広告

徴兵制が日本国憲法で違憲と解釈される理由

世界では韓国やスイスなど徴兵制を採用してる国は多くありますが、日本では憲法上、徴兵制を採ることは認められないものと考えられています。

しかし、憲法を学んだことのない人の中には、なぜ日本国憲法の下で徴兵制が認められないのか、理論的に理解できていない人も多くいるように思います。

では、なぜ日本国憲法の下では徴兵制が認められないと考えられているのでしょうか。

ここでは、日本国憲法で徴兵制が認められないと解釈されている理由について簡単に解説してみることにいたします。

広告

【1】徴兵制は憲法18条の「意に反する苦役」にあたる

今述べたように、現行憲法で徴兵制は認められないものと考えられているわけですが、その理由は結論から言うと徴兵制という制度が憲法18条で禁止された「意に反する苦役」にあたるからです。

【日本国憲法18条】

何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

この「意に反する苦役」とは、「広く本人の意思に反して強制される労役(芦部信喜著「憲法(第6版)岩波書店235頁参照)」を指すものと一般に理解されていますが、徴兵制は国家権力が「兵役」という業務(労役)を一定期間、本人の意思にかかわらず強制させる制度なわけですから、その兵役は憲法18条で禁止された「意に反する苦役」そのものと言えます。

つまり「徴兵制」によって国民が国家権力から強制させられる「兵役」は憲法18条の「意に反する苦役」にあたるわけです。

そうすると、仮に国が徴兵制を制度化させた法律を作ったとしても、その法律によって強制される「兵役」は憲法18条の「意に反する苦役」にあたるものとなり、その法律は「憲法に違反する」法律となるので国民は拒否することができることになりますから、国家権力は「徴兵制」を制度化して国民に兵役を義務付けることはできないということになります。

このような理屈から、「徴兵制」は現行憲法では認められないという結論が導き出されることになるわけです。

【2】徴兵制における兵役は「公共の福祉」の側面からも認められない

この点、問題となるのが憲法12条で規定された「公共の福祉」との調整です。

【日本国憲法12条】

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

憲法12条は憲法で保障された自由と権利(人権)は「公共の福祉」のためにのみ利用されることを求めていますので、たとえ憲法で保障された基本的人権であっても「公共の福祉」の必要性がある場合には、その人権は一定の範囲で国家権力による制限が認められることを憲法は許容していると考えられています。

「公共の福祉」とは「人権相互の矛盾や衝突を調整するための実質的公平の原理」などと説明されることがありますが、簡単に言うと「他人のことを考えずに自分の事だけを優先させて人権を主張してはだめですよ」というような意味合いで理解すれば分かりやすいと思います。

つまり日本国憲法は、先ほど説明したように憲法18条で「意に反する苦役」を禁止していますが、その「意に反する苦役」を禁止することで他人の人権や生命・財産が棄損されるなど「公共の福祉」が棄損される可能性がある場合には、国家権力が国民に対して「意に反する苦役」を強制することも一定の範囲で認められると考えているわけです。

実際、この「公共の福祉」との調整から「意に反する苦役」の国民への強制を認めている法律が今の日本にも存在しています。たとえば、災害が発生した場合に国民の生命と財産を守るため国や自治体が総合的かつ計画的な防災行政の整備及び推進を図るための指針を規定した「災害対策基本法」がそれです。

この災害対策基本法は「公共の福祉の確保に資すること」を目的として制定されていますから(災害対策基本法第1条)、災害が発生した場合にはこの災害対策基本法で規定された範囲で国家権力が国民の人権を制限することも憲法12条の「公共の福祉」の範囲内の行為として許容されることになります。

【災害対策基本法第1条】

(目的)
この法律は、国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護するため、防災に関し、基本理念を定め、国、地方公共団体及びその他の公共機関を通じて必要な体制を確立し、責任の所在を明確にするとともに、防災計画の作成、災害予防、災害応急対策、災害復旧及び防災に関する財政金融措置その他必要な災害対策の基本を定めることにより、総合的かつ計画的な防災行政の整備及び推進を図り、もつて社会の秩序の維持と公共の福祉の確保に資することを目的とする。

具体的には、災害対策基本法の65条1項では、災害が現実に発生しまたは発生しようとしている場合に市町村長がその災害発生区域内に居住する住民を強制的に応急措置等の業務に従事させることが認められていますから、災害への応急措置という「公共の福祉」の目的があれば「災害の応急措置」という「意に反する苦役」を国民に強制することも認められることになるわけです。

【災害対策基本法第65条1項】

市町村長は、当該市町村の地域に係る災害が発生し、又はまさに発生しようとしている場合において、応急措置を実施するため緊急の必要があると認めるときは、当該市町村の区域内の住民又は当該応急措置を実施すべき現場にある者を当該応急措置の業務に従事させることができる。

このような「公共の福祉」の考え方を前提とした場合、「徴兵制」も認められるのではないかという点が問題となります。

他国からの軍事的な侵略があった場合も「災害」と同じように国民の生命と財産が脅かされるという「公共の福祉」の必要性は生じますから、その「公共の福祉」のために個人の自由を制限して「兵役」という「意に反する苦役」を国民に強制しても憲法12条の「公共の福祉」の観点から違憲性の問題は生じないとも考えられるからです。

