持たせて代理戦争させるのだ」
と言っていることになりますから、他国に日本のための代理戦争をさせたとしても理屈の筋道は通るでしょう。自民党は
「俺たちが命を犠牲にするのは構わないから、お前らの命を犠牲にするのも構わない」
と言っているわけですから、自国の国民の命も他国の国民の命も、分け隔てなく平等に軽く扱って人の命を冒涜している点で筋は通っています。
他方、前述したように、共産党や社民党は戦争と軍事力の行使を否定しているにもかかわらず、ウクライナが主観的には「日本のため」に戦う(とゼレンスキー大統領は述べている)ロシアとの戦争を、ゼレンスキー大統領の演説に拍手を送ることで承認したわけですから、それはロジックとして筋が通りません。
自国の国民が軍事力を行使して戦争するのは憲法9条に違反すると言いながら、他国の国民に軍事力を行使させて日本の代わりに戦争させるのは憲法9条に違反しないなどというロジックは成り立たないからです。
共産党や社民党は
「俺たちは国民に銃を持たせて日本を守らせるのはダメだと考える政党だけど、お前たち(ウクライナ国民)に銃を持たせて戦争させるのは厭わない。だからお前たちに銃を持たせて代理戦争させるのだ」
と言っているわけです。しかしそれは
「俺たちが命を犠牲にするのは嫌だけど、お前らの命を犠牲にするのは構わない」
と言っているのと同じですから、それは悪魔の所業でしょう。
もちろん、自民党も他国の国民に命の犠牲を強いて利用している点では共産党や社民党と変わりませんから倫理的には悪ですが、自分の命を犠牲にすべきと言っている点で、自分の命を犠牲にしないと言い張る共産党や社民党よりマシですから、悪は悪でも共産党や社民党よりマシな悪と言えます。
もっとも、前述したように(1)(2)(3)(4)(5)の全ての点について問題を抱えている点は共産党や社民党、立憲民主党や日本維新の会、公明党や国民民主党と変わりませんので、自民党もその5点について厳しく非難されるべきであることは免れません。
ただ、自民党は国民の基本的人権を厳しく制限して戦争と軍事力を積極的に肯定する憲法改正草案を公開している点で理屈の筋道は通っていますから、理屈の筋道を通さずに矛盾を抱える共産党や社民党より非難される度合いは低いと考えます。
⑤ れいわ新選組
今回のゼレンスキー大統領の国会演説に関して、唯一対応が悪くなかったのがれいわ新選組です。
(1)の箇所で挙げたように、れいわ新選組の大石あきこ議員の3月24日付けのツイートによれば、れいわ新選組から演説に出席した3人の議員は拍手を送らなかったそうですから、れいわ新選組は前述した(2)(3)(4)(5)の点で問題を生じさせることはありません。
その点で、れいわ新選組を除く他の政党と比較して、問題はなかったと言えるでしょう。
ただし、(1)のところで触れたように、れいわ新選組もゼレンスキー大統領の演説を国会で行わせること自体は承認したわけですから、外交の白紙委任状を彼に渡したという点で(1)の問題は惹起されますのでその点で問題があったと言えます。
この点、れいわ新選組は「本会議場ではなく、議員会館会議室で行う」という条件で認めたとして正当化していますが、(1)でも述べたように、今起きている侵攻は明らかな国際法違反の侵略なのですから、本会議場であろうと会議室であろうと出席した議員が拍手を送らざるを得なくなるのはあらかじめ分かりきったことですので、演説を認めた時点で外交の白紙委任状を渡したのと変わりません。
仮に自分たち(れいわ新選組)の議員が拍手を送らなかったとしても、他党の議員が拍手を送らざるを得なくなる演説を承認したこと自体が問題なのですから「会議室だからOKだ」などという言い訳は成り立たないでしょう。それは詭弁です。
もっとも、これも繰り返しになりますが、ゼレンスキー大統領の演説に拍手を送らない場面を切り取られて非難されることも恐れずに、日本国憲法の平和主義の基本原理と9条に真摯に従い、信念を貫いて拍手を送らなかったことは、政治家としてあるべき姿であって称えられるべきだったと思いますので、その点は称賛されてしかるべきでしょう。
”国際政治学者”の細谷雄一教授による”れいわ批判”は「わら人形論法」
なお、”国際政治学者”の細谷雄一慶応義塾大学教授がハフポストの記事(※「ロシアもウクライナも両方悪い」は不適切。細谷雄一教授の連続ツイートが「WEBで読める決定版と言える論考」と反響|ハフポスト)において、ロシアによるウクライナ侵攻に関して「中立」を維持すべきとの立場をとるれいわ新選組について批判しているようですが、その意見については以下で述べるようにすべて「わら人形論法」の域を出ないので失当と考えます。
ア)れいわ新選組は「両方悪い」から「中立であるべき」と言っているわけではない
まず、細谷雄一教授は当該ハフポストの記事で
れいわ新選組は、日本の立場を「ロシアとウクライナどちらの側にも立たず、あくまで中立」にするべきと訴えています。日本の政治家・政党がこうした主張をすることをどう受け取っていますか?
https://www.huffingtonpost.jp/entry/ukraine-russia_jp_6243c3fae4b0e44de9bab752?utm_campaign=share_twitter&ncid=engmodushpmg00000004
との問いに対して、次のような見解を示しています。
侵略国と被侵略国の区別を付けず「中立」であるとして、戦争は「両方悪い」ということであるのならば、そもそも第二次世界大戦でのナチス・ドイツの侵略や、日本の戦争責任についてもすべて免罪することになりかねず、戦後秩序の根幹が崩れます。
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しかし、れいわ新選組の声明(2022年2月29日付)を読めばわかるように、れいわ新選組が「中立」であるべきと述べているのは、あくまでも「この戦争を終わらせるための真摯な外交努力を行う」ためには双方の主張に「目を向け」なければならないという趣旨であって、「両方悪い」から「中立」であれと述べているわけではありません。
今、国会として強く政府に求めるならば、何を決議するべきか。〔中略〕
・今回の惨事を生み出したのはロシアの暴走、という一点張りではなく、米欧主要国がソ連邦崩壊時の約束であるNATO東方拡大せず、を反故にしてきたことなどに目を向け、この戦争を終わらせるための真摯な外交的努力を行う
〔中略〕以上のようなことを、政府に求めることが必要な場面ではないだろうか。
【声明】ロシアによるウクライナ侵略を非難する決議について(れいわ新選組 2022年2月28日)
『ゼレンスキー大統領の国会演説が憲法違反につながる理由』のページでも解説しましたが、戦争の一方に加担して当事者になるのではなく中立的な立場を維持することは、平和構想の提示や国際紛争を解決するための提言等を積極的に行うために不可欠です。
またそれは、憲法の平和主義の基本原理の要請に沿うことでもあるのですから、このれいわ新選組の声明は、停戦を実現させるという側面から考えても、憲法に従うという立憲主義の側面から考えても妥当で常識的な判断でしょう。
加えて、細谷雄一教授は「侵略国と被侵略国の区別を付けず」と言いますが、前に挙げたれいわ新選組の 声明(2022年2月29日付)を見ても明らかなように、れいわ新選組はロシア軍による軍事侵攻を明確に「侵略」と断定して非難し、ロシアに対して即時の攻撃停止と部隊の撤収を強く求めています。
れいわ新選組は、ロシア軍による侵略を最も強い言葉で非難し、即時に攻撃を停止し、部隊をロシア国内に撤収するよう強く求める立場である。【声明】ロシアによるウクライナ侵略を非難する決議について(れいわ新選組 2022年2月28日)
また、国会によるロシア非難決議に反対したことが批判を浴びていますが、それも声明(2022年2月29日付)の中で述べられているように、決議の内容が「一刻も早く異常な事態を終わらせようという具体性を伴った決議」でないことを理由に反対しているだけであって、その内容が「一刻も早く異常な事態を終わらせようという具体性を伴った決議」であれば賛成する意思を表明しているわけですから、国会での非難決議自体に反対の立場をとっているわけでもありません。
今、日本の国会として、一刻も早く異常な事態を終わらせようという具体性を伴った決議でなければ、また、言葉だけのやってる感を演出する決議になってしまう。【声明】ロシアによるウクライナ侵略を非難する決議について(れいわ新選組 2022年2月28日)
れいわ新選組は「ロシアの軍事侵略」を非難してその責任を追及したうえで中立的立場を維持すべきと言っているのであって、ロシアを「侵略国」として、ウクライナを「被侵略国」として明確に「区別を付け」ているわけです。
れいわ新選組が「侵略国と被侵略国の区別を付け」たうえで「中立」であるべきと述べているにもかかわらず、「侵略国と被侵略国の区別を付けず」と非難するのは明らかに事実誤認を基にした批判です。
細谷雄一教授は、れいわ新選組が”「両方悪い」から「中立」であるべき”と言っているわけではないにもかかわらず、あたかもそう言っているかごとく読み手を誤認させたうえ、「侵略国と被侵略国の区別を付け」ているにもかかわらず「区別を付けず」と批判していますが、それは相手の主張を歪めて引用し、その歪められた架空の主張に反論するいわゆる「わら人形論法」と言えますので、明らかに失当と言えるでしょう。
イ)れいわ新選組はロシアに「侵略国」としての責任がないと言ってるわけではない
さらに細谷雄一教授は、当該ハフポストの記事で、れいわ新選組が「中立」を維持すべきとの立場をとることについて次のようにも批判しています。