しかし、憲法学的に考えた場合には、たとえ憲法12条の「公共の福祉」を考慮した場合であっても「徴兵制」は許容できません。なぜなら、日本国憲法は平和主義を採用し、その第9条で武力(軍事力)によって国を守ることを禁止しているからです。

【日本国憲法9条】

第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本国憲法は前文で平和主義をその基本原理として採用し、国の安全保障は国際協調主義に立脚した外交交渉や国際的な紛争解決のための提言など平和的手段によって確保することを求めたうえで、その平和主義と国際協調主義を具現化させるために憲法9条で「戦争放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」の3つを規定して国に軍事力によって国の安全保障を確保することを禁じています (※詳細は→憲法9条が戦争を放棄し戦力の保持と交戦権を否認した理由) 。

そうすると、日本国憲法の下ではそもそも「兵士」を養成し国の安全保障を確保すること自体が禁止されていることになりますから、たとえ国の安全保障のためという目的があったとしても、その目的は「公共の福祉」の内容とはならないことになります。

国を武力(軍事力)で守るための「兵士」を養成することが憲法12条の「公共の福祉」に含まれないのなら、その兵士を養成するための「徴兵制」も当然、憲法12条の「公共の福祉」によって許容されませんから、憲法18条に規定されたとおり国家権力は「徴兵制」を制度化して国民に「兵役」という「意に反する苦役」を課すことはできません。

ですから、憲法12条の「公共の福祉」を考慮したとしても、やはり日本国憲法の下では「徴兵制」は認められないということになるわけです。

【3】自衛隊を「合憲」とする立場では徴兵制も合憲と解釈しうることになる

もっとも、ここで注意が必要なのが、自衛隊を「合憲」と位置付ける歴代の日本政府の立場に対しては、この【2】で述べたロジックは使えないという点です。

自衛隊は、戦車や戦闘機やイージス艦や潜水艦や戦闘機が離着陸できる空母を装備していて常識的に考えて軍隊に他なりません。

しかし、歴代の日本政府は自衛隊を「『自衛のための必要最小限度の実力』であって『憲法9条2項の戦力』ではない」というロジックで合憲と位置付けていますので、歴代の日本政府の立場では自衛隊は憲法9条2項が禁止する「戦力(軍事力)」ではなく「自衛のための必要最小限度の実力」です。

そうなると、自衛隊の隊員は9条2項が禁止する「戦力」にはあたらなくなるので、その自衛隊の隊員も「兵士」ではないということになりますから、自衛隊員がその実力(事実上の軍事力)を行使して国外勢力と戦闘する行為も違憲ではないということになってしまいます。

そうであれば、その自衛隊が武力(事実上の軍事力)を行使して国を守るという行為自体が「公共の福祉」となり得ますので、国が国外勢力と戦闘するための自衛隊員を養成するための「兵役(※政府の解釈では自衛隊員は兵士ではなく隊員なので正確には兵役ではなく隊役)」を国民に強制しても、それは「公共の福祉」の要請として認められることになってしまうでしょう。

つまり、自衛隊を「合憲」と位置付ける立場では、「自衛隊の持つ武力を用いて国を守る」という行為が憲法第12条の「公共の福祉」として認められることになるので、国が自衛隊員を養成するための事実上の「兵役」を国民に強制しても、憲法第18条の「意に反する苦役」の違憲性は生じなくなる結果として「徴兵制」も合憲となってしまうのです。

歴代の日本政府は徴兵制を「違憲」と解釈していますが、それは単に政治的な理由で(※徴兵制を合憲としてしまうと選挙で負けるので)、「違憲」とする立場をとっているだけに過ぎません。その政治的な理由が解消されれば、いずれ政府は憲法解釈を変更して徴兵制を「合憲」としてしまう可能性も否定できないわけです。

前述したように、現行憲法上で徴兵制は違憲と解釈されるので、憲法論的には憲法を改正しないで徴兵制をとることはできませんが、自衛隊を合憲と位置付ける政府の立場では必ずしも憲法改正をしなくても憲法解釈を変更するだけで徴兵制を合憲としてしまうことができることは留意すべきでしょう。

徴兵制を憲法論的に「違憲」だと説明できるのは、自衛隊が外敵に実力を行使する行為が憲法12条の「公共の福祉」に含まれないと解釈できる場合だけであって、あくまでも自衛隊を「違憲」だと解釈する立場に限られます。

ネット上では、「自衛隊を合憲だ」と主張しながら他方で「徴兵制は違憲だ」と主張する人を見かけますが、自衛隊を合憲だと解釈するということはその自衛隊の存在を憲法第12条の「公共の福祉」と考えていることになるので自衛隊への兵役も「公共の福祉」として認めなければなりません。自衛隊を合憲と解釈する限り徴兵制を違憲だとするロジックは矛盾を孕むことになるので成り立たないのです。

自衛隊の持つ陸海空の実力(戦力)を「合憲」と解釈する立場をとる限り、仮に政府が徴兵制を合憲と解釈した場合には、その徴兵制は憲法第12条の「公共の福祉」となる結果、その徴兵制を「違憲」だと論理的に反対することはできなくなりますので、その点は十分に注意する必要があります。