ニュルンベルク裁判も、東京裁判も、「侵略国」に責任があるとしているので、その正当性への批判があり得るにせよ、「武力による威嚇や武力行使」を禁止してきた20世紀の国際社会の歩みについての、あまりにも無感覚で無責任な発言といわざるをえません。そこに危惧を感じます。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/ukraine-russia_jp_6243c3fae4b0e44de9bab752?utm_campaign=share_twitter&ncid=engmodushpmg00000004
しかし、これも繰り返しになりますが、れいわ新選組の声明(2022年2月29日付)を読めばわかるように、れいわ新選組が「中立」であるべきと述べているのは、「この戦争を終わらせるための真摯な外交的努力を行う」ためには中立的な立場を維持しなければ調停役に立てないからであって、ロシアに侵略国としての責任がないと述べているわけではありません。
れいわ新選組もロシアに対して、「侵略」だとその責任を追及し、その細谷雄一教授の言う「武力による威嚇や武力行使」を直ちに停止するよう声明を出しているわけですから、この批判も失当です。
慶応義塾大学という名の知れた大学の法学部教授で”国際政治学者”の肩書を持ちながら、こうした「わら人形論法」を駆使して批判する細谷雄一教授こそ、平和に関して「あまりにも無感覚で無責任な発言」と言えるのではないでしょうか。
ところで、このハフポストに掲載された細谷雄一教授の論考の基になった同教授のツイートには「2万件を超える『いいね』と8000件を超えるリツイート」があったそうですが、その「いいね」や「リツイート」の全てが肯定的な意思の表明とは限らないにしても、それに近い多くの人がその「わら人形論法」に気づかないのは残念でなりません。
”国際政治学者”が作った「わら人形」が人に見えてしまう有権者がそんなに増えているのなら、この国の滅亡もそう遠くはないでしょう。
なお、れいわ新選組の見解については私の持つ認識がれいわ新選組が持つ認識と整合しない可能性も、もしかしたらあるのかもしれません。
山本太郎代表がゼレンスキー大統領の国会演説に関する見解を述べた会見がYouTubeで公開されていますので、れいわ新選組の議員がどのような認識で演説に臨んだのかについてはそちらの動画で確認してください(※①れいわ新選組山本太郎不定例記者会見(2022年3月24日)|YouTube)。
【3】ゼレンスキー大統領に拍手を送った議員は早急に辞職すべき
以上で長々と述べてきたように、今回行われたゼレンスキー大統領の国会演説は様々な問題を惹起させましたが、れいわ新選組を除くすべての議員は国民主権原理の側面から考えても、日本国民の安全保障から考えても、憲法論的にも倫理的にも、議員としての資質が欠落していますから早急に辞職した方が良いと思います。
特に共産党は、憲法の平和主義の基本原理と9条を守るべきと声高に叫びながら、平和主義と9条を蔑ろにして他国の国民に代理戦争をさせることに承諾したわけですから、少なくともその決定を下した志位委員長は責任をとって委員長を退くべきでしょう。
他方、ゼレンスキー大統領の演説に拍手を送った国会議員とは一線を画し、明確な理念を掲げて中立的立場を維持したれいわ新選組に対して様々な批判があるようですが、それは前述した細谷雄一教授の論考から明らかなように、「わら人形論法」と言える根拠のない批判に過ぎません。
今回のゼレンスキー大統領の国会演説でれいわ新選組の議員がとった態様と、れいわ新選組の一連の姿勢は「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい」と述べた日本国憲法前文の趣旨に沿うものであり、評価されてしかるべきものです(※憲法前文とゼレンスキー大統領の国会演説の関係性については→ゼレンスキー大統領の国会演説が憲法違反につながる理由)。
共産党が脱落してしまった今となっては、日本の政党の中で憲法の平和主義の基本原理と9条に忠実な態度をとることのできる政党はれいわ新選組だけとなってしまいました。
この翼賛政治がまかり通る異常な国会の中でも、まともな政党が残っていることは幸いですが、この国が末期的な状態にあることが、今回のゼレンスキー大統領の国会演説で改めて浮き彫りになったと言えるのかもしれません。
なお、この記事の趣旨とは少しずれますが、ゼレンスキー大統領の国会演説を受けて一芝居打った軍国主義者の山東昭子参議院議長(自民党)にも拍手を送った議員らの愚かさを指摘して、この記事の結びといたします。